惨劇の始まり(八)
今日も雨の通学路をカズハ、コハルと歩いていく。少し風もでてきたみたいだ。
昨日のその後が心配だったコハルも、しっかりと家の前で待ってくれていた。その笑顔は相変わらず太陽みたいで、昨晩の心配も取り越し苦労に思えてくる。もっとも、コハルは開口一番に「昨日はすっごい心細くて大変だったよー」と不満を漏らしていたけれど。
それにしても昨日も続けて犠牲者が出たことで、事件のニュースでの取り上げようは全く変わってしまった。どのチャンネルでもトップニュースである。
意外なことに、あれだけの警察の対応がありながら、まだ犯人の具体的な情報は一つも流れて来ない。その代わり、最初の殺害現場とほぼ同じ場所で犠牲者がでたことが様々な波紋を呼んでいた。その多くが警察の警戒態勢に疑問を投げかけるものだったけど、ネットでは犯人は凄腕の殺し屋なんじゃないかとか、突飛な憶測も飛び交っているらしい。
そんな状況なのだから、自然に僕らの話題は決まってくる。
「やっぱりこの事件はさ、
白い傘の中でコハルが持論を展開し始めた。
「それって……去年踏切で自殺した子じゃないか」
「そだよ」
コハルはさも当然という顔をする。
「そだよ……って、死んだ人間がどうやって人を殺すのさ。コハルまでアヤコノノロイとか怪談めいたことを言うつもり?」
「うーん……でも、そうとしか思えないくらいだよ。だって、一瞬で頭がなくなって死んじゃったんでしょ? 踏切で……頭を失った少女が……悪霊となってよーみーがーえーるー……頭をよこせー、頭をよこせー……」
コハルには全くもって似合わない、おどろおどろしい口調で挙げられた一つの可能性。それを有り得ないと単純に切り捨てることは僕にはできなかった。あの赤い空、凄惨なまでに変わり果てたコハルの姿、影のような黒い身体をした
実際、あの時のコハルの姿、目から血の涙を流すような有様は幽霊か何かに取り憑かれていたという方が納得できそうだ。コハルは何も覚えていなかったけど……。
「だけど、
「うーん、そこなんだよねー……」
そう言いながらコハルは片手を口のあたりに持ってきて悩みだす。でもすぐに明るい顔に戻って、
「でも、一応注意はしておいた方がいいと思うんだ。ほら!」
と言いながら通学バッグを見せつけてきた。何かと思ったら、取っ手の付け根に紫色の小さなお守りが結び付けられている。それは懐かしい僕らの育った
「お守りかあ……。ん? 待てよ。小稲生のお守りって豊穣祈願じゃなかったっけ?」
「え、そだっけ?」
お守りを手に取ったコハルの顔が、すぐに「えへへ」と苦笑いに変わった。
コハルらしいと言えばそうなんだけど……まあ信じていれば
なんとなく振り向くと、変わらずカズハがすぐ後ろについてきている。ずっと無言で、また何かを考え込んでいた。
「なあ、カズハはどう思う?」
「……何が?」
冷たい反応も相変わらずだ。
「ほら、アヤコノノロイって本当にあるのかな?」
カズハは一つ小さなため息を挟んで、
「ない。さっきユウも言ってた通りよ。死者は殺人なんて――」
そこで不自然に言葉が途切れた。
「……カズハ?」
「なんでもない。とにかく呪いなんてない。……その話もそろそろ止めておいたら? 縁起でもないし、死んだ人のことを悪く言うのは不謹慎だと思う」
と取り付く島もない。きっと彼女なら悪霊が取り憑く隙すらないのだろう。
隣でコハルが「へーい」と口を尖らす一方で、カズハは静かに視線をそらして、また無言に戻ってしまうのだった。
その視線を追っていくと、隣を流れる川はさらに幅が広がって、普段とは比べ物にならないほど粗暴な濁流と化していた。水かさもコンクリート護岸の半分くらいまで来ていて、昨日よりもだいぶ上がっている。
このまま僕らはどうなってしまうのだろう。
学校までの道すがら、その流れのゴウゴウという太い音がしばらく耳にこびりついて離れなかった。
前方の黒板には『自習』の二文字大きく書かれていた。
今日は出席率九割……といったところか。ちらほら空席が目立つ。
無理もない。二日続けて
教室に残っている面々も、きっと表面上は普通に見えて、際どい緊張の中で平静の仮面を被っているのだ。
結局、朝一で緊急朝礼が開かれた後、一限目の授業は実施されずじまいだけど、この状況下で勉強する人なんかいるはずもない。各々が席の周りと、事件について思い思いの考察をぶつけあっている。
「ああ、アヤコのことはよく知ってる。というか、幼馴染みたいなもんだよ」
目の前ではダイチが、昨日と同じように前の席に逆向きに座って、しみじみとした面持ちで答えていた。昨日と違うのは皆の注目を浴びているわけではないということ。気兼ねなく話せそうだったので藤崎綾子について尋ねてみた。
「そっか。……ごめん、なんか、辛いこと
「いや、いいんだ。……とにかくお前が言うような
どうして藤崎綾子は自殺なんてしたのか。その質問に対して、いつもははっきりと物を言うダイチも、時々昔を思い返すように途切れ途切れに話し始めた。
「むしろその逆だ。明るくて、誰にでも優しくて、誰もあいつを悪く言う奴はいなかったよ。……なあ、タキもそう思うだろ?」
そう言ってダイチは、隣の席に座る
瀧川は少しだけぴくりと身体を震わせて、いかにも嫌々そうにこちらを流し見る。
「なんで私に訊くの?」
「そりゃあ、だってタキとすげえ仲良かったろ、アヤコ」
それを聞いて瀧川は、何もわかってない、とでも言いたげなため息をついて、こちらを向いた。長い黒髪が肩からさらりと流れ落ちて、花の蜜のような甘い匂いがほのかに鼻の先をくすぐる。
「あれはあっちが勝手に引っ付いてきただけ。変なこと言わないでくれる?」
「ま、確かにな。ちょっと周りが見えてないとこもあったけど、あん時のアヤコは『スミレ様、スミレ様』ってタキにべったりでさ」
ダイチが言い終わらないうちに瀧川は無言のまま席を立って、僕らに背を向けて教室から出ていこうとする。
「……おーい、どこ行くんだよ」
ダイチがその背中に問いかけると、瀧川は半分振り返って、冷めたまなざしのまま、
「トイレに行くにも、あなたの許可が要るの?」
と冷淡に言い放って、そのまま足を止めることなく廊下に出ていってしまった。
やれやれ、とダイチが軽く両手を持ち上げる。
「今のあいつはあんな感じで言うけど。でも、嘘じゃない。昔はみんなと仲良くやってたよ」
ダイチはまだ瀧川が出ていった教室の扉を見つめていた。
「でも、なおさらわからないよ。じゃあどうして……」
自殺なんかしたんだ。その問いに戻らざるを得ない。
ダイチは一瞬だけこちらを見るも、またすぐに視線を床に落としてしまう。そして、
「ま、お前はこっちに引っ越したばかりだもんな……」
と一人納得して大きなため息をついた。肺の底に溜まりに溜まった埃をまとめて吐き出すかのようだった。
「五年くらい前かな。街の一角で猫の死骸が見つかったんだ。ただの死骸じゃない。首を切断された死骸だ。しかもそれが一匹じゃ終わらなかった。そして二年くらい経って、思い出した頃にまた同じような猫の死骸が見つかった。その次が一年後、半年後、三ヶ月後……、どんどん周期が早まっていった。殺されたのも兎だったり、鳩だったり、色々あったけど、そのうち人の子供くらいはありそうな大型犬までやられてさ。この街には首刈り魔がいるって、街中が不気味がってたよ」
「……で、それがどうアヤコと結びつくんだ?」
「去年、アヤコが猫を殺そうとしているところが目撃されたんだ。なんの言い訳もできない状況だった。片手に出刃包丁を持って、足元には毒餌か何かで弱った猫がいて……。で、アヤコが首刈り魔だって話が一気に広まった」
ダイチは後ろの机にもたれかかって、天井を仰ぎ見た。
「時々思うんだ。あの時、強引にでもアヤコのとこにいって、話を聞いてやったら……違った結果になっていたんじゃないかって。今でも何かの間違いだったんじゃないかって思うけど、でももうどうしようもないんだ。それからすぐだったよ。アヤコが踏切で自殺したの……」
重苦しさが僕ら二人を包んだ。窓の外、雲より暗い空気が僕らの席に沈殿しているような感覚さえあった。
ダイチはまだぼうっと上を向いたまま、口を半開きにしたその姿は酸欠に苦しむ魚をも思わせる。あるいは意識がその口から煙みたいに抜け出して、今まさに過去を変えようと虚空の中をもがいているのかもしれない。
「それで……アヤコノノロイ、か」
僕はやっとの思いでその一言を絞り出す。
途端、ダイチは急に意識を戻して、即座に右手を振って否定した。
「いや、呪いっていうのはその後だ」
「というと?」
ダイチは眉間にしわを寄せて、いかにも深刻そうな表情を作った。次に続いた言葉は、十分にそれも納得させるものだった。
「アヤコが死んだ後も、動物殺しは止まらなかったんだ」
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