世界の終わりとメメントモリ(死)

「あなた達、いったい何のつもり? そんな物騒なものを持って、何の用なの?」


 豪雨に負けじと瀬尾せおさんが声を張る。ただ、その声に震えが混じっていたのを感じとったのは、きっと僕だけじゃないのだろう。


「いや、先生に用があるわけじゃねえんスけど、積み荷にね」


 ハヤトが金属バットの太い部分をパンと左の掌で叩いた。

 その後ろで、奥山おくやまが大きな腹を揺らしながら誰かに電話をしているようだ。警察に通報しているとなると面倒なことになる。

 他には女子が二人。モミジがハヤトの影に隠れるようにくっついて、さらに奥で瀧川たきがわがニヤニヤと冷笑を浮かべながら、先生ではなく僕を見ていて、目が合った。


「先生こそ、緑川みどりかわ乗せて、どうするつもりだったんスか?」


 ハヤトが敵意を隠そうともせずに問いかけた。


「警察よ。緑川君を連れて、これから出頭するところ」

「ほんとスかあ? だって、さっきパトカー通ったスよね。なんでそこで自首しないで、わざわざ先生の車に乗るんスか? まさか……逃がそうなんて考えてないスよねえ?」

「本当よ! 変な言いがかりはやめてちょうだい!」


 そこで僕は、


「おい、さっきから好き放題言ってくれて。僕がやったって証拠はあるのかよ!」


 ようやく後ろ手でドアを開けることに成功し、奴らの前に姿をさらした。一瞬、ハヤトはびくりと後ずさる様子を見せたものの、僕に手錠が掛かっているのを理解してか、ニタリと酷くいびつな笑みを浮かべた。


「おいおい緑川、馬鹿言っちゃいけないぜ。俺は見たんだ。お前が後藤ごとうを殺すのをな。モミジだってそう言ってる」

「な……う、嘘を言えっ!」

「瀧川だって、お前から聞いたってよ。みんなを殺して、せいせいしたってなあ!」

「違うっ! 瀬尾さん、違うんです! こいつが言ってるのは全部デタラメだ!」


 僕らの間で、瀬尾さんは互いを見比べながら、その瞳には間違いなく恐れや迷いが奔流となって流れ込んでいた。


「瀬尾さん、わかりますよね。こんなんで僕、捕まったら、本当に殺人犯になっちゃいますよ」

「見苦しいぜ緑川、逃げようたって、そうはいかないからな。なんなら脚の一本や二本、ここでへし折ったって、それが正義ってもんだろ」


 ハヤトの後ろでは、電話を終えた奥山が懐から金槌を取り出して構えていた。

 なんだ。いったい何なんだ。無茶苦茶にも程がある。このままだと本当に撲殺されるんじゃないか。思わず浮かんだその可能性は、決して行き過ぎではなかった。


「おまけに人の頭を切り落とすような凶悪犯だからな。なまじ手が滑ったとしても正当防衛で――」


 ハヤトがにじり寄ったその一歩を合図に、僕は走り出した。奴らとは反対方向へ全力で駆け戻っていく。


「おい、逃げたぞ! 追え!!」


 ハヤトの叫び声がして、足音がいくつも追いかけてきた。

 手錠が邪魔で速度が上がらない。だけど人間が全速力に近い速度で走り続けられるのはせいぜい十秒かそれぐらいがいいところだ。


 思い出せ。毎晩、走り続けていたのだろう。


 腕の感覚で肩を振り、ももを上げることを意識する。それでフォームが少しずつ安定し、速度が出てきた。持久走ならそうそう負けはしない。


「ヤロォ、すばしっこいじゃねえか!」


 ハヤトが声を荒げた。もしそれで振り返っていたら、次の一撃で終わりだった。目の前の曲がり角の死角から突然人が現れて、ブンと何かが横薙ぎに振るわれる。

 無意識の反応だった。ボクシングでいうスウェーのように上体を後ろへそらして、かろうじてかわす。

 集中力、それが僕に残された最後の武器だ。その瞬間、何もかもがゆっくり流れ、目の前をかすめたものがバールだということを把握する。それがブロック塀を激しく叩いて、破片が舞った。顔面に当たっていれば怪我じゃすまされない。

 前へ転がりながら、腹筋の力で上体を起こし、膝立ちの状態へすぐさま立て直す。


「へえ、今のを躱すんだ」


 学級委員長の金久保かなくぼだった。銀縁メガネをクイと持ち上げ、声は冷静そのもの。人を傷つけることに対して、あるいは殺めてしまうことに対して、なんのためらいもなさそうだった。それは相手が僕だから、なのか。


「でかした委員長! 囲め!」


 曲がり角の向こうを見ると、続々と増援が現れていた。こちらを指さしたかと思えば、次々に駆け寄って、手にはバットやら鉄パイプやらを握りしめている。現れたいくつかの顔には見覚えがあった。みな同級生たちだ。奥山が連絡を取っていたのはこれか。

 状況は絶望的かに思えた。だけど、


「やめろっ!! なにやってんだ!!」


 さらに奥から、二つの人影が駆け寄ってくる。街灯に映し出されたのはダイチ。それにカズハも続いている。

 天を突くような短髪が自慢の脚力で先行し、風に乗って一気に僕らの間に躍り出た。たたんだビニール傘を剣のように構えて周囲を牽制する。


「あ、ありがとう。ダイチ」


 ダイチはわずかに振り向いて、グッと片手で親指を立てた。


「おい、ダイチてめえ、何やってんだ? 犯罪者に肩入れするつもりかよ」

「ハヤト、そういうお前のやってることこそどうなんだ? リンチは犯罪だぜ?」


 ハヤトの口元がいびつに曲がる。


「はっ、これはな、自警だよ。警察はなんの役にもたたねえ。脱走までされるときたらもう自分の身は自分で守るしかねえじゃねえか」

「自警ねえ……。俺にはお前が恐怖に駆られて、おかしくなってるようにしか見えないぜ」

「言ってろ! かばうならお前も同罪だ!」


 すかさずハヤトの金属バットが襲い掛かった。ダイチが傘で受け止めると、傘はべこりと凹んでしまう。が、続く金久保のバールをダイチは軽々といなし、腹に膝蹴りを見舞ってそのバールを奪い取った。映画のような立ち回りだった。

 目を奪われていた僕に向かって、


「緑川! 何ボケっとしてんだ! ここは任せて、行け!」


 ダイチが叫ぶ。

 我に返った僕の元へ、


「行くよ」


 カズハが駆け寄って、僕らは走り出していた。

 今も追手は続々と増えていて、囲まれないように僕らは公園の中へ飛び込んでいく。


「おい、逃がすんじゃねえぞ! 回り込め!」


 ダイチも奮闘してはいたが、さすがに多勢に無勢だ。脇から次々と人が漏れ出てくる。憤怒の顔もいれば嬉々とした顔もいて、はたまた完全な無表情もいた。皆一様に凶器を握りしめ、狂気に駆られて僕らを追いかけてくる。

 その人の波を割って、この暴風雨の中にもかかわらずマウンテンバイクに乗って追いかけてくる奴がいた。例によって金属バットもセットになって、片手で高々とそれを掲げている。

 速度の差はどうしようもない。一瞬でその距離を詰められる。


「まずいぞ」


 僕の声にカズハはチラリと振り返り、間に割り込んだ。


「おら、くらえよ!」


 サドルの上でバットが構えられた。よりによって僕ではなく、前に出たカズハを狙って。

 だけどカズハは防ぐでも避けるでもなく、それより前にたたんだ傘をもりのように投げて差し込んだ。勢いよく回る前輪に傘の先が重なった次の瞬間、サーカスのように後輪が跳ねあがって、


「うわあ!?」


 そいつは泥だらけの地面に頭から突っ込んでいった。

 それでもまだ一人。休む間もなくその他大勢が怒涛の勢いで追いかけてくる。すでにダイチの姿は埋もれて見えない。




 オオオオオオオオオオオオ――――――




 狂気が怒号と化していた。まるでゾンビ映画のようだと、そんな想像が少しだけ頭をよぎった。いや、奴らにとっては僕がゾンビなのかもしれないが。


 公園を端から端まで走り切り、とうとう川沿いまで来てしまった。避難勧告が出ているというのは本当らしく、川は全てを飲み込まんとする狂暴な濁流に変貌を遂げている。コンクリートの護岸は端の白い柵ギリギリまで泥水につかり、いつ溢れ出してもおかしくない。


「くそっ」


 走る脚に力を込めた。だけど、それも終わりが近づいてきている。

 前からも、横からも、後ろからも、追手が迫ってきていた。逃げて、逃げて、逃げて、その最後は瀬尾さんの言う通り、袋小路になってしまうのだろうか。


「……無理ね」


 カズハが迷いなく懐からナイフの刃を取り出して構える。そんなものを用意していたのは驚きだった。すでに狂気は後戻りのできないところまできているらしい。

 追手がそんな僕らを取り囲み、周りにできたのは肉の壁だ。数十人はいるだろうか。見知らぬ顔や、明らかに年齢層が違う人も混じっていた。綺麗に僕らから五メートルくらいの距離をあけて、護岸の白い柵を背に敵意のバームクーヘンが形成されている。


「どけどけえっ!」


 間を割って、ダイチが僕らの元へ飛び込んできた。そしてすぐさま僕を背にバールを構える。ベッと吐いた唾には血が混じり、まくった腕は幾つかあざができているようだった。


「ダイチ、悪い。僕のために、こんな……」

「いいって。やりたくてやってんだ。気にすんな」


 そう言ってダイチが白い歯を見せる。

 ただ、ダイチが加わったところで、僕らの命はもはや風前の灯火ともしびも同然だった。少なくともこの局面を打開できる策は僕らにはない。


「お前ら、散々暴れてくれやがって」


 恨み節と共に、ハヤトがゆっくりと輪に加わった。その坊主頭はいやでも目立つ。


「覚悟は……できてんだろうなあ」


 血を拭った口元は大きく愉悦に歪んでいた。

 あるいは本当に、それは獲物を襲うゾンビのようにも見えた。

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