「亡くすということ」  それはただ大切な記憶

錯羅 翔夜

「亡くすということ」  それはただ大切な記憶

机上に1本の缶コーヒーが置いてある。

生前、私の祖父が好んで飲んでいた銘柄と同じものだ。


最後に会ったのは大分と前のことだったが、かなり厳格な人だったことを覚えている。

簡単に彼を表現するなら、器用で、繊細な人だった。

昔の人らしい、自分のルールに忠実で、よくいる頑固なお爺さんだった。


そのコーヒーの缶は、一般的な缶コーヒーよりも少し長く、どこか外国の街並みが描かれていた。

祖父の訃報を聞いた翌日に、通りかかった自動販売機で見かけた。

つい硬貨を投入し、季節柄「あったかーい」と書かれたラベルを押す。

軽い電子音とともに、ガゴンと商品が落ちてきた。

私はそれを拾い上げながら、祖父と同じ位、その缶を見たであろう祖母を思う。


連れ合いである祖母は、とてもどんくさい人だった。

よく言えばおおらかで、心配性のとても優しい人とも言い換えることができる。

本当に不器用だったらしく、母は時折「車の運転免許を取得するのに、あんなに苦労した人は居ない」と遠い目をして話した。

そんな祖母は祖父よりも早くに亡くなった。


私は缶コーヒーを開け、道を歩きながら缶を傾けた。

春が近い空を見上げた。


祖母から1度だけ聞いた話が好きだった。

「どうして結婚したの」

幼かった私の無邪気な質問に、少しして祖母は答えてくれた。

「昔ね、おばあちゃんが若かった頃に山を歩く会があったの。

帰りが遅くなってしまって暗くなってきてね。

その時におじいちゃんに会って、山道を一緒に降りたのよ。

あの人、夜目が利いてね…こんな暗い道でも大丈夫なんだって言ってたのよ」

その時の祖母の表情は覚えていないけれど、きっと見ていてこちらが恥ずかしくなるような顔をしていたと思う。


いつも、祖父母の家を後にする時「またおいでんね」と手を握った。

方言に訛った彼女の声を今も覚えている。

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