お金で馬は救えない


「お金さえあれば、私も馬を救えるのに」


 という人がたくさんいる。


 確かに馬は生き物だから、お金がとてもかかる。

 お金がなければ、馬は救えない。

 だが、お金だけでは、馬は救えない。


 人間だってそうだろう。

 お金がなければ生きてはいけないが、お金だけは生きていけない。

 生き物だから、お金をかければそれでいい、ってわけじゃない。



 とにかく、お金がいくらあっても、ちゃんと馬を扱える人がいなくちゃ、結局、馬は救われない。

 そもそも、馬の仕事って、お金儲けのためにやるには、ちょっと厳しすぎる。

 馬に対する情熱がなければ出来ないし、酷なこともしなきゃいけないので、愛情たっぷりでも務まらない。


 人間に寛容ということは、馬には過酷ということだ。


 乗馬クラブは、馬に無理をさせて人を喜ばせる面もある。

 あーこを壊す要因になった10人組だって、他のクラブでは断られている。

 もしくは、要望通りには出来ません、と言われている。

 それを受けてくれたクラブは、本当にありがたい、いいクラブだわ、と喜んで帰って行ったことだろう。


 サービス業はそういうことだ。


 お客様には寛容な分、馬に犠牲を強いて、ダメになったら出す。

 そして、何も知らない幸せなお客様に、


「ひどい! 馬の命をなんだと思っているの! あの子を肉に出すなんて!」


 と罵られ、動物虐待・人でなし扱いされ、料金高いと文句を言われ、日々、馬の世話をして、コツコツ、コツコツ、お客様が乗れるよう、馬を準備して待つ。

 乗馬クラブの仕事とは、本当にわりが合わないと思う。


 お金をもらって馬を扱うなんて私には無理、お金を払って馬を扱う方がいい。




 シェルを持って8年が過ぎたが、クラブのレッスン馬はすべて入れ替わり、シェルより後からきた馬も、すでにもういなくなり……2巡くらいしている。

 それだけレッスン馬は過酷なのだ。

 ただ1頭、シェルより以前からいる30歳を過ぎた馬が、初心者に気に入られ、自馬になって、大事にされ、今も元気で働いている。


 今は、それでもまだいいのかも知れない。

 私が乗馬を習い始めた30年前は、20歳を過ぎれば、馬は老齢でもう乗れない、と思っていた。実際、20歳を過ぎて元気な馬は珍しかった。

 20歳になる前に、ボロボロになって出されていた。

 今は、20歳過ぎてもバリバリな、元気な馬が多い。管理が以前よりもよくなったのだろう。

 馬のウエルフェアについては、30年前よりも全体的に進化しているように感じる。



「乗馬クラブで酷使されるのはかわいそう。自然の中でのびのびと余生を過ごさせてあげたい」


 そう思う人もたくさんいる。

 私も何人かそういう人を見てきたが……3、4年で限界を迎える場合が多い。

 金の切れ目が縁の切れ目になってしまうのだ。

 そうやって放置され、行き場のない馬が仕方がなく牧場にいる……という話もよくきく。オーナーは行方不明だ。当然、金も払わない。


 そういう馬が、再び乗馬として使えないだろうか? と来ることもある。

 でも、何年も人を乗せず、筋肉が落ち、体力も落ち、そして、いたずらに歳だけ重ねていたら……厳しい。

 その馬に必要だったのは、数年養ってもらえるお金じゃなくて、再就職先と仕事できるスキルだ。

 使えない馬は出されるけれど、使える馬はお金を払ってでも欲しがられる。


 競走馬を引退したら、馬はもう歳だと思う競馬ファンが多い。

 でも、浅田真央さんも長い現役を終え引退したが、まだ20代の彼女が老人ホームで余生を送ると思っている人はいないだろう。実際、アイスショーなどでバリバリ頑張っている。

 馬も30歳近くまで生きるのだ。

 6歳で引退しても、後、20年は養わなければならない。

「余生を過ごさせてあげたい」という初心を貫くには、厳しい年月だ。




 自然のままの方が幸せだ、それはそうかも知れない。

 だが、人間も、自然の中でサバイバル生活が幸せかどうか……わからない。


 そもそも、馬は野生ではほぼ存在しない動物だ。


 はるか昔、自然に淘汰されて絶滅するはずだった馬は、人間と共存することで、その種を繋いで、今に至った。

 人に気に入られ、役に立つ馬だけが生き残り、人がいい馬を作るために交配を重ね、磨いて磨いて、生まれてきた馬たちだ。

 弱い個体が肉食獣の餌となり淘汰されていくように、使えない馬は人間の手によって淘汰されてきた。


 それが最も自然な馬のあり方じゃないだろうか?


 競馬も、馬車も、乗馬も……なければ、馬はもうこの世に存在しない生き物だ。

 人と切り離しては、存在し得ない存在だ。

「人のために働く馬がかわいそう」なのは、仕事がかわいそうなのではなく、馬を扱う人の問題だ。

 馬を扱う人の心の問題、馬に対する知識・技術の問題だ。

 群れで生きる動物は、群れに認められて生きがいを見つける。

 人間だって、ブラック企業で働きたくないが、やりがいのある仕事はしたい。

 馬だって働きたい。退屈は嫌いだ。

 


 馬は人なり。

 出会った人で運命は変わる。

 幸せにも不幸にもなる。



 馬は、人とともに生きることで、栄光もつかんだ。

 豚も牛も人間にとってはかけがいのない大切な家畜だ。でも、人間への貢献度の割りに、感謝されない可愛そうな家畜だ。


 それに比べて、馬はなんて幸せなんだろう。


 歴史に名を刻み、銅像にもなり、多くの人に称えられている。

 それは、人々の心に残る仕事を成し遂げてきたからだ。



 馬を理解する人が増えれば、きっと、馬はますます幸せになれるだろう。

 30年前よりも進化して、30年後はもっときっと進化する。

 多分、これから乗馬を始める人の手によって。


 乗馬は、馬を幸せにできるスポーツだ。

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