二章 倫敦強襲①

 級友二五名の仇、その名を宝生大樹。

 美智留が追っていた仇敵であり、秘密結社ビヨンドのエージェントとして生きる理由でもあった。

 宝生の速報が入り、誰に告げることなく美智留はハントに動いた。


 しかし美智留は誤った。


 気がはやり過ぎて結界を張るのを忘れ、運も味方はしなかった。指定の場所でばったりと宝生に出会い、いきなりの戦闘開始。そのため、戦いの余波で近くの病院を半壊してしまった。

 罪悪感あれど、復讐鬼と化した美智留が止まることはなかった。

 優劣はなく、ほぼ拮抗した力量まで来ていた。


 やれる。


 確信を抱きながら、残り数手を予測し実行する最中だった。

 炎をかき消す衝撃波の一撃。

 感知してかわすもギリギリ。

 見上げた先には、無手で細身な少年が一人、憎悪の瞳を向けて立っていた。

 敵だと思うも、その姿は自分自身にも見えた。


 私はわかっていた。

 あれが同じ者だと。


 自分が招いてしまった結果に、理性ではわかっていても心が納得していなかった。そのわずかな間に、彼はやってきた。

 瞬く間に。

 獲物が奪われる。

 少年の足元に、宝生大樹が瓦礫の地に伏す。


 そいつは私の、私の。


 奪われた事実に心が傾くも、理性が訴える。

 少年は敵ではないと。

 新たな仲間だと。

 異様なほどに強者だと感じてしまうほどの。

 しかし無様に落ちた宝生大樹の姿が、美智留の理性をかき消す。


 お前は敵だ。


 殺す。倒す。消えて無くなれ。

 始原の炎を。すべてを消し去る業火を。

 能力顕現による身体強化と爆炎能力が発動、する前に少年の姿が掻き消え、鈍い衝撃と共に景色が遠のいていく。


 気付けば、重力が身体全体にかかっていた。

 足にも手にも力がかからず、抱きかかえられていたのだけはわかったが、それが何を意味するのか、すぐには理解できなかった。車のシートにゆっくりと身体が沈んでいく、ときになってようやく少年に抱きかかえられていたのだとわかり、鼓動が早まり、あだ名を呼ばれるまで考えがまとまらなかった。


 しかし再度、少年と対峙して美智留は理解した。

 自分のやったことを。

 相手の立場を。

 さらに彼の親族が死んだ事実を告げられ、ようやく気付いた自分に恥じた。なにを理解した気でいたのか。すべては同じことの繰り返し。自分自身の手で、再度同じ自分を作ったようなものだった。


 まだ責められもしたら、気が楽になれたかもしれない。

 そう思えるほどに美智留は重圧を覚えていた。

 この男から逃げ出したいほどに。


 距離を取りたい。

 なるべく遠くへ。

 そんな思いはエリノアには筒抜けだった。案の定、雑用は美智留が担当となった。何を狙っていたのかもわかったし、実際に少年の世話をして、理解度は増した。


 時塚翔征、私は彼に責任がある。


 重圧が強いほど、縛りは強くなる。

 あなたは私、そのもの。

 同じ道を歩む、自分を見ている。


 私の支えがエリノアであったように、私が翔征を。

 そう思った矢先に、事態は動いた。

 支部長から詰問される翔征を庇おうと動く前に、エリノアに先を越され、倫敦崩壊のニュースが飛び込んできた。


 すべてはバランスが崩れたから、と言われている。

 そして美智留の人生もまた、バランス崩壊の余波を受け、容赦なく変更されていく。

 だが美智留は、この人事に異を唱えなかった。

 むしろ好都合。

 願ってもない結果。

 私は翔征を、守るのだ。


 ◇◇◇


 バランスが崩れた?

 あの敵が?

 思うと同時に、声が聞こえた。


『あなた……いく……』


 前と同じ。

 聞き取りにくい、遠くから聞こえてくる声。


『我……あなた……また』


 あの部屋で聞いた、あの声。

 何度も、何度も。

 唱えられる言葉たち。


『あなたが……世界……我々……』


 君は。

 君たちは一体。


『……共に』


 明確に聞こえない声は、また静かに掻き消えた。


 ◇◇◇


 四月八日はまだ終わらない。

 倫敦崩壊の一報が届いた五分後、秘密結社ビヨンドは再起動していた。

 生存する全世界のエージェントが情報を共有するなか、緊急支部長会議が公開で開かれた。

 原因は不明ながらも、敵の侵攻を許したのはバランスが崩壊したため。


 崩壊した原因を追究するならば、ルール通りにビヨンドが守る世界側にも、驚異的な存在が出現するはずだ。もしくは出現したために、バランスが崩れて敵の侵攻レベルが高まったと言える。


 出現を待つか。


 魔女狩りをするか。


 現実の崩壊を前に、待つ選択などあり得なかった。

 最速で打つ手は一つ。

 ここ一週間以内にルールによって選ばれたエージェントを対象に、倫敦調査部隊を編成し、本日中に倫敦へ送り込む、一手。


 翔征は無論のこと、インドと欧州から二名、合計三名が対象でありサポートを含めて十名が倫敦へ派遣される。

 倫理観など度外視であり、この一手も緊急措置の一つに過ぎない。

 そもそも、エージェントの中に倫敦崩壊に導いた相手と対になるであろう、驚異的存在がいる確証はないのだ。


 捨て駒か。

 誰もがそう思う。


 しかし打たねばならぬ手でもあった。

 該当者の一人となった翔征は、この結果を粛々と受け止めていた。

 自暴自棄と見えるかもしれない。

 諦めていると、見えたかもしれない。

 それだけ理不尽極まりない結果だった。発狂し、拒否してもいいはずだ。ほんの数時間前までは、完全な部外者だったのだから。


 でも俺は、たぶん。


 当事者だと直感していた。

 対になる存在は自分自身、もしくはそのきっかけの一部だと理解していた。

 故に発狂も、拒否もせず、告げられた命令に従ったのだ。

 ただ心残りがあるとしたら、二人の女性、エリノアと美智留を捨て駒として道連れにしてしまった点だ。

 運がない、貧乏くじ、そんなつぶやきが聞こえたものだ。

 自分のことを棚に上げ、翔征は彼女らに申し訳なさを覚えていた。

 エリノアは翔征の後見人として、美智留はエリノア配下として、倫敦強襲に付き添うことになる。


 二人とも命令を淡々と受け、顔に出すことなく支部長に敬礼し、下準備へと向かった。翔征も同様、先ほどのクローゼット部屋の隣へ連れられていた。

 目の前では、エリノアと美智留が一面ロッカーと化した壁から、色とりどりの指輪やネックレス、ブレスレットを取り出していた。それらを赤い巻ぎ毛の女性、ベラ・ロタリエが吟味し、チェックしていく。


「多重結界珠が六セット、五属性リング、ブレスレットが各十二セット、復元珠が五セットか。まだ物足りないけど、限界かね」

「後発を考えれば、限度」


 次にエリノアは長物のロッカーへ移り、数本の刀を取り出してくる。


「属性三等級が三本、大業物霊刀二本、最上霊刀が一本、通常で考えれば異常だけど、やっぱ物足りないわ。それにこんなものが通用するとも思えない」

「その通りだ。単なる気休めに過ぎない」

「いいのか、それで」

「やるときは、己の力のみが頼りだ」


 取り出した装備を三人分にまとめるよう、美智留に指示していく。

 三人分か。


「残念だけど、俺はそれらを使う術をしらない」

「使えなくても持っていればいい。どうせ使う」

「そういうものか」

「そういうものだ。それに獲物は使い捨てだ」

「使い捨て、それは俺らのことじゃ。って申し訳ない」


 翔征は一礼し、再度謝罪した。


「二人には、本当に申し訳ないと思っている。できれば、生き残ってほしい」

「なかなか殊勝だが、時塚翔征よ、やはり君はずれているな」

「ずれて。それであっても、だ」

「時塚翔征、気付いているのだな」


 ゆっくりと翔征は頷いた。


「ちょっとお待ちください、エリノアよ」


 美智留だ。

 すでに三セット作成済みだ。


「なんだ春日美智留よ」

「エリノア、そして翔征、あなた方はこの現実をわかっているの?」

「理解はしている」

「私もだ、美智留よ」


 二人の即答に、美智留は軽くため息を吐いた。


「あの敵に対して、バランスが崩れた責任が翔征、あなたにあると思っているのね」

「俺自身、もしくは俺もきっかけの一部だったかもしれない。そう思うのは、この流れなら自然だと」

「思わされているだけかもしれない」

「それはないよ、春日さん」


 言い切れるほど翔征の理解度は増している。なにより記憶の一部があきらかにおかしくなっている。あの自室での出来事が、時折聞こえる幻聴が、徐々に意味を持ち始めている気がしている。


「そうですか。しかし力の使い方もわからない、ど新人のあなたが、すべてを背負い込む必要はないのです」

「確かに。良いことを言うようになったな春日美智留」

「茶化すのはおやめください」

「同感しているというに。困った子だ」


 エリノアを一睨みし、再度美智留は言った。


「翔征、あなたが申し訳ないと思う必要はない。あなたが元凶の一人であったとしても、私たちに気遣いは無用です。むしろ申し訳ないのはこちらなのだから」


 ベラが軽い口笛を吹き、エリノアは肩をすくめて見せる。

 それらを無視し、美智留は続けた。


「これから向かう先は地獄です。私たちを心配する前に、自分自身を大事になさい」


 やはり、あなたは本質的に優しい。

 だからこそ心底憎めない。

 事実がわかる故に、なおのこと申し訳ない気持ちになる。しかし美智留が言わんとしている点もわかっている。何しろ三時間前は一般人だったのだ。戦う術も対人ならばまだやりようはあるが、化け物では話が違う。

 どうしたものか。


「わかった。わかったけど、申し訳ない気持ちは消えない」

「そう。では思うだけにして。現実として翔征、あなたは自分の身を守るのです」


 言葉の裏に『足手まとい』が含まれている。

 そう見えることも承知している。

 できる、と妙な自信もあるが、あんな化け物を相手にどうすればいいのか、手段が浮かんでいないのも事実だった。

 無謀だな。


「ミッチー、そう心配しなくてもいいさ」


 割って入ったベラが翔征を指さす。


「そいつはたぶん、問題ない」

「どうしてです」

「そういう能力だから。彼独自の固有能力だな。お前さんもそれにやられた、いや違うか。対峙したから嵌ったというべきか」


 固有能力。

 なるほど、彼女は力を知ることができるわけか。

 あの時、初対面時に視られたのだろう。


「そのあたり、知っておくべきだと思うのですが」


 自分自身、まったく知らないのだ。勝てると思うだけで動いただけ。


「ほう、まだなのか。エリー、ちゃんとしろよ」

「まぁ仕方ない」

「時間がぁってか。今は異常だが。ったく」


 口元の笑みを浮かべただけで壁にもたれるエリノアは、解説役をあっさりと降りた。


「ショウ、お前さんに発現したのは、対峙する相手よりも強くなる、ものよ」

「強くなる?」

「そうだねぇ。簡単に言うなら、対峙する相手よりも数レベル上のステータスになる、ってやつだ。絶対的な強者だね」


 絶対的な強者。

 数レベル上の、なるほど。

 あのときも対峙した。

 春日美智留と宝生大樹、二人と対峙して二人を超える身体能力強化がされたのだ。圧倒するのも当然と言えた。

 そういうことか。そして、そういうことにしておいたほうがいい、わけだ。


「だから心配よりも、あの化け物にぶつけたほうがいい」


 物騒なことを。

 しかしそれが一つの正解でもあると、翔征はすでに理解していた。

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