神の御業の如く

沢井 淳

序章 正しい理解

 一夜にして、時塚ときつか翔征しょうせいの環境は劇的に変わった。

 いや、まだ変わり続けている、と言っていい。

 私立神野原学園に入学したその日。

 午前中に学園行事がすべて終わり、通学路にある寂れた商店街も、大型商業施設にも寄らず、家に直帰して暇つぶしにスマホでRPGを、PCモニターにはオンラインでの狩りゲーという同時進行で時間を有意義に使った高校生活初日の午後。

 常に変わらない日常が、進学により少しだけグレードが変わった。

 しかし劇的とまでは行っていない。

 劇的なはじまりは、一本の電話からだった。


「危篤?」


 父から来た、母が交通事故により危篤状態だという知らせ。

 聞き返した声が掠れて出にくかったのを覚えている。 

 意味を認識するのに一分は掛かった。

 理解したと同時に、背筋に寒気が走り、今までの母との思い出が脳裏を過ったものだった。

 普通ならばさらに取り乱すのかもしれないが、翔征は違った。

 慌てたのは確かだが、なんとか部屋着からよそ行きに着替え、スマホでタクシーを呼び、入院先の病院へ十分でたどり着き、集中治療室に到着したのが午後五時十分。

 先に到着していた白髪交じりの父が、頭を抱えてソファに座っていた。


「父さん」


 微かな呼びかけに父が顔を上げた、そのとき。

 短いうめき声と、苦悶にゆがんだ顔のまま倒れていった。

 急性心不全だという。

 すぐに運ばれて救命処置をされたが、父は戻っては来なかった。

 母は危篤。

 父は即死。

 夜はまだはじまってすらいない黄昏時に、生活環境が変わろうとしている。

 実感がないまま、同県に住んでいる親戚に連絡を入れ、病院の廊下で力なくソファに身をゆだねていた午後六時半……県内随一の総合病院に激震が走った。


 眩い光と轟音。


 横殴りの爆風が身体を軽々と弄び、廊下の果てへと吹き飛ばされ、激しく背中から壁に打ち付けられる。

 肌が焼けるような熱さと、息をするのもままならないほどの激痛に気を失いかけるも、翔征は踏みとどまった。

 爆炎が鮮やかに揺らめくなかで、二対の影が見えたからだ。

 目を凝らす。

 戦っている。

 打ち合っている。

 どう見ても刀だ。

 爆音で鼓膜が麻痺したのか、鉄がぶつかる音色は聞こえない。

 だがわかる。

 刀で打ち合い、時には拳を放ち、炎が舞う。

 そうか、こいつらか。

 翔征は理解した。

 この惨劇を演出したのが二対の男女であり、仇であるということを。

 どうして、くれようか。

 意思が翔征を立ち上がらせ、身体の痛みが抜けていく。


「タフだねぇ、少年」


 麻痺していたはずの聴覚が、艶やかな声を拾う。

 正面からではなく、右斜め前の部屋から黒いスーツ姿の麗人が現れる。

 肩まである黄金のストレートヘアに蒼い目を持つ、典型的とも言える眉目秀麗な白人が翔征をなめまわすように見てつぶやく。


「特段、変なところはないんだが、それ故にってやつかな」


 疑いを一人納得するかすかな声を、翔征は聞き取った。

 この人も、どちらかの。

 すでに炎の中に消えた二人のうち、どちらかの片割れだと翔征は決めつけた。

 つまり、ろくな人じゃない。

 この状況で、平然としている時点で異常なのだ。

 距離を置く選択を迷わず取る翔征に、麗人が微笑んだ。


「さぁ、どうする少年」


 決まってる。

 報復だ。

 無理でもやる。

 厳密にいえば、無理ではない。

 だからやる。

 翔征は答えず、一歩を踏み出す。


「よろしい。少年よ」


 麗人が軽く何かを放ってくる。

 少し曲がりのある長物だ。

 綺麗な放物線を描き、長物は翔征の目の前に直立した。

 抜き身の刀だ。

 切っ先は瓦礫まみれの廊下には接触せず、浮いていた。


「業物だ。進呈しよう」


 罠だ。

 しかしよく切れそうだ。

 無くてもいいけど、わからないな。


「なんで、さ」

「ルールだからさ」

 即答し、麗人は大げさに手を広げた。

「この現状を見よ、まさに地獄、まさに悲惨、異常と言えるだろう」

 芝居がかったまま、翔征を指さす。

「だが、ここに一人の若者が立ち上がる。ルール通りに」

「で、そのルールって、なに」

「ルールはルールさ。すべてが対になる、ルール」


 対に、ね。

 言いたいことはわかった。

 純粋な好奇心からだろう。

 良いさ。乗ってやる。

 即決し、浮いた刀の柄を掴み取った。浮くこと自体が現実離れしているが、手にしてみるとさすがに重い。

 いける。

 初めて握る鋼の重みを右手一本で支え、肩に担ぐ。


「見せてもらおうか。この程度の絶望から生まれた希望を」

 そっちの尺度なんか。

「知るかよ」


 吐き捨て、ゆっくりと歩を進めていく。

 麗人に目もくれず、未だ燃え盛る爆炎を見据える。

 できるか。いや、できると思うんだったか。

 どこかで、誰かから教えられた言葉を思い出す。

 立ち止まった翔征は刀を両手に持ち替え、頭上に掲げた。

 要は本気で振ればいい。

 廊下に溢れ踊る炎へ、渾身の一刀を振り下ろす。


 それは神速の一撃。


 音もなく振り下ろされた刀は、刀身が赤みを帯びて半分が廊下に突き刺さり、一拍の間を置き、鋭く甲高い音が聞こえると同時に衝撃波が眼前すべてを吹き飛ばしていく。

 たしか、ソニックウェーブだったか。

 やればできるもんだ。

 マンガで見たテクニックだったけど。

 淡々と結果を受け止めるも、両腕がむき出しな状況に眉をひそめる。藍色のパーカーが衝撃に耐えられず、半そで状態になっていた。


 これだから困る。


 翔征は刀から手を放して開けた視界を見渡す。

 集中治療室も、ずらずらと並んでいた部屋も、半分もありはしなかった。

 爆発により、建物の半分が吹っ飛んでいる。

 ここ七階だったはず。

 瓦礫を踏みしめながら歩を進め、崩壊した廊下の先で立ち止まる。

 衝撃波によりほとんどの炎は消し飛んだが、まだちらちらと燃えかすが残っている。


 いた。


 半壊した病院、その三階部分に彼らは対峙しつつ、こちらを見上げていた。

 一人は長い白髪を持つ黒いスーツの女。

 もう片方は、上半身の服が破れ、逞しい肉体に猛牛を思わせる顔を持つ男。

 人間なのか。

 人の顔ではあるが、凹凸が激しく、憤怒とも取れる表情が獣を思わせ、鋭い眼光が翔征を睨む。

 敵がどちらか、一目瞭然だけど。

 女性の眼光も鋭い。


 殺しはしないが、どちらもだ。


 決定後の動きは早かった。

 早すぎた、と言える。

 翔征は駆け下りた。

 高さなどものともせず、十メートル以上離れていた距離をたったの二歩で走破し、そのまま勢いに任せた拳を男の鳩尾に叩き込み、身体が屈折していくと同時に手刀を筋肉質な首筋に叩き込む。

 力なく男が倒れていく。

 結果を見ることなく、第二の標的を捉える。

 視線だけは合ったが、身体が付いてきてないらしい。右手に握っていた刀はまだ刃が返っていない。

 構える前に。

 でも女性だしな。

 一瞬の逡巡が隙を生んだ。

 相手の目が赤く光る。


 ヤバいな。


 何かはわからない。ただ危険である、その直感に従って翔征はワンステップを入れ、直線的ではなく、右斜めから女に迫る。

 視線はまだ翔征を捉えてない。

 悪いね。

 意識を刈り取るため、鳩尾と首筋への手刀コンボを瞬く間に叩き込み、前のめりに倒れ行く女を抱き留めつつ、ゆっくり横に寝かせる。

 次は。

 見上げる必要はなかった。

 すでに金髪の麗人は倒れた男の側に立ち、二言三言つぶやいて右手を男にかざしていた。かすかな揺らぎが見えたのち、男の姿が瓦礫中へと埋没していき、跡形もなく消え去っていた。

 こいつら一体。

 異様な光景を目にしても、翔征は動じることなく立ち上がった。


「あなたも、仲間なんだろ」


 この現状を作った、仲間。


「正確に言うなら、君にノックアウトされた麗しき乙女、春日かすが美智留みちるが仲間となる」

「男は?」

「彼の名は宝生ほうせい大樹たいき。我々が追っていた、魔人だ」


 魔人。そういう流れか。

 知識としてはある。

 そういう物語は小説やマンガ、映画にゲームで体験済みだ。予備知識はそこらの一般人より豊富と言える。

 ただ、それと現実は違う。


「納得はしてない、そういう顔だ」

「当たり前だ。この現状を」


 目の前にして納得できるわけがない。

 父が死に、母は危篤だったはず。しかしこの爆破で、すべてが跡形もなく無くなっているのだ。

 理解はしても、心がまだ納得していない。


「実感が、ないな」


 爆破も、瓦礫も、目の前にあっても実感がない。

 空は薄暗く、夜のとばりが降りていく。

 かすかにうめき声も聞こえ、遠くの野次馬的な声や、サイレンが聞こえ始めている。

 それでも翔征に実感は湧いてこない。

 まるで夢を見ているかのように。


「それは私も同感だ」


 麗人の鋭利な目と合う。

 口元には笑みすら見える。

 楽しい?


「どこが」

「目の前の現実がだ。実感がない。あり得ないからだ。でもこれが希望」

 一気に言い放ち、思案するように腕を組んだ。


「バランスが取れているとは、思えないけどね」


 意味深なことを言う。

 聞けば答えるだろう。

 聞いて欲し気な笑みだ。

 けど、たぶん、俺は。

 脈絡もなく翔征はつぶやいた。


「わかるんだよね」


 理性が納得しなくても。

 記憶のなかに。

 どこかで同じような状況を見て、体験したのかもしれない。

 そんなはずはないのに。

 今まで普通な、強いて言うなら少し変わっていた、ぐらいの人生だったのに。


「君の理解が、正解であることを祈る」


 麗人の姿がぶれ、瞬時に目の前に現れる。

 敵意などなく、細く煌びやかな髪を揺らして首を垂れた。


「我は柴井しばいエリノア、秘密結社ビヨンドのエージェント。お見知り置きを」


 麗人・エリノアは顔を上げ、無言で手を差し出してくる。

 手を掴め、さすれば次の幕が開く、となるのだろう。

 迷う?

 否だった。

 わかっている。


「時塚翔征。私立神野原学園一年A組、単なる高校生」


 なったばかりの。

 ただそんな肩書すらも空虚だ。

 遠い出来事のように感じながら、翔征は差し出された華奢でやわらかい手を掴んだ。

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