シェル

ルーティン

 クラブまで自転車。

 去年、電動自転車にしたので、だいぶ楽チン。

 50分かかる日もあったけれど、今は40分を切っている。


 去年、シェルが夏バテで痩せてしまってから、クラブの飼料以外に買った飼料を、お昼ゴハンとして与えている。

 シェルは、私が来るのをいつも待っている。お昼ゴハンを与えるようになってからは、余計に心待ちにしている。

 パドックから、ブヒヒ、ブヒヒ……と言いながら、速歩はやあしで飛び込んでくる。

 そして、飼い葉桶をじっと見つめて、私がざっと飼料を入れるのを待っている。


 シェルの馬房は、広い庭(パドック)付きで、自由に出たり入ったりできる。

 私は乾草を手で抱えて運び、パドックの隅に置いて置く。

 馬房掃除の用具を持って馬房に向かった頃には、食べるのが早いシェルはお昼ゴハンを終えている。

そと

 指をさすと、シェルは「はいはい」と外に出て行く。

 その間に、私は馬房を掃除する。

 天気が悪かったりして、あまり出て行きたがらない日もあるけれど、私の命令は絶対だ。

 ただし、あまりにもかわいそうな天気の時は、命じることもしない。

 狭い馬房で身を寄せ合って、押し合いへし合い、掃除をする日も時にはある。

 シェルは綺麗好きだ。馬房が汚くてうんざり……って日はない。


 掃除を終えると、私はコーヒーブレイクを取る。

 もうけして若くはないので、自転車と馬房掃除は重労働、休まないと馬に乗る元気が出ない。そもそも、乗るのはあまり得意ではない。

 クラブハウスの窓からは、パドックでシェルが乾草をパクパクしているのが見える。

 木の隙間から、茶色いのがチラチラ、白い鼻筋がチラチラ……。

 その姿を見ているだけで、私は十分癒される。


 さて、乗ろう。


「シェールーや、シェルや」

 猫なで声で、シェルを呼ぶ。

 その日によって違うけれど、だいたいシェルはパドックで乾草を食べていることが多い。

 やる気満々の時は、はいはーい! とやってくるが、大抵は、食べるほうが好きだから、聞こえなかったふりをして、3度ほど呼ばないと来なかったりもする。

「ぎ!」

 これは、シェルの態度に私は不満! という合図。

 3回までは仏の情けで許すけれど、それ以上は我慢しないぞ。

 すると、シェルは

「ボクちんが、りんさんのいうこと、聞かないはずないじゃないですかぁ」

 と、トコトコやってくる。

 シェルの一人称は、絶対に「ボクちん」だ。オレっちという感じではない。

 おぼっちゃまの甘ったれ。それでいて、ごますり。

 私が、パドックや馬房の中で、シェルに無口(口数の少ないことではない、馬を繋ぐための用具の名前)をかけることは、ほとんどない。

 シェルは、ちゃんと馬房の入り口まで来てくれる。


 シェルは、とてもくすぐったがり屋だ。

 ブラッシングは割と大変。

 だが、おでこを撫でられるのが大好きで、そこを撫で続けるとご機嫌になる。

 時に、ブラッシングが嫌なので、わざとおでこを私に突きつけ、ここ、ここ、と要求したりもする。

 足の手入れはもっと大変で、後肢は他人には任せられない。

 初めて会った時は犬がおしっこするようなポーズに驚いてしまった。ひっくり返りそうなくらい足を高く上げて、ブルブル、ブルブル、震えていた。

 今はそこまでのことはないけれど、それでも、かなり足を高くあげる。

 背中も敏感で、ゼッケンを載せようとすると、後退する。背の低い私は、台がいるから、その台を動かすと、今度は前に移動する。

 だから、シェルが動いたら、台を動かすふりをして、

「なーんちゃって!」

 で、ゼッケンや鞍を置くのだ。

 シェルが怒っても、おでこをなでなでしてご機嫌を取ればいい。


 シェルは、おそらくクラブで安全な馬じゃないかな? と自負している。

 何回か落馬したことはあるけれど、ここ数年は落ちていない。

 人を落としてはいけない、とわかっている。

 驚いたりすることはあっても、それを引きずることはなく、常に冷静。

 他の馬が暴れたり、放馬して走り回っていても、一緒につられることもない。

 じっと、おとなしく待っていることがほとんどだ。

 大きな馬は、扶助に鈍感……重いと言われることが多いけれど、シェルは軽い。

 速歩も駈歩もスッと出て、しかも、爆走することもなく、スッと止まる。

「ボクちんはいいお馬さんだから、りんさんの言うことよく聞くのよーん!」

 と、得意げな感じだ。

 まぁ、たまに、勝手にBプラン、やってほしいことと違うことをやって、得意げになっていることもあるが。


 馬場だけじゃなく、クラブ構内の馬道を散歩することもある。

 幹線道路のすぐ横で、車の音がうるさいけれど、林の中を進んで行き、畑の横を通って、途中、熊笹などを食べさせてあげることもある。

 シェルは、このお散歩が大好きで、相当疲れていない限りは、運動後に散歩したがる。夏は木々の間を渡る風が気持ちよく、汗を引かせてくれるので、私も大好きだ。


 馬を手入れしたり、馬装したりする場所・洗い場に帰ってくると、シェルは必ずと言っていいほど、おしっこをする。

「ボクちんの仕事、これで終わり!」

 とばかりに、ジャーっと。

 ちなみに……馬は馬房のような安全な場所じゃないと、おしっこをしたがらない。我慢する馬もいる。

 また、洗い場などでおしっこをする馬を嫌がって、怒る人もいるから、そう躾けられた馬が多いのかもしれない。

 そのせいなのか、相当したい時以外は、シェルは私が乗馬ブーツを手入れ用のゴム長に履き替えに行く間に、おしっこをすることが多い。

 私に内緒……のつもりなのかもしれない。


 運動後のシェルの手入れは、乗る前以上に大変だ。

 なぜなら、夕飼い作業……つまり、晩御飯の用意が目の前でなされている、その時間になってしまうからだ。

「ゴハン、ゴハン!」

 シェルは食いしん坊で、その腹時計は完璧だ。

 食事してから手入れをすることもあるが、手入れをしている間に、食べてしまったことを忘れていることもあり、馬房に戻ると悲しい顔をする。

 飼い葉桶に顔を突っ込んで、ガバッと頭をあげ、ないよ! と。


 乗馬は、意外と疲れるスポーツだ。

「馬が運動するだけで、人は乗っているだけでしょ?」

 と、思っている人が多いけれど、初めて乗る人が20分しごかれたら、もう翌日は立てないと思う。

 シェルを片付け、馬具を片付け、タオルを洗ったりすると、やはり、一息つきたくなる。

 再びのコーヒータイムだ。

 この時間、シェルが外にいることはほとんどない。寒い時期は、パドックに出る扉が閉められるのもあるけれど。

 私は、ぼーっと馬場を見つめ、その日を振り返り……。

 そして、また自転車で、帰りにスーパーに寄ったりして、家路を急ぐのだ。




 これが、私とルシエルブルー……シェルの日々。

 多少の変化はあれど、ほぼ毎日のルーティンだ。


 私とシェルが出会って以来、約8年間、ほとんど欠けることなく続いている。


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