タマゴカケゴハン
競走馬・タマゴカケゴハンは、2006年生まれ。
父はマイナーな種牡馬で1年で韓国に輸出されてしまった。日本にいる子供は少ない。
母の父はシンボリルドルフという歴史に残る名馬だが、母はさっぱり、そして子供も地方競馬で頑張っているくらいで、優秀な血統とは言えない。
それにしても……。
あまりにひどい名前だ。
なんでも、競走馬時代のオーナーが、その時に流行っていた卵かけご飯の専門店を作ろうと思って、宣伝をかねてつけた名前らしい。
タマゴカケゴハンは、2戦したけれど二桁着順、その珍名をアナウンサーに連呼されることもなく、引退してしまった。
競走能力うんぬんよりも、故障が多くて、ものにならなかったようだ。
そのせいなのか、オーナーは卵かけご飯屋を諦めたそうな。
タマゴカケゴハンは、2009年1月にデビューし、7月末には引退した。
引退後、別の人が持って乗馬としての調教を始めたが、1ヶ月もしないうちにまた故障、しばらく休ませていたけれど、諦めて手放した。
たまたま、その頃、馬を探していた私がいた。
その年の11月、タマゴカケゴハンは私の馬になったのだ。
競走馬引退からまだ3ヶ月ちょいしか経っていない。
タマゴカケゴハンはまだ3歳だった。
乗馬としてはかけだしの、バリバリ新馬というところか。
さて、名前……どうしよう?
この珍名のおかげで、随分とその後を心配してくれた競馬ファンがいたようだ。
これだけの成績で引退してしまったのだから、誰の脳裏にも残らずに忘れ去られてもいいようなものなのに、なんと、わざわざ顔を見に来る人までいた。
珍名も悪くはないものだ。
「僕はその名前のままでいいと思いますよ! だって、珍しいし、すぐ覚えられるじゃないですか」
と、クラブのインストラクターは言った。
「競技会に出るようになれば、ああ、あの馬ですね! って注目の的ですよ!」
……が、注目の的になるのは、ちょいと困る。
大変残念なことだけれど、私には馬に上手に乗る技量はない。
覚えられると恥ずかしいだけだ。
そもそも、競技会に出られるようになるかなんて、その時点では全く考えられなかったけれど。
当初は、なかなかいい名前が思い浮かばなくて、しばらくそのままにしておいた。
前のオーナーは「ライス」とか「ゴハン」とか「たまご」とか「タマゴカケ」とか、とにかく、適当に呼んでいたらしい。
名前をどうにかすることを考えることもなく、手放してしまったのだ。
とりあえずそれに倣って……。
「たまご!」
へんすぎる。
「たま!」
猫である。
「ごはん!」
ドラゴンボールみたい。
馬上からポンポンと首を愛撫しながら声をかけると、茶色い耳がちょっと動く。
しっくりこないなぁ、と思いつつ、これでもいいのかなぁ? と思い始めたある日のこと。
「うわー! キレイな馬! ねぇ、名前は? え!!! タマゴカケゴハン??」
その女性はクスッと笑った。
もう何人目だろう?
お世辞かもしれないけれど、皆、馬の見栄えの良さを褒めまくる。
ところが、名前を言った途端、二枚目から三枚目に転落。誰もがクスッと笑うか、吹き出すか、大声で「へんダァ!」と訴えるか……。
とにかく、その場がコミカルになる。
皆、この名前を忘れないだろう、覚えてくれるに違いない。
……が。
タマゴカケゴハンは、馬房の中で、目を丸くして、その反応を見ていた。
その表情は、どこか不安げにも見えた。
どうしてこの人たち、ボクちんを見て笑うんだろう?
その顔を見て、私は名前を改めることにした。
この馬は、人の都合でおかしな名前をつけられて、常に人間に笑われて過ごしてきた。
親に珍名をつけられて、恥ずかしい思いをしているのは、人間だけじゃないんだ、と思った。
競走馬は、引退後は行方不明になることが多い。
その大部分は屠場に送られ、動物の餌になると言われている。
「馬の肉を食べるなんて残酷!」
と言っている人がよくいるけれど、人が食べる馬の肉は、元競走馬の硬い肉なんかじゃない。おそらく、その人が飼っているワンちゃん、ネコちゃんの餌になるため、元競走馬たちは消えてゆく。
でも、ほんのわずかかも知れないけれど、本当に乗馬として生き残り、幸せに過ごす馬たちもいる。
タマゴカケゴハンもその1頭になる。
だから……本当は、昔の名前で出ています……としたかったけれど。
行方を捜している競馬ファンが、ああ、こんなところにいた! と、すぐわかるようにしたかったのだけど……。
私は、タマゴカケゴハンに、新しい名前をつけた。
タマゴカケゴハンほどインパクトもないし、覚えやすくもない、でも、笑われない、恥ずかしくない、美しい馬に似合う名前。
Le Ciel Bleu (青い空)
出会った日の、雨上がりの青空を忘れないように。
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