上手に乗れることなんて、ちっぽけなこと


 一生懸命やっているのに、ちっとも上達しない?

 おちこんでいる?

 バカだねぇ、あんたが考えているよりも、馬の世界はでっかいんだ。

 上手に乗れることなんて、その中の、ほんのちっぽけなことさ。



 そう慰められたことがある。

 そうか、くよくよしてちゃダメだな、とその時は思った。

 だが、その言葉の本当の意味を理解するには、時間と経験が必要だった。

 その言葉を聞いて10年ほど経って、ああなるほど、そういうことか……とやっと思えてくる。

 そして今、同じ言葉を、過去の私のように苦しんでいる人に伝えたいと思う。




 乗馬を再開するのに、比較的新しくて、小さくて、アットホームな乗馬クラブを選んだ。

 家から近いのもあったが、10年も音信不通を続けてしまったかつての乗馬仲間とばったり会うのが怖かった。

 私は、まだまだ精神的に立ち直っていなかった。

 過去を切り捨てて、まっさらな状態から乗馬をしたい、全くの初心者からやり直したい、だから、意外と狭いこの界隈かいわいで、過去の私を知っている人に会いたくなかった。


 この選択は、後から考えると、とても正しかった。

 今通っているクラブも、その時候補にあげていたけれど、この時点で今のクラブを選んでいたら、私は癒されなかったと思う。




 そのクラブには広い放牧場があり、馬たちは毎日放牧され、草を食み、ふっくらツヤツヤしていた。

 昔、乗馬を習っていたところは、場所がなく、馬が放牧されることはなかった。

 馬が外に出るのは、ほぼ、人に乗られる時だけ。

 自由に走り回ることは出来ない。


 だから……。

 毎日見慣れている列車なのに、驚くのだ。

 驚いて走って逃げるのは馬の本能、その瞬間だけ、馬は馬らしく振る舞え、自由に跳ね回ることが出来る。

 ストレスを発散できる瞬間なのだ。


 あの馬は、私をバカにしていたのではない。

 馬の溜まりに溜まった走りたいという欲求を、私は抑えることができなかっただけ。その技量を持ち合わせなかっただけ。


 上手に乗れた方が、もちろんいいに違いない。

 だが……。


 上手に乗る自信がないなら、先に、ストレス発散させてから乗ればいいのだ。


 

 馬に乗るのが下手くそな私でも、馬をよく理解すれば、それを補う何かを見つけることができるかもしれない。

 頑張ってもできないのだ……というお先真っ暗な状況から、まるで光が見えたように、目の前が明るくなってきた。


 武豊は、ディープインパクトを力で制御したのではない。

 馬群に入れて、馬の本能を利用し、落ち着かせたのだ。

 そして……勝利に導いた。




 放牧された馬は、最初こそ元気に走り回るが、しばらくすると、草を食べ始めたり、ゴロゴロしたり、各々、静かに穏やかに過ごす。

 人に対しても穏やかで、友好的だ。


 私は、このクラブで文字通り目からウロコが落ちるような、今までの馬とは違う馬の姿を見ることとなった。

 このクラブの伸びやかな馬たちが、私に教えてくれたことは、計り知れない。

 そして、もう二度と馬を愛せないだろう……と思っていた頑なな気持ちもほどけてきて、心を通わす馬も現れた。

 この経験がなければ、たとえ、シェルと出会ったとしても、今のような関係を築くことはできなかったと思う。



 馬に乗れればいい、ってものじゃない。

 乗馬クラブ選びはとても重要だ。



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