突然の出来事

 目覚ましをかけ忘れた。多分生まれて初めてである。目が覚めて、数秒してからそのことに気付き、背筋が凍った。慌ててケータイを開いて時間を確認すると六時だった。


「・・・ふう」


 危なかった。目覚ましを止めて二度寝した後、再び目を覚ました時のような嫌な汗をかいてしまった。それで遅刻しかけたことが何度あったことか。大学に復帰して早々遅刻など、絶対にしたくないところだ。電車に間に合う時間に目が覚めて本当によかった。


 しかし、朝食を食べてる暇はなさそうだった。正確には食べる時間はあるがつくる時間がない。米は昨日炊いた残りがあるので、急げばギリギリ間に合わないこともないが、まあそこまでして朝食を食べたいとは・・・いや、二時間半の移動を考えると、流石にお腹が減るか。お茶漬けくらいは食べてから家を出ようか。


 服を着替えて部屋を出る。そのまま寝惚けた頭で欠伸をしながら台所へと向かった。


「あ、旦那様、おはようございます」


「おはよー」


 ・・・。


 ・・・・・。


 ・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?


 お茶漬けってあったっけ?よくよく考えてみればなかった気がする。ってそりゃそうか、この家に最初から置いてあるわけはないし、自分で持ってきたわけでもない。失敗したな、カバンの中にお茶漬け一袋でも突っ込んでおけばよかった。


「さあさ旦那様、席におつき下さい。朝食のご用意ができておりますよ」


「ああ、ありがと」


 まあいいか、これだけ豪勢な朝食があるわけだし、別にお茶漬けにして食べなくても・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 !!!???


「さ、沙夜!?」


 「!?は、はい、どうなさいました?」


 寝惚けた頭が。


 一瞬で覚醒した。


 僕の目の前には。


 朝食にしてはあまりに豪勢な料理の数々と。


 夢に見た、沙夜の姿があった。


「ど、どうなさいましたじゃないよ!!一体昨日どこに行って・・・というか、何・・・夢じゃないの!?」


 僕は慌てて沙夜に駆け寄り、彼女の二の腕を掴む。そこには幻でも夢でもなく、確かに沙夜の体があった。


 沙夜の体に、触れることができた。


「きゃあ!あ、あの、旦那様・・・そ、そんなにお顔を、近づけられると・・・・・」


「え・・・・・あ」


 途端、沙夜の顔がみるみる赤くなっていった。僕は我に帰り、女性にとんでもないことをしていたことに気付くと、またもや慌てて沙夜の体から手を離した。


「ご、ごめん、ちょっと、動揺しちゃって」


「い、いえ・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・・・・」


 気まずい沈黙が流れたが、そのおかげで僕は急激に冷静になる。


「あ、あの、一体どうなさったのですか?私の顔を見るなり、突然驚かれたようですが・・・私の顔に何かついておりましたでしょうか・・・」


「いや、そういうのじゃないんだけど・・・。沙夜、昨日って、どこにいた?」


「昨日、ですか?昨日も一緒にいたではありませんか。一緒に朝食を食べて、旦那様をお見送りして、夕食も一緒に食べて・・・。旦那様がおられない間も、私はずっとこの家におりましたが・・・それがどうかなさいましたか?」


「一緒に朝食?見送り?」


「はい」


 ・・・・・。


 どういうことだ?


「沙夜、昨日って何日だっけ」


「六月二十五日でございます」


 ・・・僕が引っ越してきたのが二十四日だから、昨日は二十五日で合っている。でもそうなると沙夜の言っていることが分からない。昨日は確かに沙夜はいなかったはず。一緒に朝食を食べた記憶も、見送りされた記憶も、僕の中にはない。


 ・・・・・。


 もしかして。


 今、この瞬間が夢なのか?


 まだ僕は、目覚めていないのか?


 また僕は、沙夜のいる世界の夢を見ているのか?


 でも、夢のような感覚はない。もちろん昨日だって一昨日だって、そんな感覚はなかった。確かに現実で、確かにリアルだった。


 じゃあ。


 沙夜がいなかった昨日も。


 沙夜がいる今も。


 等しく現実なのか?


「あの、旦那様?大丈夫ですか?とても怖いお顔をしていらっしゃいますが、私、何かしてしまいましたでしょうか。もし知らず知らずのうちにご迷惑をおかけしてしまっていたのであればお詫びいたしますので、どうぞ申して下さいませ」


「あ、あぁいや、沙夜は何もしてないよ。単なる僕の勘違いだったみたい。むしろこっちがごめん。腕とか掴んじゃって」


「い、いえ、あれはその、びっくりしただけで・・・別に、嫌というわけでは・・・」


「・・・・・」


 その言葉に、今度は僕も赤くなる。


「あ・・・だ、旦那様、早く食事を済ませないと電車の時間に間に合いませんよ!さぁ早く食べましょう!」


「あ、ああ、そうだね」


 お互い照れ隠しのように、黙々と朝食を食べ進めた。


 昨日話せなかった分、話したいことが沢山あったはずなのに、照れくさくて何も言えなかった。


 それが何だか可笑しくて。


 それが何だか、美味しくて。

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