ある日常の終わり(四)
灰色の分厚い雲の下をカズハと並んで歩いていく。まだ昨晩からの雨は弱いながらも続いていて、僕は手渡されたビニール傘をくるくると躍らせた。
カズハも相変わらず気が回るものだ。しっかり二人分用意してくれていたあたり、抜かりがない。
住宅街の合間を縫う慣れない道は、ようやく持ち主のもとに返ってきたスマホが案内してくれている。学校まで二十分ほどかかるらしい。
これから学校に行くなんてとても
道すがら、隣を行くカズハに病院での出来事を話してみた。同級生が殺されたというのに、いつものポーカーフェイスは崩れる気配すら見せない。ただ、僕が警察に疑われているみたい、という部分だけは目が少し揺らいだような気がした。
反対にカズハは学校の様子について教えてくれた。やっぱりこの殺人事件は結構大ごとになっているらしい。少なくとも僕らのクラスではこの話題で持ち切りだとか。
殺されたのは
もう一人の被害者も、思いのほか僕らと近しいところにいた。
「
僕らは違うが、刻水館中学校から進学してきた生徒はクラスにも多い。同級生に元担任、身近な人が一度に二人も亡くなったのだから、騒ぎになるのもわかる気がした。
「それで気になる噂を聞いたの。その望月先生なんだけど……死体で発見された時、頭部がなかったみたい」
「そっちもか?」
「え?」
「あ、いや……」
否応なく昨晩の死体を思い出す。胃から何か込み上げるような感覚がして、どうにかそれを押さえつけた。
「五十嵐の死体も頭がなかった」
同一犯だろうか。出かかった言葉を不安が邪魔をする。犯人はまだ捕まっていない。もし二度あることが三度あるとしたら……。
思わず今歩いている薄暗い道なりを見渡した。しとしとと雨がアスファルトを叩き続けていて、僕ら以外には出歩く人の姿はない。なんとも心細い気持ちになった。
「犯人、早く捕まるといいな……」
そう独り言のようにこぼすのが精一杯だった。
例えばカズハに向かって、大丈夫だ、君は僕が守る、とでも言えたらさぞ格好はついたんだろう。けれど、そんな不似合いな言葉はひとしきり頭の中でリフレインした後、力なくのどの奥の方へ引っ込んでしまった。
カズハは少しうつむいて、ずっと何かを考えているようだった。が、
「ユウ、あした世界の終わりがやってくる」
そんなことを突拍子もなく言った。まるで遠い親戚が遊びにくるぐらいの気軽さだった。
「……カズハ?」
でも、聞き間違いではなさそうだった。思わず足を止めた僕をおいて、カズハの歩調は変わらない。
「大地震が起こるとか、巨大隕石が衝突するとか、そういうのじゃないの。もっと根本的な終わり。世界を構成するあらゆるルールが力を失って
カズハは雨雲を見上げたまま片手で虚空をひょいとつまんで、そのままぺらりとシールでもめくるような動きをする。そして軽やかにこっちに向き直って言った。
「ねえ、そうしたら、ユウ……あなたはどうする?」
どうするもこうするも、まず君がどうしたっていうんだ。
普段から何を考えているかわからないところがあったけど、こんな言動をするような子じゃなかった。はっきり言って意味不明だ。
だけど、カズハの目は真剣そのもの。軽々しく否定したり、茶化したりする気にはなれなかった。カズハには何かが見えているのだろうか。困惑した僕のマヌケづら以外の、もっと別の何かが。
「よくわからないよ。そんな……世界の終わりだなんて、来るわけないじゃないか」
当たり前のことを当たり前のように答えたつもりだった。殺人事件があったとはいえ、今日もなんの変哲もない梅雨の空。だけどカズハは重ねて問いかけてくる。
「ユウ、そう言い切れるのはどうして? 昨日があって、今日があったからといって、明日があるとは限らないの。この世界はあなたが思う以上に
「……じゃあどうしたらいいのさ。仮に世界の終わりが来たとして、僕らにはどうしようもないだろ」
僕らはしばらく無言で見つめ合った。気まずい沈黙が雨音に塗りつぶされていく。
先に根負けしたのはカズハだった。
濡れたアスファルトに視線を落として、
「そう。……それがユウの答えなのね」
と独り納得したように呟くのだった。その目には悲しみが浮かんで、もう少しで溢れてこの雨のようにこぼれてしまいそうに見えた。
それを見せまいとしたのか、カズハはまたてくてくと前を向いて歩いていってしまう。
「あ、ちょっと待てって」
最初から最後までよくわからない。急ぎ足で横に並んだものの、カズハはもう言葉を交わすつもりはなさそうだった。
しばらく無言のまま歩いて、校門が見えてきた頃から下校する生徒とすれ違うようになった。さすがにこの時間の登校は目立つようで、物珍し気な視線を向けられる。
要するに、僕らは授業には間に合わなかったことになる。まあ僕らは授業のために戻ってきたわけじゃないけれど。
「そういえば、瀬尾先生は何て?」
事件のことばかりで肝心の用件を忘れていた。カズハも一瞬思い出したような顔をして僕を見る。
「ユウ、昨晩だけど、学校に来ていたりする?」
質問を返されてしまった。何か関係があるのだろうか。
「いや? 夜の学校なんて、来てないはずだけど」
「そう。ならいいけど……。一つはユウのことが心配で、単純に会って話したいんだと思う。もう一つは……たぶん、あれ」
校門に着いたあたりで、カズハがまっすぐ校舎を指さす。つられて視線を向けると、これといって特徴のない乳白色の横長の校舎に、いつもとは違う箇所があることに気付いた。
正面の昇降口からすぐ右の教室だ。窓ガラスが一箇所完全になくなっていて、テーピングで大きなバツ印が作られていた。外では赤いコーンが三つほど置かれている。そこから真上、最上階となる三階の教室もまた窓ガラスが割れているようで、同じく一つバツ印が作られていた。
手前には学校の創設者とされる銅像が置かれている。本来は志高く天を指差しているのだけれど、まるで割れた窓ガラスのことを怒っているように見えて、少しコミカルだった。
「何があったんだ?」
「わからない。今朝登校した時にはもうああなっていたわ」
「……事件とも関係あるのかな?」
実際、五十嵐が殺された公園はここからそんなに離れていない。
「さあ。別に学校で死体が見つかったわけじゃないし……。だけど、ユウが見つかった場所が結構学校から近かったから、瀬尾先生、少し気にしていたみたい。……何かわかる?」
説明を受けながら割れた窓のところをぼんやりと眺める。果実が虫食いにあったみたいで、見ているだけで気分が悪くなりそうだ。
「いや……」
どうだろう、と言いかけたところで、不意に名前を呼ばれた。昇降口の方からだ。
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