第六章・結成。討伐連合軍西方部隊ラ・ウール分隊~ ARURU`s view ➄~

 ――魔術。


 この世の法則や理に準じた現象を魔力によって具現化すること。


 マッチをマッチ箱で擦ったから火がおこるように。

  水が0度を下回ったから氷になるように。


 どれだけ不思議かつ万能にみえても、どれだけ出力や規模が超大でも。


 その根幹はすべてが物理的な法則を用いて説明可能な単なる手品にしか過ぎません。


 魔術の発動には魔力が必要であるし、魔力の元となるものは魔素というエネルギー体が不可欠。


 しかし、そもそも魔素とは一体なんであるのか?


 その問いに本当の意味で答えを与えられる者は≪幻世界とこよ≫の創世から二千年以上経った今代になっても現れていません。


 判明しているのは、≪現世界あらよ≫に生きる≪現人あらびと≫たちの創作、妄想、そして何より願望や祈りなどの強い想いの一部が『力』と化したものだということくらいです。


 ……わたくしは考えます。


 それが大きいものでも小さいものでも。

  プラスのものでも、マイナスのものでも、善でも悪でも。


 神や仏やそれに準ずる絶対的何かに託すしか手立てがなかった切実な願いでも。


 そんな『想い』たちが由来となっている魔素ならば……。


 もしかしたら、わたくしたち≪幻世界とこよ≫の者に魔術が行使できる術が備わったのは、そんな風に誰かが誰かに託した願いを間接的に叶えるためなのではないでしょうか?


 凍えるその身を温めたかった。

  タバコの火種が欲しかった。


 熱病にうなされる我が子を冷やしてあげたかった。

  琥珀色のお酒の上に浮かべたかった。


 誰かを救いたかった。

  誰かを穢したかった。


 誰かを守りたかった。

  誰かを傷つけたかった。


 そんな魔素を構成している何かの『叶える』という一部分だけを無意識のうちに汲み取り、自身の『叶えたい』『形にしたい』というイメージと重ねることでわたくしたちの魔術は成るのではないか、と考えるのです。


 願いの代行者だなんて少し叙情的。

  祈りの代弁者だなんてとても感傷的。


 ですが、いわゆる≪マホウ≫だなんていう形而上的な摩訶不思議、そこに情緒やロマンを感じなくて何が≪マホウの世界≫の住人なのでしょうか。


 ……そして、わたくしたちが今立ち向かわなくてはならないのは、そんな幻想の中でも飛び切りのファンタズム。



 魔術の上位互換ともいえる『魔法』です。 



 「……(カタカタカタ)……」

  「……ふむ……」

   「…………」


 響くのは、静寂よりもほんの少しだけ騒がしい作業音。


 漂うは、遊びが入り込む余地のない硬質な雰囲気。


 「……(カタカタカタ)……」


 わたくしは主に製作者としての見地から静々と。


 「……ふむふむ……」


 リリラ=リリスは魔法の開発者としての立場から粛々と。


 「……ああ……でも……なるほど……」


 アンナは分析官としての観点から黙々と。


 それぞれがそれぞれに出来得る最善を尽くして件の≪ゲート≫へとアプローチを同時に仕掛けています。


 魔術があくまで理をおもんぱかるものならば。


『魔法』はこの世の法則、この世の理、その他あらゆるしがらみを何食わぬ顔で踏みにじり。


 理屈を抜かし、法則を破り、手段を飛ばして結果という事象そのものを発現させる一種の奇跡の体現です。


 たとえば対象を次元と次元の狭間へと強制的に空間誘導追いやってみたり


 たとえば人々の記憶や常識、共通認識を無理矢理に存在認知上書きしてみたり


 たとえば一度は世界に拒絶された魂を調和の名の下に世界調和認めさせたり


 そしてこの次元接続魔法・コネクション。


 この魔法が引き起こす奇跡というのは、本来、互いに干渉も交渉も、それどころか知覚・認識さえすることが不可能な別世界同士を『次元』という共通概念にパスを開設することで繋ぎ合わせるという、なんともドンデモな逸物です。


 ……いや、簡単に言いましたけれど、これってホント、トンデモなんですわよ?


 『互いが互いを知覚できないかぁ。でもお互いの世界に共通して存在する何かを結んで通して繋いでみたらどうにかなるんじゃね?』みたいな軽いノリで開発者たるどこかの性悪魔女は編み出したらしいのです。


 彼女がわたくしの目の前に現界してからもう、そこそこ長い時間を共にしています。


 もちろん、機会を見計らってわたくしはリリラ=リリスに尋ねたことがありました。


 そもそも次元ってなんですの?

  なまじ理解したところでそれをどう繋げたんですの?


 そして繋がったところでそれがどうして別世界同士を繋ぐことになるんですの?


 ……魔術・魔法の祖たる創世の魔女は答えます。


 『え?あ~あれね?……うん、こう……あれじゃよ?あれじゃよあれ……』


 『…………』


 『なんかこぉ……パシュッ!として、カチョッ!ときて、ミョミョミョッ!って具合じゃ』


 『ミョミョミョッってどんな具合!?』


 と、本当に当人でも説明をするほどに理解できていないか。


 それとも何某かのワケがあって巧く……いえ、究極に下手クソでもはぐらかされたのか……。


 いつでも飄々としている性悪幼女の本心もわからず、謎もまた謎のまま。


 しかし、実際のところ。


 禁呪となって久しい『魔法』はこと現代においてその存在そのものが忘れさられています。


 それは、そのただ一つの行使だけで簡単に世界をひっくり返すことができるほど強大な影響力を持っているがゆえに施された封印なのでしょうか?


 それとも、どこかの性格が悪くもヒトを愛してやまない、ひねくれ者の切なる願いだったりするのでしょうか?


 どうせ質問したところでロクな返答が返ってくるわけもありません。


 だからやっぱり、謎はいつまでも謎のまま。


 ……ただ、思い出されるのはあの言葉。



 ―― 魔法を信じ……そしてそれ以上に魔法を疑うのじゃ ――



 誰かが魔法に執心し、安易に頼り、一端に触れることすらを嫌った、偉大なる魔法使い・リリラ=リリス=リリラルルの忠告。


 「……ふむ……」


 その時の、彼女にしては外連味のない素直な声色が……。


 「……ふむふむ…………」


 きっと答えではなくても、これからの時代を生きていくわたくしたちに対する、先人としての尊き応えであったのかもしれませんわね。


 「……ふむふむ……ふむむ……」


 ほら、現に今だってブーブー言いながらも真面目に作業をして……。


 「……ふむふむふむり……ふむむむ……」


 真面目に……作業を……して……。


 「ふむむむ?……ふむぅ……」


 「……(カタカタカタ)……」


 「ふむ!?ふむふむ……ふむむ!?ふむむむ!?……ふむ……」


 「……っっ(カタカタカタカタ)……」


 「ふむむむむ、ふむふむむむむ、むむむむむむ、あ、字余りじゃ……」


 「……っっっっ!!(カタカタガタガタガタ!!)……」


 「……ふ~むぅふむりりりぃ……ふむむむむぅ……ふぅむぅぅぅ(裏声)~♪」


 「だぁぁぁぁぁうっさい!!!」


 バチコーン!っとエンターキーを叩きつけるのと同時にわたくしの咆哮が硬質だった部屋の空気を粉砕します。


 「なに真面目な作業に飽きちゃってるんですの!?子供!?子供ですの!?お勉強に飽きて椅子をガタガタさせ始めたり鉛筆の背中をガシガシ噛み始めた子供ですの!?」


 「子供ですけど、なにか?」


 「子供違う!!ただのロリババア!!!」


 「ひ、姫様、どうかお静まり下さい!!」


 ああ、もう、ちょっとだけ見直した矢先にこれですわ。


 ホントにタイムマシンか新たなトンデモ魔法でも作って過去に戻り、このエセ幼女のことを偉大とか尊きとか褒め称えた数分前の愚かなわたくしをこの手で滅してやりたい。


 「ほれほれ、プンスカしておらんで自分の仕事に戻るのじゃ」


 「終わりましたわよ!」


 「おお、さすがに早いのぉ。でも我の方がもっと早かったしぃ~。我いっちば~ん♪」


 「っっつ!一番も二番も……って……え?」


 「じゃから、終わったぞ。この≪ゲート≫の魔術的解析」


 「ふむふむ言ってただけじゃないですの?」


 「言ってただけじゃないですの。……俳句調(字余り)やポップス風(Bメロからサビにかけて転調)もあったじゃろ?」


 「じゃろ?と当然のように問われましても……」


 「……さすがですね、お二人とも」


 「地味子の方はどうじゃ?」


 「私も完了です。こちらはお二方と比べて楽なものでしたから……」


 「ですわね。今回に限って言えば、アンナの担当した『物理的な外的干渉の可能性』は最初から低かったですから」


 「はい。工房内部にあった物のほぼ全てが全壊ないし半壊以上の被害を被っている中、火薬類や薬品等々、爆破・燃焼した形跡はまるで見られません。工房の隅々まで調べましたがやはり空気の汚染もなく、床や壁、その他諸々からもこの惨状を招くほど科学的に危険なものは一つも検出されませんでした。……もっと本格的な鑑識作業を行えば、とも思いますが、おそらくそれでも今回の爆発に結び付けられるものは出てこないのではないかと……」


 流れるように、端的に。

  アンナは可能性を一つ潰します。


 「では、続いてわたくしですかね……」


 「『≪ゲート≫自体の暴走および誤作動の可能性』じゃな」


 「ええ、こちらもあまり期待はしていませんでしたが……」


 わたくしは先ほどまで作業をしていた本体備え付けのコンソールを今一度操作、幾つかキーボードを叩き、ディスプレイに各種チェック結果を表示します。


 「案の定、細かい傷はともかく、外殻であるハード面に亀裂や破砕などの不良は見られません。そしてソフト面においてもエラーやバグの形跡はなく、至ってクリーンなものでしたわ」


 「……改めて思うが、大したもんじゃのぉ、それ?」


 リリラ=リリスは珍しく、本当に感心したように言います。


 ≪次元接続コネクション≫は他の魔法とは少し趣向が違い、生身の体を往復させなければいけないという前提があります。


 そのため、安全面を考慮して別個に特殊合金や魔石なんかで構築された発動媒体が必要となってくるわけですが……。


 「何を感心することがあるんですの?あなたが創り出した術式とその工程でしょうに」


 「いや、確かに≪ゲート≫をこさえる仕様にしたのは我じゃし、それに合わせて術式の理論も編んだのじゃが、ここまで作りの細やかな……ていうかハードだのソフトだのバグだのの≪幻世界とこよ≫にとってはオーバーテクノロジーな概念を搭載することなぞ想定しとらんぞ」


 「それもまぁ……あなたのせいと言えばあなたのせいなんですけれども……だってアレ、≪ゲート≫すらもほぼほぼ魔力で具現化しなければならないじゃないですの」


 「そうじゃな。素材を揃えて並べてあとはチチンプイ。錬金術の応用じゃ」


 「ですが現代ではまず入手不可能な金属であったり、いわくつきの魔道具であったりが必要で……そもそも魔力量の絶対数がわたくしでは全然足りませんでしたから。それらをどうにか補うために≪現世界あらよ≫の科学技術を盛り込んでみたのですわ」


 「盛り込んでみちゃえるお主はやっぱり天才様じゃの」


 「……というか、あの魔導書なんなんですの?」


 ええ、そう。


 ≪次元接続コネクション≫発動に≪ゲート≫が必要不可欠。


 そう記述されていたのは、市場に出回らないのはもちろん、帝国総督府の地下にある機密文書の文字通りの宝庫『VIBRIO《ヴィブリオ》』にだってあるいは保管されていないであろうリリラ=リリス直筆の魔導書です。


 創世の魔女としてあまりにも大きすぎるネームヴァリューが数多の偽書を生み出し、その取り締まりの巻き添えや思想の変遷による焚書の騒ぎの煽り。


 何より長い長い時間の洗礼を受けていく中でその災禍を免れた、我がラ・ウール王家に代々伝えられてきた数少ない原書の一つ。


 ちょうど魔術研究にのめり込み始めた頃に宝物庫で偶然発見し、いざ読み解いてやろうと決心してみたはいいのですが……。


 「まさか記述されていたモノを素直になぞったら美味しいシフォンケーキが焼き上がるとは思いませんでしたの……」


 「フワフワじゃったろ?」


 「……ええ、天使の羽のごとく……」


 「あれ表向きは『空いた時間でもう一品。今すぐ開けるウチカフェレシピ100』じゃからな」


 「主婦の友は魔法使い!?」


 「ああ……姫様の作るお料理に軽食が多いのはそういう……」


 「ううう……そうですわよ。表向きもその裏に暗号みたいに隠された本命も、隅から隅まで読破した成果ですわよ……女子力上がりましたわよ」


 「女子力というステータスを上げる魔導書……普通にありそうじゃな」


 「それ多分、ただのファッション誌!!」

 

 「……私も読んだ方がいいのかなぁ(ボソリ)」

 

 「いつか、お主のような裏の裏まで解読せしめる者があらわれるのを我は長い間待っておったのじゃよ」


 「……しかも、必死で解読した挙句、それすらも最初から間違えるようにできていて、妙なところに≪次元接続コネクション≫が繋がりますし、帰りも帰りで辺境まで飛ばされますし……散々な目に合いましたわ」


 「にょっほっほ。それもまた勉強じゃよ、小娘」

 

 にょほほ、という軽薄すぎるいつもの笑い。

 

 しかし、そんな笑い声とは裏腹に、リリラ=リリスの目は真っすぐに、真摯にわたくしをとらえます。


 その眼光の鋭さは時折見せる、大魔女の片燐。


 あまりの威圧に、わたくしもアンナも、思わず身がすくみます。


 「……じゃが、おかげでタチガミ・イチジというオノコに出会えたじゃろ?」


 「……ええ……はい、そうですわね」


 「出会い、導き、旅をし、死線を共にしたこともあったじゃろ?」


 「……はい……」


 「そして、アヤツの抱える業に触れ、傷に触れ、アヤツの心に触れたじゃろ?」


 「……はい。……はい、そうです、そうですわ……」


 「…………」


 わたくしも、そしてアンナもまた軽く唇を噛んで思惑します。


 共に思い返すのはまだ記憶というには新しいあの笑顔と、思い出というにはあまりにも鮮烈だったあの言葉。



 ―― 死に場所を与えてくれて、ありがとう ――


 

 「……いくら手を尽くしてみたところで、イチジ様をとらえ続ける過去や傷を、わたくしたちが払ってあげることはできなかったのですわね……」


 「……姫様……」


 あの時のイチジ様の笑顔が脳裏にこびりついて離れません。


 心から安心したような、憑き物がふっととれたような柔らかくて大きな笑顔。


 もう、これで解放されるんだ。


 もう、フラッシュバックのようにチラついては責め立ててくる過去から逃げなくてもいいんだ。


 誰かや何かに救われた分、誰かや何かを救って返せば、これ以上生きなくてもいい。


 誰かに与えられた命だから、誰かのために使って死んでいきたい。


 楽になりたい、楽になれる。

  救われたい、救われる。

 

 いつかこの手で必ず幸福の笑顔を届けてあげようと固く思っていたハズの……。


 ようやく見ることが叶ったハズの彼の本物の笑顔から、わたくしは逃げ出すようにしてこの工房まで駆けてきました。


 ……見たくありませんでした。

  ……聞きたくありませんでした。


 わたくしが見たかったのは……。

  わたくしが欲しかった言葉は……。


 あんな悲痛な幸せで満たされたものなんかでは絶対にありません。


 「……この世界で……このわたくしの傍で……変わりたい、変わって生きたいと仰っていたのは嘘だったのですか、イチジ様……」


 「あんなでも変わったんじゃよ。それも劇的に」


 弱り切ったわたくしの声音を叱咤するがごとく。


 リリラ=リリスは強く、確信に満ちた声で断言いたします。


 「元がマイナスもマイナス。生きているのか死んでいるかもわからない中途半端な亡者としてズルズルと体も過去の影も引きずっておったのじゃ。……それが曲がりなりにもこうして生きて、与えられた使命感に静かに燃えて……。そこまでただの燻った小さな火種だったものがドでかい花火となって咲いて散ろうと粋になておるのじゃ、奈落のような底辺のマイナスから考えたらちょっとはマシに変わったじゃろ。……まぁ、未だマイナスに位置するところは否めんがの」


 「そんなもの……変化とはいいませんわ」


 ああ、こんなことなら出会わなければよかった。


 ああ、こんな思いを抱くなら、あの日、あの時、彼をこちらの世界になんて連れてこなければよかった。


 どれだけ生きぎたなくても。

  どれだけ死んだように生きていたのだとしても。


 彼はそれでもあちらの世界で平和に暮らし続けていた。


 たとえ後悔や無念や過去の残滓にもがき苦しんだのだとしても。


 それでも這いつくばって、生きてはいけた。


 ……そんな生活をわたくしが変えた。


 彼に満足だと思えるような死に場所を与えてしまった。


 わたくしのせいだ……。


 わたくしの身勝手が……彼を殺してしまうんだ。


 「わたくしは……わたくしは……なんてことを……っく……」


 「……っ……姫様……」


 「……なぁ、お主。何故アヤツが毎朝ああも一生懸命に魔術の練習をしていたか、知っているか?」


 「……え?」


 慙愧の念にとらわれるわたくしに向け、リリラ=リリスは脈略なくそう問います。


 「……魔術を行使できる体になったから、ただの好奇心だと仰っておりましたが……」


 「……守りたいんだそうじゃ」


 「え?」


 「命の恩人だから、自分に生きるのを許してくれたから、大切な存在だから、お主に何か危機が訪れた際、守るための武器となる手段の一つとして魔術を会得しようとしておった」


 「それは……今までとどう違う……」


 「なぁ、地味子よ」


 「……はい」


 そのままリリラ=リリスはアンナの方へも問いをなげます。


 「どうしてアヤツがあんなボロボロになってまでお主の盾になったのか、わかるか?」


 「……自分の命が大切ではないから……やはり誰かを守りたいから、でしょうか」


 「そう、守りたい。誰かを救いたい。……一見するとあの燃え盛るドナの街へと単身斬り込んでいった頃と何も変わってはいない。……じゃがな?」


 「…………」


 「…………」


 「あの時、アヤツは確かに『アルルを守りたい』と言った。あの時、眷属のパスで繋がった我にドラゴンの魔力と共に流れ込んできたアヤツの想いは『アンナを守りたい』じゃった」


 「……それ……は……」


 「どう……いう……」


 「違いは明白じゃろ?顔も知らない誰かや縁の薄い街。不特定多数の何かを救えればいいと思っていたアヤツが、今では『アルル』、『アンナ』という顔も名前もある特定の個人を救いたいと願ったのじゃ」


 「「あ」」

 

 アンナと声が重なります。


 「いや、大元は変わっとらんさ。結局は誰かの為に死にたいと言っとるんじゃし、自分の命なんて相変わらずどうでもいいと思っとるさ。……しかし、進歩じゃろ?元からガラでもない、世界や民衆を救う英雄みたいなことをしようとしていたものが、ただの個人……顔を見知ったオナゴを救おうとする身の程をわきまえた凡百のオノコに。……あの生き損ないの唐変木からしてみたら、それこそ≪マホウ≫でもかけられたみたいな変化じゃろ?」


 「イチジ……様……」


 「わ……わたし……は……」


 スッ……と。


 わたくしの頬を一筋だけ、涙が伝います。


 見えればアンナの目にもキラリと光るものが見受けられます。


 ああ、やはり貴女もそうなのですわね、アンナ……。


 貴女もやはり、タチガミ・イチジという殿方を本気で……。


 「……あと少し。あと少しなんじゃ、小娘ども……」


 そして……あのリリラ=リリス=リリラルルが。


 「マスターが、アヤツの愛しい弟が、我の愛するイっくんが……」


 ……あの世界のすべてを見通し、見透かす全知全能の大魔女が。


 「ようやく、普通の生き方を……ようやくマイナスからゼロという、バケモノなぞではない人としてのスタート地点に至れるんじゃ。……じゃから、二人とも、どうか頼む……」


 傲岸不遜で居丈高。

  厚顔無恥で自由気まま。


 他人など路傍の石コロにも思っていない、独善性悪な稀代の悪女が。


 様々な感情が溶け込む涙に瞳を潤ませる、ただの無力な小娘二人にむかい……。


 「タチガミ・イチジを救ってやって欲しい」


 深々と……。

  ただでさえ小さな小さな体躯を折り曲げて深々と。


 頭を下げて、懇願したのです。


 ……ああ、そうですのね、リリラ=リリス。


 全てのこの世はこともなし……といった具合に、些事でも大事でもこの現世での出来事にまるで関心がなさそうな貴女。


 人のことをまず名前で呼ばず、誰もかれもに興味を抱かない貴女。


 そんな貴女が。


 そんないつもわたくしたち凡人とは違うトコロを常に見ている貴女が大人しくわたくしの後についてきて、工房の現場検証なんて面倒事を引き受けてくれたのは。


 おそらくこの世界で彼のことを変えてあげられる、救ってあげられる可能性が強いわたくしとアンナに向かい。


 こんな風に恥も外聞もなく、自分の性格や性分ですら気にせず。


 小さな頭を本気で下げるため、だったのですわね。


 「リリラ……リリス……」


 ……ああ、そうですのね、リリラ=リリス=リリラルル。


 貴女もまたわたくしやアンナと同じように、貴女のマスター、金色親友の弟、タチガミ・イチジという殿方を本気で想ってくれているのですね……。


 「……わかりましたわ、リリラ=リリス……」


 ですので、わたくしも本気で応えましょう。


 「……私も……委細、承知いたしました……」


 貴女の欲しがる、そしてわたくしたちが求める一つの答えを目指しましょう。


 「わたくしが彼を救います」


 「私が彼を守ります」


 「わたくしが……」

  「私が……」


 「「タチガミ・イチジに本物の幸福を教えます」」


 「……すまん……そして……ありがとう……なのじゃ」


 顔を上げ、ニッコリと笑うリリラ=リリス。


 幼い顔立ちに似合う、なんとも無垢な大きな笑顔。


 そうです、これが笑顔です。


 いつもどこか含みのあるような意地悪な笑みでなく。


 切なさしか感じない痛々しい笑みでなく。


 イチジ様がこんなキレイな笑顔を浮かべることのできる明日へと……。


 わたくしとアンナで導いて差し上げましょう。


 「……普段ならここで、『これって修羅場じゃね?』とでも言っているトコロじゃが」


 「さすがのあなたでも空気を読む時は読むんですのね」


 「当たり前じゃろ。……そしてここで『ああ、もう、恥ずかしい……』とかいう殊勝なリアクションするのを期待されとる空気もついでに読んでおるけどな。だからやってやらん」


 「ふふふ、それが王道というものですのに」


 「邪道で結構。邪悪で何より。天邪鬼ポジションは誰にもわたさんのじゃ。にょっほっほ」


 「本当に……あなたはという人は……」


 「はい。本当にひねくれた子供です」


 「……それと、アンナ?」


 「え?なんでしょうか?」


 「わたくし……負けませんからね」


 「……はい。私も……」


 「わたくしに仕える身だからって遠慮はなしですからね、絶対」


 「それは……えっと……」


 「恋心と忠義が同列なんて、本当に忠誠心をこじらせとるのぉ、にょっほっほ」


 「……うううう……」


 頭を抱えて苦悩するアンナのなんと可愛らしいことでしょう。


 ただでさえ眼鏡補正で一歩先を行かれているところ、こんなアンナを見たらイチジ様もコロっといって死のうだなんて思わなくなるかもしれません。


 それはそれで万事オーケー……いやいや、そうじゃないですわね。


 負けられない。

  負けたくない。


 絶対に負けられない戦いというのは割と身近にも起こりうるようです。


 ……だから急いでもう少しアンナみたいにフレームをシャープにした新たな眼鏡を錬成し……あ。


 「工房、使えない……」


 「あ」


 「まさに恋は盲目、じゃな。にょっほっほ」


 そうでした、そうでした。


 何のためにわたくしたちはここにいたのでしょう。


 いえ、確かに有意義な時間を過ごさせていただきましたし、これはこれから厳しい戦いに臨むわたくしたち、そしてイチジ様にも必要不可欠だった決心。


 それを否定なんてしませんが、こちらの問題もまた簡単に見過ごしていいものではありませんでしたわ。


 「えっと、リリラ=リリス?結局今回の大爆発、あなたの領分で問題があったということでいいんでしょうか?」


 「ん?ああそうじゃな」


 そう言ってリリラ=リリスは、≪ゲート≫の正面へと立ちます。


 高さと幅を合わせてだいたい成人男性の平均より二回りほど大きく、ずっしりと重厚な≪ゲート≫の前に立つとホント、彼女の体の小ささが際立ちます。


 ……その小さな体躯に、あれほど深くて広い愛情が溢れていただなんて。


 あ……また涙腺が少しだけ……。


 「原因は物理干渉や≪ゲート≫の不備などではなく、≪次元接続コネクション≫を手順も何も度返しして強制的に発動させたがゆえの弊害。……ただでさえ密室、ただでさえ魔術工房という魔素が満ち満ちるところへ次元に漂う濃密な魔素が一息に流入、魔素とは言ったがその実、まるで規格が違う力同士がぶつかり合ったことで超大な爆発を引き起こしたという感じじゃな」


 「え?」


 「ふむふむ、魔素の規格がですの……。…………ん?」


 「燃焼爆発ではなく、どこまでも純粋にして猛烈な衝撃波に万物ことごとくが吹き飛ばされた。……そう、これはまさに魔法幼女・リリーの得意技である『も~れつ!ぱわ~げいざ~!』を彷彿とさせるほど無慈悲な……」


 「こらこら待て待て待てい!!」


 「ん?どうかした?」


 「も~れつにどうかしまくり!!」


 しれっと何をぶっこんでくれやがりますの?


 そして、なんですのそのどこかのラノベ主人公みたいなしれっと顔?


 「こ、≪次元接続コネクション≫を発動!?」


 「うむ。それも無理矢理な」


 「ということは誰かが工房に侵入……。しかし警備システムは反応していませんでしたし、≪ゲート≫の使用ログだってわたくしが一度使ったものだけで……」


 「そこも含めての無理矢理、じゃよ。……それが証拠に……よっと……」


 そう言うとリリラ=リリスは、あろうことかグルグルと魔素が渦巻く≪ゲート≫の中にその細腕を突っ込んでしまいます。


 「ちょ、リリラ=リリス!!」


 「ああ、やはりえらく内部の魔素やら何やらの流れが乱れきっておる。作りが立派で名残惜しいが、このまま破棄しなければ次元が滅茶苦茶なつながり方をして面倒なことになるぞ」


 「滅茶苦茶って……」


 「……ふむふむ……なるほど……そうか……うむうむうむり……」


 「ひ、一人で何を納得してる……っていうかそれ納得してる!?」


 「うむ。誰かが行き来したの。行きは一人。来は……おお、三人か。一度にそれだけの往来があった故に負荷が増大し、帰還した際に爆発が起きたというところか……」


 「え?それではイチジ様のように≪現世界あらよ≫から……」


 「……しかしこの反応は……なるほど……なるほど……見えてきたのじゃ」


 「また一人でなっと……」


 「あ」


 「あ?」


 「すまん」


 「え?」


 「釣れてしまった」


 「……え?」


 「……はぁ、やれやれ。また面倒なことに……」


 だからなんでさっきからラノベ主人公風?


 などというツッコミを入れようとした矢先です。


 「ではでは……フィィィィィッシュッ!!」


 思い切りリリラ=リリスが手を引き抜いた次の瞬間。



 ズシャァァァァァ!!



ゲート≫から人らしきものが飛び出し……。


「ふんぎゃ!!!!」

 

顔面を擦らせながら床を滑っていきました。



……あ、なんかそれ、デジャヴ。





こうしてシリアスにもコミカルにも思える展開の中。


 また一人。

 ……いえ、リリラ=リリスが言うところは信じればもう二人


 ≪現世界あらよ≫の住人が≪マホウの世界≫の門戸を開いたのでした。

 

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