正反対、でも、似ている
あーことシェルは、何から何まで正反対で、全く似ていない。
同じサラブレッドとは思えないほど、体型から乗り心地から、全く違う。
シェルは美しい馬で、あーこは冴えない。
シェルは顔が大きく、あーこは小さい。
シェルは尻尾が少なく、あーこは多い。
シェルは胴体が長く、あーこは短い。
2頭ともとても賢い馬だが、性格が違う。
例えるなら。
小学校で、先生が「これ、わかる人」と聞けば、「はーい、はーい!」と手をあげて、当てられる前に答えてしまい、えへん! としているのがシェル。
それを見て、「おらっちだってわかっていたのに、ブツブツ……」とあげた手を引っ込めるのがあーこ。
天真爛漫で、八方美人で、ごますりで、長いものに巻かれ、上手に世渡りするのがシェル。
ツンデレで、気難しくて、自分の殻に閉じこもりがちで、孤高なのがあーこ。
幸せオーラがにじみ出ているシェルを見ると癒される。
でも、どこか私に似て、色々損をしているあーこを見ていると、これまた燃えてくるのだ。
でも、よく似ているね、この2頭……とも言われる。
2頭揃って洗い場でおしっこをする。
2頭揃って洗い場で首をブンブンふる。
まぁ、たまたまそういう馬だった……ってのもあるが、私がやめさせないってのもあるんだろう。
2頭揃って賢いのも、多分、私の好みだ。
賢い馬は、同じものを見て何度も驚かないし、理解が早いから、安全性も高まる。
2頭揃って呼ばれれば来る。
そうするよう、教えたからだ。
馬の
それが馬だ。
だから、馬は人を写し出す『鏡』のような存在だ。
シェルとあーこの
2頭がやらかすと「あっちゃー」と思うし、立派だと誇らしい。
よく『馬はペットじゃない』という人がいる。
でも、シェルは私のペットとしての役割も担う。コンパニオンアニマルという方が正しいのかな?
ただ乗馬というスポーツの友の範疇を超えて、人生の相棒であり、これからもずっと、命尽きる限り、一緒に歩んでゆく相棒だ。
子供のように愛情をかけ、伴侶のように苦楽をともにし、親のように介護して、いつか、みとるのだろう。
だが、あーこは違う。
身内からも「私の人生の相棒」と認められているシェルとは違い、私のへそくりと友人の協力が尽きたとき、手放さなければならない存在だ。
愛情をかけながらも、私べったりの馬にして、2年前と同じ苦しみを与えるわけにはいかない。
ツンデレ・あーこは、信じた人にとことん愛されたい馬だから、そこはきちんと「馬として生きる」ことを教えなければならない。
馬は人なり。
出会った人次第で、運命は変わる。
あーこをレッスン馬に戻すつもりはない。
レッスン馬は、猫カフェの猫と同じようなもの。
あーこには無理だ。そこを上手に渡っていける馬ではない。
私が持ちきれなくなった時に、新しいいいオーナーを見つけてあげること。
運命の出会いをさせてあげること。
そこまでが、私の責任だ。
その人に好かれるよう、それだけ魅力ある馬になってほしい。
胸を張って、この馬があなたを幸せにするよ、と言って、手渡したい。
だから、絶対にくじけられない。
やり遂げなければならないのだ。
馬と仲良くなりたい。
それが、私の願いだった。
乗馬を始めるきっかけだった。
その夢は、シェルが叶えてくれた。
私が叶えた夢を、次は誰かがあーこと叶えてほしい。
それが、次の私の夢だ。
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