二章 倫敦強襲②
極東の倫敦調査部隊は午後八時半に日本を発った。
同時刻、翔征ら三名は倫敦から南西四十キロほど離れた、ギルフォード近くの館へ出現していた。
大陸間強制転移。
各支部ごとに設置された転移ゲートを通り、タイムラグ無しでイギリスへ渡る。しかし倫敦支部は壊滅したためか、ゲートは開かなかった。緊急措置として、ギルフォードに設置されていた地域レベルのゲートを強制的に開いたのだ。
ゲートは地下一階に設置されていた。暗闇であるが視界は良好だ。能力発現と同時に身体強化が行われていたらしい。三人とも迷うことなく階段に進み上がっていく。
館に人の気配はない。
「ここも危うい」
エリノアは出窓に近づき、カーテンの隙間から外をうかがう。
「閑散か。いるにはいるが、隠れているようだ」
ある程度距離があるからか、まだ化け物の脅威は及んでいない。
エリノアの指示により、館内をざっと見回る。
使えそうな武器はないが、水分と食料の補充分はあった。この先どこまで続くかわからぬ行程のため、三人連結使用の異次元収納、通称黒箱に収められた。
便利な魔法のようなもの。
武器はすべて黒箱に収められている。頭で理解していても、あきらかな超常。しかしその程度はもうどうでも良いレベルになっている。
なにしろ、これから悲劇を迎えねばならないのだから。
「では予定通りに、突貫へ」
悲壮感もなく、事務的にエリノアが告げて、玄関フロアへ向かっていく。
美智留も無言のまま彼女の後を追う。
翔征はその二人の後ろ姿へ続きながら問うた。
「どうやって行きます?」
まさか走る、とは言わないよな
「安心しろ。足はあるし、腕は確かだ」
自信満々の声に、美智留の声がかぶさった。
「覚悟の用意を」
「なにか私に? 春日美智留よ」
「いえ、なにも」
不穏なやり取りをしながらドアが開いていく。
生暖かい風が頬をなぶる。
季節的にもう少し寒いイメージだったが、妙に暖かさを感じる。陽もあるからだろか、暑くなる、一歩手前と言える。
夜だったのに。
一瞬の移動のため、時間の感覚がおぼつかない。
まだ、入学した日が終わっていない。
両親が死んだ日が終わっていない。
非現実な今が、終わりはしない。
翔征は庭先から歩道へ進み、住宅街を見まわしたあと、ゆっくりと元凶の方角を見上げた。
「終わるわけがない、か」
離れている距離は四十キロ程度しかない。
見える。
火災による黒煙、何かが巻き上げた煙、それらが混ざりあって空は次第に不穏な色に浸食されようとしていた。
「もう少し近づけば見えるわ」
隣に立った美智留が目を凝らす。
たぶん、近づかなくても。
奴が巨体を起こせば見えるはずだ。
絶望的な巨体だったのだから。
「軍も動きます。私たちに残された時間は少ない」
「もう動いている、では」
「そうね。先に倫敦支部が動いているでしょうが。同着かもしれない。ただ問題はその後よ」
「なんとなく、わかるような」
「定番ですからね。物語なら」
通常攻撃が通用しない、もしくは倒せないと判明したならば。
最も強い一手を使う、わけだ。
「核攻撃、ですか」
「一応、我が結社のエージェントは優秀。権力の中枢にも忍んでいるし、協力者もいる。けれど時間稼ぎ程度でしょうね」
放たれることが前提なのだ。
「だから翔征、ためらわずに結界珠を使うこと」
「使い方もわからないのに?」
「念じればいいだけ」
「簡単に言う」
「簡単だから。スイッチ一つで明かりがつくようなもの」
イメージはしやすいが、反対に不安を覚える。
「それで核を防げると?」
「売り文句を信じるならば、かな」
「心強いお言葉で」
軽口を言う余裕などないはずだが、つい出てしまう。
現状の異常を前に、感覚が麻痺しているのかもしれない。
もしくは、すでに能力が発動している可能性がある。
絶対、強者ね。
ベラは理解しやすいように、ステータスやレベルなどの単語を使ったが、実際にそのような数値が見れるわけではない。
やれるか、やれないか。
勝てるか、勝てないか。
翔征自身が感じる、体感でしか測れはしないのだ。
肉弾戦なら。
喧嘩なら。
翔征は両手の平を見つめながら、握ったり開いたりを繰り返す。
不思議な感じはある。
今なら、誰にでも勝てる気がしている。
強気になっているのだ。
しかしそれも、対人に限られる。
対人であればいくらでもシミュレーションができる。勝てるイメージが描ける。
でもアイツは。
巨大な竜。
蛇のような胴体に、蝙蝠の羽を持つ。東洋と西洋の竜が合わさったような存在。化け物であり、怪獣映画に出てくるような代物だ。到底、人間クラスが勝てる存在ではありえない。
故に作戦もない。
残りのインド、欧州組と連携することもなく、ただこの三名で突貫するのだ。
このわずかな時間で。
絶えず、呪術的にモニターされている状況で、後続のために、敵を暴くことが与えられた使命であり、片道切符しか持たされていない。
「で、あっても」
小さくつぶやくと同時に、右肩にかすかな重みを感じた。
「翔征」
囁かれ、振り向く間もなく美智留が近づき、唇と唇が重なった。
柔らかな感触であったが、堪能はできなかった。
瞬く間に奪われ、瞬く間に美智留は離れていた。
「あなたに加護を」
薄っすらと頬を染めた美智留が微笑む。
いいね。
気を紛らわせるためだろう。
この状況でなければ何も考えられず、有頂天になっていただろう。
だが今は冷静だ。
普通の世界から離れていっている。
普通の幸せすら、何だったのかが思い出せないほどに。
緊張や、暗い思考すら美智留にはバレていたと見ていい。いや、それは美智留にも言えるはず。結局、お互いがお互いに……。
やめよう。素直に。
「ありがとう」
◇◇◇
見えはしない。
関知もしない。
だからエリノアはアクセル全開で飛ばす。
ギルフォード支部に残されていた黒いリムジン。前に乗ったのと同タイプだ。違うのは運転手がおらず、エリノアが運転している点のみ。
秘密結社ビヨンドが保有するこの車は、半幽体化する能力があるという。
実体をすり抜けるのだ。
どうりで警察や消防などの喧騒としていたあの場から、スムーズに脱出できたわけであり、あらゆる障害物、倫敦から逃げる車の波すら無視して、エリノアが飛ばすのだ。
口元に笑みを浮かべながら激しくハンドルを切るエリノアに対し、助手席に座った美智留は右の取っ手を両手で握りしめ、目を見開いて迫りくる障害物を見つけては声を上げる。
どうやら半幽体と言えども万能ではないらしい。ぶつかり過ぎれば、いずれ限界が来て気付いたときにはもうジ・エンドへ一直線という。
翔征もまた、美智留に命じられて後部の対面座席に膝立ちして前方を注視しながら、後方も気を付ける役目を担わされていた。
たしかにこれは、覚悟が必要。
乗る前に言われた言葉を思い出しつつ、先ほど見えた化け物を思い出す。
高速に移ったが、すでにすべての道路が倫敦を離れる車で溢れている。倫敦へ向かう車線は空いているが、たまに逆走してくる輩も出てきている。倫敦へ近づけば近づくほど、この傾向は強くなるのだろう。
それら逆走車に意識がいく最中に、奴は鎌首をもたげたのだ。こちらに気付いたわけではなく、背を見せていた。その周りで幾つかの閃光が走ったのが見えた。奴の攻撃か、倫敦本部のエージェントの攻撃だったのかわからないが、何かと争っているのは見て取れた。
絶望的な巨体だったな。
勝てる方法が見えない。
しかしなぜか、勝てる気でいる。
方法がわからないのに。
まさか俺は……ぶん殴るのか?
『できますよ』
殴るイメージと共に、柔らかな女性の声が脳裏に響く。
またか。
自室で聞いた声と同じ、そう思った矢先だった。何かが通過し、爆音が轟いた。
「はじまったな」
フロントガラスから三機の機影が見えた。
「軍が動いたということは」
「倫敦支部の方々は敗北したことになります」
「言い切ることはできんと思うが。正しい読みだ」
人知を超えた力よりも、現実的な力に切り替えたということだ。
「通用しますか?」
「ある程度は。ただ学習してしまえば無効化される」
エリノアの見解が出た直後、前方の景色に爆炎が生まれた。
まだ距離はあるが、ミサイルの直撃か、撃墜かまでは不明だ。
「知能的な問題ですか」
「違うな。起こされた現象を認識するまで。知能というより本能、あとは能力次第」
物理無効などの能力が発動される、とでもいうのか。
やり過ぎると?
それまでに倒せと?
初見ならいける?
「核は効くかもしれない、わけですか」
「奴がいた世界で、核攻撃をされていなければ、という前提付きだったら効く」
「敵の科学レベルは?」
「誰も知らない」
対になるルールだったはず。魔人がいるような世界。それ相応と見るべきか。もしくは科学と対になる超常現象が特化した世界と考えるべきか。
「翔征、考えすぎは禁物です。結局、意思が大事なのです」
「意思ですか」
聞き返すと美智留が取っ手に掴まったまま無理やり振り返る。
「例え身が砕けようとも、己の意思がある限り扉は開かれん」
「なんです、それ」
「受け継がれてきた真理です」
「身が砕けたら、お終いでは?」
「残念ながら、終わりは来ません」
言い切った直後、またも爆炎が上がる。爆破の衝撃もフロントガラスにぶち当たり、半幽体状態のリムジンが風圧に揺れた。
「今のは、防がれたな」
どこをどう見たのかわからないが、ミサイル攻撃が防がれた、という意味だ。
ミサイルがね。
現代兵器では太刀打ちができないのかもしれない。
しかし超常なる集団である、倫敦支部のメンバーも壊滅しているはず。
「時間がない」
エリノアが小さくつぶやき、中央モニターを片手で触っていく。
幾つかの画面が流れ、あまり見たくない単語が並んだ画面中央に赤いボタンが表示された。
「強襲する。It's Showtime!!」
ネイティブな発音と共に細い指が赤いボタンを押した。
同時に翔征は背後に吹っ飛んでいた。
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