ブルーリボン
シルクハットに燕尾服の女性がにこやかに手をあげている。美しく編まれたたてがみの馬、その頭絡にはブルーのリボン……そんな写真を見たことはないだろうか?
馬術競技では、優勝すると、ブルーリボンがもらえる。
獲得したリボンは、馬の馬房の横に飾られることが多く、ふと厩舎に足を踏み入れた人が、足を止め、ほう……と感嘆の声をあげて、その馬を見いるのだ。
優秀な競技馬の馬房の前には、たくさんのリボンが飾られるものだ。
馬は栄誉を知っている。
一見、隣の馬となんら変わりない。
同じように馬房に入れられた乾草を食み、ふと頭をあげて、目の前にいる人を興味深げに見て、鼻を突き出す。
だが、どこか普通の馬とは違う何かを、人間は感じる。
シェルは、ブルーリボンを二つ持っている。
競技で優勝した証だ。
すごい! と思われるかも知れない。
だが、本当のことを言うと、とても運がよかったのだ。
初めての競技で泣いて、「運が悪かったんじゃない!」と思った私が、勝ったら「運だ」と言うのもおかしい話だけれど。
シェルは、競技でも冷静沈着で、のほほん、のほほん……ではあるけれど、大きな失敗なくこなしてくれる。
だから、たまたまエントリーした人が3人しかいなくて、しかも、調子が悪くて大失敗してしまったら、勝ててしまうこともある。
それが、2回ほどあった。そのブルーリボンなのだ。
まぁ、それで勝ててしまうこともあるから、一生懸命、馬場馬術を極めようとしている人が、「牛とか亀とか乗ってくるな!」と、言いたくなるのも無理はない。
もちろん、どんな状況でも、勝ちは勝ちだから、とても嬉しい。
シェルのことを、誇らしく思う。
……が、いつものシェルと私は、競技の最下位争いを演じている。
もちろん、悔しいし、もっと上の成績を取りたい、と願っている。
だが、あまり勝ち負けにはこだわりたくないし、さほど、こだわってもいない。
競技に出て、シェルと私の普段通りのことができれば、私は大満足で、それ以上の評価もそれ以下の評価も、あまり欲しいとは思わない。
シェルで初めて競技に出た時、右も左も分からないので、全てはインストラクター頼みだった。
下乗りして、会場に慣れずにハイテンションなシェルを落ち着かせてもらい、入場するまで側にいてもらい、入場するタイミングを教えてもらった。
多分、普通はそんなもの。
中には他にも馬についてくれる人がいて、練習中に水をくれたり、ジャケットを持っていてくれたり、鞭を預かってくれたり、最後の最後に、馬が飛ばした口の泡を拭いてくれたり、ライダーの靴や拍車を磨いてくれたり……と、至れり尽くせり……してくれたりする。
クラブによっては、競技の調整期間はオーナーさえも乗せてもらえない、本番寸前に乗り替わる、ってこともあるらしい。
ところが、うちのクラブはとても特殊なのだ。
そもそもが、自分たちが自由に馬をやりたくて……で始まっているせいか、なんでも自分でやる人が多かった。
今となっては、新しい会員さんも増えて、それなりに面倒を見てくれる体制になりつつあるが、シェルを持ったばかりの時は、そうではなかった。
下乗りをお願いしていても、本番ギリギリになってもインストラクターは現れない。
やきもきしていると……。
「すみませーん! 障害の時間がずれちゃって……今いきまーす!」
と、汗だくで目が血走った馬に乗ったインストラクターが、たった、たったと目の前を通り過ぎていく。
そして、5分後、自転車をかっ飛ばして馬場に現れるのだ。
そして、ちゃちゃっと馬に乗り、乗り替わっていくつか私にアドバイスをして、それじゃあ、失礼します! と、また自転車に乗って去ってゆく。
そして、私が本馬場に向かう頃、やはり、汗だくで目が血走った別の馬に乗って、障害を飛んでいるのだ。
「…………」
自分でやろう。
不思議なものだ。
初めての競技会で、人身御供に捧げられたような気分になって泣いた私が、そういう結論に達するとは。
そう、自分でやると思ったら、インストラクターが私を本馬場慣らしに使ったのではないか? という疑念も抱かずにすむ。
他の会員さんをケアするのにいっぱいで放置されてしまった、と見捨てられた気持ちにもならない。
競技は入場する時にはもう半分終わっている。
だから、入場する前も、その前も、全部、自分でやろう。
馬がバカだからも、運が悪かったも、もうない。
失敗を誰かのせいにする自分の弱さとも、もうおさらばだ!
シェルの調教は誰がしているの? と聞かれたら、私、と答える。
全部自分で考えて、乗っている。
困った時には、インストラクターのレッスンを受けたり、シェルに乗ってもらい、意見を聞いたりしているが、基本は自分。
全てが自分の責任だ。
その方法が必ずしもいいとは言わない。
これまた、私の努力や頑張りとは関係のない、潮の流れというのか、そういう環境に身を置いたから、そうなってしまっただけであって、運命に導かれた……としか。
本来、馬術競技はチーム戦のようなものだと思う。
カーレースで優勝したら、ドライバーにスポットライトが当たるけれど、クルーやエンジニアの力無しでは勝てない。いわば、チームの勝利だ。
競馬もジョッキーの力だけで勝てるわけではなく、馬の能力やその能力を引き出す調教、管理があってこそ。
乗馬もそうだ。
乗り手だけの力で勝ち負けできるわけじゃない。
馬の能力、その力を引き出すトレーナー、馬を管理してくれる人、装蹄師さん、そのチーム力で、競技に向かう。
私は素人で下手くそライダーだ。
そんな私が自分で試行錯誤して育てている馬が、しかも、故障がちの元競走馬が、プロの調教を受けた乗馬専門に生産された馬たちに敵うはずがない。
負けて悔しがるのは、おこがましいにもほどがある。
それに、多分、そういう馬に乗り、指導を受け、下乗りしてもらって、はいどうぞ、と渡されても、私は乗り手としては下手くそすぎて勝ち負けにならないと思う。
だから……私は私らしく、勝負するのだ。
いつも、シェルがベストを尽くせるように。
ストレスを溜めないよう運動させ、装蹄の時期を調整し、怪我や痛みがないか確認し、競技の時にベストコンディションになるよう考える。
自分が上手に乗れることはとても大事だけれど、それは、広く大きな馬の世界の中では、ほんのちっぽけなことだ。
上手に乗れたらおそらく手に入れられなかった、別のことで勝負しよう。
競技前にはシェルのたてがみを編み、馬装して、自分で準備運動をする。
どれくらい運動すればいいのかも、自分で判断する。
そして入場……もうそこで、私がすべきことの半分は終わった。
そして、敬礼して退場後も、するべきことは終わっていない。
また次回、シェルを競技に連れてこれるよう、新たな日々が待っている。
「シェルは本当に落ち着いていていいよね。本番強いよね」
そう。
シェルの強みは、本番でいつも練習通りができることだ。
いつもの私と、いつものシェル。
それ以上の評価も、それ以下の評価も望まない。
シェルの馬房の横で揺れているブルーリボンは、運がよかったから手に入れることができた。
でも、その運を引き寄せたのは、私とシェルの日々の成果だ。
私は、競技に出るのが好きだ。
経路を回って敬礼し、シェルを愛撫する、あの瞬間が大好きだ。
私にとって、シェルと私の絆の深さをアピールできる、あの瞬間がブルーリボンだ。
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