君がいない

 その部屋にあったのは、最初からこの家に備え付けられている、家具だけだった。

 布団も枕もなく、そこには沙夜の寝ていたであろう痕跡は一切なかった。どころか、人が生活していたであろう痕跡が、全く、見当たらなかった。


「・・・・・沙夜!」


 思わず、僕は部屋を飛び出した。もしかしたら僕が部屋を間違えただけかもしれないが、どうしようもない不安に駆られて、僕は家中の部屋を見て廻った。部屋だけでなく、それ以外も全て。


 バスルームも、トイレも、庭も、軒先も。


「沙夜!沙夜!どこかにいるのか!?」


 心底、焦っていた。


 人一人が突然、忽然と消え去ってしまったという事実に、多分僕はどうしようもないほどの恐怖を感じてしまっていた。


 朝、目覚めると。


 いるはずだった人が、いなくなっている。


 存在しなくなっている。


 いるはずの人が、いない。


 それはもう僕には、耐えられないことだったから。


 たとえそれが。


 昨日出会ったばかりの人だったとしても。


 探す。探す。探す。


 多分何かの間違いだと、どこかにいるのだろうと、そう願いながら。


 しかし探せば探すほどに、ひしひしと感じてしまう。


 この家の、閑散さを。


 この家の、人気のなさを。


「・・・・・」


 人気が、感じられなかった。


 全く、これっぽっちも。


 自分以外の誰かが、いる気がしなかった。


 それが気のせいだと振り払いながら、それでも探す。


 探す。


 探す。


 沙夜を。


 しかし、自分の部屋を含めこの家にある全ての部屋をひっくり返してみても、全ての場所を探してみても。


 沙夜は、どこにも、いなかった。


「・・・・・・・・・」


 再び居間に戻ってきて、茫然自失。頭を抱え、その場に座り込んでしまう。


「・・・・・なんで・・・・・沙夜、一体、どこに・・・・・」


 昨日まであったはずの沙夜の姿が、煙のようにどこかへと消えてしまった。まるで沙夜の存在が、幻であったとでも言うかのように。


 ショックだった。本当に、たかが昨日今日会ったばかりの人がいなくなっただけのはずなのに、動揺を隠せなかった。彼女がいないことが、あまりに不安で、あまりに辛かった。それも当然だった。希望を与えられ、その希望を摘み取られたようなものなのだから。


 これから楽しい毎日が始まると。


 そう思っていたのに。


 その希望を、摘み取られた。


 抉り取られた。


 そんな気がした。


 ・・・・・。


 沙夜は、いなかった。


 それは、この家にいなかったという意味ではない。もしかしたら外に出かけていて、だから家の中にはいない、という意味でもない。


 最初から、いなかった。


 沙夜は、最初からいなかった。


 そういう意味だ。


 僕が最初にこの家に来たとき、この家からは生活感を感じた。それは、沙夜がいたからだった。彼女がいたからこそ感じた生活感で、彼女がいたからこそ感じる温かさだった。


 それが今は、何もない。


 一呼吸しただけで分かる。


 誰もいない。


 何もない。


 何も、感じない。


「一体、何が、どうなって・・・」


 訳が分からなかった。


 最初からいないのなら、僕が昨日会った彼女は、一体誰なんだ?見たもの、聞いたもの、味わったもの。あれは一体なんだったんだ?


 僕は、夢でも見ていたのだろうか。


 夢のよう。


 そうだ、あれは夢のような時間だった。


 だからやっぱり、夢だったのか?


「・・・・・」


 でも、正しいのは、今だ。


 沙夜がいない今が、正しい。


 普通に考えれば、沙夜のような人物はいるはずがない。元々は猫だなんていう、あんな子が、いるわけがない。


 だから、昨日と今日、どっちが夢だと聞かれたら。


 ・・・・・。


 沙夜がいた昨日が、夢だったろう。


 ・・・でも。


 昨日が夢、だなんて、どういうことだ?


 そんなことが、ありえるのか?


 ケータイを開いて、日付を見る。今日の日付は確かに、この家に引っ越してきてから二日目の日付だ。


 じゃあ。


 夢じゃない僕の昨日は、どこへいった?


 ・・・。


 ・・・・・。


 ・・・・・・・。


 時計を見れば、既に六時三十分を回っていた。僕は空になった心で、荷物を持って家を出た。


 食卓に並んだ二人分の朝食が、少しずつ冷めていく。

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