帝都組~ その男、漢につき(真) ~

「あ……う……」


 あんぐりと口を開け、声にならない声を上げるキョウスケ。


 驚きのため目一杯に開かれたそのつぶらな瞳に映る、地面をえぐるように穿った大斧。


 舗装された石畳を破壊し、茶色い土がむき出しになったところに突き刺さるその一本の斧が、どこか象徴性を帯びて見えるのはキョウスケの気のせいだろうか。


 自分の迷いや弱さを根元から断ち切ってくれる力強さ。


 いつまでも未熟な心と、あらゆる面で中途半端なままの覚悟に喝をいれてくれる厳しさ。


 そして使い手の男が持つ、どこまでも深くて歪みのない大きな度量。


 そんなものが、その大振りで無骨な金属の塊にはギッシリと詰め込まれているような気がした。


 「やはり、まだ迷うか?ヒイラギ?」


 大きな背中は、前を見据えたままキョウスケに語り掛ける。


 「無理もない。殴れば傷つき、斬られれば傷つけられる初めての実戦。汗と火薬と血と死の香ばかりが立ち込める初めての戦場。向けられる初めての敵意と殺意。……貴殿のように雰囲気に飲まれてしまう新参兵を吾輩は多く見てきた」


 「…………」


 「怖かろう?嫌であろう?逃げ出したいであろう?……わかる。わかるぞ、ヒイラギ。痛いほど貴殿の気持ちはわかる。当たり前だ。これほど死や暴力に近しい場所などそうあるわけではないからな。こればかりはどんな過酷な訓練を重ねたとて易々と克服できるものではない。……そう、一度、本物の『死』をその身で体験したことのある貴殿ならば尚更のこと。与える死に、与えられる死……その恐怖も嫌悪も逃げ出したいという想いもひとしおであろうな、ヒイラギ?」


 キョウスケの弱気がはやる胸の内を見透かすように。


 心に渦巻く不甲斐のないあれやこれやを暴き立てるように……。


 「かく言う吾輩とて初陣の際は、今の貴殿よりもはるかに情けのない姿、醜態を晒したものだ。ラ・ウールの平和のため、仕える国王陛下の身を守るためという志は誰よりも高い自信があった。ひたすら修練に時間を費やし、誰にも負けないだけの戦う力をつけたという自負があった。……だが、何もできなかったよ、ヒイラギ。同じ騎士団の先輩や同僚たちが果敢に魔獣へと向かっていくその中、吾輩は恐怖に飲まれ、死の予感に嫌悪し、逃げ出したくともその逃げる足に力を入れることもできず、その場に立ちつくして震えていた。…………だからわかるぞ、ヒイラギ。本当に本当に、貴殿の今の心情が手に取るようにわかる。なあ、ヒイラギよ?」


 お前は何も間違ってはいないと優しく肩を叩くように。


 何も特別なことはないのだと励ますように。


 その背中は何度もキョウスケの名前を呼び、そしてなおも語る。


 「だから、ヒイラギよ。……ここで降りてしまってもよいのだぞ?」


 「っ!!」


 「アル坊も言っていた。ベルベットも諭していた。貴殿にはこの場に縛り付けられるようなしがらみは何もない。ここまで来ておいて放り投げるのかと、所詮はその程度の覚悟しかなかったのかと、貴殿を責め立てる筋合いなど吾輩はもちろん、誰にもあるわけがない。もしもだ、ヒイラギ。そんな罵声を浴びせかける者がいるとしたら吾輩に言ってくれ。ここまで吾輩たちの事情に付き合ってくれた貴殿に対し感謝こそすれ、そのように狭量で浅ましく、見当違いなことをのたまう輩は吾輩がこの拳でもってその腐った性根を叩きなおしてやるゆえにな。がっはっは!!」


 「っ!!」


 「……去るか?ヒイラギよ?」


 「ギャレッツ……さん……」


 うつむくキョウスケ。


 「手を止めるか?足を止めるか?ヒイラギよ?」


 「僕は……僕は……」


 歯を食いしばるヒイラギ。


「わかっている。貴殿の無念、貴殿の屈辱を吾輩はわかっているぞ、ヒイラギよ」


 「僕は……っつ!!……ぼ、僕は!!」


 思い切り拳を握り混むヒイラギ。


 「わかっている。本当にわかっている……」


 止まるべきだと必死に訴える想いと、進むべきだと押し出してくる想い。


 同じだけの力で引っ張り合い、せめぎ合い、揺れ動く心を表すかのようなそのキョウスケの握りこぶし。


 穏やかな日常生活でも、思い描いた空想の世界の中でも。


 ついぞ経験のしたことのない同率・同等の感情同士のせめぎ合い。


 張り裂けそうな胸。

  弾け飛びそうな頭。


 潰れそうな拳。

  焼き切れそうな思考。


 答えなど出ない。

  落としどころはない。

   ゴールなど見えない。


 かつての柊木京介では味わったことのない、ヒイラギ・キョウスケの真剣な葛藤が、彼の小さく丸くなってしまった体をガッチリと捕らえ、固まらせてしまう。


 「……だがな……吾輩は許さんぞ、ヒイラギ!!!」


 「え?……」


 響く一喝。


 それまでの力強くもどこか優しい声とは打って変わり、厳しさしか含まない野太い声に、キョウスケは思わず下を向いていた顔を上げる。


 そこには相も変わらぬ大きな背中。


 しかし、より威圧的なオーラが増したような気がして、キョウスケにはその背中がさらに一回りも二回りも大きなものに見えた。


 「吾輩は許さん!!そのような男にあるまじき脆弱な考えなど吾輩は許さん!!」


 「っつ!!」


 「それだけの力を持ちながら何が恐怖だ!!それだけの覚悟を持っていながら何が嫌悪だ!!貴殿を迷わせ、立ち止まらせているその恐怖や嫌悪と同じだけの崇高な志があるからこそ、貴殿はこうやって葛藤しているのだろうが!?どうして貴殿はここにいる!?どうして貴殿は剣を振るった!?アルル姫殿下が、ベルベット副団長が諭した時にどうして貴殿は逃げなかったのだ!?いくらでも機会はあった!!いくらでも引き返すことはできた!!……それでも貴殿はここにいる!!戦場の真ん中、敵陣の真っ只中、貴殿はその二本の足で立っている!!地を踏みしめている!!」


 「だ、だって……」


 「そもそもが、本来であるならば貴殿の操舵する装甲列車で第三門まで一息に抜ける予定であったはずだ!!それがどうだ!?貴殿の躊躇いのため、迷いのため、このような中途半端な位置で停止し、おかげで余計な戦闘まで行う羽目になったのではないのか!!??」


 「っぐ!!」


 「……迷っている場合などではないぞ、ヒイラギ。兵士ならばそのような葛藤など戦の前にかき捨てにしなければならん。戦士ならば雑念も邪念も払いのけてから戦場に立たねばならん。そのような迷いのある剣で切り伏せられ、そのような惑いのある力で弾き飛ばされたとあればなんと敵軍の兵に失礼なことか。兵士としても戦士としても人間としても弱い、このような半端者に己は負けたのかと、相手は侮辱すら感じるであろう。たとえ敵と味方に立場が分かれていても、同じ戦場に降り立った勇猛なる兵にそのような最低限の敬意も払えない痴れ者が吾輩の軍にいるのだと思うと虫唾が走る。……覚悟や志などはどうでもよい。即刻この場から去れ!!この愚か者がぁぁぁ!!!!」


 「っっっっく!!!!」


 再びの一喝にキョウスケの身がすくむ。


 理不尽と言えば理不尽な話だ。


 彼の迷いを理解できると言いながら、その実、まったく理解しようとしない。


 彼の躊躇いを認めると言いながら、決して認めようとはしない。


 どれだけ強大な力を秘めていても所詮は十代の素人。


 どれだけやる気はあっても所詮は国にも国王にも縁の少ない異世界人。


 兵士でも戦士でもないただの流れに流されただけの元・高校生の十七歳。


 この戦いに参加する意味はない。

  ラ・ウールのために協力する意義もない。


 わかっている。

  わかっている。

   すべての事情をわかっている。


 逃げ出したところで責めはしないというのは男の本心であったし、実のところ此度の戦争に参加させたくはなかったというのが男の内心でもある。


 わかっている。

  わかっている。


 わかっていながら、それでも男は言う。


「……なぁ、ヒイラギよ……」


 わかっていながら、それでも男はキョウスケの名を呼ぶ。


「それでも、貴殿はその程度の小さな男ではないと、吾輩は思っている。いや……信じていると言った方が正しいか……」


「信じ……て?……」


「信じている。死が怖い。殺すのが怖い。傷つけるのが怖い。……そういったどこまでも人間らしい、優しさ以前に、人が当たり前に持った倫理観を失わない貴殿のことを。……そしてそのような倫理観を持った上で貴殿らしい戦い方を見つけ、我が愛すべきラ・ウール王国のために力となってくれることを、吾輩は信じている」


 「僕らしい……戦い方?」


 「うむ。……まぁ、色々と厳しいことも言った。貴殿にとっては甚だ面白くない理不尽なことも言った。だが、ようするにだ、ヒイラギ。吾輩が言いたかったことは一つ……」


 そこで背中がようやく首だけで振り返り、キョウスケを真っすぐに見据える。


 相も変らぬ大きな体、相も変わらずモジャモジャとした褐色のヒゲ面。


 ……そして。


「……そろそろ、本物の『漢』になってみないか?」


「ぎゃ、ギャレッツさん!!!!!」


 相も変らぬ大きく大きく破顔した、ギャレッツ・ホフバウワー……理不尽も矛盾も非難も倫理もただの男気のみで力任せに押し込み封殺せしめる、真の『漢』の笑みがあった。


「さてと……」


 ガコン、と地面から斧を引き抜いてから肩に乗せ、ギャレッツはまた正面に向き直る。


 「聞けい!!誇り高きラクロナ帝国軍の兵士たちよ!!」


 そしてそのまま、朗々と謳いあげる。


 「我こそはラ・ウール王国王室近衛騎士団団長にして、反帝国組織『革命の七人』討伐連合軍西方部隊司令代理、ギャレッツ・ホフバウワー!!此度はラクロナ帝国総督府、ひいては『光玉宮こうぎょくきゅう』に可及的用向きがあるゆえ、馳せ参じた次第である!!」


 それは戦場の混乱と喧騒の中にあってもよく響く、猛々しい声。


 それは近くで交戦中だった帝国・討伐の両軍が思わず剣を交える手を止めてしまうほどに、耳にも心にも訴えかけてくる勇ましい声。


 「まずは唐突で、少々荒々しい手段による訪問の非礼と無礼について素直に詫びさていただく!!一国の王に忠誠を誓う騎士として、一人の人間として不作法極まりない恥ずべき我が振る舞いに、ただただ汗顔の至り!!平に、平にご容赦いただきたい!!!!」


 「…………」


 キョウスケもまた、ジッとギャレッツの言葉に耳を澄ます。


 「批判はもっともだ!!非難はもっともだ!!糾弾の声、断罪の声、その他も諸兄らの内に抱えるあらゆる不満も憤懣も甘んじて受け入れよう!!元をたどればすべてこの身……このギャレッツ・ホフバウワーの至らなさが招いたことである!!責め苦を負うべきはただ我がこの命のみ!!もしも、それを差し出すことで諸兄らの留飲が下がると言うのならば、いくらでもこの首をはねるがいい!!それでも収まりがつかないと言うのならば、いくらでもこの身を切り刻み、この命を蹂躙し、気が済むまで尊厳を踏みにじってもらっても一向に構わない!!……だが、一つだけお頼み申す!!すべては我が使命を終えた後……吾輩がこの一命を賭してまで成し遂げねばならぬ使命を果たすまで待っていて欲しい!!!」


 「……ラ・ウール王国のギャレッツ・ホフバウワー、か……」


 「む!?」


 ビリビリと、空気さえ震わすように弁ずるギャレッツの前に、帝国軍の陣営から一人の壮年の男が一歩、また一歩と踏み出してくる。


 「≪暴虐熊≫の異名通り、なんとも身勝手な主張と暴れぶりだな」


 「貴殿は?」


 「私はラクロナ帝国軍第一中央近衛部隊所属、ロジャー・クレベリン中佐だ。貴様らのように予告もなしに『光玉宮こうぎょくきゅう』へと突然、逆賊が攻め入ってきた際の戦闘では一個大隊の指揮を任されている」


 「お初にお目にかかる、ロジャー・クレベリン中佐。なるほど、『光玉宮こうぎょくきゅう』への侵攻があった場合に備えてあらかじめ配置を決めていたということか。……失礼を承知で言わせてもらうが、その割には随分とまごついていたように見受けられるが?」


 「ふっ……お恥ずかしい限りだ。その皮肉に対して本来は反論をしなければいけないところなのだろう。……しかし、言い訳はしないよ」


 男は本当に恥ずかしそうに、悔しそうに、苦笑いを浮かべる。


「これが帝国軍のありのままの現状だ。惰性的な訓練、形だけの軍議、言葉だけの愛国心……まともな実戦経験もないくせに、ラクロナ軍に敵などいないという根拠のない慢心ばかり高くて志の低い……貴殿の先ほどの言でいうところの、痴れ者と愚か者ばかりだ。なんとも嘆かわしい……」


 クレベリン中佐の自虐的な物言いに、次々と顔を伏せ、目を逸らす帝国軍人たち。


 自分でも他人でも、各々に心当たりがあるものばかりのようだ。


 「そんな帝国軍の体たらくを一喝しにわざわざご足労頂いたというわけではあるまい?話せ、ホフバウワー殿。剣を交える前に、我々はまだ話し合う余地があると思うのだが?」


 「かたじけない、クレベリン中佐。貴殿の聡明さに感謝する」


 「腐ってもラクロナ帝国……いや、ラクロナ大陸の中枢である『光玉宮こうぎょくきゅう』を土足で踏み荒らそうというからには、もちろん、それに見合うだけの理由があるのだろうな?」


 「うむ。端的に言おう。現在、皇帝陛下ならびに我が主君であるラ・ウール十三世国王陛下他二国の王がこの『光玉宮こうぎょくきゅう』において賊軍の手に落ちている」


 「……ホフバウワー殿。初対面とはいえ、貴殿がここにきて冗談や虚言を吐くような愚かな人物ではないと私は思いたいのだが?」


 「貴殿が今の言葉が冗談や虚言ではないと判断できる冷静さと頭の良さを持った人物であると吾輩は思っている」


 「……そのような世迷言、私が信じると?」


 と、疑わしさ満載の言葉を吐きながらもクレベリン中佐は、背後の兵士数名に手信号で指示を出し、宮廷内に向かわせる。


 「貴殿の言を裏付ける証拠は?」


 「こちらから示すことのできる証拠はない。詳細を語っている時間もまたないが、我々は只今、反帝国組織『革命の七人』からの宣戦布告を受け、目下戦争中なのである」


 「『革命の七人』……戦争……ますます話が見えん」


 「やはり、貴殿ほどの立場の者にさえ此度の戦争について知らされてはいないか」


 「ああ、そうだな。私よりも上の階級の者もこの場にはいるが、一切、戦争だの『革命の七人』だのという単語は軍議でも上がらなかった。……我々が受けた命は唐突に攻め込んできた賊を速やかに排除しろというものだけだ」


 「では、その命令を下したさらに上の立場のものは?」


 「それは『光玉宮こうぎょくきゅう』内の軍司令部に……」


 「大隊長!!」


 そこで『光玉宮こうぎょくきゅう』へと向かったはずの兵士が血相を変えて戻ってきた。


 「きゅ、宮内へ入ることができません!!!」


 「なんだと!?」


 「第三門……いえ、門だけではなく他の通路の扉も固く閉ざされビクともしません!!」


 「宮内の者との連絡は!?」


 「できません!!どうやら第三門を中心に強力な魔術が施されており、人も通信も……とにかく門の外と内が完全に隔絶されています!!」


 「……締め出された……か」


 先ほど、自軍の有様を嘆いた時よりも、より苦々しい表情を浮かべるクレベリン中佐。


 「……本当に、何がなんだかな……クソ……」


 「中佐殿」


 「一応、尋ねさせてもらうがホフバウワー殿。貴殿らの仕業、というわけではないのだな?」


 「うむ。我が主君への忠誠に誓って」


 「ふっ……神ではなく主君たる国王に誓うというか。……仕える王、仕える国にそれだけの忠誠をよせている帝国軍人が一体何人いるだろうな。……私も含めて」


 「その互いの主君の命がかかっている。まだ事情をすべて呑み込めているわけではないと思うが、どうかここは吾輩を信じ、すべての兵を退いて行かせてはもらえないだろうか?」


 「……私にその権限はないよ」


 「で、あろうな」


 「そしてその権限を持つものは門の内。……これでも軍人。上の命令なくして動くことはできない。そして命を受けたのは貴殿らの排除。決して『光玉宮こうぎょくきゅう』に近づけてはならないということのみだ」


 「もちろん、理解している。……だが、吾輩も退くわけにもいかない。争わなくてもいいはずの貴殿ら帝国軍を一人残らず殲滅してでも我々は押し通らなければいけない大義があるのだ、クレベリン中佐殿」


 「……やれやれ……」


 本当に疲れ切ったように『やれやれ』とこぼすクレベリン中佐。


 「すまないな」


 そのやるせない溜息に、日頃から迷惑ばかりかけてしまうどこかの眼鏡の才女を思い出さずにはいられないギャレッツ。


 「……ギャレッツさん……」


 そして、敵前の前に一人さらされたとしても堂々とした佇まいを崩さず、一歩も引かない漢の背中に、ただただ見惚れていたキョウスケ。


 「すごすぎっるす……」


 「……どうだ、ヒイラギよ?このクレベリン中佐殿のように、真の『漢』というのは時に道理や良識を無理矢理に引っ込めてしまうだけの熱い魂を有した者のことを言うのだぞ?」


 「貴殿には負けるよ、ホフバウワー殿。私など……腐敗し、それでも栄華にばかりしがみついて腐った部分に金箔を貼って誤魔化しているだけの帝国の姿を、ただ眺めることしかできない弱い男だ」


 「それでも、その腐敗を本気で嘆くことができる分、貴殿はやはり逸物なのである」


 「……この騒ぎの元凶、『革命の七人』と言っていたな?……もしも本気で帝国の明日を憂いていた逸物であるというのなら、それはおそらくデレク・カッサンドラにこそ相応しい。ヤツほどにこのラクロナ帝国を愛していた者はいなかっただろうな。……たとえその想いが逆賊のそしりを受けていたとしても、な」


 「中佐殿は面識が?」


 「……アレが軍人として一歩を踏み出した時、私はアレの配属された部隊の上官だった」


 「なるほど……」


 「ヤツはここにいるのだろうか?そして相も変わらずの帝国軍を、どんな気持ちで眺めているだろうか……」


 「おそらくここにはいない。悪党の首領らしく、奴らのアジトで相も変わらず己の『正義』をひたすら信じているのであろうし、そしてやはり吾輩をはじめ、帝国を『悪』と断じているのだろう」


 「……どこまでもお前らしいよ、デレク……」


 そう呟き、ひたすら『正義』に燃えていたかつての部下を想って一瞬だけ目を細めたクレベリン中佐が通信兵と伝令係の兵に短く命令を伝える。


 そして、自ら率いる隊に向けてあれこれと手早く指示を与えた後、もう一度ギャレッツの方へと向き直る。


 「いいか、ホフバウワー殿?あくまでも我々は受けた命令を忠実に遂行する。つまりは貴殿ら賊軍の侵攻を全力で阻む。ここは抜かせんし、やられはせん。……しかし、なにせ練度の低い兵ばかり、どうしたって穴は開いてしまう」


 「うむ」


 「そ、それって……」


 「だから貴殿らは、そんな穴を巧みに突き第三門までたどり着く。……どうやら何故だか固く閉ざされてしまっているが、それでも貴殿らは門を抜け、『光玉宮こうぎょくきゅう』へと至りついてしまう。……私が通したわけではない。あくまでも貴殿らがその足、その手でもって活路をこじ開けたにすぎん」


 「……誠に……誠にかたじけない」


 全力で頭を下げるギャレッツ。


 「頭を上げてくれ、ホフバウワー殿。他でもない、貴殿が言うトコロの……その『漢』がこの帝国軍の道理や良識を無理矢理に引っ込めてしまっただけの話だ」


 「中佐殿……」


 「あ、あの!あ、ありがとうございます!!」


 キョウスケもまた、ギャレッツに従って深々と頭を下げる。


 そんな彼の姿に、どこか懐かしそうな笑みを浮かべてクレベリン中佐は言う。


 「貴様は……これが初陣か?ラ・ウールの兵士よ?」


 「は、はい!!」


 「先ほどの戦いを見ていたが、面白い人材を抱えているな、ホフバウワー殿よ」


 「したり。まだまだヒヨっ子もヒヨっ子。ようやく卵の殻を割り始めたくらいの未熟者であるがな、がっはっは!!」


 「名は何という?」


 「は、はい!!ヒイラギと申します!!」


 「では、ヒイラギ。貴様からすれば敵軍に当たるわけではあるが、同じ一人の軍人として言わせてもらう」


 ポン、とキョウスケの肩に置かれる無骨な手のひら。


 「何か戦場にて迷う時があるのならば、彼の背中だけを見ていろ。教書にはない、言葉では語ることができない。その生き様と在り様でしか伝わらない大切なモノがきっと貴様を奮い立たせてくれるはずだ。……私がヤツにはついぞ示すことが叶わなかったモノがな」


 「は、はいっす!!!!」


 「……良い上官を持ったよ、貴様は」


 「いいえ、上官じゃないっす!!」


 「ほぉ」


 「ギャレッツさんは……団長は、僕の師匠っす!!」


 「なるほど、師匠か。それはいいな、はっはっは!!」


 「ヒイラギ……」


 「では、ヒイラギ。貴様の恥は師匠の恥だぞ。それだけは肝に銘じておけ!!」


 「らじゃっす!!」


 「なんだ、その気の抜けた返事は!!ふざけておるのか、貴様!?」


 「あ、す、すみません……」


 「中佐殿の方がよほど上官らしいのであるな、がっはっは!!」


 これらのやり取りを身近で聞いていた帝国・討伐両軍の兵からも笑いが起きる。


 まるで戦場の只中にいるとは思えない明るさと朗らかさ。


 それは、見渡す限り男だらけの甚だムサ苦しい空間にあって、おそらく女には永遠に理解することは出来ないであろう『漢』という不文律が起こした、なんとも野太い笑い声の合唱だった。

 



 「……いけるな、ヒイラギ?」


 そして帝国軍の隙のない包囲網にできた穴をかいくぐり、そびえ立つ第三門の面前までたどり着いた影が二つ。


 「……はい。もう……大丈夫っす……」


 かたや熊のごとき大きな影。

  かたや子豚のごとき小さな影。


 遠目でなくともデコボコな人影が二つ、並び立つ。


 「僕は僕なりの戦い方……僕が僕にしかできないやり方で王様を助け出します」


 「うむ、良い目になった。中佐殿の叱咤激励が効いたようであるな?」


 「……そうっすね。こんな体育会系なノリ、初めてで戸惑うことばかりだったっすけど。……おかげで思い出すことができたっす。僕も男だったんだなってことが」


 「吾輩は知っていたぞ、ヒイラギ。貴殿の中で脈打つ確かな『漢』をな」


 「僕は知らなかったす。こんなに、自分が熱くなれるんだって。……もう、色んなことに開き直れるくらいにたぎることができるなんて」


 「だが、忘れてはいかん。貴殿の死や殺しに対する忌避感。それもまた大きな武器になるのだと」


 「……はい。忘れることはできないっす。僕はやっぱり≪現世界あらよ≫の人間。あの平和な世界で培ってきたこの常識はもうはぎ取ることはできないっす。……死んでしまった時の、あの恐さや寒気、忘れることは絶対にできないっす。……だから……」

 


 ブシュゥゥゥゥ……



 詠唱もなければ、力んだ様子もなく。


 いつの間にかキョウスケの手には光剣が握られていた。


 「だから、僕は絶対に誰も殺しません。極力傷つけることだってしません。……それがギャレッツさんの言う『漢』。色んなモノを踏みにじってもなお自分を押し通すことができる強さなら、僕にとってはこの不殺ころさずがそれに足るモノだと思うっす」


 「うむ。それでいい。それでいいのだ、ヒイラギよ」


 「そして……その不殺ころさずには、ラ・ウールの王様にお姫様に仲間たち、国民の皆さんも含まれるっす。……割と安易なヒーロー感なんすけど、世界中の人々を守るほどの力はなくても、せめて身近にいる人たち……僕の手の届く範囲の人たちの命だけでも、守りたいっす」


 「……改めて謝らせてくれるか、ヒイラギ?」


 「ギャレッツさん?」


 キョウスケはチラリと横に視線を送る。


 「吾輩たちの都合に巻き込んでしまったこと……吾輩たちの力不足によって貴殿を戦場へと駆り立ててしまったこと、もう一度だけ謝らせて欲しい。すまなかったな……」


 「言いっこなしっすよ、ギャレッツさん。そもそも一度は死んで、リリーたんに拾われた命。そのリリーたんが協力しているんっすから、下僕の僕が付き従うのは当然っすよ」


 「そんな始祖様の姿が先ほどから見えぬのだが……まぁ、かの御仁であるならば、何某かの深い考えのもとで動いているのだろう」


 「……っすね。本当なら僕の活躍を近くで見て、見直して欲しかったんっすけど」


 「なに、吾輩がいるではないか」


 「見届け人がヒゲ面の漢だけっすか……」


 「不服か?」


 「……いえいえ……」



 ブブブブブブブゥゥゥゥゥゥンンンンン!!!!!



 出力が増す光剣。


 その大上段に構えた光の刃がグングンと長く、太くなっていく。


 「師匠が見ていてくれるのなら、これ以上に嬉しいことはないっす!!」


 「うむ!!それもまた『漢』である!!」

 


 ブブブブブブブゥゥゥゥゥゥンンンンン!!!!!!

  ブブブブブブブゥゥゥゥゥゥンンンンン!!!!!!

   ブブブブブブブゥゥゥゥゥゥンンンンン!!!!!!



 どこまでも伸びる、伸びる、伸びていく刀身。


 それは身の丈を越え、石壁を越え、門を越え……。


 朝が近づき、遠く白み始めた空さえも穿つのではないかというほどに太く伸びていく。


 「これが僕の……覚悟っだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 もはや、そのド級の超大さに剣などという形状は当てはまらないだろう。


 ……それは、一筋の光の柱。

  ……それは、一閃の神の雷。


 ……それは……。


 「ぶちこわせぇぇぇぇ!!我が一番弟子よぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 「柊木圓明流終段!!最終究極奥義・漢の花道ロード・オブ・アニキぃぃぃぃぃ!!!!!


 それは真の『漢』へと続く一本の花道。


 その暑苦しくも美しき道を歩み始めたキョウスケがあらん限りの叫び声を上げて振り下ろした光剣が……。



 ドガシャラァァァァァァァァァァァァンンン!!

  バギャゴヴァァァアァァンンン!!

   ガラガラガラガラガラガラガラ!!


 

 『光玉宮こうぎょくきゅう』を守る最終防衛ライン、第三門を真っ二つに切り裂く。


 その圧倒的な出力、その破天荒な輝き。

  その強引なばかりの理不尽さ、その突き抜けた暴虐さ……。


 戦うことをやめて成り行きを見守っていた兵士たちのすべてが、キョウスケの放った覚悟と決意の一撃に唖然とし、もたらされた結果に呆然とした。


 厄災だ嵐だ神々の喧嘩だと、散々思って諦めていた最初の戦い。


 その時の驚きなど悠々と超えていくほどの驚愕に、もう誰もかれもがただでさえ萎んでいた戦意を一気に失った。


 ああ、あんなモノを倒そうと戦っていたのか、と。

  ああ、あんなモノと一緒になって戦っていたのか、と。


 ヒイラギ・キョウスケの男気は第三門だけではなく、当初5万対6千の兵士による激しいぶつかり合いが起こるとされた帝都戦線すらも完全に両断してしまったようだ。


 「あっぱれだ!!ヒイラギ!!!!」


 「うっす!!」


 計らずも己が掲げた不殺の精神のまま。


 ある意味で戦争の一端を終結させたキョウスケは、ただただ師匠と仰ぐ『漢』が頭をガシガシと乱暴に撫でながら褒めてくれるのを、嬉しそうに受け入れるばかりだった。





 ―― 本当に……面白いな、ラ・ウールという国は…… ――


 クレベリン中佐は、本来ならば死守すべき第三門が崩れ行くさまを、いっそ清々しいくらいの気持ちで眺めていた。


 暗黙のうちに第三門の前まで通したのはいいが、まさか、こんな力業で閉ざされた門をこじ開けるとまでは想像していなかった。


 本当に面白い。


 彼らならばもしやすると、どうやら囚われの身にあるらしい皇帝陛下の救出だけではなく、腑抜けたこの帝国という国の在り方そのものさえも救ってくれるのかもしれない。


 そう、思った中佐ではあったが、同時にまだ疑念も残っている。


 ―― それでも未だ『光玉宮こうぎょくきゅう』にて何が起こっているかはわからない。……誰が何のために門を封じた?あの命令を出したのは誰だったのだ?宮内の様子は?……デレク・カッサンドラ……あの誰よりも帝国を愛し、そして憎んでいた男の最終的な目的とは一体?  ――


 「……ん?」


 良く回る頭を回しながら、見るともなく見ていた第三門の崩壊。


 その土煙がようやく落ち着いてきた頃に、クレベリン中佐の目に新たに映るものがあった。


 「……あれは……」





 「……第三門、突破されちゃいましたね、アーガイルさん?」


 「……うむ……」


 「い、いよいよ、僕たちの出番ですか……」


 着実に近づく朝の気配。


 戦場から戦意とともに夜の気配が抜けていき、うすボンヤリと見えてきたのはそんな会話を交わす二つの人影。


 「……始めるぞ、モリグチ。……すべては革命の名の下に……」


 「はい!!」


 ……そう、帝都・ラクロナでの戦争は……まだ、始まってもいなかったのだった。



              ☆★☆★☆



 そして、同刻。


 「うふふ♡♡」


 「…………」


 ギャレッツたちにとってはようやく開かれたばかりの『光玉宮こうぎょくきゅう』の最奥、いわゆる皇帝が座する玉座の間においては……。


 「イイざまね、お嬢ちゃん??」


 「…………」


 体中を床から生えた鉄杭に貫かれてピクリとも動かない黒衣の幼女と。


 豊満な体躯を仰け反らせながら愉悦に浸る妙齢の痴女との戦いが。




 いままさに終わったところであった。


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