一章 バランスブレイカー①
私立神野原学園の入学式は四月八日だった。
その日は、まだ終わってはいない。
病院の周りには集まり始めた野次馬や、その野次馬を規制していく警察、鎮火や救助の消防隊でごった返していた。それでもエリノアの後をついていけば、いつの間にか病院の正面玄関を出て、人波は自然とエリノアを避けて道を作っていた。
もちろん、意識を失ったままの春日美智留は翔征が抱きかかえて病院を後にした。
通りに出ても人込みは続くも、黒いリムジンの一角は誰も居なかった。
エリノアが近づくと自然にドアは開き、乗り込んでいく。
「そこに放ってくれ」
対面の後部座席を示すエリノアに、翔征は無言で従った。
抱えていた美智留をゆっくり降ろす。
「まるでお姫様の如くか、こいつには似合わんぞ」
軽やかに対面席中央に座り、運転手へ目配せする。
漆黒のリムジンが音もなく走り出す。
周りは騒然とし、渋滞すら起こっているのに減速する感覚はなかった。
「そろそろ良いだろう、ミッチー」
白髪が揺れた。
薄く目を開け、エリノアと翔征を交互に見た。
意識はとうに回復していたようだ。
「その名は禁忌だと、言いましたよね」
「だったかな。ま、それよりも何か言うことはないか、春日美智留よ」
「フルネームで呼ばれるのも微妙です」
虫でも払うかのように手を振り、美智留は腕を組んで黙考した。
しばしの沈黙後、彼女の黒い瞳と目が合う。
「わかる。わかっています。私はちゃんとわかっている」
なにをだ。
「伝わらないでしょうけど。わかっています。ちなみに一発は効きました。結構」
腹をさすりながら「殴りますか普通」と愚痴ったが誰も相手にはしない。
「とにかく、起こってしまったことはもう戻せない。あれは私のミス。奴を抑えることができなかった」
美智留は服装の乱れを整え、首を垂れる。
「申し訳ない。ごめんなさい。今はそれしか言えない」
謝罪は病院半壊からの結果についてだろう。
彼女がどこまで知っているかにもよるが、あの結果から導き出される想定ぐらいはしている、はずだ。
死。両親の死。
発端は彼女に無くとも、結果は結果だ。
わかる……がね。
偶然だ。死はまじかに迫っていた。
早めたのは魔人、彼の行いが不運にも翔征の人生と絡んだからだ。
理解できる。その理不尽さも。
そしてまだ見えぬ、全貌も。
「今、謝られても困る」
「困る?」
「ええ。だから顔を上げてください」
白髪の奥から、上目遣いの目と合う。
一応、言っておくべきか。
逡巡は一瞬だった。
「両親が先ほど死んだ。確認はしてないけど死んだろう」
実感はないが、現実は痛いほどわかっている。
普通なら泣き叫ぶのか。
しかしその衝動が来ない。冷徹なのか、鈍感なのか、自分自身のことがわからなくなっている。だからか翔征は、異常な光景を前にして麻痺っているのだ、と決めつけていた。
それに俺は、わかる。
今、やるべきことが。
両親の死を告げたことで、美智留が目を伏せる。
「責めはしない。今はね。俺もわかるから」
「素晴らしいな」
唐突な賞賛だった。
エリノアは深々とシートに座り、楽し気に微笑んでいた。
「実に素晴らしい。時塚翔征、君は狂気一歩手前だね」
「そうなんですか」
「もしくは、救いようのない鈍感、または剛毅なる者か。それとも」
「なんです」
「ルールに染まったか」
なるほど。そういう見方もあるか。
傍から見れば異様だろう。
普通、自らここまでは来ない。来るのはアホか、強者か、何かに突き動かされている者、となるわけだ。
「確かに俺はわかっている。でもそれは、虎穴に入らずを行っているつもり」
「そう思わされているだけかもしれない」
「否定はしない」
「相当、自信がおありのようだ。しかし世の中、腕力だけではクリアできないこと、多いんだがね」
忠告ね。
親切心からか、または罪悪感からか。
一見すると人を寄せ付けない冷淡な麗人に見えるが、エリノアという人物は意外と良い人属性なのかもしれない。しかし理解が進み始めている翔征にとっては、ありがた迷惑な気遣いだった。
「わかったよ。次からは慎重にやる。けれど今は違う。あなた方は俺の敵じゃない」
「その通り。我も、そこのミッチーも君と争う気はない」
美智留がなにか言いたげであったが、エリノアは構わず続けた。
「ルールによって生まれた君は、我々側に属することになる」
「それで、敵は何なんだ?」
魔人と呼ばれた男がいた。
奴と争っていたのはわかる。
単なる光と闇の戦い? 神話にあるような? 定番の路線か?
既存の知識を巡らす翔征にエリノアがほほ笑む。
「ありていに言えば、世間一般にあるような二元論。光と闇、神と魔、そう思ってもらっても構わない」
「魔人と呼ぶぐらいだから?」
「あれは便宜上だな。実質は我々と変わらない、人間だよ」
「普通じゃないけど、人間と言うのか」
「あぁ人間だよ。時塚翔征、君も人間だろ? それとも違うのか?」
「……人間だ」
即答ができなかった。
自分が置かれている状況を考えると、普通であるとは言い難い。
人間じゃない、何かになった、と考えるほうがよっぽど適している。
異様な力、なのだから。
しかしそれが、いつからなのかが翔征自身、理解していなかった。
俺は一体、なんだ?
「まぁ最初はそんなものだ。皆が通る道だよ。気にしなくていい」
「そうなのか」
「ルールに従った者はね」
それよりも、とエリノアは続けた。
「安心してくれ。敵はちゃんといる。対になるルール通りに」
できるなら、そんな理由で安心などしたくはない。
そもそも敵がいること自体が穏やかじゃない。
この世はそんなに物騒だったか。
普通だったはずなのにな。
「で? 誰なんだ」
「我々と対になる、世界そのもの」
世界。そのもの?
煙に巻かれたのか、もしくは本当にそれそのものなのか。
迷いが一拍の空白を生んだと同時にリムジンが停車した。
促されて降りると、そこはホテルだった。
確か地方の情報番組でよく特集を組まれる、ここら一帯では超高級ホテルに属する『ラ・ヴァン』だ。ロビーは一面がガラス張りで、床は赤い絨毯が占めている。幾多の客が行き来しているが、混雑感は全くない。何もかもがゆったりと、それでいて理路整然と動いているように見える。
場違いだった。恰好も酷い。周りの視線が痛いと感じるも、エリノアも美智留も構わずエレベーターホールへ進んでいく。
今更か。
常識よりも今は非常識なのだと言い聞かせ、翔征は肩の力を抜いて二人のあとを追った。
円形のホールに五機のエレベーターがあり、すでにドアが開いて待機している方へ二人が進むと、背後からエリノアらしき名が呼ばれた。
「また拾ったのかい」
褐色の肌に赤い巻き毛の女性、これまた男装の麗人が近づきながら、なめまわすように翔征を見ていた。
ラテン系か。でも言葉が……。
違和感を覚えながらも翔征はエリノアの返事を待った。
「ルールから生まれた希望だ。わかっていることだろう」
「確かにそうだが。ほんとお前さん、ヴァルキリーそのものだねぇ」
ヴァルキリー、ワルキューレの英訳、というかそれって。
過去の趣味で得た知識から、戦死者を天国へ誘うイメージが湧き上がる。
「残念だが、我が連れ帰った者は皆、存命だ。言いがかりというものだ」
「ま、ミッチーもまだ生きてるしな」
丸く大きな目を美智留にウインクして見せる。美智留と言えばミッチーと呼ばれたからか、もしくは赤毛の女性が苦手なのか能面のように表情は見せなかった。
「しかし若いね。使えるのか?」
「ベラ、それは君の眼で見ればわかることだろう」
「はいはい」
ベラと呼ばれた女性の目が赤みを帯びた。
あの時の。
美智留の双眸が赤く輝いたのと同じだ。違うのは危機感が湧いてこない点だけ。
「こいつは、相手に同情したくなるね」
赤みが消え、瞳がブラウン色に戻った。
「翔征、喜べ。ベラ最上級の賛辞だ」
「そいつはどうも」
軽く答えつつ、ベラに名を告げた。
「ベラ・ロタリエ、ベラで良いよ。あんたはショウで良いかい」
差し出される手を儀礼的に握り返した。
「構いません」
「オーケー、あとは身だしなみだけね。エリーはその点、抜けてっから」
破けたパーカーに黒のジーンズは明らかに場違いだった。
「忘れていたよ。美智留、我々は先に行く。翔征の服を見繕って、二十分後に会場へ」
美智留の返事も待たず、エリノアとベラはエレベーターに乗り込んで上階へ行ってしまった。二人残された形で、美智留が小さなため息をつき、再度上ボタン押す。
「案内します」
到着したエレベーターに乗り込み、総階数三十のうち二五階を押した。
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