ある日常の終わり(四)

 灰色の分厚い雲の下をカズハと並んで歩いていく。まだ昨晩からの雨は弱いながらも続いていて、僕は手渡されたビニール傘をくるくると躍らせた。

 カズハも相変わらず気が回るものだ。しっかり二人分用意してくれていたあたり、抜かりがない。


 住宅街の合間を縫う慣れない道は、ようやく持ち主のもとに返ってきたスマホが案内してくれている。学校まで二十分ほどかかるらしい。

 これから学校に行くなんてとても億劫おっくうで、瀬尾せお先生の呼び出しとはいえ……いや、瀬尾先生だからこそ、最初は無視して家に帰ってしまおうかとも思っていた。だけど、調べてみたら僕が運び込まれた病院は学校を挟んで家とは正反対のところにあって、となると帰る途中で学校の近くを通るわけで、まあそれなら仕方ないか、という気にもなってくる。たぶん向こうもそこまでわかって言っているのだろう。


 道すがら、隣を行くカズハに病院での出来事を話してみた。同級生が殺されたというのに、いつものポーカーフェイスは崩れる気配すら見せない。ただ、僕が警察に疑われているみたい、という部分だけは目が少し揺らいだような気がした。


 反対にカズハは学校の様子について教えてくれた。やっぱりこの殺人事件は結構大ごとになっているらしい。少なくとも僕らのクラスではこの話題で持ち切りだとか。


 殺されたのは五十嵐いがらし修矢しゅうや、一年男子。クラスは違うが、名前は結構聞く方だ。悪目立ちする生徒とも言えるかもしれない。学年内での交友の広さは印象に残っている。


 もう一人の被害者も、思いのほか僕らと近しいところにいた。


望月もちづき聡一郎そういちろう刻中こくちゅうの先生で、中三の時に担任だったって子が私達のクラスでも何人かいたわ」


 僕らは違うが、刻水館中学校から進学してきた生徒はクラスにも多い。同級生に元担任、身近な人が一度に二人も亡くなったのだから、騒ぎになるのもわかる気がした。


「それで気になる噂を聞いたの。その望月先生なんだけど……死体で発見された時、頭部がなかったみたい」

「そっちもか?」

「え?」

「あ、いや……」


 否応なく昨晩の死体を思い出す。胃から何か込み上げるような感覚がして、どうにかそれを押さえつけた。


「五十嵐の死体も頭がなかった」


 同一犯だろうか。出かかった言葉を不安が邪魔をする。犯人はまだ捕まっていない。もし二度あることが三度あるとしたら……。


 思わず今歩いている薄暗い道なりを見渡した。しとしとと雨がアスファルトを叩き続けていて、僕ら以外には出歩く人の姿はない。なんとも心細い気持ちになった。


「犯人、早く捕まるといいな……」


 そう独り言のようにこぼすのが精一杯だった。

 例えばカズハに向かって、大丈夫だ、君は僕が守る、とでも言えたらさぞ格好はついたんだろう。けれど、そんな不似合いな言葉はひとしきり頭の中でリフレインした後、力なくのどの奥の方へ引っ込んでしまった。

 カズハは少しうつむいて、ずっと何かを考えているようだった。が、




「ユウ、あした世界の終わりがやってくる」




 そんなことを突拍子もなく言った。まるで遠い親戚が遊びにくるぐらいの気軽さだった。


「……カズハ?」


 でも、聞き間違いではなさそうだった。思わず足を止めた僕をおいて、カズハの歩調は変わらない。


「大地震が起こるとか、巨大隕石が衝突するとか、そういうのじゃないの。もっと根本的な終わり。世界を構成するあらゆるルールが力を失ってがれ落ちていくの。ほら、あの空の向こう……。あの空のすぐ裏で世界の終わりが待っていて、今も私達を見ているのかもしれない」


 カズハは雨雲を見上げたまま片手で虚空をひょいとつまんで、そのままぺらりとシールでもめくるような動きをする。そして軽やかにこっちに向き直って言った。


「ねえ、そうしたら、ユウ……あなたはどうする?」


 どうするもこうするも、まず君がどうしたっていうんだ。

 普段から何を考えているかわからないところがあったけど、こんな言動をするような子じゃなかった。はっきり言って意味不明だ。

 だけど、カズハの目は真剣そのもの。軽々しく否定したり、茶化したりする気にはなれなかった。カズハには何かが見えているのだろうか。困惑した僕のマヌケづら以外の、もっと別の何かが。


「よくわからないよ。そんな……世界の終わりだなんて、来るわけないじゃないか」


 当たり前のことを当たり前のように答えたつもりだった。殺人事件があったとはいえ、今日もなんの変哲もない梅雨の空。だけどカズハは重ねて問いかけてくる。


「ユウ、そう言い切れるのはどうして? 昨日があって、今日があったからといって、明日があるとは限らないの。この世界はあなたが思う以上にもろいもので、ふとしたきっかけでバラバラに崩れ落ちてしまうかもしれない。世界の終わりは、そこで待っているかもしれないよ」

「……じゃあどうしたらいいのさ。仮に世界の終わりが来たとして、僕らにはどうしようもないだろ」


 僕らはしばらく無言で見つめ合った。気まずい沈黙が雨音に塗りつぶされていく。


 先に根負けしたのはカズハだった。

 濡れたアスファルトに視線を落として、


「そう。……それがユウの答えなのね」


 と独り納得したように呟くのだった。その目には悲しみが浮かんで、もう少しで溢れてこの雨のようにこぼれてしまいそうに見えた。

 それを見せまいとしたのか、カズハはまたてくてくと前を向いて歩いていってしまう。


「あ、ちょっと待てって」


 最初から最後までよくわからない。急ぎ足で横に並んだものの、カズハはもう言葉を交わすつもりはなさそうだった。







 しばらく無言のまま歩いて、校門が見えてきた頃から下校する生徒とすれ違うようになった。さすがにこの時間の登校は目立つようで、物珍し気な視線を向けられる。

 要するに、僕らは授業には間に合わなかったことになる。まあ僕らは授業のために戻ってきたわけじゃないけれど。


「そういえば、瀬尾先生は何て?」


 事件のことばかりで肝心の用件を忘れていた。カズハも一瞬思い出したような顔をして僕を見る。


「ユウ、昨晩だけど、学校に来ていたりする?」


 質問を返されてしまった。何か関係があるのだろうか。


「いや? 夜の学校なんて、来てないはずだけど」

「そう。ならいいけど……。一つはユウのことが心配で、単純に会って話したいんだと思う。もう一つは……たぶん、あれ」


 校門に着いたあたりで、カズハがまっすぐ校舎を指さす。つられて視線を向けると、これといって特徴のない乳白色の横長の校舎に、いつもとは違う箇所があることに気付いた。


 正面の昇降口からすぐ右の教室だ。窓ガラスが一箇所完全になくなっていて、テーピングで大きなバツ印が作られていた。外では赤いコーンが三つほど置かれている。そこから真上、最上階となる三階の教室もまた窓ガラスが割れているようで、同じく一つバツ印が作られていた。

 手前には学校の創設者とされる銅像が置かれている。本来は志高く天を指差しているのだけれど、まるで割れた窓ガラスのことを怒っているように見えて、少しコミカルだった。


「何があったんだ?」

「わからない。今朝登校した時にはもうああなっていたわ」

「……事件とも関係あるのかな?」


 実際、五十嵐が殺された公園はここからそんなに離れていない。


「さあ。別に学校で死体が見つかったわけじゃないし……。だけど、ユウが見つかった場所が結構学校から近かったから、瀬尾先生、少し気にしていたみたい。……何かわかる?」


 説明を受けながら割れた窓のところをぼんやりと眺める。果実が虫食いにあったみたいで、見ているだけで気分が悪くなりそうだ。


「いや……」


 どうだろう、と言いかけたところで、不意に名前を呼ばれた。昇降口の方からだ。

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