牛とか亀とか


「あなたねぇ、馬術を馬鹿にしているの? その、牛とか亀とかみたいな「もの」に乗って競技に出るの、やめてくれる?」


 私の過去もよく知っている、馬場馬術に真剣に取り組んでいる人。

 早朝、自分の馬に乗り、ゼッケンや馬着を洗う洗濯場の片隅で、自分まで洗って、仕事に行くような情熱を持って馬に向かっている人だ。

 私とシェルのように、やる気があるのか、ないのか、よくわからない態度で、馬に接している人をみると、どうもイライラするらしい。


 のほほん、のほほんと競技に出て、のほほん、のほほん、と経路を回り、のほほん、のほほん……まぁ、可もなく不可もなく、とりあえず回って帰ってきましたね。

 良い点数は出ないけれど、ひどく悪い点数も出ない。

 ジャッジペーパーには、いつも「活性がない」「もっと元気よく」「メリハリを大事に」と書かれるが、シェルも私も安全第一をモットーにやっているせいか、馬場馬術に絶対必要な、キビキビとした動きができないのだ。


 馬場馬術に真剣に取り組んでいる人には、こういう人馬が腹立たしい。



「まぁ、そう言わずに……シェル、お辞儀」


 シェルは、ぺこりと頭を下げる。


「あなたねぇ! そんな変なこと教えるくらいなら、もっと真剣に乗りなさいよ!」


 ……あ。

 ますます怒らせてしまった。

 



 乗馬は情操教育に良いとか、マネージメント能力を高めるとビジネス研修に利用されたりとか、人間形成に役立つと言われている。

 さぞかし、馬をやっている人は、人間ができているに違いない……と思われがちだが、実は割ときつい人が多く、人間関係で悩むことも。


 だが、それは仕方がないと思う。


 私のように小心者のビビリなタイプは、どうしても馬が怖くなり、心が折れて続けられなくなり……淘汰とうたされてしまう。

 乗馬の世界に生き残るのは、勝気で負けん気の強い人になりがち。


 私は、真の馬乗りは、人間もできている、と思っている。

 相性がいいか、人好きするかは、また別問題として……多分、馬に上手に乗れたとしても、人間ができていない人は真の馬乗りじゃない、なんて思っている。


 それと、愛するべき対象があると、人間は本性を隠せない。

 絶対に譲れない! という部分が、勝気な人にも弱気な人にもある。

 普段は腰の低い良い人であっても、いざ、子供が絡めば、モンスターになってしまうことがある。

 ペット関係でもそうだ。犬や猫の管理の仕方が話題になると、賛否両論、収拾がつかない。

 捕鯨問題も、これ文化です……で、どういうわけか、納得されない。


 自分のやり方や考え方と違う人を見ると、人それぞれよ……と思っても、なかなか割り切るのが難しい。

 馬への愛ゆえに。

 だから、乗馬をやっている人たちは、人にも苦しむことが多いんじゃないかな、と思っている。



 馬は、人を写す鏡だ。


 私なりに一生懸命やっていても、私の本質の「のほほん、のほほん」が、シェルにも現れてくるのである。

 しかも、「のほほん、のほほん」で何が悪い? と、多少は開き直っている。

 そして、シェル以外の馬を持ったとしても、多少の性格の差はあれど、きっと、私色の「のほほん」に染まってしまうんだろう、と思う。




 とはいえ、こんな「のほほん」な私でも、人それぞれよ……と割り切れない、好きになれない人種がいる。


 それは……。

 過去の私が、サム先生の苦しみを「可愛い!」と思ってしまったように、馬の苦しみに気がつかずに、笑える人たちだ。


 私も馬についてはまだまだ無知だから、そういう人たちと五十歩百歩だと思っている。ましてや、週1回の乗馬ライフだったり、経験が浅かったり……では、なかなか知り得ないこともあり、仕方がない。

 でも、人間は成長していく。

 何度もかわいそうな馬を見て、勉強していく。

 馬をいたわる心というものは、そうやって育っていくもの……と思っている。


 だが、中には目をつぶり、無視し、知ろうともしない人がいる。

 愛馬心の塊の理想の自分を捨てられない人。

 馬を愛する自分が馬を不幸にするはずがないから、その事実はなかったことにしてしまう。こういう人は、ずっと馬の不幸の上にあぐらをかいたまま、笑い続けられる。

 気がつかないし、気がつこうともしない。

 しかも、他人の馬の扱いを、散々詰ったりするのだ。

 そして、何も知ろうとしないのに、自分がどれだけ馬を愛しているのか、他人に切々と訴えて賛辞を浴びようとしている姿が、許しがたい。

 

 馬は人の鏡。

 最初はわからなくても、徐々にそういう人が見えてきてしまう。


 でも、誰にでも、馬上の人になる権利はある、たとえ、愛馬心が乏しくても。

 私とは違う価値観で馬に接している人を、許容するべきなのだ。


 だから、いつまで経っても、シェルを牛とか亀とかのままにして、それでも笑顔で競技に望み、彼女の神域を侵し続けては、イライラさせている私という存在を、見たくない、やめてくれ! という彼女の気持ちも、わからないでもない。

 でも、私にも、馬上の人になる権利はある、たとえ、のほほんだとしても。



 私とシェルは、これからも馬場馬術の競技にチャレンジしていく。

 私とは違う価値観で馬に接している人たちの許容力を信じて。


 ……あ、シェルに変なことを教えるのも、ね。

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