「馬のわがまま」は聞き飽きた


 何かあれば、「馬のわがまま」「馬のわがまま」

 馬のわがままは、聞き飽きた。


 あーこはとんでもない馬になっていた。


 扱いがとても悪かったってわけでもない。

 他のレッスン馬は普通なのだから、あーこだけ繊細な部分があって、ストレスを溜め込んだのだろう。


 だが、それを全て「馬のわがまま」で片付けてしまう人が多すぎて、辟易へきえきしてしまう。


 ついに、こういう人まで現れた。


「あなたが前に甘やかしていたから、らくを知りすぎているんだよ。だから、ちょっとでも厳しくすると反抗的な態度を取って、わがままな馬になってしまった」


 私のせいかよ。



 まぁ、確かに、大事にされる喜びを知って、その後が辛いのは人間も同じ。

 あーこは、間違いなく「捨てられた悲しみ」を知っている。

 

 クラブのレッスン馬というのは、猫カフェの猫のようなものだ。

 経営者次第・飼い主次第ではあるが、おそらく、家で飼われている猫ほどは幸せでない。

 私が専有していた時ほど、レッスン馬時代のあーこは幸せじゃなかったと思う。




 一番の問題は、人を乗せたまま寝ることだ。

 非常に危険な行為だから、やめさせなければならない。

 もちろん、私が扱っていた2年前は、そんなことはしなかった。

 ただ、もともとあーこはゴロゴロ砂浴びするのが好きな馬だった。

 ある日、耐えきれずに砂浴びしたら、もう人が乗らないってわかり、学習したのだろう、賢い馬だから。

 ……と、思っていた。

 だが、そんな簡単なことではなかった。


 私も持ってしばらくしたら、一度やられた。

 馬は、寝る前に前肢で地面をかく「前かき」という行為をする。だから、馬の様子で察知でき、防止できる、と思っていたが、呆気なくやられた。

 急にがくんと膝をつき、そして寝る……んじゃなく、倒れた。

 ゴロンと砂浴びはしない、ただ、倒れてそこにいた。

 意識が遠のいた目をしていた。


 その後、乗り直したら、大暴走した。

 が、寝たらもう乗られないで済む、と刷り込まれているので、それは許してはならない。寝ても乗られるのだから、寝てはいけない。

 理由がなんであれ、ダメなものはダメ。

 人を乗せている時に、自分勝手に寝ちゃダメだ。危険だ。


「わがままな馬だからねぇ」


 違う。


 あーこは、馬装しただけで、時々崩れた。


「わがままだからね。馬装中も寝ちゃうんだ。時々、鞭でぶっ叩いて起こさないと」


 馬装で寝る馬は見たことがない。

 ……が、ネットで確か見たことがあったなぁ、鞍を乗せると、時々、うとうとして崩れそうになる馬が。


 ネットで検索すると、出て来た、出て来た、馬装で寝る馬がたくさん。

 長年、乗馬をやってきて、馬には詳しいと思っていたけれど、私もまだまだ勉強しなければならないことが、たくさんあるんだなぁと思った。


 どうやら、腹帯のあたりに、馬が眠くなるツボのようなものがあるらしい。

 そこに、これから乗られる、嫌だな……という気持ちが合体すると、うとうと現実逃避……となるのかも知れない。

 そして、運動後、ふかふかな砂をみたりすると、疲れた人がベッドに倒れこむように、ばたっと行くようだ。


 馬にとって腹帯は苦しいものだ。

 左右交互にゆっくりと締めてゆく。が、時に、一気にグッと締めてしまう人もいる。

 それで、腹帯恐怖症になる馬は、たくさんいるのだ。


 腹帯を変えてみた。

 馬装も少し工夫した。


 それで、鞍をつけて崩れ落ちることはなくなった。

 もう人を乗せて寝ない、とは言い切れないが、今の所、その馬装にしてからは、一度も寝てはいない。



 困った問題はまだある。


 急にがくんと膝をついて倒れるせいか、2年前は問題なかったのに、前膝がものすごく悪くなり、曲がってしまい、常に腫れて水が溜まっているような状態になっていることだ。

 レッスン馬時代のハードワークも、悪化させることとなった。

 もう治ることはないらしい。これ以上、悪くならないよう、用心しながら乗らなくてはならない。


 こんなボロボロになる前に持っていたら……と思うけれど、ボロボロになってしまったから持つことになったわけで、あーこが幸せなら、私もシェルと幸せな毎日を、今まで通り送っていたはずだ。



 それと……随分と驚いては、とんでもない反応をするようになった。

 落とし方も、昔のバンビのように、乗り手の存在を無視しているから、危険だ。

 もう精神的には落ち着いたかな? と思ったら、また引き馬で倒された。

 なんで? と思うくらい、穏やかな状態から一転……そして、またもや、やってしまってから、申し訳なさそうな顔をしているのだ。


 最初はビクビクして、私を馬房にも入れさせなかった。

 それも直って、ホッとした……と思っていたら、何かに驚いてボディアタック!

 またもや、馬房の藁の上に気が付いたら倒れていた。

 なんで?

 まるで、肝試しに行った時に、恐怖のあまり、一緒の人に飛びつかれたような?

 が、人間の大きさならまだしも、馬は大きい、やめてくれ。


 ……とにかく、人間との安全な距離感を学ばせないと。



 昔は、外周コースを安全に回れたのに……と、つい、2年前と比べてしまう。

 いけない、いけない、今のあーこは別馬だ。

 2年間、レッスン馬として頑張ってこようとしたことを、否定してはいけない。頑張ったからこそ、病んだのだから。



 あーこはわがままなんかじゃない。

 以前よりも嫌なことや怖いことを知りすぎて、ちょっと臆病になっただけだ。




「あんなわがままでどうしようもない馬」

「あいつは、ローレルじゃない。ゴローレルだ」


 と、笑い飛ばされるたびに、内心、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 それは、私がカイザーで走られ、競技で散々だった時に、「馬鹿馬だね」と言われたのと、似た理由だ。


 馬は生き物だから、確かに何をやらかすのかわからない。

 だが、そこは人間と同じ生き物だから、やらかすにはちゃんと原因があるのだ。


 原因があって結果がある。


 無責任な愛情と無知、無関心で、みんなでよってたかって、あーこをダメ馬にしておいて、わがままなやつだから……で片付ける。

 悪意はないのだ、全く悪意はない。むしろ、愛情があるだけに、余計に無垢な笑顔がやるせない。

 そうやって、馬は消耗し、ダメになり、出されて肉になってしまうのだ。


 本当に悔しい。


 私は上手に乗れる技量がなく、それを身につけるための度胸もなく、人を惹きつける話力もないから、全く説得力がない。

 でも、だからこそ……。

 あーこが私の声になってくれるのではないか?

 私を代弁してくれるのではないか?



 ある日、馬場に向かう坂を降りていると、鼻先1mくらいのところを、狐がポーンと飛び出して来た。

 あーこはびっくりして半回転した。

 下り坂だったので、半回転して上向きに……で、落ちずにすんだ。

 ところが、馬場から戻る坂道で、またまた同じように、狐がポーンと飛び出したのだ。わざとか?

 今度は上り坂から下向きに回転したので、見事に落馬した。

 あーこは驚いて逃げるかと思ったら……すまん……という顔をして、私の側に寄り添っていた。


 本質は……2年前と同じままだ。



「馬のわがまま」で片付けられていたことを、少しずつ、原因を調べて、見極めて、排除していったら……また、以前のあーこに戻ってくれるのだろうか?


 いや、馬は上書きだ。

 元には戻れない。


 だが、どんどんいいことを上書きしていけば、元に戻れなくても、また成長して、いい馬になってくれるに違いない。

 そう信じて取り組むしかない。

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