宿る命は人の為

 部屋に入って、机の前に座る。そしてその向かいに、彼女も腰を下ろした。僕は胡坐で、彼女は正座だった。


「・・・で、話の続きだけど」


「はい」


「何となく君の存在は分かったけど、正直戸惑ってて・・・。いくつか質問させてもらってもいいかな。君が本当に、その、祖父母の飼っていた・・・猫、なのか。いや、祖父母の猫だからって何でも答えられるわけじゃないとは思うけど」


「大丈夫でございます。お二人のことでしたら何でもお答えいたします」


「そう・・・」


 彼女は自信満々にそう言った。まるで二人に関することなら知らないことはないとでも言いたげな表情だ。


「もちろん優人様のことも存じておりますので、何でもお答えできますよ」


「・・・じゃあ僕が最後にこの家に来たのは?」


「十四年前でございます。確か優人様はその時、六歳だったはずです」


「・・・じいちゃんとばあちゃんが亡くなったのは?」


「昨年の六月十日でございます」


「ばあちゃんの趣味は?」


「編み物でございます」


「じゃあじいちゃんの趣味は」


「ネットサーフィンでございます」


「ふはっ!」


 思わず笑ってしまった。いや、合ってるんだけどね。確かにじいちゃんの趣味はインターネットだった。流石に十四年前からずっとという訳ではないが、ネットが普及してからはそうだった(らしい)。現代というか、時代に適応してる人だった。


 それ以外の質問もそうだが、この質問に限っては本当に祖父のことを知っていなければ答えられない。そういう意味では彼女は、誰よりも祖父のことを分かってると言えた。


 ・・・・・ならば。


 この質問はどうだろうか。


 この質問が分かれば。


 彼女は本当に。


 祖父のことを、何でも知っている。


「・・・じゃあ最後。じいちゃんの、もう一つの名前は知ってる?」


「・・・・・」


 そう聞くと彼女はにこりと笑って、


赤葉あかば紅葉こうよう様、でございます」


「・・・・・ふっ」


 正解だった。じいちゃんは副業としてずっと作家をやっていて、そのペンネームが赤葉紅葉だった。桐敷宗栄が赤葉紅葉であることを知っているのは、身内以外では出版社の人しか知らないはず。つまり、普通ならば彼女が知っているはずがない。

 普通ならば。


 祖父と四六時中一緒にいるような、何ものかでもなければ。


 ・・・・・。


「君は本当に、猫なんだね」


「はい、猫でございます」


「・・・分かった、信じるよ」


「信じて、いただけるのですね?」


「順応性が高いのが、自分の長所だと思っているからね。受け入れ難い現実だけど、それが現実なら」


 そんな面白い現実なら。


 信じてみるのも、一興だ。


「だけど、分からないことはもちろんある。君が猫なら、どうしてそんな、人間の姿になっているんだ?」


「実はそれは、私にも分かりません」


「・・・猫としての君は、どうなったの?」


「どうなった、と仰いますと?」


「その、じいちゃんとばあちゃんが亡くなった時、君はまだ生きていたの?僕が最後にこの家に来て、君と会ってから十四年が経ってるわけだけだから、さ。猫の寿命のことを考えると・・・」


「・・・そうですね。確かに飼い猫の寿命は十年、長くても十五、六年とされています。ですので、私は宗栄様と多恵子様の亡くなる前に寿命を迎えました。毛並みもボロボロで、ほとんど動けない私を、それでもお二人は愛して下さいました。あの時のお二人の温もりは、今でも忘れません。それで・・・」


「それで?」


「私は思ったのです。私を愛してくださったお二人に、私が育ったこの家に、恩返しがしたい、と。お二人は私のことをこんなにも大切にして下さったのに、私は何もして差し上げることができませんでした。そのことがずっと心残りで、だから、私は天に召されるその時、願ったのです。『恩返しがしたい』と。そしたら・・・」


「・・・・・そしたら?」


「今のこの姿になっておりました」


「・・・・・・・」


 所謂「物には魂が宿る」みたいな話だろうか。一度命は失ったものの、彼女の強い思いが再びこの世に魂を呼び戻し、それが形となった・・・とか?まさしく日本的な発想だが、付喪神だとか八百万の神だとかを信じる僕にとっては、それが一番しっくりくる理由付けだった。


「こんな話、信じてはもらえないでしょうが・・・」


「いいや、信じるよ。その話を信じないようなら、君が猫だって話も信じちゃいないよ。君の強い思いが形となった・・・信じるには充分すぎる理由だよ。君は本当に、二人のことが好きだったみたいだね」


「はい。本当に、よいお方で・・・この体になった時は戸惑いもありましたが、これでお二人に恩返しができると、喜んでおりました」


「そっか。・・・あれ?じゃあもしかしてじいちゃんとばあちゃんの二人は、君と会っているってこと?」


「・・・・・いえ、それが・・・残念ながら私は、お二人に恩返しをすることができませんでした」


「それって・・・」


「はい、私が神様からこの体をいただき、目覚めた時にはもう、お二人は旅立っておられました」


「・・・・・そっか」


「最初は、その理不尽さを嘆きました。折角こうして人の体を与えられ、お二人に尽くすことができるようになったのに、どうしてもう少し早く、目覚めることができなかったのかと。私は一体何のために、この世に戻ってきたのかと。ですが、嘆いていても仕方がないと気付きました。私がこの世に戻ってきたのには、きっと何か意味があるのだろうと、私は、待つことを決めたのです」


「待つって、何を」


「私の願いである、恩返しのできるご主人様が現れることを」


「・・・・・」


「私の旦那様、そして奥様であるお二人に恩返しはできませんでしたが、この命を与えられた以上、受けたご恩をそのままにしておくことはできませんでした。ですので、たとえお二人に恩返しをするという願いは叶わなくとも、受けたご恩を必ずお返しすると、そう決めていたのです。次に、この家の主となる方に」


「つまり、さっき僕のことを旦那様と呼んだのは・・・」


「はい、優人様が、私の仕えるご主人様であられるからです」


「・・・なるほど、そういうことか」


 話は繋がった。彼女は何者なのか、そして、何故ここにいるのか。


 全ては、僕の、祖父母のため。


 自分の願いを、叶えるため。


「優人様のことは、ずっと覚えておりました。もし優人様に仕えることができれば、こんなに嬉しいことはないと、そう思っておりました。そして今日、私の願いが叶ったのです。恩返しがしたいという願いだけでなく、優人様にお仕えしたいという、自分勝手な願望までも」


 そう言うと彼女は少し後ろに下がり、僕との距離をとった。いや、後々の彼女の行動を考えれば、距離をとったのは僕ではなく、目の前にある机だろう。


「優人様、どうか私を、この家に置いて下さいませ。お食事も、お掃除も、お洗濯も。家のことは、全て私がいたします。優人様には絶対に、ご迷惑をおかけしません。身に覚えのない恩であるとは思いますが、私の『恩返し』という願いを叶えるために、優人様に尽くさせて下さいませ。そしてどうか、優人様を私の旦那様として迎えることを、お許し下さい」


 淀みなく、翳りなく、躊躇いなく。彼女はそう口にした。口にして、深々と、頭を垂れた。一糸乱れぬその言葉、その動きに、僕は再び見蕩れてしまう。


 見惚れてしまう。


 その姿には、絶対に揺るがせないほどの決意が見てとれた。反論の余地さえないようなその決意の前では、その言葉を受け止める以外にできることなどなかった。「僕に尽くす必要なんてない」、彼女の決意の前でそんな言葉を吐くのがどれだけ失礼なことなのかを、分かっていたから。


 ・・・・・・・。


 彼女はまだ、頭を下げたままだった。多分、僕が何かを口にしない限り、彼女がその姿勢を崩すことはないだろう。一分でも、一時間でも。その決意を表し続けるだろう。


 その為に彼女はずっと、この家に、ついていたのだから。


「・・・頭を下げてお願いをするのは、こちらの方だよ」


 その言葉に、彼女は僅かに顔を上げる。


「僕よりも君の方が、この家にいた時間は長いだろう。いや、時間が長いなんてものじゃない。祖父母と一緒に暮らしていたのだから、ここは君の暮らしてきた家だ。そして、君の、暮らしている家だ」


「・・・・・」


「つまり、君の家だよ」


「優人様・・・」


「だから、お願いをするのはこっちの方。君の暮らしてきたこの家に、僕も住まわせてもらえないだろうか。君の、祖父母との思い出の場所に立ち入らせてもらうことになるけれど、どうかこの家に、僕を置いてほしい。迷惑かもしれないけれど、どうか、お願いします」


 今度は僕が頭を下げる。彼女ほど美しいものではないが、それでも誠心誠意の心を込めて。


「そんな・・・迷惑だなんて・・・!優人様が頭を下げることなど何もありません!お願いをするのは私の方です。勝手にこの家に住み着いてしまったのは私の方なのですから。それを私の家だなんて・・・恐れ多いです。この家は宗栄様と多恵子様の家で、その肉親である優人様の家でございます」


 慌てたように訂正する彼女の姿が、妙に可愛くて。僕は思わず、顔が綻んでしまう。


 ・・・全く、こんなことがあるだなんて。


 これからはこの家で一人暮らしが始まると思っていたが、どうやらそうはならないようだ。


 僕は立ち上がって、彼女の近くに膝をついた。頭を上げた彼女と、目を合わせる。


「じゃあ今日から、二人の家ってことで。こんな僕だけど、これからよろしくね、沙夜」


「・・・は、はい!よろしくお願いいたします、旦那様!」


「別に旦那ではないんだがな、はは」


 そう言って僕らは握手をした。


 握った彼女の手は確かに、人の温もりを宿していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る