第二章・廃聖堂にて~ANNA‘s view➁~
「…………」
こうやって思い返してみれば、なんとも直情的で猪突的でした。
我ながら、姫様のことになると本当に自身を見失ってしまいます。
これでは近衛騎士団の副団長として。
ひいてはラ・ウール王国国防における総指揮者としては失格も失格。
何をどう弁解してみたところで、結局は私情だけで動いてしまったことに変わりありません。
……とはいえ、後悔などしていないのもまた本心。
その自分の身勝手が気の向くままに王宮から飛び出したからこそ、私は誰よりも早く、再びアルル姫の壮健な姿と対面することができたのですから……。
「…………」
私は隣に佇む男……。
まるで何者かの見えざる手によって翻弄され、何度となく繰り返したすれ違いや行き違いの果てにようやくとある小さな村で再会したアルル姫の隣に立っていた男。
タチガミ・イチジなる人物を改めて観察します。
姫様が門をくぐって赴いた異世界……≪
幼い女児の姿をしていますが、その実、かの伝説の大魔女・リリラ=リリス=リリラルと眷属契約を交わし、従属させるマスター。
その身に≪
そして姫様がひどく懸想し、食客として王宮の一室を提供させ、私に『様』付けをさせる馬の骨……。
私にだけはと姫様から事情は聞かされてはいましたが、何もかもが俄かには信じがたい。
……特に最後のものに関しては今だって信じたくはない背景の持ち主です。
彼がラ・ウールに滞在すること一週間あまり。
常に姫様か眷属たる幼女がまるで守るように傍にいて、まともな接触はできませんでした。
そのお二方が別件で離れている今こそ好機。
人となりを見極めるため、暇にまかせてラ・ウール観光をしたいと申し出た彼の後を尾行していたのですが……まぁ、色々と諸事情がありまして、このように案内役に甘んじてしまったというわけなのです。
「…………」
「ん?どうかした?」
身長は成人男性の平均よりも高く、均整の取れた肉付き。
屈強な騎士たちの体躯と比べればか細い印象はありますが、姿勢の良さや歩き方、佇まいのあまりに自然な様は、弛まぬ地道な鍛錬によって確かに磨き上げられた体幹筋肉の充実がうかがえます。
私のようにまばらなものではなく、ハッキリとした黒髪。
ツヤがなく、普段は短くしているところから伸ばしっぱなしになっているという感じの無造作な髪型。
それでも不思議とだらしないといった印象はなく、表情の乏しさや感情表現の希薄さとも相まって、無骨で愚直な修行僧といった趣があります。
そして印象的なのが目……。
若干青みの混じった私の瞳とは違い、こちらも髪の色と同じように混じり気のない黒。
三白眼と呼べるほどに殊更白目が多いわけではないのですが、なんとなく主張の控えめな黒。
その黒目に、まったく輝きのようなものがないのです。
空虚だとか伽藍洞だとか、近い表現の仕方は幾つか思い浮かびますが、どことなくどれも相応しくない。
強いていうならば『無が有る』。
慣用句の使い方としてはまるで正しくない、思わせぶりなだけの言葉遊びです。
たとえば読み物の中でこんな表現が使われたとしても、私はうまくその有りようを想像することはできなかったことでしょう。
ですが、これ以上に的確な表現もありません。
実際にこうやって目の前に立ちその瞳に見つめられると、確かな質感をもった果てしのない『無』の連続に囚われたような気になってしまうのです。
……さらに、もう一つ。
彼の瞳から受ける印象といえば……。
「……タチガミ様?」
私はただでさえ一切の乱れもほつれもない制服の襟を正して彼に問います。
「なんだろう?」
「改めてあなたにお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「……私たち、どこかでお会いしたことがありましたか?」
「……どうしてそう思った?」
顔色一つ、頬一つ動かさず、タチガミ様は問い返します。
「何か確信があるわけではありません。勘違いと言われてしまえばそれまでですし、気のせいだと言われればそれで私は納得いたします。ただあなたの視線に、既知の者と対峙する時のような親しみみたいなものを感じるのです」
「ふむ……」
「……なんとなくです。本当になんとなく……。私を見やる時、私の話に耳を傾けている時のあなたの表情は、姫様や他の方々と接するのとはまた違った雰囲気をまとっているような気がしてなりません」
「雰囲気……か……」
「抽象的な表現しかできなくて申し訳ありません。実際、あまりに曖昧ですし、外見からはまずわからないくらい軽微で些細な変化なのでしょう。……しかし、向けられている本人だからこそわかるものもあります。あなたは確かに、私の中に……いえ、正しくは……」
「…………」
「私の向こう側に、誰かを見ています」
「……ふっ……」
タチガミ様が笑います。
笑みと呼ぶにはおこがましく。
微笑みと言うはまだ細く。
口の端をわずかに曲げて、タチガミ・イチジは笑います。
私を見つめる時のように優し気に。
私に重ねる誰かとの再会を果たした時のようにやわらげに。
懐かしそうに。
嬉しそうに。
愛おしそうに。
……哀しそうに。
視線を眼下に広がる港街に落としながら、タチガミ様はほんの一瞬だけ笑ったのです。
「……何から何まで、本当に似ているな、君たちは」
「そうですか……」
「そのクールビューティーを地で行く外見も、良く回る頭も」
「…………」
「そのくせ誰よりもウブで恥ずかしがり屋で、乙女チックで可愛らしくて」
「…………」
「ぼぉーっとしてることの多い俺は、よくソイツに尻を叩かれていたよ。……いつだかお返しに尻を触ってやったら真っ赤になって本気で泣かせちゃったこともあったっけな」
「……端的に言って、最低ですね」
「そう……まさにそんな感じで言われたよ『最低です』って。泣きながら」
彼がまた彼なりの笑みを浮かべます。
「そんな風に涙をポロポロ流して、羞恥心からプルプルと肩を震わせて……それでもキッとこっちを睨んでくるんだ。俺に負けるまいと、俺なんかに屈してたまるかと。……たぶん、あの時なんだろうな……アイツのことがたまらなく好きになったのは」
「随分と倒錯した趣味ですね。……不潔です」
「そう思う。……だけど好きだったんだ」
さきほど私の髪を『好き』といった時と同じような意味合いの『好き』。
愛情表現というよりも純粋な好意を示すための『好き』。
どちらにしても本来は美しく前向きな種類の言葉。
だというのに、そう『好きだ』と呟いた後の彼の顔からは笑みが消え去り。
代わりに、静かな悲哀みたいなものが浮かび上がります。
……どうしてでしょう?
その特に変化の見られない、相変わらずの無表情だというのに。
私には彼がひどく悲しんでいるのがわかります。
そして。
チクチク……
そんな彼の悲しみが、私の胸を思い切り締め付けます。
「……あちらの世界に残してきた恋人か何かですか?」
私は湧き出た正体不明の切なさを胡麻化すように、タチガミ様に尋ねます。
「いいや、俺とアイツの間に、そんな甘ったるい色恋なんかは挟みこむ余地はなかった」
「そうまで断言してしまうのですか?」
「俺とアイツはさ……」
彼がこちらに向き直ります。
またその黒い瞳が私をつかまえます。
……そう、つかまえてしまうのです。
チクチク……チクチク……
そうやって見つめられる度、私の中に突如としてあらわれる切ない気持ちが、より一層チクチクと胸を刺してしまうのです。
「仲間であり、同志であり、ライバルであり、……かけがえのない、親友だったんだ」
「……親友……だった……」
「そう、『だった』。もう十年も前に死んじゃったからね」
キュ……。
私は無意識に、胸の真ん中辺りの服の布を握りこんでしまいました。
制服の前を留めているボタンの感触を、握った手の平の中で感じます。
好きだと言われた。
親友だと言われた。
……恋仲などになりようもなかったと言われた、名前も知らない私とよく似た女性。
まるで、この胸の痛みや手に込めた力が、彼女の抱いていたある種の感情を如実に表してでもいるかのようです。
「……彼女の方では……そう思っていなかったかもしれませんよ?」
だから私は、思わずそう口にしてしまいます。
最期までこの痛みを自分の中に抱えこんだままで逝った。
最期の最後までこの痛みを彼に向かって『痛い』と伝えられなかった。
自分とよく似ているらしい彼女のために、私は言わなくともいいことを口走ってしまいます。
「え?親友だと思ってたのが俺だけだったってこと?それは、なかなか恥ずかしいな」
「……いえ、そうではなくて……」
「冗談だよ。……だけどホント、恋人とかにはなれなかったと思う。だってアイツ、好きな男がいるって言ってたし」
「……それ、どんな状況でどんな感じに言っていましたか?」
「ん?確かあれは……いつだかのバレンタインの日だったかな。……話の流れで、俺がチョコを渡すような好きな男でもいないのか?って聞いた時に『ええ、いますよ、いますとも!イチジさんと違って鈍感でもないし、イチジさんと違って女心がすっごくわかる人ですし、もう何もかにもがイチジさんとはまったく正反対の優しい人ですけどね!!』ってなんだか怒りながら義理チョコを顔面に投げつけられたんだよ」
「鈍感か!?」
「あ、アルルっぽいなそのツッコミ」
「はあ゛ぁぁぁぁぁぁ……」
今度の溜息は潮風にもさらうことができないほどに深く大きなものとなりました。
はい、いいんです。
それでいいんです。
この大きな大きな溜息は、この場で溶かして丸めて固めて、キレイな包装紙でくるんでリボンを結んで、このぬぼらぁ~っとした鈍感男の顔面にでも投げつけてやればいいんです。
ああ、なんて不憫な私に似た誰か……。
ああ、なんて不憫なアルル姫……。
鈍感なクセしてちょこちょこっとこちらの心をくすぐってくる悪魔的なまでの女の敵。
どうしてこんな男に彼女も姫様も……。
「あ、ちなみにこっちの世界にもバレンタイン・システムは存在するんだろうか?」
「うるせーです!!」
ピキィィィィンン……
およばずながら女性の代表として、この鈍感男に対する怒りをぶつけた私の言葉遣いが荒れに荒れた時。
ちょうそいいのか悪いのかわからない絶妙な間合いで、頭の中に念波が走ります。
それは通信の魔術、≪テレ・パス≫の受信合図。
言葉ではなく、直接頭の中に思念を飛ばして会話をする、隠密性に特化したもの。
ただでさえあまり一般的ではない魔術属性に帰属しているだけでなく、習得した者同士でしかやり取りをできないだとか、効果の距離的範囲が限られているだとか、非常に使い勝手の悪い魔術。
ですが、その条件さえクリアし、うまく使いこなせれば、このようにどこにいたとしても緊急連絡を受け取ることが出来ます。
「……ふぅ……」
習得した者同士だけ……ということは必然、通信を飛ばしてきた相手は限られてきます。
今のところ私が思念のやり取りするような相手は三人だけ。
そしてこの波長は、その中でも一番めんどう……いえ、気を引き締めなければならないお人です。
「なんかまた……ごめん」
「……別に怒っていませんから、大丈夫です」
「いや、めちゃくちゃブチギレてたけれど」
「い、いいですから、それはもう。……少しだけ静かにしていて下さい。通信が入りましたので……」
「通信?」
怪訝そうな顔をするタチガミ様を尻目に、私は頭の中の回線を開きます。
『……こちら、ベルベット』
『どうした?応答が遅いぞ』
特に遅れたというわけでもないのに不機嫌そうな声色。
いえ、念なので声色も何もあったものではありませんが、厳しい発動条件のために自然と通信相手が顔見知りに偏る魔術ですので、その念から送信者の声を勝手に変換してしまうのです。
そして、相手はやはり思った通りのお人であり、想像通りにきっとどこかで不貞腐れたような顔をしているのでしょう。
『申し訳ありません。任務中なものでしたから』
『ふん、任務だと?我が国の姫君にまとわりつくゴミ虫の監視など任務のうちに入らん』
……そのゴミ虫の監視を、姫様の護衛など他の誰かに任せて最優先にして行えと直々に命令してきたのはどこのどいつなのやら。
『……それで、わざわざ≪テレ・パス≫をお使いになられほど緊急のご用向きでしょうか?』
『そうだ、最も重要にして、最も最優先の事案だ』
『……最も最優先って……国語が不自由ですか(ボソリ)……』
『んん?念が弱いぞベルベット。何か言ったか?』
『いいえ。大丈夫です、申し訳ありません」
『ゴミ虫は近くにいるな?』
『……はい、隣におります』
『隣?秘密裏に監視しているのではなかったのか?』
『……はい、諸事情がございまして。しかし監視という目的の面ではまったく支障はありませんので、ご安心ください』
『そうか。まぁ、そのゴミ虫がちゃんといるならばそれでいい。ふっふっふ……』
通信相手のお方は、これまた念波だということも忘れて不敵な笑い声をあげます。
こんなに感情豊かな思念を飛ばせるのも生まれ持った才能の成せる業なのでしょう。
……大いに才能の無駄遣いをしている感が否めないですが。
『…………』
『……今、俺の悪口を考えなかったか?』
『滅相もありません』
ちっ……ホント、無駄才能。
『ベルベット、お前たちは今どこにいる?』
『はい、港を見渡せる展望丘に』
『ふっふっふ。なおのこと都合がいい……さすがはラ・ウール近衛騎士団・副団長だな』
『……はい?』
それから幾らか思念のやり取りをしたのち、一方的に回線が切られます。
言いたいことだけ言ってこちらの意見になど耳を貸さないのは念波でも会話でも同じこと。
今更、どうこう言うつもりはありません。
「…………」
しかし、今回ばかりは私も顔をしかめてしまいます。
しかも苛立ちというよりは……むしろ困惑のために、です。
「どうかした?」
タチガミ様がそんな私の顔を覗き込みます。
相も変らぬ、私を惑わせる……私のものとは思えない私の中の部分を刺激する。
黒い、黒い瞳で……。
「……任務です……」
「ああ、緊急の?」
「はい、最も最優先の事案だそうです」
「なんで国語が不自由?」
「……では、参りましょう……」
「それじゃぁ、気を付けて。これまで案内ありがとう。後は俺一人でまわって……」
「いえ、参りましょう、タチガミ様」
「……ん?」
「あなたと私。これは二人に課せられた任務です」
「……んんん?」
納得しかねるタチガミ様と、たぶん、彼以上に納得していない私。
任務の意味も意義も見いだせない私たち二人は、ともあれ連れ立って展望丘を後にします。
目指すのはそこから徒歩で十数分、さらに山間部へと歩いたところにある廃聖堂。
そこに潜伏している疑いのある賊の討伐をしろというのが、さきほどの通信相手……。
ナルル=テンペスタ=ラ・ウール第一王子により下された、最も最優先されるべき勅命なのでした。
ああ……ホント、最悪の日……。
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