第三章・王を狩る者《セリアン・スロープ》~ICHIJI‘S view③~

 ヴゥン……ヴゥン……ヴゥン……  


 逆巻くオレンジ色の髪。

 開き切った瞳孔。

 熱を帯びた荒々しい息遣い。


 それは、まぁ、いい。

 

 正体は獣人。

 目的は暗殺。

 

 端的に言って謎だったことは、蓋を開けてみれば単純にして明快。

 

 五・七・五調でも多少字余りになる程度ですべてを説明できる、とてもシンプルなものだった。


 だから、うん、それももういい。


 ……いいんだけれども、さすがにこれはどうなんだ?


 ヴゥン……ヴゥン……ヴゥン……

 

 まるで高出力タービンの駆動音。

 

 何某かの燃料を最適なエネルギーへと変換させるのがその原動機の役割であるならば。

 

 魔素という燃料をくべることで魔力というエネルギーを精製する魔力炉……そんな説明を受けた浅学の身としては、今ほどそのたとえの意味を理解できたことはない。

 

 逆巻いていたオレンジ色のクセ毛はニョキニョキと腰辺りまで伸び。

 

 ただでさえ瞳孔が開き切っていた猫目は、見開かれ過ぎてほとんど白目を剥き。

 

 熱を帯びて荒々しかった息遣いは、もはや蒸気でも吐いているのかのように、白い煙となって口から漏れ出ている。

 

 どちらかと言えば全体的にほっそりとしていた体つきは目に見えて各種筋肉が二回りくらい膨張し、剥き出しの腕やつるりとしていた頬を髪の毛と同じ色の体毛が覆っている。

 

 なるほど。

 

 ニッカポッカのようにダブっとしたズボンや、伸縮性のある素材で編まれた袖なしの服を彼が着ていたのは何もファッションというわけではなく、この肥大化する体を見越してのものだったらしい。

 

 身体能力の更なる底上げ。

 獣人の名の通り、より獣に近いものへと変質した容貌。

 

 俺は改めて思う。

 

 ここでは俺がひん曲がりなりにも獲得してきた数々の常識を。

 さして良くもない頭をどうにか使って学んできた幾つもの知識を。

 

 こんなトンデモが軽々と飛び越え、容赦なく踏みにじってしまう。

 

 本当にしみじみと思う。

 

 かの名作大長編、アニマルなプラネットにでてくる、ごっこな帽子を地で再現する者がいるだなんて……。

 

 ああ、俺は今、確かに≪マホウの世界≫にいるんだな。

 

 「フシュゥゥゥゥゥゥ……」


 青年の全身から渦巻く何か……。

 たぶん、あれこそが魔力なんだんだろう。


 アルルやリリー、そしておそらくアンナベルもそうだと思うのだけど、魔術を扱えるものの中でも上級者の部類に入る者にとっては、魔力の感知というものが割と簡単にできるらしい。


 余計な占いや採点システムを搭載したカカシを必要とせず、相対するだけである程度、相手の魔力の質や量を推し量ってみたり、離れたところに潜む敵の存在を把握できたり……。


 とはいえ、それはやっぱり、あくまで上級者の話。


 俺みたいな魔術の『マ』の字もまだ発動できず、そもそも魔力という概念に未だ馴染みの薄い異世界人にとって、どれだけ強力な魔力と正面から対峙したところで、まったくその存在を感じ取ることは出来ない。

 

 ヴゥン……ヴゥン……ヴゥン……

 

 しかし、さすがにこれを見て『魔力って何?』ととぼけることは難しい。


 属性も指向性も持たない純粋なエネルギーの塊が魔素であるならば、それを流体力学的に新たなエネルギーへとただ変換しただけの魔力もまた濁りのないエネルギー。


 色らしい色もなく。

 形らしい形もなく。


 床に降り積もった塵芥を巻き上げながら、青年の体に纏わりつくように渦巻く何か。


 それこそが……素のままの魔力。


 「……久しぶりのマジモンの獣化……楽しませてもらうぜ」


 そこはかとなく青臭さが残っていたはずの青年の声。


 声色自体に取り立てて変化はなかったけれど、やはり見た目通りにどこか野性的な響きがプラスされたよう。


 その声は、青くて未熟で愚かすぎるほど真っ直ぐで……。


 それでも百獣の頂点に君臨する誇りを確かに胸に抱いた勇猛な若獅子の姿を、俺に連想させた。


 「……ふむ……」


 そんな獅子を前に、相変わらず逃げの選択肢はない。


 正直、こんな厄介そうな相手と馬鹿正直に戦うことは避けたかったのだけれど、背中を見せた途端にそこをガブリといかれそうなイメージしか浮かばない。    

 間合い云々ではなく、ここはもう彼のテリトリー。

 

 恐怖に目を逸らした弱き者から順に、八つ裂きにされてしまう。


 ……それならば。

 

 「借りる」

 

 「え……ひゃん!!」

  

 ビシュッッッ!!


 ともあれ先手必勝。

 

 俺はアンナベルの胸元へと手を突っ込み、彼女が隠し持った暗器を適当に掴んでそのまま獣人の青年へと投擲する。

 

 ガキィン!!


 「…………」


 俺が投げたのは棒手裏剣のような細く鋭利な金属。

 

 勢い任せのスナップスローの割には結構な速度で飛ばせたと思う。

 

 しかしそんなもの、更なる肉体強化を果たした青年にとっては、なしの飛礫つぶてにもならない。

 

 「……わかってはいたけれ……どっ」

 

 「ひゃぁん!!」


  ビシュッッッ!!

    ビシュッッッ!!


  ガガガキィィィン!!


 「しゃらくせーな……」

 

 むんずとまたアンナベルの胸元から暗器を引き抜いての二投、三投。

 

 今度はさきほど彼女も投擲していたクナイ。

 

 着弾はほぼ同時。

 

 更に武器としての殺傷力も上がってはいたけれど、初撃同様、左手一本でなんなく弾かれる。

 

 「……まぁ、これもダメだろうな……」

 

 「ななな……」

 

 「さてさて、次は何が出るかな?(ワキワキ)」

 

 「ここここ……この……この、この……」

 

 「俺的にはこの決して大きくはないけれどムニュリとした確かな弾性のある柔らかくて何故だか多幸感を得るのを禁じ得ない、夢のように素敵な何かを……」

 

 「えっち!!」

 

 ……思いのほかストレートな反応が返ってきてびっくりした。

 

 才人たる彼女のことだから、もっとこう、そのメガネ越しに氷点下まで凍てつかせた眼差しを向けたまま、俺なんかでは思いつきもしない辛辣にして奥深な罵詈雑言を浴びせられるかと思ったのに。

 

 「えっち!変態!痴漢!不潔!バカ!もう、バカ!あと、えっと、うんと、ううううう……バカっ!!」  


 「可愛い」


 「バカバカバカ!!(ポカスカポカスカ)」


 「かあいい」


 「いえ、ホント、バカ!バカでしょう!?いえ、バカです、あなた!!状況!!今の状況!!私の胸の感触を楽しんでいる場合じゃないでしょう!?正気ですか!?空気!!空気読んで!?」


 「これでも空気が読める子と言われてきたんだけどなぁ」


 「嘘つき!!」


 「俺は嘘をつけるほど器用な性格じゃない。……だからさっき夢のように素敵だと言った君の胸に対する評価は……」


 「えっち!!」


 やばい、なんだか楽しくなってきてしまった。


 アルルとはまた違ったこのイジリ甲斐。


 またしても感じた懐かしさにまかせて延々とこのやり取りをしてしまいそうになる。


 ……でも、まぁ、とりあえず。


 本当にやばいことになる前にどうにかなりそうで一先ず安心はした。


 「……もう、動ける?」


 「動けるってなに……を……」


 アンナベルがハッとする。


 どうやらその反応、やはり獣と化した青年の威圧感にあてられて動けなくなっていることにも気が付かないほど自失状態にあったようだ。


 膨大過ぎる魔力にしても、獣人という稀有らしい存在にも。


 無知な俺にはあまりピンとはきていなかったわけだけれど、ただでさえ頭の良い才人であり、何よりも常識人であるアンナベルにとっては、今自分の目の前に展開している現実が、思考を停止させるほど衝撃的なものだったのだろう。


 「……すいません。お手を煩わせてしまいました……」


 「いや、むしろ手はこの上ない至福を鷲掴みにさせていただきました」


 「嘘です。掴まれていません。未遂です。掠っただけです。不潔です」


 「調子が戻ってきたみたいで何より」


 「と、いいことした風に胡麻化していますけれど、それはそれですから。後で覚えておいてください」


 「もちろん。あの感触は忘れろと言われても簡単に忘れられるものじゃない」


 「忘れて!!」


 ……ま、お互いこの後を無事に迎えられれば、その時は幾らでもこのセクハラに対する責めは受けよう。


 「……終わったか?」


 そう声を掛けてくる青年。


 彼は律儀にも俺たちの寸劇の幕が降りるのを待ってくれていたようだ。


 口元から猛々しい牙や、こちらを射抜く鋭すぎる眼光。


 今にも飛び掛かってきそうなほどの殺気と姿の割には随分と理性的な口調だ。


 「待たせて悪いね」


 「ホントな。どうせ死んじまうんだから最後に乳繰り合わせてやろうという俺の仏心に甘えまくりやがって。どこまでやるのか気が気じゃなかったぜ」


 「っ!!乳繰り合ってなんか……」


 「子供には刺激が強すぎただろうか」


 「……ちっ……やっぱり調子狂う野郎だな」


 「調子が狂ったついでに、このまま見逃してくれたりはしない?」


 「まーないわな」


 「まぁ、ないよな」


 「さっきも言ったろ?俺みたいな仕事をしている輩は信用ってもんが何よりも一番大事なんだ。もちろん報酬を受け取れるか受け取れないかの問題も大きいが……」


 「依頼を失敗したっていう汚点がつくのが何よりも厄介。どれだけ成功を積み重ねたとしても、たった一度の失敗だけで依頼成功率は二度と100%には戻らなくなる。そして、この手の依頼をしてくる相手というのは得てして、その0・1%を不審がり、不安がり、やがて君のところには誰も頼まなくなる……」


 「お詳しいこって。……薄々感じていたがよ、やっぱアンタ、こっち側の人間だろ?」


 「……いや、違う」


 「そうか?獣化して敏感になった俺の鼻にはもうプンプンと匂ってるぜ?……俺以上に、血生臭くてキナ臭くて胡散臭い、そんな人生を送ってきたっていう匂いがアンタからは漂ってる」


 「……加齢臭とか言われないだけよしとしよう」


 「ふん……」


 「でも、やっぱりちょっとだけ違うかな……」


 グッと腰を落とす。


 右脚を引き、そこに重心をかける。


 「……タチガミ様、その構えは……」


 「……何が違うってんだ?」


 「確かに俺はそっち側にいたし、今だってやっぱりその本質は何も変わってないんだろう。血生臭くてキナ臭くて胡散臭くて、おまけにいつまでも昔のことを引きずり続けるくらい辛気臭くて……。まったくもって君のその可愛い猫鼻の言う通りだ。……だけど、一つだけ訂正させてもらう」


 左手を前に突き出す。


 「……俺が『人間』だったことは一度もない」


 右手の小太刀を水平に構える。


 「俺は今も昔も……≪現人あらびと≫でなくなっても≪幻人とこびと≫に生まれ変わったとしても……」

 

 ガゴォォォォンンン!!


 弾かれたように真っ直ぐ飛んでいく体。


 ガキィィィィィンンン!!


 「っつぅぅぅ!!」


 交錯する小太刀と槍。


 「俺は結局『バケモノ』なんだよ、猫耳君」


 ガキィン、ガキィン、ガキィン!!

  ガキィン、バキィン、ガキィン!!

   ガキィン、ガキィィン、グワキィィィン!! 


 「ふっ……」


 ニタリ……そんな形容が相応しい、卑し気な笑み。


 「ふ……ハーハッハッハッハァァァ!!!」


 そしてそのまま、高笑い。


 ガキィン、ガキィン、ガキィン!!

  ガキィン、バキィン、ガキィン!!

   ガキィン、ガキィィン、グワキィィィン!!


 「てめぇ、この野郎!!威力も精度も太刀筋もまるっと俺の技パクりやがったな!!なんだよそりゃ!?俺がこれまでやってきた鍛錬は一体なんだったんだよ、ああん!?」


 「いや、結構難しいよ」


 「励まし……どーもぉぉぉ!!」


 ガキィン、ガキィン、ガキィン!!

  ガキィン、バキィン、ガキィン!!

   ガキィン、ガキィィン、グワキィィィン!!


 携えた得物は違えど、相手のお株を奪う刺突の特効からの連撃。


 これまでの二度の戦闘はこんな風に始まりから終わりまで青年のペースにつられてしまった。


 もちろん、こちらには心強い味方が傍に控えていてくれたからこそ俺は防御にだけ徹していればよかったというのもある。


 しかし、何と言ってもスポーツでも殺し合いでも、戦いと名のつくものの花形はやっぱり攻撃。


 青年の一層のパワーアップ(獣化というらしい)を受け、同じような数の有利に頼った保守的な戦略では危ういと判断した俺はこれまでの流れを大きく変え、積極的な攻勢に転じる。


 「……はっ!!」

 

 ガキィン、ガキィン、ガキィン!!

  ガキィン、バキィン、ガキィン!!

   ガキィン、ガキィィン、グワキィィィン!!


 さきほどまでとは真逆の画。

 黒柄の小太刀の間断のない連撃が、青年の槍を打ちすえる金属音が響く。 


 「……いいぜ!いいぜ!アンタ!!マジでいい!!」


 とはいえ、青年が俺のように徹底的に守りを固めるというところまでは同じというわけにもいかず。


 ところどころでハッとするような反撃を挟み込んでくる。


 そしてその切っ先があちこちを掠め、これまでどうにかキレイなままを保てていた体に浅い傷を無数に作っていく。


 「まともじゃねー!!まともじゃねーよ!!獣化した……本気を出した俺と真っ向から渡り合おうって思ってよぉ!!しかも実際に渡り合えてんじゃねーかよ、おい!!なんだよ!なんなんだよ、てめぇ!!そこが知れなさ過ぎだこのヤローが!!ハッハー!!」


 「くっちゃべる余裕は……」


 「もちろん、あるに決まってんだろぉがぁぁぁ!!!」


 グワキィィン!!グワキィィン!!

  グワキィィン!!グワキィィン!!


 トリガーハッピーならぬバトルハッピー。


 奥の手まで出して仕留めにかかった相手に拮抗されて歓喜の声を上げるだなんてとんだ変態だ。


 戦闘狂。

 バトルマニア。


 それが青年の本質からくるものなのか、獣人族としての本能からくるものなのかはわからない。


 獣人の血があってこその彼の性格とも言えるし、彼の性格あってこそ生かし切れる本能とも言える。


 「ハハハハハハァァァァァ!!!!」


 ……はてさて……。

 

 こんな感じで始まる戦闘狂いの獣人族……かつて王を狩る者とまで言われた敵との攻防、第三幕。


 その終わりは、はたしてハッピーエンドな終幕か?

 それともバッドエンドな幕引きか?。


 エンディングの行方を左右する鍵を握っているのは、俺でもなければ青年でもなく。


 間違いなく自分であるということに、彼女は気づいてくれるだろうか?



 ……いや、信じよう。



 もしも、彼女が俺の知ると似ている人間だというならば。


 俺はそれだけで、安心してこの体を捨て鉢にできるというものだ。


 「……頼んだ……パク……」


 グワキィィィィィィンンンン!!!!! 

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