一章 バランスブレイカー②
互いに無言だ。
静かに箱だけが上がっていく。
どうするか。
情報はまだ何もないに等しい。
知らなければ、選択肢はないか。
出会ってから一時間も経過していない。何も知らないのと同義でもある。だからか、翔征は背後から改めて美智留を観察した。
背は一六五前後、翔征自身より若干低い程度だ。外観は、男装のためかスレンダーな体系に見える。これで日本刀を振るうのだから、筋肉以外の力が働いているに違いない。そして特徴的な腰まで伸びた白髪は、きめ細やかなストレートであり妙な光沢が見えた。かなり目立つだろう。
隠密性はないだろ、こりゃ。
それに顔だ。
まじまじとは見ていないが、記憶には鮮明だ。
鼻梁は典型的な日本人であるが小顔で配置に均整が取れており、唇は薄めだ。さっぱり気味な味わいだが、どこそこのアイドルグループに入ればセンターに近い位置をキープするレベルだと翔征は判断した。
確実に人生を間違えてんな。
しかしここにいる以上、何某かのイベントがあったということだ。
知るべき、か。
別に彼女を意識しているわけじゃない。
情報を引き出す。その一点に翔征は集中した。
「春日さん」
白髪が揺れ、少しだけ振り向く。
「あなたもルールからここに?」
「そうね。時塚君と同じ工程だった。それ以上は言いたくはない、ごめんなさい」
わからんでもない。
悲劇ありなのだ。普通の感覚ならば、当然の結果だ。
「お察しします。ただ俺が知りたいのはルールです」
「時塚君、あなた本当に高一?」
「なったばかりですけど」
「落ち着きすぎて怪しいわね。老練な感じ」
それは同意だね。
自分自身でも妙に冷静だと感じる。すでに自分をも第三者視点で見ている気がする。
「ルールの影響ですか」
「私のときは、まだ人間味が」
言いかけて口をつぐんだ。
やわらかい音声が二五階を告げ、静かにドアが開く。
ついてきて、と会話の流れを断ち切るように美智留が歩き出す。どうやら気まずいらしい。美智留自身についても、翔征との病院での出来事も整理がつかず、避けたい気持ちへ傾いている、そう見えた。
わかるが……というか何でわかるんだ、俺。
ここまで人を慮ることができる人間だったか。
冷徹ではないにしろ、そこまで考えて行動していたとは思えない。
これもルールの影響なのか。
「エリノアは対になるルールと言った」
美智留は無言のまま通路を進む。
「希望とも。だから妙な力がもらえた? ルールに従ったから?」
「立て続けに。でも、そうね」
答えながらR2505の扉前で止まり、美智留は指紋認証と網膜認証を行い扉を開けた。
ダブルベッドが二つ、もしくは三つは置ける広さはあるもソファとテーブルが一式あるだけで、右側面すべてに黒いスーツが幾重にも掛けられていた。
どうやら一部屋すべてをウォークインクローゼット化されているらしい。
美智留はテキパキと幾つかのスーツを取り出し、試着するように指示する。その過程のなかで、基本的なルールを教えてくれた。
主なルールは四つ。
一、超常なる攻撃を受けて耐えられること。
二、観測者の目視が行われること。
三、強烈な反撃の意思を示すこと。
四、目的を成すこと。
一般的に三の時点で、何らかの超常現象が起きるという。ただ第一段階の時点で大半が死んでおり、二の段階で乗り越えるべき恐怖を克服できる者が極わずか、というのが実状らしい。
そして発現する超常なるものは、人により様々であり呼称もまたそれぞれのコミュニティにより違うという。通称なるものが存在しないが、根底にあるものは同じ力らしい。
曖昧だな。それだけ秘密主義とでも?
疑問に思うも、試着部屋と化した従来備わっていたであろうウォークインクローゼット跡で着替え、試し終えた服と共に美智留の待つ部屋に戻る。
「似合って、いるみたい」
そんな感想のもと、残りの服を受け取り赤いかごに入れていく。普通のスーツではないと言っていたが、管理はホテルに任せているらしい。ホテルを買収しているか、ホテルそのものが結社の配下にあると見て良いのかもしれない。
「それで、これから会場ですか?」
「もうはじまってるでしょうね」
時計の針は午後七時を超えている。
「パーティですか」
「兼ねた報告会ね。年に数回あるうちの一つ」
答える美智留はどこか投げやりだ。
「楽しくはない、と」
「仕事ですから」
「だから直前まで現場ですか」
「緊急よ」
美智留が再度時計を見て、ドアへ向かう。翔征も続き、また無言のままエレベーターホールに戻った。
上昇のボタンを押す、手前で美智留は指を止めた。
「時塚君」
「なんです」
「あなた、いいのね」
美智留の最終確認だ。
お優しいね、春日さん。
彼女の思いも、今の翔征であればわかる。
同じ故の哀れみ、招いてしまった罪、心晴れやかでないのは当然だ。
翔征自身にも複雑な思いはある。
しかしその思い一点に囚われることはない。
ルールだから、でもなく。
ただ一個の人として。
顔を見せない、華奢で儚い後ろ姿に翔征は答えた。
「知る権利を行使し、与えられた役を成し遂げます。これはもう俺自身の問題なのです」
気に病むことはないのです。
口にはしない。
伝わらなくてもいい。
肝心なのは、翔征自身が選択をした事実のみなのだから。
「わかったわ……グッドラック、翔征」
返答と同時に上昇ボタンが押され、一機のエレベータが開いていく。それは今までとの最後の決別を意味していた。
◇◇◇
最上階すべてを占領した円形フロアでは、至るところで黒スーツの人だかりができていた。立食形式らしく、食に精を出す者もいれば、酒を片手になごやかに談笑するグループもいる。
報告会というよりパーティに近い。
しかし本題は粛々と進行しているらしい。
中央に吊るされた四点のモニターからは、精悍な白髭の男が淡々と現状を報告している。ロシア支部と字幕にはあるが、男の声は日本語のように聞こえる。実際は日本語を話しているわけではなく、脳内に響いているのだと美智留が教えてくれた。
だからか、フロアに集まった連中は各々自由に振舞っているが、時折モニターのほうへ視線が向いていた。
これがビヨンドか。
思い描いていた秘密結社より明るめだ。構成員も駅ですれ違うサラリーマンと大して変わらないように思える。
溶け込むということか。
それだけ曲者ぞろい、なのかもしれない。
観察しながら、美智留から手渡されたグリーンティに口をつける。美智留はオレンジジュースだ。成人年齢以下の制度は厳守されているらしい。
「いくわよ、翔征」
先方の様子をうかがっていた美智留が中央へ歩き出す。
あれか。
美智留のあとを追い、エリノアがいるグループへ近づく。
「良いタイミングだ。紹介しよう、彼が時塚翔征だ」
エリノアが隣に立ち、目の前の女性を指し示す。
「こちらが極東の虎だ」
「せめて支部長と」
虎と呼ばれた女性がため息交じりに訂正する。
「事実だろ。世界はそう見ている。しかしそちらも正しいか……。翔征、こちらが
虎というより猫だな。
背丈は美智留より低い。長というには若そうだが、十代には見えない。それでも虎という印象を抱くには無理があった。
「三枝です。話は聞いています、時塚翔征」
軽く首を垂れ、長い黒髪が揺れる。
古風なのか。
黒いスーツも似合っているが、和服姿のほうが魅力という意味での戦闘力は高そうだ。
外見の評価をまとめつつ名乗り、ついでに聞き返す。
「俺の話は、どこまで」
「ルール適用直後で、春日さんと魔人・宝生大樹を仕留めたと。偉業ですね」
そうなのか?
できると思ったことをやったまでだ。
確かに今思えば、あの時、あの瞬間、高さをものともせずに飛び降りられたものだ。普段の感覚であれば、絶対に飛びはしないだろう。
でもあのときはできる、いや、眼中にすらなかった。それは……。
「ルールのお陰です」
「ある程度はご理解されている、ということですね」
「基本的なところだけです」
「充分です。ただルールにより力は発動したでしょうが。それだけで、とは思えません」
「どういう意味です」
「それは私があなたに聞きたいことです」
黒い瞳が閉じられ、何かが揺らめく。
圧力を感じる。
何もないのに。なぜか重さを前面から感じる。
すべては支部長、三枝からの圧力。
「あきらかにバランスがおかしい」
つぶやきと共に、ゆっくりと目が開く。
赤い輝きだ。
何かの力が働いている。
「時塚翔征、あなたは何者ですか」
何者。
それはこっちが聞きたい。そもそも二時間前は普通の高校生だ。
「ルール前は普通の高校生です」
「本当に?」
本当だ……たぶん。
脳裏に自室が浮かぶも、別に何かがあったわけではない。あれは何もなかったのだから。
「ええ、本当に」
「私はあなたの」
「支部長」
エリノアが身体ごと割って入る。視線が遮られたためか、圧力も掻き消えた。
「そこまでにしていただきたい。今は契約前の段階ですから」
「だとしても、危うい」
「それは百も承知」
「わかりました。では柴井さん、あなたが後見人でよろしいでしょうか」
「問題ありません。私が見たのですから」
何か重大なことが決まった感がある。周りの視線も一時、このやり取りに集中した気がする。耳をすませば、小さな感嘆すら聞こえただろう。
「では彼のことは預けましょう。くれぐれもお気を付けを」
そこでこの件は終わるはずだった。
しかし時は動き出し、バランスの天秤は傾く。
背筋に寒気を覚えたそのとき、頭上に吊るされていたモニターが明滅して、ある光景を映し出した。
曇天模様にビッグベンが映える。
イギリス、
今はサマータイムよりに八時間の時間差があり、これからお昼時という風景に、あきらかに場違いな黒色の鱗が雲の合間に見えた。
それは何かの胴体。
長く、でかく、胴回りだけでかるくビッグベンの高さを超える。
それが、うねって、ビッグベンに叩きつけられる。
軽々と。
硬質なコンクリートが、すべてレゴブロック並みに砕け散っていく。
画面が揺れ、激しい衝撃波のあと、それらは現れた。
天を突く黒く禍々しい巨体。
竜。
ドラゴン。
どう見ても、ファンタジー世界にでる大蛇のような体躯、そして蝙蝠の翼。
ただ東洋的ではないし、西洋的でもない。
どちらもが融合したそれらは、一体ではなかった。
同じようなモノが、幾重にも重なり、うねり、倫敦の街並みを蹂躙していく。
それらすべてを、空中から、足元から、画面がどんどん切り替わっていく。
逃げ惑う人々。
抗う人々。
映しながら、これからのランチタイムが今、食われる側へと変わっていく。
皆が皆、ただ茫然と画面を眺める。
誰も口にしない。
翔征自身も、魅入るしかなかった。
圧倒的な光景に。
そしてゆっくりと画面は一人の女性を映し出す。
背景では蹂躙されていく倫敦の光景を流しながら。
「私たちの番であったとは、思わなかったよ」
日本語だ。
いや、日本語のように聞こえる思念波だったか。
「世界の同志たちよ。心せよ。ここからが地獄のはじまりだ」
黒いネクタイを緩め、不敵な笑みを浮かべた。
「我々はまだ、負けたわけではない」
宣言が最後だった。
画面がブラックアウトし、一拍の静寂が訪れる。
映画じゃないな。
幾多のCGを見てきた。同じような破壊のシーンもあった。しかし今見たのは生々しい。数多の血が街灯や路上に映っていた。やたらにリアルだった。
事実だからだ。
敵が来たのだ。
本格的に。
周りの者どもの顔色を見たが、余裕ある者は少なかった。救いなのは、わずかに好戦的な笑みを浮かべた者がいた、ぐらいだろうか。
こいつはレベルが違うのかもな。
そんな感想を抱くなか、目の前の麗人がかすかな声でつぶやいた。
「バランスが壊れたな」
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