醜い女の子


「今度来る馬は400キロない小柄な馬だから、りんさんにちょうどいいかも?」


 インストラクターがニヤリと笑う。

 私は仕方がなく、あははは……と笑ってごまかす。



 10歳以上の馬しか乗らない! と宣言していた私は、サム先生が亡くなって以来、ずっと週4、5回ペースのクラブ通いですっかり顔。

 今となっては、これからの馬、新馬担当になってしまった。


 どんな馬でも乗りこなす技量はないが、いろいろな馬に乗っていた実績はある。

 インストラクターが一般のお客さんに乗れるように調教して、いけそうかな? どうかな? という時に、試しに乗せるのにちょうどいい。

 私が無事に乗れるようなら、他のお客さんも大丈夫だろう……って、なんとなく人身御供ひとみごくうになっている気がしないでもないが……。


「もっとベテランの、なんでもできる馬に乗せてよー!」


 と、悲鳴をあげていた私だが、メディが可愛くなり、バンビで馬の成長を見て、ベテラン馬にはない新鮮な楽しみを、新馬に感じるようになっていた。

 私自身は、なかなか上達せず、成長できないけれど、馬はどんどん成長して、進化してくれて、見ていて本当に楽しいものだ。


 が、根は怖がりなものだから、毎回、一度は「嫌だ!」と言う。



 競走馬は、だいたい450〜550キロくらいかな? 

 引退して乗用馬になると、ぜい肉をそぎ落とす必要もないので、ふっくらしてきて、600キロ近くにはなるけれど。

 400キロを切る馬なら、相当小柄で、小柄な女性が乗るにはちょうどいい。


 インストラクターと、馬運車が開くのをワクワクしながら待っていた……ら。


「あ、あれ?」

「あ……あ、あーあ……」


 出てきた馬は、小柄じゃなかった。


 並のサラブレッドの大きさで、骨と皮しかなかった。

 栗毛だと聞いていたけれど、艶がない。まるで、古い10円玉色。

 ガリガリに痩せていて、牛のような腰骨、目だけが出目金でめきんのように出っ張っていて、ギョロギョロしている。

 気持ち悪いほど……。

 落ち着きがなく、カリカリしていて、気性も荒そうだ。


 私の横で、インストラクターの顔つきがおもむろに変わっていった。

 期待していた分、幻滅も大きい。

 馬房に入れた後に、ボソッと……ものになりそうにないなぁ、と呟いていた。


 入った馬には、競走馬名を使わず、新しく名前をつけるのが常だった。

 が、インストラクターは相当がっかりしたようで、その馬に名前を考えなかった。

 だから、その馬は、仮で呼んでいた競走馬時代の名前の一部が、そのまま名前になってしまった。


 マリー。

 牝馬ひんば……つまり、女の子である。



 牝馬は難しい。

 私は、正直、得意じゃない……というか、嫌い。

 騸馬せんばなら、何やってんだよ、おい、仕方がねーなぁ……と許してくれるようなことでも、女っぽいヒステリックさで、キーキー文句をいうような馬が多い。


 そして、この馬は……。

 競走馬時代のオーナー曰く。

「いやぁ、放牧しているのを見ていたら、すごい跳ね回っていてねぇ、それで、つい、てんてんてんまり、てんてまり……って」

 それが、競走馬名の由来なんだそうだ。


 さらに……。

 競走馬時代のオーナー曰く。

「走りそうだったんだけれどねぇ、輸送に弱くて、競馬場に連れて行くと、もの食べなくてねぇ。ガレてダメだったんだ」

 乗馬クラブに来ても、ストレスなのか、食べない。


 拒食症か?


 ギラギラした目で、通る人、通る人を威嚇しまくり……激やせで死んじゃうんじゃ? と心配になる。

 インストラクターが腹帯をつけて調馬索ちょうばさくで回していると、うわーと声が聞こえて来て……見ると、腹帯が腰の位置までずれていた。

 痩せすぎでお腹が巻き上がっているから、締めても締めても後ろへとずれてしまうのだ。

 鞍を乗せても、同じことになる。ちょっと太るまで、馬装も厳しい。



 それでも時が流れて、環境にも慣れ、食べるようになった。

 少しは肉もついて来て、乗馬としての調教が始まった。

 私よりももう少し上手な人を乗せたりして、レッスンしてみたりもした。

 ……が、あまり順調ではなかったようだ。

 そして、相変わらずインストラクターは、マリーはものになりそうにないなぁ、だめだなぁ……と呟いていた。

 競走馬時代のオーナーと知り合いなので、すぐに諦めるわけにはいかないだろうが、出されるのは時間の問題だったかも知れない。


 この馬に関しては、私はお呼びじゃないな。

 間違いなく、乗り切れないもの。



 当時の私は、メディを当ててもらえなくなり、主にバンビに乗っていた。


 メディに乗れないのは寂しかったけれど、馬が怖いといっていた会員さんが、メディに乗って、「馬が怖くなくなった」とか「可愛かった」とか「大好き!」と言ってくれるのを陰で聞いて、自分が褒められたように嬉しかった。

 そして、過去のかわいそうな自分も、随分と慰められた。

 メディのような馬に乗って乗馬を始められたら……苦しまないて済んだのにな、と思った。

 そして、そういう優しい馬を育てる手助けができている、その時の自分が嬉しくて、嬉しくて……。

 クラブが与えてくれた私の役割に感謝していた。


 だから、メディを卒業したように、バンビも卒業させられるのは、わかっていたといえば、わかっていた。


 でも、さすがに、次にマリーとは……。

 しかも、なんとなく、これがマリーに与えられた最後のチャンスだぞっぽい雰囲気が、インストラクターからにじみ出ているんですが。

 かなり、プレッシャーを感じるんですが……。


 それでも、やはり、いつものように、1回は言ってしまう。


「えー! あんな怖い馬? 無理っ!」


 ……つくづく成長のない私。




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