第二章・廃聖堂にて~ANNA‘s view③~

 コツ、コツ、コツ……


 幅の広い廊下に、私の靴音が反響しています。


 コツ、コツ、コツ……


 広いのは何も廊下だけではありません。

 

 建物自体の規模にしても、重厚な門構えにしても。

 

 そこをくぐり抜けて足を踏み入れた礼拝堂部分にしても、こうやって歩いている廊下に並ぶ窓の一つ一つにしても……。

 

 そのいちいちが超大で巨大。

 

 一般的な教会や聖堂、もっと言えば人が生活を営む建造物としては明らかに造りが大振りです。

 

 まるで人が生活を営むことが目的ではないという具合に。

 まるで人とは違う何かを迎え入れるのが目的なのだ言わんばかりに。

 

 とにもかくにも、大きな建物なのです。 


 コツ、コツ、コツ……


 誰の手も入らず、誰の足も踏み込まなくなってからもうどれだけの年月が経ったのでしょう。

 

 欠け落ちた石壁。

 繁茂する雑草や縦横無尽に伸びるツタ。

 姿は見えずともせこせことした気配だけは感じる小さく臆病な生物。

 

 さきほどから廊下の各所に突然ポッカリと開いた空白は、おそらくそれぞれに何か役目を振られた部屋への入り口なのでしょう。

 

 木製の扉は朽ちることすら通り過ぎてもはや跡形もなくなり、錆びた蝶番ちょうつがいやドアノブなどの金属部分だけが、置き去られたかのように虚しく転がっているばかりです。

 

 「え~こほん……」

 

 なんとなく居た堪れない沈黙が続き、仕切り直そうとした私の咳払いが、ことさら大仰に響き渡ります。

 

 「改めまして、ここが件の廃聖堂。名称はドラゴノア教西部方面大聖堂。正確にはとうの昔に廃れたものですので『旧』とか『跡』などがつきますし、さらに細かいことを述べますと教団の中では『覇王の左翼』と呼ばれていた建物だそうです」

 

 「なるほど」

 

 「ラ・ウール王国の建国は≪幻世界とこよ≫の創世と同時期、つまりは二千年あまりの歴史を積み重ねるということはタチガミ様ももうご存知かと思います」


 「ああ、そう聞いてる」

 

 「≪創世の七人≫が世界の構築とともに各地へと散らばり、≪幻人とこびと≫の手による文化の誕生、ならびにその発展の助力を行ったとされています。ちなみにラ・ウールの建国に携わった始祖たる偉人は、かの大魔女・リリラ=リリス=リリラルルだと伝えられているわけですが……」


 「たしか本人がそう言ってたな。『海がな……呼んでおったのじゃ……』とかなんとか」


 「……とにかく、今ある世界の礎を築き上げたのは≪創世の七人≫。それが世界の常識であり定説であり、覆りようのない真実の史実です」


 なんだか観光ガイド的説明口調が板についてきている気がします。


 タチガミ様にお返ししたガイドブックもかくやというほどの簡潔にして程よい奥行き。


 たとえ無茶振りばかりしてくるどこかの高慢王子を殴りつけて失職したとしても仕事には困ることはなさそうですね。


 ははは……ははは……はぁあ……。


 コツ、コツ、コツ……


 「……しかし、その史実に真っ向から反論する勢力がありました。……それがドラゴノア教。かつてこの世界に君臨した魔獣の王、ドラゴンを神として崇拝する宗教団体です」


 「……ドラゴン……」


 「はい、ドラゴンです。古代……それこそ創世期に≪幻人とこびと≫とともに世界の覇権を争い、そして破れさった、もはやお伽噺の中にしかあらわれない伝説上の生物とかした存在。……ですが姫様からお聞きしたところ、ドナの街にて今代に顕現したのだとか。……タチガミ様もその姿をご覧になったのではないでしょうか?」


 「どうなんだろう……正直そこら辺りの記憶が曖昧なんだ」


 「そうですか……」


 「……でも、確かに似たようなのは見たことあるかな」


 「というと?」


 「いや、なんでもない。気にしないでくれ」


 「……はい」



 コツ、コツ、コツ……



 コツ、コツ、コツ……



 「……とにかく、あれを間違っても神様だなんて思えないくらいには知っているつもりだ」


 「……私も同感です。しかし、そう主張してはばからない人間がいるのです。それも割と真剣に」


 「それがドラゴノア教?」


 「はい、世界を一から創り上げるという途方もない偉業など人間風情が行えるわけはなく、魔獣の楽園を夢見たその生態系の頂点、覇王たるドラゴンが人知を超えた御業でもって≪幻世界とこよ≫を築いたのだと信じてやまない者たちです」


 「信心深いのは何も悪いことじゃないだろ?」


 「もちろんです。さきほど港街の賑わいをご覧になったでしょう?ただでさえラ・ウールは他国との交流が盛んで、それに伴う異文化の流入は必然避けては通れません。ですので王国は法の下に宗教の自由を承認というか、むしろ推奨しているくらいなのです。そういった様々な価値観が入り乱れることで生じる熱量こそラ・ウール経済の根幹であるという理念の元に……。我が国は自国民・他国民を問わず、人々がどのような神を崇めていようとも色眼鏡で見るようなことは決して致しません。……しかし……」


 コツ、コツ、コツ……ピタ。


 私はそこで歩みを止め、屈みこみます。


 長い長い廊下のちょうど中央付近。


 その端に転がっていた、半ば割れてしまって原型を留めていない陶器の破片を数枚拾い上げます。


 「ドラゴノアはやりすぎました」


 「やりすぎた?」


 「信仰の広まりの面でも抱え込んだ信者の数という面でも、教団が最盛期であったおよそ四百年前。勢いづいたドラゴノアは各地で一斉に武装蜂起をしたのです」


 「何に対して……とは聞くまでもないか」


 「はい、相手は『人』。もっと具体的に言えば、人類の実質的頂点ともいえるラクロナ帝国に宣戦布告をしたのです」


 私は手に持った破片を、割れかたから推測して幾つか繋ぎ合わせてみます。


 そうして出来上がったものはドラゴンの首から上。


 儀式や礼拝時に使われていた偶像の一つですか。


 同じところに盛られた他の破片は見るからに粉々で、おそらくそれは胴体や翼、下半身部分を成していたものかと思われます。

 

 首を飛ばされ、地に伏し、ホコリにまみれて汚れたかつての覇王……。

 

 まるでその絶大の力に心から救いを求めてすがった者たちの末路を象徴しているかのようです。


 「不満があったのでしょうね。当時は世に言う戦乱期の末期も末期。ラクロナが帝国の名を掲げ、かなり無理のある制圧ないし弾圧を破竹の勢いで推し進めていた頃合いです。その時点でそこらの中小諸王国などよりも地力のあったドラゴノア教団が、帝国の圧政に耐えかねて決起したのは、彼らの教示に基づくのならば既定路線だったと言えるかもしれません。……人間ごときが何を大きな顔をしているんだ、と」

 

 「そしてその人間ごときに、彼らは敗北した」


 「はい。それはそれは徹底的に……」

 

 パリィン……


 「完全無欠の大惨敗です」


 私が手を離した陶器の破片が床に落ち、さらに細かく砕け散ります。

 

 もはや修復は不可能でしょう。

 

 そう、こちらもまた教団の末路と同様。

 

 おそらくは刃を向けられ、炎で焼かれてもなお救いを求め続けた敬虔な信者たち。

 

 彼らの祈りを一身に受け続けた偶像は、その祈りを最後まで抱え込むだけで成就させることなく、虚しく砕け散っていったのです。

 

 「世界全土を巻き込んだ歴史上最後の大戦争。その詳細や教団の現在について興味がお有りなのでしたら後日、姫様に尋ねてみると良いでしょう。魔術歴史学とはすなわち≪幻世界とこよ≫の歴史。その学問の権威であらせられる姫様ならば、私などよりももっと詳しく、わかりやすくご教授してくれることでしょう」


 「おいおい機会があればかな。それに今の説明でも十分触り部分はわかったよ、ありがとう」


 「……恐縮です……」


 私は制服のスカートについたホコリを払いながら立ち上がります。


 ……さてと。

 ……これでネタが尽きてしまったわけですが……どうしましょう。


 「とてもわかりやすかった。うん、ホントに。……だけど……」


 時間稼ぎももはやここまで。

 いい加減、腹を決めなくてはいけませんか……。



 居もしない野盗の存在をでっち上げ、近くにいた私と彼とで対処するという体をとれ。

 そして人目に付かないこの場所で秘密裏に彼のことをしろ。

 

 ……などという内容の大雑把さといい三文文士みたいな筋書きといい、実に実に馬鹿らしい指令。

 

 もちろん、実行になど移す気はさらさらなく、形だけは従い、赴いた廃聖堂や過去に世界を混乱に陥れた狂信教団などの講釈を長々と垂れながらも、彼や命令を下したアホ王子への言い訳をずっと考えていました。


 ですが、熱心に純粋に私の説明に耳を傾け。

 見ず知らずの異国の歴史を知ろうとする真摯な姿勢。

 

 そんな彼に姑息な方便を垂れることを、私の中の良心が許してくれません。

 

 相も変わらず、見つめられるだけで言い知れぬ疼きをもってして何かを訴えかけてくる、私の中の私が絶対に許してなどくれません。


 誤魔化すな。

      偽るな。

         彼とは常に対等であれ……


 ……ここは正直に。

 ……とにかく誠実に。

 

 ありのままを打ち明けて素直に謝りましょう。


 アホ王子には……まぁ、適当に胡麻化し、偽ってもいいですか。


 ことタチガミ様に抱いている王子の一方的な憎悪を考えれば、最悪、職を失うことが現実になってしまいそうですが、とりあえず再就職先にあてが出来たのでなんとかなるでしょう……。



 「あのですね、タチガミ様(ボソリ)……」 


 「だけどさ結局、俺たちがこの廃聖堂にいる理由って……」


 「本当~にすいませんでした!!」


 ヒュン……カッ!!


 ガバリとタチガミ様の方へと振り返り、深々と頭を下げた私。


 まさに平身低頭。

 直角に迫るかという勢いで折り曲げた腰。


 そうして低くなった私の視線の端に、何か赤い物が映ります。


 よく見てみれば、それはタチガミ様が手に持っていたガイドブックの背表紙。


 さらによくよく見てみれば、その表紙を貫いた鋭く尖る金属片が私の眼前間際で止まっていました。


 「え?」


 「アレをどうにかしろってことでいいんだろうか?」

 

 アレ、とは一体なんです?


 そうタチガミ様に尋ねるよりも先に。


 メガネのレンズ越しに開けた視界の中で。

 野盗どころか人っ子一人いないハズの打ち捨てられた廃聖堂の広い廊下の上で。


 今まさに矢を放ったばかりだという風情に弓を構えた誰かが……。

 

 静かな……しかし、明確な殺気を私たちに向けて佇んでいました。

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