HAPPY PEOPLE MAKE HAPPY HORSES

シェル、安全な距離を指導する


 昔、海外でポニーに乗ってトレッキングをしたことがある。

 馬に乗ったことのない人に混じっての、常歩なみあしだけの、森を行くコースだった。


 そこで衝撃的だったのは、人と馬との距離がとても近かったことだ。

 インストラクターが軽装で、馬込みの中をかき分けかき分け、この馬とあの馬とその馬と……と、使う馬を引っ張って来る。

 なかなか行き着けないので、柵に登って近寄ったり、馬をまたいで行ったりと、なんだかそれが当たり前のようで、呆れてしまった。


 昔、乗馬を習っていたところは、馬が皆、イライラしていたので、そんな距離では危険、蹴られる、後ろには回らない、蹴られる、前も用心して、噛まれる……で、まずは、初心者の頃に徹底的に安全な馬の接し方を教わる。


 それが100%基本だと信じていたから、それ以外があるとは思わなかった。

 馬が危険と教えられたことは、何だったのだろう?

 でも、確かに、あれだけ用心して接していたのに、噛まれて病院送りになったり、服をビリビリにされたり……と、この観光牧場のようには馬と接することはできないだろう。


 同じ馬でありながら、一体何が違うんだろう?


 ポコポコとトレッキングをして、ちょっと悪いことをしてしまった。

 乗馬経験者の傲慢さのなせる業?

 少しずつ馬を抑えて前の馬との距離をおき、ほんの少しだけ速歩させてみたのだ。

 即、引率していた人が馬でやってきて、私の乗っていた馬に注意を与えた。

 あ、ごめん、ごめん……君は悪くない。

 私の指示に的確に従ってくれただけなのに、怒られちゃったね、ごめんね。

 お客さんの数も多かったけれど、前、後ろ、横と、3人、引率がついていた。

 そして、馬の反応も良く、きちんと調教されている感があった。


 まるで、馬と人とが対等な友達のように見えながら、きちんと統率が取れている。

 目からウロコの経験だった。



 馬は大きい。

 悪意はなくても、距離を守っていないと、こちらが大怪我することがある。


 うほほ、うほほ……の時期以外、シェルに危険を感じることはない。

 だから、かなり近くにもいられる。シェルも距離を守ってくれているのだ。



 だが、二度ほど失敗もある。



 一度は、深い雪の中を引き馬で歩いていた時のこと。

 シェルは、歩くのを嫌がって、私の後ろに回ってしまった。

 私の足跡の上しか歩きたくない、という。

 仕方がないなぁ……と思って歩くも、深すぎて私も腰まで埋まる。

 もう、戻るしかないなぁ……と、立ち止まったら。


 ドスン!


 シェルも立ち止まったのだが、あいつは自分の首が長いことを忘れていた。

 おでこで私を押してしまい、私は雪の中にダイビング!


 まぁ、これはまだ笑い話だ。

 次は、笑い話では済まなかった。



 ちょっとうほほ、うほほ……っぽい時だった。

 馬房掃除のため、シェルをパドックに出していたが、何度か馬房に入りたがった。

 だめ! と言っては追い払っていたが、ちょっとした隙を見つけて、入ろうとしたので。


「だめ!」と、手を差し出して、押しとどめようとした。

 が、あいつは「隙あり!」と、勢いよく飛び込んできて……。


 確かに隙間があった。

 で、私は諦めて身を引いたのだが……。

 シェルが私の右足の親指を踏んでしまい。


「あた!」


 ……だけならまだよかった。

 それでシェルが避けてくれたら、何も問題はなかったのだが、勢いよく馬房に飛び込んできて、あいつも止まれない。

 足の親指を踏みつけられて逃げられない私を胸前で押し倒し……。

 私は、藁のない馬房に後頭部から見事に落ちて、飛び込んできたシェルの腹の下。

 踏まれて死ぬかと思った。

 シェルは、私を覗き込み……。


「りんさん、そんなところで何してんの?」


 ちがーーーーうっ!


 親指の爪に血豆ができて、3ヶ月ほど痛かった。

 死なずに済んだけマシだったかも?


 乗馬で怪我する一番の原因は、落馬ではない。

 馬に足を踏まれることである。




 いかに安全な馬とはいえ、シェルは私の10倍以上の体重がある。

 一歩間違えれば、いつでも私を殺せるのだ。

 気をつけなければならない。





 クラブは比較的自由で色々と見物客がくる。


 シェルのことを可愛いと言われると、まんざら悪い気はしない。

 写真を撮りたいといえば、どうぞ、と言っている。


 が。


 時々、困る人がいる。

 ちゃんと、いいですか? と聞いてきてくれて、礼儀正しかったりして、非の打ち所がないと、余計、注意しにくいから困る。


「うわぁ、馬の足ってこうなのかぁ?」


 いきなりしゃがんでシェルの蹄をじっと見る。距離が……近すぎ。


「あ、危ないですよ、立って、立って」


 と言っても、へぇー? で、全然ピンときていない。


 もしも、このタイミングで、人参おばさんがきたら大変なことになる。

 シェルは、「ボクちんはここだよーん!」と大きな前かき。

 その人の頭は、シェルの蹄についた鉄で、ぱかっと割れることになりかねない。



 インスタグラムのせいだろうか?

 フォトジェニックにも困った人がいる。


 一度、いいですよ、と許可すると、バシバシ写真を撮りまくり、馬場にまで降りてきて、勝手に入って、横で一緒に写真を撮ろうとする。

 危ないから出て言ってください、と馬上から何度もいうも、あ、すみません、と言っては、また入ってきて、撮りまくる。


 乗っている馬の前で、チャラチャラ動かれるのって……本当に嫌なのだ。



 ある日、シェルを丸馬場に放牧していると……。

 近くの幼稚園の子どもたちなのだろうか? シェルにいっぱいにんじんをあげていた。

 微笑ましい。

 シェルは、噛んだりしないから、安心して見ていられる。

 よっぽど、変なことをしない限りは……大人が見ている限りは、まぁ、大丈夫か。


 でも、やはり、何か事故があったらな、と心配にはなる。

 できるだけ、触りたい人には触らせてあげてはいる。馬に触れてもらいたいと思うから。馬と仲良くなりたい人を増やしたいし。

 ……が、私の思う一般常識は、すでに馬歴が長いがゆえの、勘違いなんだろうか?



 先日、一人の男性が、触ってもいい? とか言いながら、シェルの前にやってきた。

「いいですよ」という前に、もう触っているじゃない。

「噛んだりするの? どこ、さわればいい? ここ、いいかな?」

 せっかちなのか、こちらが何かをいう前に、あっちこっち、触りまくり。

 まぁ、シェルだから大丈夫だけれど、ちょっと図々しくありませんか?


 でも、いい大人だし、悪気なさそうだし、一応無断ではないし……なんと言えばいいのだろう?


 困っていると……。


 ちま!


「う、うわー! か、か、噛んだ、噛まれたー!」


 逃げて行った。



 あ、あ、あー!!!!


 噛んだというよりは、甘噛みといって、背中を服一枚、ちまっとつまんだだけだ。

 それでも、噛まれたという人はいうだろうし、草でも食べた後なら、服にシミをつけてしまう。

 それで文句を言ってくる人もいるだろう。


 ぎゃーーー! シェル、なんてこと! なんてことー!


 なんて……。

 なんて適切な指導。



 よくやった!

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