馬の気持ちがわかってきたみたい!
「私、馬の気持ちがわかるようになってきたみたい!」
……んなわけ、ないじゃん。
乗馬を始めて間もない人がそういえば、ひねくれ者の私は、そう思ってしまう。ごめんなさい。
と、同時に、羨ましいとも思ったりしたものだ。
まだ、挫折を知らない、わかり合えない苦しみを知らない、ただ純粋に、乗馬が楽しいと思えることが。
愛情を注げば愛が返ってくる、そう単純に信じられた……。
その頃に戻れば、失われた馬への愛情も戻って来るのだろうか?
……そう考えた日々もあった。
映画や小説の世界では、馬はいとも簡単に乗り物として登場し、いとも簡単に人間の相棒として、そこにいる。
人は誰でも暴れん坊将軍のように馬で駆け抜ける。
……馬は美しく、気高く、そして人間の友達。
たまに心に傷を持つ馬がいても、優しい女性がやがて心を通わせて絆を深めてゆく……そんなヒロインになれたらなぁ、と思っていた。
それは虚構だ。
乗馬を始める前まで、私は自分の中で美化された馬しか見ていなかった。
心を通わせた馬と自由に草原を駆け抜けてゆく夢を見ていた。
自分の中の理想の馬が全滅した。
私の目の前には、今、リアルな馬がいる。
随分と長く、毎日馬の顔を見て……やっとわかりかけてきたかも知れない。
馬という生き物が。
そして……自分の中の偶像の馬を捨て去らなければ、本物の馬の姿は見えてこないんだ、と思っている。
どんな捨て方をして、どんな風に馬が見えてくるのかは、人それぞれだけれど。
王子様の友の姿を馬に求めている限り、フィルターがかかってしまい、馬に馬らしくない馬を求めてしまうのだ。
10年乗馬を続けても、馬と仲良くできなかった理由は、ここにあった。
シェルの第一印象は、ゴマスリ野郎だった。
無口をつけるのも頭絡をつけるのも嫌がるくせに、反抗的な態度は取らない。
気がつかないふりをして、そーっと逃げようとするのだ。
ハミから逃げるテクはすごい。
頭を下げるけれど、いざ、ハミを口に入れようとすると、私の手の動きに合わせてゆっくりと頭をあげてゆく。
シェルは賢い。
頭を下げなければ叱られる、急に頭をあげて拒絶しても叱られる。
協力しているふりをして、その実、拒否しているのだ。
例えるなら……。
大好きな彼に、ペットの蛇を首に毎日巻きつけられるようなもの。
彼が好きだから拒絶したくはないけれど、蛇は嫌いだから、なんとか避けようとする。そのうち、蛇が好きになるかも知れないが、強要する彼を嫌いになるかも知れない。
私は、どうやったら快く彼女に蛇を首に巻きつけられるのだろう? と考えているわけだ。
乗ればサクサク動き、怖いくらい。止められないほど。
なので、暴走されないように小さな円を描きならが乗って、疲れるのを待つ。
元競走馬で体力はあるのだが、生真面目な性格で頑張るので、20分も乗っていたら、ヒュルリーン……と精神力が途切れてしまう。
インストラクターに乗ってもらえば、すぐに汗だく。落ち着いているとはいえ、やはり、まだまだ若かった。
止まれば止まったで、黙って静止していられない。すぐに後退してしまう。
常に目がおどおどしていて、気がつけば、いつも私を見つめていた。
シェルはわかっていた。
もしも、私に見捨てられたら、自分の命は保証されないぞ、と。
馬が、そんなことを考えるなんて思うのは妄想だという人もいるだろう。
でも、むしろ、私の中の妄想の馬が消え去った後、妄想よりもさらに繊細で複雑な馬が、鮮やかに姿を現した。
馬は人の気持ちを察する能力が高いし、危険を察知する力も強いから、異様な空気など読んでしまう。
そして、栄誉も知っている。人の評価を察して、誇らしげに振る舞うのだ。
無口やハミは、これからいたぶられるぞ、という合図。
だから、シェルは嫌がった。でも、拒絶して叱られたら嫌だ。嫌われて見捨てられたら、命に関わる。
黙って止まっていられないのも、乗り手が叱るときに馬を止めて鞭でバシッと叩くことを知っているからだ。
馬に乗れば、その馬がどんな扱いを受けてきたのかわかることがある。
シェルを2ヶ月ほど持っていた人は、とても期待していたから、ビシバシしごいていた、と聞く。
私は、ずっと「上手な乗り手じゃなければ」と思い込んでいた。
でも、その頃のシェルには私で良かったのだ。
緊張を強いるような騎乗はできないし、鞭でビシバシ叩くこともなく、ほどほどにしか乗れない。
まったり乗るだけ。
シェルは退屈が苦手な馬だった。
その頃、飼い葉桶を背中に乗せて夜な夜な遊んだりしている姿が、夜、馬に乗りに来る人たちに目撃されていた。
怠け者ではない、働くことが大好きな馬だ。
私が来るのを楽しみに待つようになり、乗られるのも嫌じゃなさそう。むしろ、乗らない日があると、何かあるの? と不安そうなくらい。
無口は自分から顔を突っ込むし、ハミは自分から銜えるようになった。
「ボクちんを選んでおくれよーん。選んでくれたら、なんでもするよーん」
シェルは、わかっていたのだ。
選ばれることが、生き残ることだと。
たった3歳だけれど、それだけ過酷な道を歩んできたに違いない。
私にとって、とても重要だったことは……。
シェルがわかっているということを、わかったこと。
まるで、テレパシーのように伝わってきたのだ。
シェルは、私のいうことを聞かなければならない、その見返りに、私はシェルを守らなければならない。
私とシェルは、そういう誓約を結んだんだと思う。
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