幸せな馬に乗ろう
これから乗馬を始めたいと思っている人に、言いたいことがある。
「幸せな馬に乗ろう」
不幸な馬には乗ってはいけない。
不幸な馬は、乗り手を不幸にする。辛い気持ちにさせる。
そして、乗馬を楽しもうとする人に、その馬の不幸から目を遠ざけるよう、気がつかないよう、心の目を閉じさせるのだ。
最初は、そこの馬が幸せなのか不幸なのかなんて、わからないに違いない。
でも、きっとそのうち見えてくるだろう。
もしも、本当に馬が好きならば。
不幸な馬は、人を乗せるのが大嫌いで苦痛だ。
幸せな馬は、人を乗せるのが嬉しい。
不幸な馬は、ストレスを抱えていて、常にイライラしている。
幸せな馬は、目が輝いていて、イキイキしている。
我慢して不幸な馬に乗り続けると、不幸な馬が増えてゆく。
人間の都合が優先されて、馬が不幸であっても構わない、乗れればいい、と思っているからだ。
馬は生き物だ。飼うには広い敷地がいる。金もかかる。
近くて安いは、人間には都合良い。でも、本来、馬が必要な空間を確保せず、ウエルフェアにかける経費を削らないと、「近くて安い」は実現しない。
クラブは人間の希望を優先し、とりあえず乗れる馬を用意し、その馬が不幸でも仕方がないのだ。客の要望なのだから。
近場で安い乗馬クラブの不幸な馬に10回乗るのなら、遠くて高い乗馬クラブでも幸せな馬に1回乗る方がずっとマシだ。
でも、多くの人は「近くて安い」を選び、馬の不幸に目をつぶる。
(私は運が良かった、近くて安い……が、あったから)
不幸な馬がいるところにいれば、不幸な馬の作り方を学ぶ。
ハードワークで狭い馬房に閉じ込められ、外に出る時は、人を乗せる時。
背中をバンバンお尻で叩かれ、動かなければ鞭で叩かれ、口には金属の棒・ハミを入れられ……それが、1日に何回も。
それが当たり前の馬の姿だと、だんだん思えてくるのだ。
幸せな馬がいるところにいれば、幸せな馬の作り方を学ぶ。
そういうところは、馬を守るために、若干、人間の都合には融通がきかないかも知れない。
でも、そもそも、乗馬はそんなものだ。
なぜって、馬は生き物なのだから。
何も知らない男性に、触ってもいいか? と聞かれ、言葉をどんなに選ぼうとしても、馬の触れ方を上手に教えることができなかった私。
でも、シェルは「ちま」っと甘噛みしただけで、彼に馬との距離感を教えた。
たった一発で、一瞬で。
ところが、乗馬クラブの中には、そんな馬の大事な口さえ、「噛むから」という理由で、口籠をつけて塞いでしまうところがあるらしい。
そこで乗馬を覚えた人は、「馬は噛む」と覚えるだけだろう。
あの柔らかい鼻の感触も、そこにキスすることもできないのだろう。
海外の観光牧場で、馬のお尻を押し合いへし合い、人が馬を乗り越えていく姿を見て、衝撃を受けた私のように、いつかどこかでびっくりする日がくるのかも知れない。でも、そこで「それが馬」と思いこめば、なかなか人は変われない。
「働く馬って不幸だ」と思うようなクラブを選んではいけない。
自分の中で、乗馬は馬を虐待することになってしまうから。
虐待を楽しむ自分であってはいけない。
虐待に目をつぶる自分であってもいけない。
かつて、ヴェルサイユで見た馬のショーは、素晴らしかった。
朝練も見ることができたけれど、目の前まで馬がダッシュで走ってきて、ピタッと止まり、私は砂を被った。
それくらいの距離で、手を伸ばせば、馬に触れられるほどだった。
触れなかったけれど。
でも、きっとあの馬を撫でてしまったとしても、微動だにしなかっただろう。
澄んだ綺麗な目で、誇り高く、前を見つめていた。
乗り手の指示に従っている、自信に漲っていた。
働く馬は、美しいのだ。
幸せな馬を探して乗って欲しい。
皆がそう願えば、乗馬クラブは幸せな馬を用意する。
今すぐは無理でも、30年もすれば、変わってゆく。
馬も人も幸せなのが当たり前に。
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