世界の終わりとメメントモリ(誤)
コ ロ セ !
コ ロ セ !
コ ロ セ !
血なまぐさい大合唱が、いつの間にか僕ら三人を包んでいた。はたして最初に言い始めたのは誰だったか。
鈍足ゆえに遅れて加わった
いずれにせよ始めは「やれ」とか「やっちまえ」とか、まだ喧嘩レベルの
コ ロ セ !
コ ロ セ !
コ ロ セ !
それがあっという間にこの殺伐さだ。集団心理が良くない方向に働いているのは間違いない。
その中でハヤトが金属バットを肩に乗せ、満足げに頷いて、
「そうだあ! 殺人鬼は殺せえ!」
と高らかに宣言した。明らかに行き過ぎている。自己矛盾をここまで堂々と叫ぶことができるのか。
「目には目を! 首には首をだ!」
続く号令でその他大勢が一気にヒートアップ。怒号や罵声が行き交って、首を切れ、のコールに切り替わる。後はもう誰がやるかの問題が残るだけだ。かろうじて、直接手を下すことに対する心理的、倫理的な抵抗が皆を押しとどめているに過ぎない。誰かが狂気に乗せられて、ボーダーラインを越えた瞬間、僕はズタボロにされて、甲虫のように頭を踏み潰されて、はりつけにでもされるのだろう。
カズハもダイチも武器を構えたまま一言もしゃべらない。いや、しゃべれないのか。僕と同じ想像が頭をよぎっているに違いない。
狂乱に咲いたいくつもの顔の裏で、少し離れたころから
――殺人鬼を殺せ、首刈り魔を殺せ、悪い奴は皆殺せ。
確かに、君が言った通りのことが今ここで起きている。本当の善悪など
僕は今、周りを囲む何よりもその笑顔が恐ろしいと思った。
そんな中、勢いづいたハヤトが値踏みするように、ギラリと僕らに睨みをきかせる。
「おいダイチ、それに
持ち掛けられたのは悪魔の取引だ。
「いいナイフもってんな。長さは少々物足りないが、そいつで
うおお、と周囲はギャラリー気分で盛り上がる。もはや自分は直接加担していないという感覚なのだろう。本当に醜悪なものだと、湧きあがる感情は軽蔑しかない。
「冗談じゃない。そんなことをするくらいなら、あなたの頸動脈をかっ切ってやるわ。他の連中だって、そこから一歩でもユウに近づいてみて。心臓を一突きにしてあげる」
カズハの苛烈な反応に、わずかに周囲がざわめきだした。
「……本気よ」
ナイフの切っ先がハヤトに向けられる。
カズハなら本当にやりかねない、と僕には思えた。ダイチも驚いたように目をやって、さすがにどこか迷いの中にいるようだ。
「ほ、ほらみろ! やっぱり殺人鬼だ!」
たじろぎかけたハヤトではあったが、すぐにけしかけて「殺せ」の大合唱を再開させる。
状況は最悪のまま、少しも好転していない。いや、確かにカズハの覚悟で
それでもカズハがここまで強硬にでているのは、何かを待っているのだろうか。だとすれば、それはなんだ。この状況を一転できるような何か。
「あなた達、そこまでにしなさい!」
カズハが待っていたのはこれだったか。だけど、瀬尾さん一人じゃこの局面はどうにもできないだろう。
「あぁん?」
ハヤトが不機嫌そうな声を上げ、「おい、ここにも殺人鬼の仲間がいるぞ」の言葉だけで案の定あっさり囲まれて狂気の餌食にされてしまった。細い身体を何度も乱暴にどつかれて、僕らの前に引きずり出されてしまう。
その最中も、僕らを逃がすような甘い隙は微塵も見せてくれやしない。
瀬尾さんは丸眼鏡をどこかに落としてしまったようで、しかし泥だらけになった顔で気丈に言い放つ。
「警察を呼んだわ。もうここに着いてる。あなたたちの蛮行もこれで終わりよ」
公園の方を遠く見やると、かすかに警笛の音と共に、透明な雨合羽姿の制服警官が数人、確かにこちらに走り寄ってくるようだった。その中には見慣れた黒スーツの
これにはさすがにハヤトも苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした。
今度こそ、カズハが待っていたのはこれだったろうか。
なるほど、これでこの場は脱せられるかもしれない。だけど、これだと結局僕が逮捕されて……。
あ。
ふと気づいた。みんながここに集まっている。
今回の事件では、
ダイチもそうだ。ハヤトも。モミジも。奥山も金久保も、刻中あがりが大勢がここにいるはずだ。
そして殺しは僕の周りで起きているのだ。
今、どうしようもなく嫌な予感が頭に浮かんでいる。そして嫌な予感というものは、そのまま現実になってしまうものなのだ。
「ほら君達っ! 危ないものは捨てて! 散って! 散って!」
加賀美刑事が両手で散開を求めていた。少なくとも皆の注意はすでに色々な所に散り散りになって、先程までとは違うどこか浮足立った空気があたりに混ざりこんでいた。まさにその時を狙っていたかのように、
ぐにゃり――
世界が歪んだ。
ああ、またこの景色なのだ。
取り戻した視界に映るのは、赤と黒が渦巻く空、血のように降り注ぐ雨、そして灰のように白い地面。
そこに全員がいる。カズハも、ダイチも、瀬尾さんも。僕らを取り囲んでいたハヤトとその取り巻き連中も。警察の人たちも。全員だ。
その多くは初めて引きずり込まれたのか、呆然と立ち尽くしたり、辺りをぐるぐる見回したり、過呼吸のような状態になっている人もいる。経験者であるはずのハヤトだって、真っ黒なスマホを絶望的な表情で見つめながら、もうかれこれ十数秒は荒い呼吸を繰り返していた。
「ユウ、気をしっかり持って」
僕に背を預けながら、冷静にカズハが言った。
「僕は大丈夫だ」
こっちだって皆の様子に目を配り、一分の隙も作るつもりはない。
「瀬尾さんも立ってください。
「お、おう」
その指示でダイチがバールを握り直した。
やや挙動が覚束ないダイチはともかく、あの記憶が本当ならカズハは理解しているはずだ。今、僕らの周りで起きていることが何なのか。だけど指示を飛ばすカズハはこれ以上ないほどに集中していて、声をかけようとして一瞬の躊躇が生まれてしまった。
「川が――」
そして足元の冷たい感触で気づく。
背後にあった川の水は真っ赤に染まり、先ほどまで狂暴な濁流と化していたはずのその姿が、まるで鏡面のように静かな平面を成している。不気味なほどの静けさだ。雨が落ちる以外の一切の音がしない。しかしその水面が徐々にせり上がっているようで、すでに僕らのくるぶし高さまできていた。
「溢れだした」
ダイチが僕の言葉を繋いだ。
瀬尾さんも慌てて立ち上がり、カズハはその赤い水の境界線がじわじわと地面を
すぐにそれはハヤトや加賀美刑事の元へと到達し、不気味なものを感じ取ったのか、皆がそれを避けるように後退していく。
だけど同時に、僕らを囲んだ人の壁にはもう一つ別の動きが生まれていた。突然小さな悲鳴が奥の方から生まれ、壁が真ん中から左右に分かれていった。それはモーゼの奇跡のように――正確にはあれは海を陸で割ったのだから今回はその逆になるのだが――僕らの前に真っ赤な道が開かれていく。
「アアアァー……」
開けた先にそれはいた。生ける
どうして、未来というのはこうも思い通りにいかないのだろう。こうならないように僕はもがいて、あがいて、苦しんできたはずなのに。
「コハル……」
あれだけ会いたがっていた彼女を前にしながら、感動の再会というにはほど遠い黒い感情だけが、僕の胸の中で満ちていくのだった。
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