第七章・囚われの姫君~ ICHIJI‘S view① ~

 「……ではこんなところでございましょうか」


 そう言って、仕上げとばかりにポンと一つ俺の尻を軽く叩いたのは、ラ・ウールの王宮に仕えるメイドさん。


 「とりあえず最低限の格好だけはつけましたが、あくまでも最低限、あくまでも上辺の格好だけであることを努々ゆめゆめ勘違いなさってはいけません」


 「……はい」


 メイド……というごくごく局地的な一部方面の方々にとっては過剰な反応を示してやまない水蜜桃のごとき甘美な響き。


 ……けれど、今の俺が感じているのは、ただただ恐縮……もしくは萎縮。


 「姿勢が良いのは大変結構です。しかし、いささか固い。その固さが歩き方にまで現れてほとほと優雅さに欠けてございます。食事のマナーも一見すると無難にこなしているようには見受けられますが、どこかお仕着せであり、ぎこちない。要所要所で意味は理解しているのでしょう。所作自体も申し分ございません。しかし、本来、出された食事を最大限に楽しむために考案された作法であるにも関わらず、その本末がまるで反映されていない。端的に言って少しも美味しく味わっているようには見えないのでございます」


 「……えっと……」


 「そして何より、目つきが悪うございます」


 「…………」


 「なんでしょう?その死んだ魚のような目……というより死んで腐った魚の眼窩がんかのような目は?」


 「それってもう、眼球なくなって空洞なんじゃ……」


 「さようでございます」


 「さようでございますか……」


 「ともかく、姫様の隣に立つには、ずばり、不合格でございます」


 「……さようでございますか」


 俺の育ちの悪さを一目で見抜き、ピシャリと言ってのけるメイドさん。


 おそらく40代の後半から50代半ばくらいの年齢。


 潤いがなく、触れただけで簡単に折れてしまうのではないかという痩身に見合うこけた頬。


 ただ見た目の枯れ具合からはまったく想像がつかない矍鑠かくしゃくとしたバイタリティに溢れた鋭い眼光。


 さしずめ、フリルのついた可愛らしい服を着た老獪なガイコツに手厳しいお説教を受けているパッとしない三十路男、という絵面は、メイド在に飽くなき希望と果てなき夢を重ねる多くの者に、現実なんてこんなものさ、とまざまざに見せつけることになるんだろう。


 「お言葉ではございますが、わたくし、まだ矍鑠かくしゃくだとか老獪などと形容されるほどに歳は重ねておりませんし、仮にも女性をガイコツ呼ばわりなど紳士にあるまじき所業かと存じあげます」


 「心を読まないでください」


 「メイドの嗜みにございます」


 「……なるほど」


 「そして、納得もしていないのに『なるほど』と言ってなぁなぁにやり過ごそうというその癖、あまり感心できたものではありません。粛清しますよ」


 「……矯正とかじゃなく?」


 「冗談でございます」


 「……なかなか愉快な性格してますね?」


 「愛嬌はメイドの嗜みにございます」


 「……なるほ……」


 「粛清です」


 「…………」


 「メイドの嗜みにございます」


 「…………」


 「メイドの、嗜みに、ございます」


 「…………」


 なんだか知らないけれど、その一言には俺に二の句以上の言葉を継がせる気力を封殺せしめるほどの威圧感があり、何よりも有無も言わせぬ説得力があった。


 メイドの嗜み……かつてこれ程までに万能性かつ全能性を内包する言葉があっただろうか。


 もう、とりあえずそれさえ言っておけば、どんな無茶苦茶も不条理もたちまち許される気がしてしまう。


 「えっと……メイド長さん?でしたっけ?」


 「はい。若輩の身なれど、ラ・ウール王室傍仕えのメイド、その長の誉れを国王陛下から賜ってございます」


 「若輩……」


 「何か?」


 「あ、また冗談ですね」


 「いえ、まったく」


 「…………」


 「何か?」


 「……ちなみに武芸の心得とか戦闘のご経験などは?」


 「嗜む程度にございます」


 「ちなみに若かりし頃に大恋愛のご経験は?」


 「嗜む程度にございます」


 「ちなみに魔法幼女の弟子がいた経験は?」


 「嗜む程度にございます」


 「え?あるの?」


 「冗談にございます」


 「……ちなみにご趣味は……」


 「わたくしのことになど興味を持たれるお暇がございましたら、少しでもアルル姫様に相応しい殿方としての振る舞いを身に付けてはいかがでしょうと及ばずながら進言させていただきたくございます」


 「……はい、ごめんなさい……」


 なんかどこかの眼鏡才女ともこんなやり取りをしたことがあったような気がするけれど、ホント、我ながらちゃんとした大人には滅法弱いようだ。


 ……粛清こわい。



 それからメイド長は慇懃に頭を下げてこの客室から出ていった。


 彼女が去ると、部屋の空気があからさまに軽くなる。


 それはただ人一人分のスペースが空いただけというには到底あり得ないほどの質量の変化。


 枯れ木のごとき痩身の女性一人が担っていいほどの存在感ではなかった。


 それもまた……メイドの嗜みというやつなんだろう。


 「……ふぅ……」


 なんだかどっと疲れた。


 容赦のない言葉攻めと終始こちらを見定めようとする視線にだいぶ精神を削られたような気がする。


 「…………」


 音など一切立てず閉められたドアを見るともなく眺める。


 なんとなく、愚痴の一つでも零そうものならすぐさまそのドアが開かれて『粛清、お入り用でしょうか?』などと顔を出しそうで本当に怖い。


 だから俺はそのままドアから目線を逸らし、部屋の中にいたもう一人の人物の方へと向ける。


 「振られちゃったよ、ゼノ君」


 「あん?……ああ、ざまぁねーな」


 一度は俺の命を狙った暗殺者であり。


 今は討伐軍のラ・ウール分隊の同志であり。


 かつての世界の覇王と唯一双肩をなしたと言われる≪王を狩る者セリアンスロープ≫。


 獣人族・ゼノ青年が、相も変らぬ粗野な態度で返事を返す。


 「……と言いてーところだが、あの女相手じゃ仕方ねーだろ」


 そして相も変らぬ、ツッケンドンなようで根っこは気の優しいヤンキーぶりをいかんなく発揮して話を継いでくれる。


 「あれ、マジでただもんじゃねーよ」

 

 「ゼノ君をしてそう言わせるとは……そこまでやるのか、メイド長」


 「纏う雰囲気がやばすぎるだろ。俺らなんかじゃ踏んできた場数のケタが違う。ヒラヒラしたふざけた格好してたが、こっちはいつでも狩れるんだぞって危ねぇ殺気がひしひし伝わってきやがった」


 「それはゼノ君が往生際悪くいつまでも抵抗してたからだろ」


 「……いや、だってよ……」


 「そしてその殺気に押し切られて最終的には大人しくされるがままだった」


 「……ふん、引き際をわきまえられるのも立派な戦士の強さだ」


 「まさに借りてきた猫みたいだった」


 「あ!?誰が猫だ、ゴラ!?なめんな!!」


 「いや、可愛いってことだよ?」


 「猫、なめんなや!!!」


 うむ、疲れた時はやっぱりゼノ君イジリに限る。


 まるで回復の魔術でもかけられたみたいに疲労感が霧散していく。


 そうして俺は、ギャーギャーというゼノ君の喚きを背に、改めて鏡に映った自分の姿を眺める。


 さきほどまでメイド長が着付けてくれたのは、どこからどう見ても燕尾服。


 何をどう解釈しても最上ランクの正装。


 しっとりと品のある黒主体で統一されているところに、胸ポケットから丁度良い具合に顔を出したハンカチやら絹かなにかの上質な素材で繕われた手袋の輝くような白さが嫌味なく映える。


 実質、ラクロナ帝国直々の勅命として結成された討伐連合軍。


 ラ・ウール王国がそこに本格的な参加を表明し、連合軍本営と向かう壮行式のような式典が執り行われることになり、俺も戦力の一員として大勢の前で壇上に上がらなければならないのだ。


 曲がりなりにもお国の代表。


 下手な格好をさせられないというわけでこの一週間、各種礼節や公人の立ち居振る舞いなどメイド長のスパルタ教育を受け続け、今夜がいざ本番。


 結局、最後まで彼女のお墨付きはもらえなかったわけだけれど、俺自身もまた、鏡の中の自分の姿に合格点を上げたくなる気にはならない。


 「……はぁ……」


 あ、溜息が出てしまった。


 もちろん、ピッチリと着飾った鏡の中の自分に見惚れたわけでも。


 採寸された覚えはないのにどうしてこんなにサイズがピッタリの服を用意できたのかと、メイド長の手並み(彼女的に言えば嗜み)に惚れ惚れしたわけでもない。


  

 ―― アルル姫様に相応しい殿方 ――


 

 メイド長の言葉が思い出される。


 彼女がどういった意図をもってそう言ったのかはわからない。


 言葉通りに受け取っていいモノか、その裏に盛大な皮肉でもこもっていたのか。


 単にアルルが直接指名したメンバーとして恥じないように振舞えと言いたかったのか。


 はたまた、最近、何故だかチラホラと耳に入り始めた『謎に包まれた、王女の何かと至らない婚約者』とかいう噂を真に受けたがために俺を粛清……じゃなく矯正しようとしているのか……。


 飄々として掴みどころのないどこかの魔法幼女とはまた違うベクトルに掴みにくい、百戦錬磨そうなメイド長の真意が皆目わからない。


 「ともあれまぁ……分不相応なのだけは間違いないか。……人として」


 「まぁ、アレはねーわな」


 俺の独り言を拾ったのだろう。


 俺と同じように着付けられたはずの燕尾服を、早速、着崩しながらゼノ君が言う。


 「明らかに自分にベタ惚れてる女へ言う言葉じゃねーだろ」


 「だよなぁ……」


 「男女の機微なんてのたまう気はサラサラねーけど、相当ショックを受けたんじゃねーの?」


 ゼノ君が今も呆れたように言うアレ。

  そして俺自身、微かな後悔をもって思い返すアレ。


 「あんな台詞、普通、思ってても……てか、そもそも思うこと自体がイカレてる」


 「……だよなぁ」


―― 死に場所を与えてくれて、ありがとう ――

 

 確かに、アルルにとってはショックな言葉だっただろう。


 あるいは、一生懸命に俺の命を繋ぎとめてくれた彼女にとっては、最上級の裏切りだったかもしれない。


 この世界へと強引に拉致してきた初めの頃に、自己嫌悪と責任感でもって押しつぶされそうになっていたアルル。


 それからも甲斐甲斐しく、無知で無力な俺のためにあれこれと世話を焼いてくれたアルル。


 どうやら内政を回している役人ないし議員たちとあまり良好な関係を築けていないところに転がり込んだ怪し気な男を、今日まで何事もなく王宮に逗留させることができたのは、もちろん、陰に日向に彼女が奮闘してくれたおかげなんだろう。


 端から見れば、はるかに年下の女の子に養われている穀潰しのヒモ三十路。


 頭が上がらない。

  弁解の余地も、擁護のしようもない。


 そんな負い目があった。

  何より多大な自戒があった。


 だから俺は、常に彼女に対する感謝の念を忘れたことなどなかった。


 そう、感謝。

  感謝なのだ。


 どれだけヒドデナシのバケモノであっても。


 いや、そんなヒトとしての不十分さを重々理解しているからこそ。


 俺は他人の気持ちをおもんぱかっていかなければいけなかったのに。


 ……それなのに……。

 


 ―― 死に場所を与えてくれて、ありがとう ――


 

 「……アレがあんたの本音、ってわけか」


 ベッドに腰掛けたゼノ君が口調はぶっきらぼうに、されどどこか痛々しいモノに触れるみたいな慎重さでそう言った。


 「無意識なのか意識的だったのかはこの際どーでもいい。おっ被せたそれらしい色んな理由やら理屈やらなんかも別にまるっきり嘘ってわけじゃねーんだろう。あんたはあの姫さんの力になりたいと思ってるし、その為なら死んじまっても悔いはないとも思ってるんだろうさ」


 「……だね」


 「だけど根っこの根っこ。内心の底のさらに奥底深く。そこを占めてんのは結局のところ……」


 「…………」


 あの時のアルルの浮かべた表情を思い出すと、自然と胸にこみ上げるものがある。


 ああ、俺は彼女を傷つけた。


 俺はまた、誰かの想いを踏みにじった。


 ……生きたいと思っていた。


 誰かに生かされた命だから、無暗に死んではいけないと思っていた。


 だけど死にたかった。


 大切だった、大事だったモノすべてを失ったまま、生きてはいたくなかった。


 誰かの大切で大事だったモノをことごとく奪ってきたその罪に耐えきれなかった。


 だけど生きた。


 生きるしかなかった。


 俺のであって俺のじゃない、この命を無駄にしてはいけないと思った。


 だから生きた。


 生きるしかなかった。


 いつの日か、他の誰かのためにこの命を燃やし尽くして死ねるまで。


 いつの日か、他の誰かへ向けてこの命を託せるその時まで。


 どうにか生きていこうと思った。


 胸を張って死んでいこうと思っていた。


 間違っているのはわかっていた。


 そんなもの、俺を生かしてくれた人たちが望んでいるわけがないのはわかっていた。


 イビツだった。


 イカレていた。


 わかっていながら、そうして生きるしかなかった。



 ……そして、彼女と出会った。



 誰かのために命を燃やせる人だった。


 国のため、人のため、誰かのためにすべてを背負っていこうとする人だった。


 まぶしかった。


 美しかった。


 そんな彼女に出会ってしまった。


 ……羨ましかった。


 人とはこんなにも輝けるのかと、その高潔さが羨ましかった。


 清濁なんて構わずすべてを呑み込もうというのにどうして君はそんなにも前を向いて歩いていけるんだと、その強さが羨ましかった。


 ……変わりたいと思った。


 ……変われると思っていた。


 彼女の傍にいれば、彼女が傍にいれば。


 ただ死を目指して生きていた俺も変われるんだと思った。


 この異世界で。


 この一度は粉々に砕けた魂で。


 生きるために生きることができると信じていた。


  ……それにも関わらず。


 「……あの時……」


 「あん?」


 「あの時、アルルから役目を与えられて、そして明確に彼女が異世界人の手まで借りて討つべき敵と定めた者の正体がハッキリした時。……俺は、思っちゃったんだよ。よし頑張ろうとか、アルルのために勝利をとかよりも最初に」


 「…………」


 「ああ、これで俺は死ねるんだなって」


 「…………」


 「ああ、これで俺はこの重たすぎる命から解放されて楽になれるんだなって。……そう、自然と思ってしまったんだよ」


 「……ったく……情けねぇ……」


 「……ああ、まったく、情けない……」


 どこまでも俺は俺のまま。

  どこにいたって、俺はヒトデナシのロクデナシ。


 誰かの好意を知っていながら無視できる。

  誰かの想いをわかっていながら簡単に裏切る。


 醜悪で残酷な、ただのバケモノのままなんだ。


 「めんどくせぇーな、あんた」


 俺の煩悶を一蹴するように、キッパリとゼノ君は言い放つ。


 「何を抱え込んでいるのかは俺の知ったこっちゃねーし、知りたいとも思わねー。別にあんたやあの姫さんの関係がどうこじれようがそれこそ興味もねー。……だけど、俺らみたいな生ぐせー仕事で飯を食ってるヤツは、あれこれ考え過ぎたらその時点で終わりだ」


 「……そうだね」


 「殺して奪って踏みにじって。恨まれて憎まれて呪われて……。俺は殆ど生まれた時からそんな世界で生きてきたから、そんなもんが溢れてる方がむしろ日常になってる。後悔はない。省みない。奪ってきた多くのもんを振り返りもしない。……だって俺には、そんな有象無象よりも大事なもんがあるからな。……ソイツを守るためなら、俺は幾らでもこの手を汚すし、悪にだって堕ちてやる」


 「強いね……君も」


 「あんたもそうだったハズだろ?」


 「……どうだろう?」


 ホントにどうだろう?


 「聖堂で殺し合った時も言ったが、やっぱりあんたはこっち側、ゲス野郎のお仲間だよ」


 「……そうだろうね」


 ホントに、そうだろう。


 「……だから、なんだろーな」


 「ん?」


 ガリガリと、縮れたオレンジの髪の毛を掻きむしるゼノ君。


 「俺が行きつく先の一つが、もしかしたら今あんたのいるトコロなんじゃないかって思う時がある……」


 「……そうか」


 「別にあんたのことは好きでもないし、グジグジと女々しいヤツだってイライラもする。ちょっと年上だからって、もちろん、敬う気なんてサラサラねー。……ただ同じ穴のむじなだってことは認める。俺がさっき言ってた殺し屋の心構えなんて、とっくにあんたは……もしかしたら俺以上に理解しているんだとも思う」


 「…………」


 「その上でこんなザマだからな。だから今は妄信ってくらいそれが正しいと信じて疑わない俺の指針、矜持……行動原理ってのか?そーゆーもんを失ったり奪われたりしたなら、俺もあんたみたいに迷って惑って、どうしようもなくヘタレちまうのかもしれない。過去に憑りつかれ、二度とは戻らないもんにすがって、さっさと死んじまいたくなるんじゃねーかと……あんたに会ってからたまにそう思って怖くなる時がある」


 「……うん」


 「そんなわけで、まぁ……頼むぜ、ゲスクズの先輩様」


 「なにを?」


 「だから、ほら……なんだ……。可能性ってやつだよ」


 「可能性……」


 「この血まみれで、罪まみれで、ミソクソまみれな俺の人生でも、いつかそういう、幾らか真っ当な道へ続く分岐がちゃんとあるんだっていう可能性を示してくれよ。……クソヘタレても女々しくても面倒くさくても、ゲスはゲスなりの幸せみたいなもんを見出せる、そんな可能性を……」


 「……わかったよ。……とは言い切れないかな」


 「ヘタレ」


 「だね。……でもまぁ、そっか……うん」


 「あん?」


 「可愛い後輩君の頼みじゃ無碍にもできないし。……ちょこっと頑張ってみようかな」


 「ふん、後輩とかゆーなや、気持ち悪い。さっきのはあれだよ……言葉の綾ってやつだ」


 「照れてるゼノ君、可愛いな」


 「いや、マジで気持ちわりぃからやめろ」


 「かぁいい(ガシガシ)」


 「ちょ、や・め・ろ!!頭から手ぇどけろ!ココみたいな扱いしてんじゃねーよ!!」


 「……ありがとう」


 「やめっ!!……はぁ……そーゆー殊勝な態度できんなら最初からやってやれよ、あの姫さんに」


 「……最初からできてたのなら、こんなにこじれてないさ」


 「ちっ……めんどくせぇよ、ホント」


 「それに……さ」


 「あん?」


 「たぶん、今こんなことしたら、なんだか思ってたのと違う方向に話がぶっ飛びそうで怖い」


 「ああ……」


 そうして男二人、遥か地平のかなたに向けたような遠い目をしてしまう。


 「女は強し、って言葉が思い知らされる」


 「強いってか……やっぱり怖いけどな、端からみても」


 「後輩君の参考にはなれただろうか?」


 「……ああ、これに関しては。……地雷って、ホント気づかないうちに踏んでるもんなんだな」


 「………」

  「………」


 共に黙したまま回想するのは最近のアルルの様子。



一週間前、玉座の間で執り行われた『革命の七人』の講義の終盤、王宮全体を揺るがす大爆発があった。


 直後に玉座の間へと駆け込んできた近衛騎士団の団員からその爆心元がアルルの魔術工房だと報告を受けるや否や、アルルがリリーをラグビーボールのように脇に抱えてすっ飛んでいった。


 その反応速度や事態がまったく飲み込めない俺以下数名が呆然と待ち続けること二時間弱。


 ……工房で一体、何があったのか詳しくはわからない。


 いや、爆破の原因や何やらの説明はキチンとされた。


 しかし、俺の無情な言葉にかなりのショックを受けていたハズのアルルの顔が、工房へ行って戻ってきたその僅かな時間のうちにすっかり元通りに立て直されていた理由が謎なのだ。


 ……ああ、うん。

  いや、まぁ、それも少し語弊があるか。


 正確にいうとアルルは、元の通りよりもいささか立ち直り過ぎて戻ってきたのだった。


 「元からあからさまな態度だったけどよー……なんだ今は?露骨にイチャイチャだのコチャコチャだの、見てるこっちが胸ヤケしそうになるくらい、あんたにベッタベタじゃねーか」


 「……俺が知りたいよ」


 ゼノ君の言う通り。


 只今、アルルの俺への好意が絶賛大爆発していた。

 


(例・その1)

 『イチジ様、イチジ様』

 『ん?』

 『イチジ様、どこにいかれるんですの?』

 『ああ、トイレだけど』

 『ならば、わたくしもご一緒致しますわ』

 『……いや、一人でできるけれども』

 『ええ、もちろん。ですが、わたくし、付いていきたいんですの』

 『付いてこられてどうしろと?』

 『意味なんてございません。ただ、わたくしがイチジ様のお傍を片時も離れたくないだけですわ』

 『……じゃぁ、ドアの前までなら』

 『いいえ、わたくしとイチジ様はどんな時でも一蓮托生の宿命。貴方のすべてを見守るために、もちろん中までご一緒させていただきます』

 『……用を足すのを見守られてもなぁ』

 『わたくし、へっちゃらです!』

 『俺がへっちゃらない』



(例・その2)

 『イチジ様、イチジ様』

 『ん?』

 『イチジ様は今夜どこで眠られますの?』

 『……普通に、俺の客室だけど』

 『ならば、わたくしもご一緒致しますわ』

 『ならばの脈略がわからない……』

 『わたくし、一緒に眠りたいんですの』

 『いや、だから……』

 『ホンスさんのお宅に逗留させていただいていた頃も、同じ部屋で寝起きしていたじゃありませんの』

 『それは状況が状況だったから……』

 『今もまたそんな状況ということで、どうか一つ!!』

 『……色々と問題がね?』

 『ああ、寝巻はパジャマかそれともネグリジェかの問題ですわね?ええ、わたくしはどちらでも、イチジ様の好みに合わせますわ』

 『そういう問題ではなく』

 『んん??それとも就寝の際は下着を着けるか着けないか、の方でしょうか?もちろん、こちらもイチジ様の好みに……あ、それともそれとも、そもそも何も身に付けないで……』

 『言わせねーよ?(食い気味に)』



(例・その3)

 『イチジ様、イチジ様』

 『…………』

 『ねぇ、イチジ様、イチジ様』

 『…………』

 『ああ、イチジ様。おお、イチジ様。うう、イチジ様』

 『……ん?』

 『うふふ、ただ呼んだだけですのぉ♡』

 『…………』

 『うふふ、うふふ、うふふふふ……』

 『…………』



 「……わからない。……アルルが何を考えているのかサッパリわからない……」


 「……まぁ、あれはなぁ……」


 思わず頭を抱える俺を、ゼノ君は心底気の毒そうに見つめる。


 「顔だっていいし、体つきだって年の割にはかなりソソるもん持ってっけど……なんだ?……一つも羨ましく思えねーのは、俺の男が枯れてるわけじゃねーよな?」


 「……人前でも変わらずあんな調子だからだろうなぁ、俺とアルルが婚約してるだなんてデマが広まってるのは……」


 「俺が聞いたデマじゃ、そこにあの眼鏡の姉さんまで加わって、王室を巻き込む泥沼三角関係になってたぞ」


 「そうなんだよ、アンナもアンナでなんか変なんだよ……」


 例・その1……などと挙げるまでもなく、アンナもまたアルルと似たように俺へとベタベタするようになっていた。


 しかも二人とも、そのデマを取り消すでもなく、むしろ煽ってるんじゃないかって勘繰ってしまうくらい、日毎に行為が過激に増長してきている始末。


 「そんなラブの波状攻撃の合間に挟まるメイド長のしごき時間が、どれだけ俺の救いになっただろうか……」


 「若い女二人に迫られるより、ババァの冷たい視線のがいいとか……。末期だな、おい」


 「いや、だってね……」


 「モテ男は……粛清!!!」


 ドゴォォォォォォォンンンン!!


 『粛清』と言いながらドアを実際に蹴破って現れた麗しきメイド長……ではなく。


 「それぞれタイプの違う美女二人に言い寄られるだけではぁ飽き足らず、あまつさえ可憐な幼女蕾ほころぶ青き果実を二人も加えた異世界ハーレムを築いておきながらヤレヤレ系を気取るとは笑止千万!!貴様に与えなければならない神の鉄槌は粛清などではない!去勢!!だぁぁぁ!!!!」


 「……あ、コイツのこと」


 「忘れてた……」


 ああ、ごめん。


 自分を取り巻く状況の整理に精いっぱい。


 思考のすべてをそちらに注いでいたがために、すっかり忘れていた。


 「ってゆーか、普通にうらやまCぃぃぃぃ!!!!!」

 

 そうウルトラCに慟哭しながら、今にも俺の命を奪いかねない剣幕で血の涙を流す男であり。


 討伐軍のラ・ウール分隊の同志であり。

 

 俺と同郷、つまりは≪現世界あらよ≫から舞い込んでしまった異世界人。 


 柊木京介ひいらぎ・きょうすけと言う名の。


 愛の狂戦士の存在を……。

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