覚醒


 これから乗馬をしたいと思っている人に、知っておいて欲しい事がある。


 それは……馬は生き物であるって事。


 え? そんなの知っている、ばかにしてんの! と思われるかも知れない。

 でも、それを都合よく忘れてしまう人がたくさんいるのも事実だ。


 馬は生き物だから、長時間働けば疲れるし、全く運動しないと体調を崩すし、食事の時間をずらして、予約の客を待つこともある。

 が、その客はいきなり来なかったり、遅れたりする。


 私は何度も馬装して繋がれて、こない客を待っている馬を見た事がある。

 そして……1時間も放置され、やがて、馬装をとかれ、遅めの食事を与えられるのだ。


 美容室の予約か、スポーツクラブの予約のように思っているのかも知れない。

 突然の予約やキャンセルに、快く対応してくれるクラブもある。

 だが、とばっちりは全て馬が支払うこととなる。

 単なる乗り物ではない、生きている馬が。

 

 何度か馬に乗れば、必ず気に入った馬が出てくる。

 その馬を当ててくれると、嬉しいに決まっている。

  ……が、お気に入りの馬を、自分専用と勝手に決めつけてしまうのは、わがままな愛だ。

 上手に割り振らないと、お気に入りの馬はハードワークになり、その時は良くても、長い時をへて、消耗してしまう。



 人間に寛容ということは、馬に過酷ということだ。



 ……と書いてしまうと、馬に乗ることに敷居が高くなってしまう。

 それもまた、困る。複雑だ。


 だが、あーこのことを書く時に、やはり、そのことは伝えておきたい。




 シェルが故障してしまった。

 レッスン馬に乗せてもらおう……と思ったら。

 当時、レッスン馬を管理・馬割する人が新人だったからか、お客さんの顔を伺って馬を割り振り、望むように散々走らせて、馬が故障。1頭が故障すれば、他の馬に負担がかかり、その馬も故障……という負のスパイラルにクラブは陥っていた。


 シェルが故障で休ませているのに、乗った馬はもっと状態が悪い。

 で、次はどうしよう、レッスンを入れるのもはばかられるぞ、と思っていたら、やっぱりその馬は故障して、ついに乗る馬がいなくなり……。


「まだ、何もできない馬ですけれど……いいですか?」


 と、言われて当たったのが、あーこだった。

 レッスン馬としては、まだ、1回か2回、試しに使われただけの、来たばかりの馬だった。



 あーこは、競走馬を引退したのち、オーナーさんがついて、養老牧場に預けられ、そこで乗られていたらしい。

 が、オーナーさんが転勤で馬を持てなくなったため、このクラブに来た。


 養老牧場……と聞けば、馬の天国だと思う人もいるだろう。

 確かに天国かも知れない。

 が、若い馬が何の仕事もなく、ただ日々を過ごす事が、幸せなのかな? と私は思う。

 特に、この時のあーこの姿をみれば。


 お尻は五角形。

 腰角と背骨が浮き上がり、尻尾の付け根は擦れてべろりと剥けている。

 毛にツヤはなく、げっそり痩せているのに、お腹はパンパンに大きい。

 蹄は、伸びて横に広がり、まるでホタテ貝のようだった。


 競走馬や乗馬のような運動をしないから、筋肉が削げ落ちてしまい、草ばかり食べるから、腹ばかりパンパンに大きくなったのだろう。そして、蹄も放置されて、不自然に伸びてしまったようだ。


 実に冴えない馬で、まぁ、仕方がないか……と乗った。


 乗ると、なかなか大変だった。

 でも、いい感じにハマると意外と乗り心地が良く、駈歩が気持ちよかった。


 メディを思い出してしまった。


 レッスン後、「こんな馬しかいなくてすみません」と言われた。

 でも、私はこの馬にしばらく乗ってみたい、と思った。

 が、今のクラブの状態では、これだけ痩せこけた馬でさえ、どんどんレッスンで使うしかないだろう。

 私が乗りたいと言ったなら、どれだけハードワークになることやら?

 どうせシェルの世話があるから、ほぼ毎日来るわけで、いっそ、専有馬として、月極めで借りてしまうもいいかも知れない。

 そうすれば、自分で管理できる。


 月極めで借りれるのなら、もっと調教の入った私の勉強になる馬を、とも思った。が、レッスン馬は不足中、競技で使えるような馬は、私のような競技を目指していない人には、勿体無くて貸してもらえないだろう。

 乗りやすい馬を占有したら、その馬を気に入っている人たちから総スカンになりそうだし……。


 あーこなら、来たばかりでファンもいないから、選びやすかった。


 それと、私は、競技でどうの……よりも、試したかったのだ。

 シェルと同じ方法が、シェルと違う馬でも通用するのか?

 シェルだけが奇跡の馬であって、運良く、私が扱えているだけなのか?


 そして、何よりも心を動かされたのは、メディを思い出したからだ。



 この時、もうメディはこの世にはいなかった。

 もしも、私が何か手を尽くせば……人に迷惑をかけてでも、わがままを通しても、何か行動を起こしていれば、救えたかも知れない。

 でも、私は、救わない道を選んだ。

 シェルがいるし、故障が治らない馬を引き取って養うだけの甲斐性がない。

 周りに迷惑をかけるだけで、メディに生きる道を与えてあげられない。


 私は、救わないことにしたのだ。

 ……ということは、私が命を奪ったのと同じことだ。


 馬と別れるたびに、思うことがある。

 また、いつか会える。

 馬は生まれ変わって、私の元に戻ってくるのだ。

 まだやりたかったこと、やり残したこと、約束を果たすために……。


 そして、なんとも奇遇なことだが。


 あーこの名前は、ローレルアウェイク。

 ローレルは冠名といってクラブの名前、北島三郎さんの馬が「キタサン」という冠名を持つのと同じ。

 アウェイクは、おそらく母のチャームアスリープから関連付けたのだろう、覚醒という意味だ。


 メディテーションは『瞑想』

 アウェイクは『覚醒』


 私が運命を感じてもおかしくはないだろう。

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