第三章・王を狩る者《セリアン・スロープ》~ANNA‘S view①~


 獣人と異世界人。

 獣とヒトとの戦いはいよいよ苛烈を極めていきます。


 

 ドゴォバァァァァンンンン!!

  ボグゥワァァァンンンンン!!



 けたたましい轟音とともに、廊下の壁に開く大穴。

 そしてかつて何某かの役目を持っていたであろう小部屋すらをも突き破って、二人は礼拝堂へともつれながらなだれ込みます。 


 グワキィィン!!グワキィィン!!

  グワキィィン!!グワキィィン!!


 グワキィィン!!グワキィィン!!

  グワキィィン!!グワキィィン!!


 昼下がりの陽光に溢れた廊下よりも若干仄暗い礼拝堂。

 

 その暗さに慣れない私の目では空間の全容までまだ把握しきることはできませんが、振るわれる刃の白い軌跡や、硬い金属同士がぶつかり合う火花、そしてそれらの閃きや瞬きを生み出す二人の攻防だけはハッキリと見て取れます。


グワキィィン!!グワキィィン!!

  グワキィィン!!グワキィィン!!


 グワキィィン!!グワキィィン!!

  グワキィィン!!グワキィィン!!


 鍔迫り合いにしろ、打ち合いにしろ、超近距離で繰り広げられてきた戦い。


 互いが互いの得物をかすめて浅い傷を作るも、決定打にはかける緊迫した戦い。


 ですがそれも今は、信奉するドラゴンの巨体をいつの日か招き入れるためという名目で設計された聖堂の中でも、一際広大な造りとなっている空間を余すことなく立体的に使った戦闘へと移行しています。

 

 「……はっ!!」


 グワキィィィィン!!

 

 「ぐらぁぁぁぁ!!」


 タチガミ様の見るからに重そうな一撃を受けて後退する獣人の青年。

 

 すかさず追撃にかかろうとする刃をかわしながら壁へと飛び去り、そこを踏み台としてタチガミ様の側面へと放つ鋭い槍の一閃。

 

 ガキガキガキガキ!!


 そんな死角から伸びてくる槍をタチガミ様は避けるでもいなすでもなく、小太刀の腹で巻き込むように受け止めながら、槍の長い柄にそのまま刃を添わせて青年のがら空きの懐へと切り込んでいきます。

 

 「ちぃぃ!!」 

 

 武器を封じつつのクロスカウンター。

 

 その流れるように見事な反撃に青年は苦々しく顔を歪めながらも、迫りくる敵対者めがけて膝を合わせます。


 タイミング、早さ、重さ。


 どれをとってもアゴを粉砕させるに足る膝蹴り。


 「しっ!!」


 タチガミ様も同じように膝を出します。


 ただ青年のものよりテンポを一呼吸、ねらいを膝がしら一個分ほど低くして放ちます。

 

 ボグギャァァァ!!

  

 そうすることでちょうど青年のスネ辺りにタチガミ様の膝蹴りが入り、軌道がずれ、さらには青年の体を後ろへと傾けさせます。


 「んなろぉがぁ!!」


 肉薄する小太刀。


 膝蹴りを出したせいで幾らか気勢が削がれたとはいえ、止まることのないタチガミ様の刃渡り。


 これはとらえたかと思いきや、青年は傾いでいく背中の流れに逆らわずむしろ自分から反らしに行き、その勢いのまま後方宙返り。


 パキィィィィィンンン!!

     

 そうして振り上げた足でもってタチガミ様の手を下から蹴り上げます。


 「…………」


 声こそ発しませんが、少しだけ眉をしかめるタチガミ様。


 痛み……というよりも小太刀が弾かれたせいで腕が上がり、こちらも懐が開いてしまったことに対する危機感からきた反応なのでしょう。


 「はぁぁぁ!!」


 その隙を見逃すほど、獣人族の目は節穴ではありません。


 むしろ常人より何倍も優れた動体視力と、何十倍も勝っている反応速度。


 宙返りから床へと着地し、しゃがみ込んだまま即座に足払い。


 迫る小太刀を躱しつつタチガミ様の片足立ちになった膝を崩すことに成功します。


 しかし、自身の体もまた槍を振るうには無理のある体勢。


 悠長に武器を構え直しているうちにタチガミ様も体を立て直すことでしょう。


 そう……構えるような武器ならば。


 「ぐらぁぁぁぁ!!」


 足払いで流れる体が回り、タチガミ様に背中を見せたところで青年はあろうことか携えた槍から手を離し、身一つでそのまま跳躍します。


 棒高跳びの背面飛びのような姿勢ですが、跳ねる方向は上ではなく横。


 タチガミ様の方に向かって、捻りを入れながら。


 ……大きく大きく口を開けて。


 「がううぅぅぅわぁぁぁぁ!!」


 獣人という名に相応しい獣じみた容貌。

 獣という名に相応しい凶悪に尖った牙。

 

 青年は己の持ちうる身体的特徴をいかんなく使い、タチガミ様の首筋に噛みつきにいったのです。


 戦い方としては決して洗練されていない、ヒト型の人種同士でのやり合いにおいてまずお目に掛かれないような攻撃手法。


 手に持った物だけが武器ではないと言わんばかりの奇抜な攻撃。


 完全に獣化した姿ですから、牙や爪によるアプローチもあるだろうことは何となく予想はつきます。


 ただ、相手は魔獣や魔物ではなく、あくまでもヒト型。


 それも、これまで一向にそれらを使う素振りもなかった相手から突然このような攻撃を繰り出されたなら、ほんの一瞬でも躊躇ってしまうのが普通でしょう。


 そしてそんなわずかな躊躇いによって生じた小さな小さな隙間。


 それがこのように拮抗した者同士の戦いにおいて命の明暗を分ける核心的な分水嶺となってしまいます。


 「……っふ!!」


 ……しかし、タチガミ様は躱します。


 一部の隙も一切の躊躇もなく、青年と同じように後方へと宙返り。


 こちらも高さより距離をとることに重点を置いた飛距離のある跳躍。


 ただそうすると、牙を躱せたとしても着地の間際で青年の突進と正面からぶつかり合ってしまうことになってしまいますが……。


 「……っと!!」


 シュルルルル……


 と、私が思っているようなことは当然、タチガミ様も理解していました。


 当然にして瞭然。

 すべて織り込み済み。


 宙返りの高さが頂点に達しようとする前に左手を振ったかと思えば、グン、と彼の体が何かに引き寄せられるように側面の壁へと向かっていきます。


 あれは……ワイヤー?


 そうです。


 さきほど獣人の青年が密やかに私の首へと巻き付かせ、そしてタチガミ様が蹴りを放つと同時に青年の槍の穂先を傾けて断ち切ってくれた、あの極細のワイヤーです。


 いつの間に回収し、さらにはそこらに転がった瓦礫の破片をおもりとして括りつけていたのか。


 それを壁に居並ぶ、今は何一つ照らすことのできなくなった燭台へと巻きつけて無理矢理に軌道を変えたのです。


 攻撃も奇抜なら、回避もまた奇抜。


 そんな物が必要になるであろう展開まで予想していたのだとしたら、タチガミ様の発想なり思考なりは奇警きけいとすら言えます。


 「危ない危ない」

 

 「しゃらくせぇぇぇぇぇ!!!」


 苛立たし気に槍を掴み直す獣人の青年。


 ブゥゥン……


 そして魔力を通すような気配を感じたと思った次の時にはもう形状を変化させていた武器。


 

 ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

  ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

   ヒュン!ヒュン!ヒュン!!


 変形した長弓から放たれる矢。


 矢筒など抱えていないというのに、いつの間にやらつがえられている矢。 


 しかも一射で三本。

 しかも射と射の間隔がほぼゼロと言っていい高速の連射。


 ワイヤーを支えに壁へと張り付くタチガミ様目掛けて向かっていきます。



 ガガガガガガガガガガッ!!



 しかし、その矢はただでさえところどころ崩れおちている聖堂の壁に無数の穴を穿つだけ。


 攻撃を読んでいたかのようにタチガミ様は既にワイヤーから手を放しており、射線から逃れるようにゴロゴロと床を転がっていました。


 ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

  ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

   ヒュン!ヒュン!ヒュン!!


 そして、青年の方でもまたタチガミ様が躱すであろうことを読んでいたように、彼は追撃の手を既に打っていました。


 タチガミ様が転がった体勢から身を起こして全力で駆けていくのを追いかけるように高速の矢が襲い掛かります。


 九本の矢がトグロを巻いたように長いウネリを作りながら迫っていくのは、まるで大蛇のよう。


 標的を丸のみにせんと、獣人族もかくやという具合に荒々しくアギトを開いて牙を剥きます。 


 

 ガキィィンン!!ガキィィンン!!

  ガキィィンン!!ガキィィンン!!

   ガキィィンン!!ガキィィィィンンン!!

  


 ……それでもタチガミ様はとらえられません。


 走り抜ける最中、躱し切れずに肉薄する矢を小太刀を振るって弾きます。


 さきほど私の前に立ちはだかって、そのことごとくを防いでくれたのと同じく。


 的確に、何より正確に。


 一本、あるいは二本と叩き落として矢を迎撃するのです。


 ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

  ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

   ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!


 たとえそれが、四本が三連の十二本でも……。


 ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

  ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

   ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!


 たとえそれが、五本が三連の十五本でも……。


 ガキィィンン!!ガキィィンン!!

  ガキィィンン!!ガキィィィィンンン!!

   ガキィィンン!!ガキィィンン!!

 


 同じようにタチガミ様は表情一つ変えずに防ぐのです。


「……ちっ……」


 グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……

      

 数撃ちではタチガミ様には届かないと判断した青年。

 

 それならばと弦を引き絞る音が私の耳にまで聞こえてくるほど力を込めた一射が放たれようとしています。

 

 つがえているものは……え?槍?

 

 十字になった穂先の形状や艶のある瑠璃色の色味も、青年が気ままに振るっていたあの槍と長さ以外、まったく同じ。

 

 体中に無数の傷を負わせたその切っ先が、今度は弓の弦に引かれてタチガミ様をとらえています。

 

 ……おまけに……です。


 「ふぅぅぅぅぅぅ……」


 獣人の青年は目を瞑り、大きく息を吐きます。

 

 ヴゥン、ヴゥン、ヴゥン……


 バシュゥゥゥゥゥゥゥゥ!!


 そして獣化してからはナリを潜めていた青白い明滅。

 

 活性化した魔力路が再び肌の上に浮き上がってきたところで、それが意味する通り、尋常ではない大量の魔力が青年の体から精製、放出されます。

 

 視認できるほど渦巻くそれが、私の肌を冷たく撫で上げます。

 

 術式を編んだわけでもないというのに現象として世界に顕れたそれが、ただでさえ朽ち果てている礼拝堂の装飾や備品たちを粉微塵に砕いていきます。

 

 「……ホント、ひっさびさに楽しい殺し合いだったぜ、兄ちゃん……」

 

 そう呟く獣人の青年。

 

 とても小さく、とても静かな声。

 

 つい数分前までの高揚と恍惚、そして陶酔しきった声とは違って随分と落ち着いた口調です。

 

 その唐突な躁と鬱の差が。

 その急激な精神の静まりが。

 

 牙を剥き出していた時よりも恐ろしく、何より底の知れない不気味さを醸し出しています。


 「……けど、これで終わりだ。コイツがアンタを貫けば俺の勝ち、防がれればアンタの勝ち。わかりやすいだろ?」


 「…………」


 「『必ず』『殺す』……。必殺技ってやつはよ……本当はこのくらい極端な一手のことを言わなきゃいけねーんだろうな……」


  キュィィィィィィィィィィィンンンン!!!!


 指向性を持たない純粋な魔力。

 趣向性を持たない剥き出しのままの力。


 ……それが今、明確な意図と意味を持って、青年のつがえた槍へと集束していきます。


 「……≪エヴ・ゼノス≫」


 青年の紡いだ言葉の意味はわかりません。


 おそらく『セリアンスロープ』という単語と同様に。


 ≪王を狩る者セリアンスロープ≫という種族と同様に、時代に忘れ去られた古の言語。


 もはや誰も口にしない、口にすることのできないそんな言葉を操る、忘れ去られたはずの獣人。


 ……ただ、なんでしょう。


 それは避けられようもない終焉の訪れを、これ以上ないくらい饒舌に告げているような五文字でした。 


 「ふむ……さすがに無理か、これは……」


 そうタチガミ様が呟いた時。

 その小さな声を無慈悲にかき消すように……。



 パァァァァァァァァァァァァァンンンン!!!!

 

 

 矢とは比べ物にならないほどの大音量。


 撃つだとか弾いたとかいう表現よりも、音から連想されるように何かが盛大に破裂・破砕したかのよう。


 速度も威力も、そんな大仰な音に見合うだけの猛烈な一閃が礼拝堂を走り抜け……。



 バガゴォォォォォォォォォォォォンンンンン!!



 広大な空間、そのおおよそ半分ほどが一瞬のうちに吹き飛びました。


 ……もちろん。


 照準の合わせられたタチガミ様の体、もろともです。


 「た、タチガミ様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 

 ……私はそこで、久しぶりに自分の声を聞いたような気がします。

 


                 ☆★☆★☆ 

 

 そうです。そうなのです。

 

 私は、タチガミ様が通算で三度目になる攻防に臨んで斬りかかってからというものの、一文字もこの口から発することもなく、戦況の行方をただ見ていたのです。

 

 ……いいえ、こんなところで見栄を張っても仕方がありませんか。

 

 正直に言うと、

 

 

 アンナベル=ベルベット。

 

 由緒正しく、古式ゆかしい貴族の中の貴族であるベルベット家の長女。

 

 そんなただ息をしているだけで栄華の方から黙っていても擦り寄って来る日向の身にありながら、ラ・ウール王国近衛騎士団という、控えめに言っても汗と血と仄かな闇にまみれた日陰の環境に自ら飛び込んでいった私。

 

 今の副団長という地位に至るまで。

 

 王族の、特に第一王女たるアルル=シルヴァリナ=ラ・ウール姫殿下専属の護衛役を賜るまで。


 生半可な苦労ではありませんでした。


 知力にしても武力にしても、世俗や政治の薄汚い部分を笑ってやり過ごせるだけのしたたかさにしても、蝶よ花よと育てられた世間知らずの箱入り娘にはすべてがまったくもって足りませんでした。


 努力しました。


 はい、とにもかくにも努力、努力、努力……。


 しかも、そんな努力する姿ですら弱点として意地悪く小突いてくるような大人の世界を生きようと言うのです。


 表向きは至極スマートに。


 いつでもどこでも冷静に、冷徹に、冷血に……。


 弛まぬ自己修練の結果として手に入れた現在の地位。


 それは紛れもなく、陰で誰が何と言おうとも、私のこの手が自らで掴み取ったものに他なりません。


 こんな自分のことを、誇らしいとさえ思います。

 


 ……ですので、うぬぼれもあったのでしょう。


 

 二対一とはいえ、獣人族という破格の存在と渡り合えたこと。


 彼の放つ、それだけで凶器となりそうな圧倒的な殺気にも真っ向から立ち向かえたこと。


 私は私が誇らしく思う私のまま、この敵対者を退けられるのだ。

 


 ……そう思っていたのに……。

    



 パラパラパラ……



 目で追うのがやっとだった二人の戦いの早さ。

 曲芸のように多彩な攻撃と防御。

 焼け付くような熱量を伴って刃を交える混じり気のない殺し合い。


 「…………」


 半壊した礼拝堂。

 今まで見てきた他のどんなものよりも高出力の攻撃。

 その必殺の技を放ってその場で完全に硬直する獣人。

 舞い上がる砂塵。

 積み重なる瓦礫。

 ……姿の見えない、同行者。


 並べられたそれらの現状を前に、私はただ立ちすくむしかなかったのです。


 動かなければいけない……動けない。


 隙だらけの獣人に斬りかからなければいけない……動けない。


 タチガミ様の安否を確認しなければいけない……動けない。


 ……逃げなければいけない……


 動けない……

  動けない……

   動けない!!!!



 「……私は……一体……」


 本当に……本当に……。


 私は一体……。


 「……これまで……何の……何の……ために……」




 「なぁ、そこのおねーさん」


 自分の無力さに打ちひしがれ、うつむく私。


 噛みしめた唇の鉄臭さと鋭い痛みですら、うなだれた顔を上げることはできなかったというのに。


 「え?」


 ……突如として耳に入ってきた。


 こんな殺伐とした場には至極不釣り合いに呑気な調子の声が。


 私の顔を反射的に上げさせてしまいました。


  


  チリーン……



  上げた視線のその先には。

 

  ピンと頭の上に張り出した二つの耳。

  髪よりも若干薄目の紫色がユラユラと揺れ動く尻尾。

  長くも鋭くも尖ってもいない爪と、八重歯のように小さな牙。


  ……ようするに。


 「ちょっとゼノ君を、止めてほしいんだゾ」



 ≪王を狩る者セリアンスロープ ≫の少女が私をボンヤリと見つめていたのです。



 

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