チーズはいらない。

文目みち

チーズはいらない。

 真冬の早朝、二階建てのアパートの一室で事件起きた。

 その部屋に住む大学生の香山京介かやまきょうすけは、刺殺体で発見された。部屋は荒らされた後で、金目のものはほとんど盗まれていた。

 その状況からすれば、誰が見ても物取りの犯行で外部の者が侵入し香山を殺害。強盗殺人事件とみて間違いはないだろう。そう、初めは部下の水口みずぐちも判断していた。


「先輩、これは面倒なことになりましたね」


「ああ、でも決めつけるのはまだ早い」


 初動捜査というのは、とても大切で現場の状況を元に犯人の手がかりを見つけ、事件解決の糸口を探す。その際、何かしらの見逃しのせいで、犯人を取り逃がしたり、謝って罪のない人間を疑うことに繋がってしまう。これは捜査の基本だ。

 それを先輩としてしっかりと部下に指導していかなければいけない。


「なあ、鑑識の言っていた、あれについてはどう思う?」


 私の質問に、水口は絵に描いたような惚けた顔をする。


「どうって、今回の事件とは別に関係ないんじゃないですかね」


 些細なことでも疑問に感じたら調べてみる。それが私のモットーでもあった。だからこの違和感だけは、私の刑事としての勘が何かを知らせていた。


「まあ、状況を改めて整理してみろ。

 被害者は早朝、朝食を食べていたんだろう。食卓に用意された食器なんかを見ればよくわかる。

 その最中に訪問者が現れた。被害者が疑いもなく玄関の扉を開けたところから、顔見知りの線を疑うが、宅配便や郵便局員を装えば、その線も怪しくなってくる。

 扉を開けたところで被害者は撲殺。怨恨であれば、犯人はそのまま逃走するのが定石だが、部屋中を荒らし金目のものを盗んでいるところから、窃盗の容疑も重なる。容疑者を絞るには、まだまだ時間がかかりそうだな。

 そこでだ。鑑識が話していたこと。『どうして犯人は、冷蔵庫の中まで荒らしたのか』ということだ」


 鑑識に言われてから、私も自分の目で確かめた。冷蔵庫の中が、まるで飢えに襲われた人間が荒らしたかのようにぐちゃぐちゃになっていたのだ。


「お腹が空いてたんじゃないですかね。ほら、空腹の時って、冷静な判断を失っちゃうって言うじゃないですか。だから犯人も、被害者が焼いていたパンの匂いに連れられてこの部屋まで来て、被害者を襲い空腹を満たした。そしてついでに金目のものを盗んでいった。今後の飢えを凌ぐために」


 水口の見立ては一理ある。しかし、私にはどうしてもある一点が、喉につっかえた小骨のように痛く残っていた。


「それじゃ、なんで犯人はパンに手をつけていないんだ?」


 そう、今ではすでに冷え切ってしまったトーストされたパンは、一切手つかずのまま残されていたのだ。


「気づかなかっただけ」と水口が言葉を挟もうとしたのを、私は察して先に制した。


 気づかないはずがない。なぜならトーストされたパンの漂う香りは、飢えた人間にとっては至高の賜物のはず。いわば調理されている温かな料理を目の前にして、冷えた冷蔵庫の食品を貪ることが信じられななかった。


 すると、水口が私の思考には一ミリも出てこなかった発言をしてきた。


「……チーズが、乗ってなかったからじゃ」


「チーズ?」


「はい。だって折角トーストしているパンに、何も乗せないで食べるのって変じゃないですか?」


「いや、だからといってチーズじゃなくても良くないか。それにもし、犯人が飢えていたなら、そんなこと関係ないだろう」


「でも、よく見てください。冷蔵庫の中にパンにつけるジャムやバターがないんですよ。犯人はこだわりがあったのかもしれません。パンにはチーズを乗せる。だから、チーズを探した。それでも見つからなかったから、パンを食べるのを諦めたんじゃないですか」


 だんだんと犯人像が見えてきている。そう考えれば、捜査が進んでいると思えるが、これは水口の推論に過ぎない。全く違う方向へと進んでいる可能性の方が高い気がしてならなかった。

 そもそも殺人を犯した後で食事をするその精神状態や、飢えている人間がパンにチーズが乗っているかのどうかの判断で、口にするかしないかのこだわりを持つことに対して素直に理解することが難しい。そう考えると、自ずと別の考えに向かう。


「それなら犯人はべつに飢えていた訳ではないというふうに考えた方が自然だ。そのこだわりと飢えでは、相反する行動だからな」


 それではなぜ、犯人は冷蔵庫の中を漁ったのか。金目のものが入ってると、考えたのか。それとも被害者に対して、食に関して恨みがあったのか。捜査は暗礁に乗りあげようとしていた。


 その時、ふと水口が独り言のように呟いた。


「チーズはいらない。チーズいらない……あ、もしかして!」


 すると、水口は部屋の奥から一枚の写真を持ってきて、私に見せてきた。


「先輩、これ見てください」


 その写真には、被害者とその恋人と思われるような女性が写っていた。その写真はすでに私も確認していて、その女性との関係をあらっている状況だ。ただ、それを今更見せられても、私は首をかしげるだけで、水口の言いたいことの意図が伝わってはこなかった。だから聞いた。


「彼女が犯人と言いたいのか?」


「ええ、その可能性は大きいですよ。だって見てください。この写真、彼女の方はとても笑顔でピースしてますけど、被害者はピースもしてないどころか、笑ってもいない。恋人と一緒の写真で、笑わないのは不自然じゃないですか?」


「いや、だからといって彼女が犯人という決定的な証拠にはならないだろ。いくら二人の関係に、いざこざがあったとしても、写真に笑顔がないからといって」


「こう考えたらどうです。彼女は自分がやったんだっていう証拠を敢えて残したんです。彼氏を殺す覚悟があった。でも、その後逃げられる自信はない。だから自分を捕まえてほしいっていうメッセージを残すパターンもあるじゃないですか。今回はそれなんですよ」


「いやいや、だからそのパターンだとしても、どこにその捕まえてほしいっていうメッセージが残されているんだ」


「写真を取る時のかけ声、先輩知ってますよね」


 私は水口のその言葉で、まさかとは思ったが、水口はそのまさかを口にした。


「『はい、チーズ』です。これは、笑顔を作る合い言葉的な言葉。この写真に笑顔がないということはつまり、チーズがないってことなんです」


 水口はまるで、素晴らしい名推理を言い終えた探偵のように鼻を鳴らした。


 時に私の勘は、間違った方向へと導くことだってある。今回もそう。結局犯人は、被害者とは一切面識のない男。強盗殺人として捕まった。

 水口の発想は、悪くなかった。だからその時も、ひとつの案として受け入れたのだが、ただ本人には敢えて言わなかったことがある。


 それは、「チーズ」というかけ声は、「ズ」と最後まで発言してしまうと、笑顔にはならない。だから笑顔にするという意味では、少し物足りなかった。


 とはいえ、チーズのように温めるだけでとけてしまうような事件ならば、水口の発想は活かせるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チーズはいらない。 文目みち @jumonji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ