脈動のアザーサイド(二)

 ――被害者のお友達ですか? 今のお気持ちはっ?


 ――未成年だぞ。やめないか。


 ――学校内で殺人があったみたいですが現場を見たのですかっ?


 ――連続殺人を止められない警察の対応に思うことはありますかぁ?


 ――おい、なんだその質問は。いいから道を開けろ。


 ――冷酷な犯人に伝えたいことは……ちょ、押さないで……。


 ぴしゃり。

 怒涛のような質問攻めを自動ドアで振り切って、数人の警官に囲まれながらも、一葉かずははようやく一息をついた。隣では大地だいちが額をぬぐっている。肌に浮かぶのは汗か、それとも雨粒か、しかしまだ気を緩める様子はない。背中に幾つものフラッシュを浴びながら、二人はぎゅうと両こぶしを握りこんだ。


 駆け込んだ警察署内は外よりも湿気と熱がこもっている。ただでさえ直線的で優しさを欠いた内観の中で、硬い表情達がひっきりなしに動き回っていた。

 一葉が警察署へ乗り込んだのは、元は油屋あぶらやの一件で再度の事情聴取を求められたからになる。最初は臨時休校となった学校で行う流れだったが、「どうせユウを迎えに行くのだから」の一言が全てを変えた。そこから慣れない警察車両での移動があり、着いた先では報道記者に揉みくちゃにされ、いつものすまし顔にもさすがに疲労の色が浮かんでいる。

 本来ならば一葉の隣は親代わりでもある瀬尾せおがいるべきなのだろう。ただ、殺人事件で大混乱の中、臨時休校でクラスをまとめる役目もある。今は大地がその代理を買って出ていた。


「ついてきてください」


 学校からずっと付き添っている若い警官が手招きをすると、大地がまず歩き出した。一葉もそれに従いながら四方を丁寧に見回していく。壁には白い円形の時計があって、二本の針がそろって真上のあたりを指していた。黄ばんで色褪せたエレベーターは五階まで行けるようだったが、それはそのまま通り過ぎ――


「納得いかねえよ! いくわけがねえ!」


 突然、前方右側の木製のドアが蹴破られたように開く。出てきたのは熊のような肩幅をした白髪交じりの男だった。茶色いジャケットはボロボロに傷んでいたが、徹夜明けと思われる人相はそれ以上に酷いものだった。

 その男はまだ踏ん切りがつかない様子で部屋の中を振り返り、


「いいか、あの件はもう終わったことだ。捜査に影響なんか――」


 と言い、そこで一葉達の視線に気づいたらしく、廊下と部屋の中を交互に見返してから「くそっ」という悪態と共に腹の熱を吐き捨てた。そしてゆっくりと一葉達とすれ違うように入口に向かって――


「ん? お前……」


 急に熊男が立ち止まり大地の顔を睨みつける。普段は気の強い大地も背筋がピンと伸びた。


「あ、あの――」


 大地が続く言葉を見つけられずにいると、結局その男は「ふんっ」と鼻を鳴らしたきり歩き去ってしまう。途中、自販機のゴミ箱が乱暴に蹴っ飛ばされて、カランカランとエナジードリンクの缶が転がった。


「確か、名取なとりの時の……」


 一葉が思い出したように言った。

 隣では大地がまだ両肩を不自然に上げたまま熊男の背中を眺めている。


「どうかした?」

「え、いや、な、なんでもない。……行こう」


 誤魔化すように歩き出した大地の背中を、一葉は釈然としない表情で見つめていたが、やがて先を行く警官が振り返るのに促され、一葉もまたゆっくりと歩きだしていく。







 パーテーションで区切られた待合スペースのような場所へ二人が通されると、そこにはすでに先客がいた。串団子のような椅子がコの字に並んでいて、その一つに腰かけた瀧川たきがわが長い黒髪をカーテンのように降ろし、つまらなそうにスマートフォンを弄っている。


「よお、タキ……。それにハヤト、モミジもか」


 反対側に並んで座っていたのが尾上おのうえ隼人はやと六道りくどう紅葉もみじ、共に大地、一葉と同じ制服に身を通している。坊主頭の尾上とボーイッシュなショートヘアの六道は、並ぶとさらに快活な組み合わせだったが、その場の空気はお世辞にも明るいとは言えなかった。

 顔馴染みらしい大地の登場で、二人は一瞬だけほっとしたような表情を見せるも、すぐにまた俯いてしまう。


「ねえ教えて。いったい何があったの?」


 一葉が彼らの中へ歩み寄ると、普段は威圧感に溢れる尾上の顔が泣き出しそうなほどに崩れた。


「もう、知ってんだろ? アブまで殺されちまったんだ……。よりによって学校の中で。俺とモミジもだけど、あいつの死体を見たんだ。まだアブが死んだなんて信じられないけどよ、でも、でも……、あの真っ赤な血溜まりがまだ頭にこびりついて離れないんだ……」


 隣では六道がギュッと隣の尾上の腕にしがみついている。活動的なショートヘアも今は完全に萎びてしまい、一葉とは目すら合わせようとしない。


「他にそれを見た人は?」


 それを聞いて尾上が、一葉が来た道の奥の方を指した。


後藤ごとう緑川みどりかわ……まず二人が事情聴取されてるよ。さっきあっちに連れてかれてった。後藤は俺らと同じで渡り廊下からだったけど、緑川は間近で見たはずだ」

「後藤はユウが殺したって言ってるらしいけど?」

「ああ。……いや、わからない。アブが死んだ瞬間は誰も見ていない、と思う。ただ、後藤がそう言ってるのは本当だ。あいつ、あの後マジで気が狂ったみたいに取り乱してたから」

「……そう」


 一葉は息を吐き、逆を向く。


「瀧川さんはどう?」


 呼ばれた先で、瀧川はまだスマートフォンを弄っていた。狭い画面の中ではゾンビと思しき血みどろのクリーチャーが湧き出して、銃弾と化した長い人差し指が器用にそれを一掃していく。そして上目遣いでちらりと一葉の顔に一瞥いちべつをくれ、「別に」と素っ気なく吐き捨てた。


「おい、タキ」


 大地が声を荒げかけたが、


「私は何も見てないし何も知らない。たまたま近くの廊下を歩いてたってだけでここに連れて来られていい迷惑よ。……早く帰りたいわ」


 と、瀧川は再度の視線をくれることもなく淡々と言い切った。

 その言動に、一葉は少し鼻をひくつかせて何かを言いたげだったが、カツ、カツ、と硬質な足音が近寄ってきて、瀧川以外の全員が廊下の方を向いた。


 現れたのは刑事の加賀美かがみだった。黒縁の眼鏡に、相も変わらず黒いスーツで身を固めている。


たちばなさん、こちらに来てください。……他の皆さんも順々にお話をお聞きしますので、もう少々お待ちいただけますか」


 指名は一葉だった。先に待っていた三人を差し置いて自分なのか、とでも言いたそうに一葉の表情にわずかばかりの戸惑いが浮かぶ。ただ逡巡ののち結局は、きびすを返した加賀美に黙ってついていった。


「あらあら、私達は後回しね。それとも一葉さんにも殺人鬼疑惑があるのかしら?」


 その言葉に一葉は反射的に足を止めかける。ギリと奥歯同士が擦れる音がした。その背後ではまた大地が瀧川をたしなめていたが、瀧川はスマートフォンを弄りながら初めてくすくすと楽しそうに笑っているのだった。







 一葉が通されたのは小さくて窓もない薄暗い部屋だった。真ん中に四角い机を挟んでパイプ椅子が二つ置かれている。扉から遠い方へ着席を促された一葉は、対面でノートパソコンを広げて今まさに座ろうとした加賀美に対して言い放った。


「殺したのはユウじゃありません」

「いきなりですね。でもそれを調べるのが私達の役目ですから」


 にべもない対応だ。おそらくはこれまで何百回と口にしたであろうその言葉には一分の隙もない。しかし一葉は怯まない。


「一連の殺人事件、そのどれ一つを取ってもユウが殺したことを示す直接的な証拠はないはずです。今頃は、瀬尾さんの立会いのもと、私達の家を調べてると思いますが、探し物の二つは出てきません。絶対に」

「……二つとは?」

「まずは凶器。被害者はみな短時間で頭部を失っています。生身の人間では到底できない芸当です。だけど、殺害現場からは死体以外には何も見つかっていない。……もう一つは被害者の頭部、それも見つかっていないんじゃないですか? 誰一人として」


 加賀美は無言のままだ。それを肯定と受け取り一葉は続ける。


「名取さんの時、頭部が忽然と消えていた。当然ユウが持って行ったわけでもないし、私達の家からも見つからないはずです。油屋君の頭部だって、まだ見つかっていないんじゃないですか?」

「……なるほど。言いたいことはそれで全部ですか?」


 一葉の言葉が熱を帯びる一方で、加賀美はずっと涼しい顔のまま手元で何かを打ち込み始めている。一葉の口元では微かに焦りが顔をのぞかせた。


「これは本当に人間の仕業なんでしょうか? もっと別の可能性も――」

「いえ、これは人の手による殺人ですよ」


 加賀美が一葉の瞳をじっと見据えた。


「獣害やオカルトなんてもっての外。被害者は全員が去年の刻水館こくすいかん中学三年三組に在籍しています。今回の油屋さんもね。誰かの意思が働いているのは間違いない。……そろそろこちらからもいていいですか?」


 柔らかく、しかし有無を言わせない口調が切り返す。


「まずその緑川君、彼はこの一年で精神科への通院記録がありますね」

「……はい」

「どういう症状なのですか?」

「……解離かいりです」


 渋々と一葉は答えた。


「解離……というと解離性障害ですね。多重人格が現れるという――」

「確かに、多重人格も解離の症例の一つです。が、ユウの場合は過大なストレスによる記憶の欠損。一年前の災害が原因で。あとは、空想の友人イマジナリーフレンドといって、実在しないものが見えてしまうようです。最近はその症状がまた悪化しているみたいで……」

「ああ」


 加賀美が何かに納得したように相槌を打った。その表情に、何かのとっかかりを得たかのような満足感が見え隠れしている。


「なるほど。ではもう一つ、これを……」


 少々ショッキングかもしれませんが、と添えつつ加賀美はくるりと手元のノートパソコンを振り向かせた。


「これは……」


 画面には映像が流れている。監視カメラからの映像だ。人の背丈より高いところから踏切の様子を捉えている。

 しばらく通過する電車を待つ人々や縞々の安全バーが上がる様子が流れていたが、突如ザザザと音をたてて灰色のモザイク模様で映像は乱れた。それは一瞬で元に戻ったものの、その前後である一点が完全に違っていた。

 画面では踏切脇に伸びる道に二人の男女が立ち尽くし、その奥で頭部を亡くした血だらけの死体が転がっている。紛れもなく緑川優也と一葉本人の背中だったが、それは決して画面外から歩いてきたわけではなく、まるで隠れていたものが突然現れるようにいきなり映像の中に入り込んでいた。


「ちょっとこの映像が奇妙で……。この時の様子をもう一度詳しく伺えないでしょうか」

「それは――」


 一葉が口を開いたその時だった。何の前触れなくシュウウと細い音がしてノートパソコンの画面が真っ黒に変わり、続けざまに部屋全体が完全な暗闇に落ちた。


「なんだっ!?」


 意表を突かれた加賀美の声に続いて、暗闇の中で一葉の沈んだ声が響き渡る。


「……それは、これからわかるかもしれません」

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