なぜ、真剣にやらなかったのだろう?


 10年かけて負った傷は、10年かけないと癒えないのかも?

 乗馬を再開した私だが、そうそう簡単に「馬が好きになりました!」には戻れなかった。


 馬を見ても愛情を感じず、運動不足を解消するために再開した乗馬だ、馬は単なる乗り物だ、道具だ、愛情をかけてどうのってのは、もういいわ……と思っていた。

 馬に愛情を注いでも注いでも戻ってこない……いや、噛み付くとか、威嚇するとか、蹴るとか、そういう事しか戻ってこない過去の馬たちに、凹まされて乗馬をやめてしまったのだから、同じ傷を再び負いたくなかったのだ。


 ひたすら、明るく楽しい安全乗馬を心がけた。


「10歳以上のベテラン馬でお願いします」

 小さなクラブで頭数も少ないのに、まぁ、なんてわがままなお願いなんだ。

 でも、私にはまだ未熟なこれからの馬に乗る勇気はなかったし、気持ちを強く持って馬に乗ろうとも思っていなかった。

 気が向けば週2回、気が向かなければ何ヶ月もクラブには行かなかった。

 真剣になりすぎて、再び、過去の二の舞になることだけは避けたかった。


 せっかく戻ってきた乗馬だから。

 苦しむためにやるのは嫌だ、趣味なんだから、明るく楽しく。

 とにかく、楽しんで乗ることだけを考えよう。




 馬に乗っていると、厩舎から馬のいななく声が聞こえてきた。

 何度も何度も、しつこく。

 そこは下手くそとはいえ、馬歴だけは長い私、その声の主を想像してみる。

 若い馬か、新しく入ってきた馬か。

 そうじゃないとしたら、こういう馬は危険だな、常に何か不安を持っているから、急に走り出したりとか、危ないことをするに違いない。


 だが、サム先生は私の想像とは大違いの馬だった。


 かつては馬場馬術で競技会でも活躍した馬で、セレブなオーナーさんが所有していたそうだ。高齢になったので引退し、このクラブの環境ならば幸せな余生が送れるだろうと、寄贈された馬だという。


 つまり……大ベテラン。


 馬房であんなにいななく馬だよ?

 怖い馬なんじゃないの?


 確かに怖いところもあった。

 運動の最後に常歩なみあしするのだが、ゆっくりリラックスして歩く馬が多いのに、サム先生はそわそわすることが多かった。なんで?


 だが、何度か乗っているうちに、美しい栗毛で気品のある姿、ハンサムな顔立ちのこの馬が好きになった。

 高齢ではあったが、年齢を感じさせなかった。

 むしろ、この馬が歩んできただろう過去の栄光が、馬体から滲み出るようで、私はサム先生の若い頃に思いを馳せたりもした。


 色々教えてくれる馬。先生。

 私はいつも呼び捨てにせず、尊敬の意味を込めてサム先生と呼んだ。


 やがて、私はサム先生の過去だけではなく、未来も色々考えるようになった。

 サム先生は高齢だから、そう遠くはないうちに生涯を終えるだろう。

 この馬の栄光に満ちた過去にふさわしい、幸せな老後を、最後の最後まで、ギリギリまで側にいて、見送ってあげられたらなぁ……と。

 ずっといたわって乗り続けられたらなぁ……と思っていた。



 だが、サム先生はあっけなく死んでしまった。

 

 フレグモーネという病気になり、敗血症を併発して、1週間ほど苦しんで、クリスマスの日に亡くなった。

 病気になってから、私は毎日サムのお見舞いに行っていた。

 だが、その日はクリスマスだったので、実家に行ってお祝いをしていて、クラブには行かなかった。


 翌日、急いでクラブに行って馬房を覗くと、病気のために腫れ上がった足がスッキリしていた。

 ああ、治ったんだ! と思ったのは一瞬、その足が栗毛じゃなくて鹿毛だったことに気がつき、サム先生が死んだのだ、とわかった。

 もうすでに別の馬が、サムの代わりに入っていたのだ。


 自然死だったと聞いたけれど、年末であったことやら、クラブが休みだったことやら、病状が悪すぎて回復の見込みが少なかったこと、サムの年齢を思えば、安楽死させたのかも知れない。

 でも、そんなことはどうでもいい。

 どちらであったとしても、サム先生は、いなくなってしまったのだから。


 私は泣いた。

 泣き続けた。


 後悔ばかりだ。


 発病したばかりの時、サム先生は立っているのが辛くて横になっていた。

 その姿を見て、私は何と思ったのか?


「うわ、可愛い! サム先生、寝ているぅ!」



 なんて無知なんだ!

 なんて能天気なんだ!

 苦しんでいる馬を見て、笑っていたなんて。


 なんて……私は無力だったんだろう。

 泣くしかできない。


 サム先生を労わりながら、乗馬を続ける夢を見ていた。

 その夢も、約束も潰えた。

 やりたかったこと、やり残したことをいっぱい残して、サム先生は旅立った。


 悔やんでも悔やみきれない。


 サム先生に出会って、1年半ほど。

 だが、私がサム先生に乗ったのは、数えてみたら、たった5回だったのだ。


 なぜ、もっと真剣にやらなかったのだろう?

 なぜ、あんなにもヘラヘラと、馬に乗っていたのだろう?


 馬の命は、こんなにもあっけない。




 

 挫折を味わうたびに、潮の流れが変わるように、私の乗馬ライフも変わった。 


 私はバイトを始めた。

 乗馬するお金を得るためだ。

 そして、週に5回、馬に乗った。


 馬との別れは常に悲しい。

 後悔しないことは、決してないだろう。


 だが、真剣に取り組んでいなかった……と後悔するのは、もう嫌だ。


 馬は命を削っている。

 だから、私も覚悟を持って馬と向き合っていこうと思った。


 

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