シェル様のいうとおり


 努力は報われないものだ、と書いた。

 そう、世の中には「無駄な努力」がたくさんある。

 でも……経験は無駄にはならない。

 良いことも、悪いことも……必ずいつか肥やしになって戻ってくる。




「で、僕は何をすればいいのでしょう?」

「はぁ? あ、あの……数日来れないので運動をお願いしたいのですが」

「で、どんな運動をすればいいでしょうか?」

「え? あ、あのー。どんなって、どんな?」

「どんなって、どんな運動をして欲しいのでしょうか?」


 困惑するわ。


 乗馬クラブにも色々あるけれど、私が知っている一般的な乗馬クラブというのは、自馬の管理と調教がセットになっているのが普通かな? と。

 自馬専門に担当のインストラクターがついていて、オーナーさんに色々アドバイスをしたり、馬の調教や調整をしたり、運動をしたり、管理してくれる。

 このクラブは、馬の管理は最低限で運動して欲しい時、馬房掃除をして欲しい時は、別途お願いすることになっている。


 が。

 初めて馬を持つ私にとって、馬がどれくらいの運動量が適当なのかもわからないし、どんな調教が必要なのかもわからない。

 だから、何をしたらいいのかと聞かれても……わからないので、プロにお任せしたいのだよ。

 なのに、全てが「オーナーさんのいうとおりにします」なのだ。


 そもそも、ここは先代が馬術部で、大学を卒業した後も馬を続けたい仲間のために、場所を提供したことが始まりらしい。

 それぞれ自分が納得いくよう馬を調教したい、という人の集まりだったわけで、他人に口を出して欲しくないオーナーが多かったのだろう。

 私のようなオーナー初心者には向かないところだったかもしれない。


 が、戸惑ってばかりもいられない。

 やるっきゃないのである。



 運動、多い、足りない? これ、ダメか?

 シェルはまだ若いから、1日でも休ませてしまうと、次の日は怖くて乗れなくなってしまう。


 自分でどうにかしなければならない。

 最初は「助けてくださーい!」と叫びたい気持ち満載だったが、人間というものは成長するらしい。


 色々な人に聞きまくり、ネットで調べまくり、他人の乗馬日記を読みまくり、馬の本も書いまくり。

 それにしても、今は何といういい時代なんだろう。

 私が乗馬を始めた頃はネットもなかったし、乗馬の本もそれほどなく、クラブのインストラクターくらいしか知識を増やす手立てはなかった。

 それでも全く経験のない人だったら、ここで馬を持つのはかなり厳しいだろうなぁ……と感じた。

 そして、昔とった杵柄は大きい……と感じた。

 

 徐々に私とシェルのペースが出来てきた。

 今となっては、他のクラブの方式よりもこのクラブのやり方の方が優れていると思えるほどだ。

 ものすごく勉強になった。

 乗馬を始めた時の10年に比べ、乗馬をやめていた10年を挟み、再開したこの10年は、何と充実していることか。

 馬乗りとして一人前……とはいかないかもしれないが、かなりそれに近くなった。




 さすが、最初のオーナーがすぐ手放しただけあって、シェルは故障がちな馬だった。

 時々、時間をぶつ切りにして見てくれるインストラクターよりも、毎日、シェルを観察している自分の目の方が、信頼できるようになってしまったのだ。

 それに、シェルは故障する前に、何だか怪しい時は訴えてくるのだ。


「甘やかしじゃないんですか?」


 あまりの故障の多さに、そんなことをいう人もいた。

 シェルが運動をサボりたくて、わざと、どこかが痛いふりをしている、というのだ。

 でも、そう言われて、そうかなぁ? と不安になって乗り続けると、シェルはますます悪くなった。

 だから、同じ失敗を何度か繰り返した後、私はシェルを信じることにした。


「シェル様のいうとおり」


 後に、シェルが故障がちなのは、装蹄が合わなかったということに気が付いた。

 馬は、蹄を守るために蹄鉄を打つのだが、45日ほどで取り替えて、蹄を削らなければならない。微妙な変化で馬は影響を受ける。

 シェルはかなり神経質で、釘が一本緩んでガクガクしただけで動きが変わってしまうような馬だった。

 装蹄師を変えたら、劇的に故障は減った。

 私は、ものすごく馬の蹄に詳しくなった。……ような気がする。



「甘やかしじゃないんですか?」


 馬装を嫌がるのを見て、そういう人がいた。

 シェルは皮膚が敏感で、ポリエステル素材のゼッケンを嫌った。

 綿素材を見せると、うん、よろしい……と偉そうにいう。

 ゲルパッドを肌に直に乗せると、ずっとブルブルして嫌がった。

 ネオプレーン素材の腹帯も、腹の皮がよじれるから嫌いだ! と騒いだ。

 タオルを巻くと、うん、よろしい……と偉そうにいう。

 合わない馬装をしていると背中を傷めるし、皮膚にも傷ができる。

 その前に、教えてくれるのだ。


「シェル様のいうとおり」


 体が硬いので、人参を使ってストレッチをさせることにした。

 なかなか上手で、お辞儀を覚えた。

 が……ある日、ごきっとなって、相当痛かったらしい。

 人参を見せても、嫌だよーん! と逃げていった。

 だが、人参の誘惑には勝てず、時々、人参欲しさに「ストレッチしようよん!」と提案してくる。

 人参がなくなって終わりといっても、勝手にストレッチをしては、人参くれない! と怒っている。


「シェル様のいうとおり」


 引き馬中に仲間とおしゃべりが止まらなくなった。

 シェルは、何話しているの? ボクちんも入れて! とうるさいから無視していたら……。

 私の頭の上に、ドスっと頭を乗せて、まるで帽子のように被さってきた。

 おしゃべりしていた人は、私の顔が急にシェルになって、飛び上がって驚いた。


「シェル様のいうとおり」



 ………確かに、自己主張が激しくなってきたような気もするが……。


 シェルは、自分の意思を伝えるのがとても上手だ。

 そして、常に面白い努力をしてくれる。


 シェル語は、とても楽しい。



 

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