笑顔のある食卓

 互いに「いただきます」と口を揃えて食べ始めた夕食だったが、沙夜は兎も角僕は手が止まらなかった。全部食べるのは無理かと思われたが、割と本気で食べきってしまえそうな、それほどの美味しさだった。


「・・・・・」


「旦那様、どうされたんですか?お口に合いませんでしたか?」


「・・・いや、あまりの美味しさに声さえ出なかった。こんなに美味しいものはこれ以外じゃ母親の手料理しか知らないよ」


 満ち足りる食事とは、こういうものだったか。本当に久しぶりに、その感覚を味わった。


 最後に母の手料理を食べたのは、いつだったかな。


「まあ、嬉しいです。こうしていつか旦那様に食べてもらうために、毎日料理の特訓をしてきた甲斐がありました」


「・・・そうだ、沙夜は猫なわけだもんね。どうやって料理覚えたの?というかそもそも、火とか大丈夫なの?」


「料理は、この家に料理の本がございましたのでそれを見て勉強致しました。火や刃物は、不思議と平気でした。どうやらその辺りは、人の体そのもののようです」


「なるほどね。他にも色々勉強してたの?」


「はい、家事に関することは一通り。その他にも縫い物や茶道など、様々なことを本を読んで学んでおりました」


「はは、まるで花嫁修業だな」


 庶民が手にすることのできる一流の物は本である、とはよく言ったものだ。沙夜の話を聞くとやはり本というのは偉大なものなのだと理解できる。僕も見習ってもう少し本を読もう・・・。


「そういえば沙夜はどこの部屋を使ってるの?」


「縁側沿いの一番奥の部屋を使わせていただいております。もしお邪魔でしたら別の部屋に移動いたしますが・・・」


「ああいや、別にいいんだよ?ちょっと気になっただけだから」


「そう、でございますか。ですが、あんなにも広いお部屋を旦那様を差し置いて使わせていただいてもよろしいのでしょうか」


「構わないよ、全然。最初に言ったでしょ、僕の家じゃなくて僕と沙夜の家だって。好きに使えばいいよ。たとえ二人で三つずつ部屋を使っても余るくらいなんだからさ」


「ありがとうございます。家具も勝手に使わせていただいているのですが・・・」


「それも構わないよ。むしろ沙夜に使ってもらえるならじいちゃんもばあちゃんも喜ぶと思うし。あ、そうだ、家具といえば。多分次の土曜日に引越し業者が来て荷物が届くと思うから、色々手伝ってもらってもいいかな?」


「手伝うだなんて!全て私めがやりますので旦那様は・・・」


「気持ちは嬉しいけど、流石に沙夜に全部任せたりしないよ。料理は沙夜が作ってくれるって言ったから任せたけど、力仕事はね。それさえ沙夜一人に任せて自分は部屋でごろごろしてるだなんて、男として流石に、ね」


「そうですか・・・分かりました、精一杯お手伝いさせていただきます!」


「そんな張り切らなくても・・・」


 いや、張り切るなって言う方が無理な話か。ずっとこうやって、誰かに尽くして恩を返すことを願っていたわけだしな。


「ところで旦那様、一つお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」


「ん?何?」


「こうして優人様を旦那様として迎えることができたのは本当に嬉しい限りなのですが、旦那様はどうしてこの家にお引越しされてきたのでしょう?」


「!」


「旦那様はご両親と暮らしておられたのですよね?どうしてわざわざ、ご両親と離れてこちらへいらしたのでしょう?」


「それは・・・」


 ・・・。


 ・・・・・。


 ・・・・・・・。


「あ、も、申し訳ございません。お答えしたくないのであれば、もちろんお答えしなくて構いません。突然このようなことを聞いてしまい、申し訳ございません。ただ、どうしても気になってしまって・・・」


 沙夜は、僕が答え辛そうにしているのを見てか、すぐに謝った。たとえ答え辛そうな顔をしていなくても、食事をする手が止まってしまったので、多分そのことを察せられていたと思う。


「いや、答えたくないとか、そんなんじゃないよ。ただどう言ったものかと思ってね。沙夜は大学って言って分かるかな」


「知っています。確か、勉強をする場所だったと・・・」


「正確には違うけど、まあそんな感じ。僕はその大学に通ってるわけ。だけどその大学のある場所が両親の住んでいる家からは遠いから、違うところに家を借りてそこで暮らしていたんだ」


「ご両親と一緒に暮らしているわけではなかったのですね」


「ああ。で、しばらくその借りた家に一人で暮らしていたんだけど、ちょっとそこで暮らすのが難しくなっちゃってね。それで、両親の家よりもこの家の方が大学に近かったから、ここに住むことにしたんだ」


「そうだったのですね。ということは、ここに来たのは偶然のようなものだったということでしょうか」


「そうだね、多分偶然だったと思う。何か一つでも違えば、ここには来ていなかったと思うよ」


「ということは、神様が私と優人様を引き合わせて下さったのですね。なんて素晴らしいのでしょう」


「神様・・・まあそういう考え方もあるわけか」


 神様、ね。


 ・・・・・。


 何だか複雑だ。


「はぁ、食事中にこんなに話をしたのは久しぶりかも」


「そうなのですか?お一人で暮らしていてもご友人と食事をしたりすることはあるのではないですか?」


「ここのところはずっと一人だったね。だから、すごく楽しいよ」


「私もでございます、旦那様。こんなにも楽しい時間がやってくるなんて、夢のようです」


 夢のよう。


 まさに僕も、そう思う。またこんな風に楽しい気分になれるなんて、思っていなかったから。


 一人で暮らしていくつもりだったのに、突然現れた、可愛い同居人。きっと彼女がいなければ僕は今日も、一人で食事をとっていただろう。何を言うわけでもなく、何を感じるわけでもなく。


 それが、こんなにも。彼女がいるだけでこんなにも満ち足りるなんて、本当に夢のようだった。もしかしたら本当に夢なんじゃないかと疑ってしまうほどだ。


 一人が寂しくて、一人が嫌で。そんな僕の心がつくりだした虚構なんじゃないのかと、本気で考えてしまう。だけど、そんなことを考えることさえくだらないと思えるほどに、この時間が楽しかった。


 これからもこんな日々が続くと思うと、わくわくせずにはいられなかった。


「僕の話じゃなく、沙夜の話を聞かせてよ」


「私のお話、ですか?」


「うん、これまでに沙夜がどんなことしてたのか、とか。いい?」


「旦那様がお聞きしたいというのであれば、もちろんです」


 その後も僕らは、会話を続ける。


「では旦那様、聞いてくださいまし。昨日、近所のどら猫さんとお魚を取り合ったときの話なのですが・・・」


「何やってんの!?」


 気が付けば、沙夜の作ってくれた料理を全て、平らげてしまっていた。


 そうしていつしか、夜は更けていった。

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