瞑想する馬


 メディは、私に癒しを与えてくれた、初めての馬だ。


 好きな馬は、今までに何頭かいた。

 でも、油断すると噛み付いたりするから、いつも用心していて、そばにいて「癒される」とは、とても言えなかった。

 ましてや、乗れば怖いから、とても「癒されます」なんて状況ではなかった。


 メディは最後のレースを終え、そのまま、クラブに来たという。

 あまりにボケーっとした馬だったので『メディテーション』瞑想という名前をつけられた。競走馬名は……教えてもらえなかった。


 黒鹿毛だったが、たてがみが日焼けして茶色かった。

 そして、前髪が薄くて、ハゲみたいだった。

 冬は黒っぽく、夏になると、明るい茶色っぽい色になって、別馬のようだった。

 父親は、アメリカから輸入された種牡馬だったが、日本では成功せず、アメリカの保護団体に再購入されて帰国した。

 ちなみに、名付け親は、日本人が自分のことを「お、外人!」と言うのを聞いて、それをこの馬の名前にしたそうな。

 写真を見ると、メディに瓜二つでびっくりした。


 メディは、おとなしい馬だった。

 本当にレースで勝ったことがあるのか? ってほど、ボケーっとしていた。

「どこか悪いんじゃないか?」とインストラクターも心配した。

 確かに、どこか悪かったのかも知れない。

 洗い場に繋いでおくと、ヨダレを垂らして、半眼で眠っていた。

 ヨダレは糸を引いて、地面にまで繋がっていた。

 そんな馬は、見たことがない。


 当時5歳か6歳だったメディ。

 10歳以下の馬お断り……と言っていた私が乗るようになったのは、サム先生が亡くなってしまったからだ。

 私があまりに悲しんだので、老い先短い馬よりも若い馬に乗りなさい、と言われた。


 初めて乗った時は、衝撃的だった。

 というのも、引き馬したら、後ろ足がぶらんぶらんしていて、3本足で歩いていたからだ。これ、やばいんじゃ???


「ああ、この馬、脱臼癖があるの」


 と言って、いきなりぐるぐる調馬索で回して、ほら、入った! と、渡された。

 ……本当に大丈夫なのか?

 大丈夫だった。

 普通に運動できた。

 だが、あのぶらぶらを見た後だから、とにかく驚いた。


 メディの駈歩かけあしは気持ちよかった。

 ものすごく安定感があって、気持ちよくて、わーいわーい! と叫びたくなる。

 私は、駈歩がとても怖くて、勇気を振り絞って練習していたのだけれど、メディに乗ってからは、楽しいと思えるようになった。

 それどころか……馬場で乗っているのに、まるで外を自由に駆け回っているような錯覚に陥るほど、爽快だった。


 馬に乗って、初めて癒された。

 初めて、幸せを感じだ。


 メディは、あまりにぼーっとしていたせいか、1年ほどは去勢しなかった。

 牡馬で大丈夫か? と思ったが、ブチの牝馬が気に入って、その馬が近くにいると、ぶぶぶ、ぼぼぼ……と声をかけるが、相手にされていなかった。

 乗っている時も、その馬をみると、ぶぶぶ、ぼぼぼ……と、私を無視して走っていくも、全く相手にされていなかったので、危険はなかった。

 むしろ、去勢してからの方が、目覚めていることが多くなったような気がする。


 いつも半眼で眠っていて、下唇がでろーんと垂れているので、そこににんじんを入れて、いつ気がつくのか、試したりもした。

 メディはしばらく気がつかず、うとうと、こっくりして、あ! と目覚めて、その勢いでにんじんを落としてしまう有様だった。

 水を飲ませると、飲み終わった後も、舌を上下に動かして、そのままうっとりしている。

 いつも、どこか別の世界に行っているようだった。


 さく癖といって、前歯を何かに引っ掛けて空気を吸い込む悪癖があった。

 色々悪影響があるので、させないために、さく癖矯正用のバンドをつける。

 擦れてくるということで、インストラクターが革の部分にタオルを巻きつけた。

 おかげで、メディはネジリハチマキのおっさんという状況になり、私をいつも脱力させた。


 そう、メディはいつも私を脱力させて、緊張感をとってくれた。


「メディ、速歩はやあし」で、速歩がでる。

「メディ、止まれ」で、止まる。


 耳が私の方を向いて、何をいうのか、集中してくれている。

 たとえ、扶助が通じていなくても、音声でも動いてくれるのだ。


 私はメディが大好きだったし、メディも私が大好きだったと思う。

 私とメディとの間には、会話が成り立っていた。


 だが……。


 メディは乗るのが難しい馬だった。

 左回りで巻き乗りができないのだ。


 どうにかさせることができても、翌日にはそれに対応して、逃げる術を考える。

 別の対処法を考えても、その翌日にはやはりもうその方法が通じない。

 メディは賢かった。そして、筋肉質で力もあった。

 男性でも、逃げられていた。


 おそらく、脱臼と関係があるのだ。

 メディは、小さく回るのが苦しかったのだと思う。

 顔つきが嫌そうだった。

 馬場馬術では、経路の踏めない馬だった。


 そして……よく人が落ちた。


 落としたのではない、落ちたのだ。

 非常に反動に癖のある馬で、乗っているのが大変で、隅角を回るときの遠心力に負けて、人が落ちたりしていた。


 私は、本気でメディを自分の馬にしたいと考えていた。

 だが、思い切れなかったのは……メディがおそらく治らないだろう故障を抱えていて、その影響で馬術的なことは何もできないだろう、と感じていたからだ。


 もしも、私が広い庭のある田舎の家に住んでいて、馬を飼うことができて、馬場で乗るよりも外をポコポコ歩いて、自然を楽しみたいのであれば……。

 きっとメディと一緒に生活することが出来ただろう。


 だが、私はメディを選びきれなかった。



 そのうち、メディは初心者でも安心して乗れる馬だから……と、私に回ってこなくなった。

 私は、また別の若い馬に乗ることになった。

 多くの人が、メディに癒され、馬が大好きになっていく姿を見て、嬉しくなった。これでよかったのだ、と思った。


 だって、メディに乗って乗馬を覚えた人は、過去の私のように辛い思いをしなくて済んだのだから。


 壊れた体に鞭打って出来ない運動をさせられ、逃げ回るよりも、初心者を乗せてぽこぽこ、ぽこぽこ、半分瞑想しながら、まったりしている方がきっとメディにとっても幸せ。

 いつの間にか、メディは「クラブの宝だよ」とまで言われるようになった。


 その分、私とはどんどん接点がなくなっていった。




 クラブを去る時、私はメディにお別れを言って……号泣した。

 他の馬は、きっと大丈夫だろうと思えたけれど、競走馬時代からのガタガタな体を抱えていたメディは、いくらクラブの宝と言われても、出されてしまうかもしれない……と心配になったのだ。


 そして、心配した通りになった。

 メディのその後を私は知らない。でも、使えなくなった馬の行き先は知っている。

 メディのような平和な馬には、最も似合わない場所だ。

 メディはサム先生の半分しか生きられなかった。

 今は天国で暮らしているはずだ。

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