第二章・廃聖堂にて~ANNA‘s view①~ 

 ……なんて最悪の日なんでしょう。


 いつものように目覚め、いつものように支度をし。

 いつものように朝食を済ませ、いつものように騎士団の朝礼に出ました。

 

 昨日とも一昨日とも同じ、いつも通りの朝でした。

 

 それから私は姫様を起こし、姫様のために起きがけの紅茶を淹れ、姫様のために一日の予定を告げ、姫様の身支度を整え、姫様を朝食の席に座らせ、姫様を新しい一日へと送り出す……。

 

 そう、これが昨日や一昨日、そしてここ数年間繰り返してきた朝の習慣。

 

 外遊や行事などとの兼ね合いで必ずしもすべてが予定通りにいくとは限りませんでしたが、所詮は誤差の範囲。

 

 私の一日が、姫様の一日のために始まることに。

 

 私、アンナベル=ベルベットの人生が、ただアルル=シルヴァリナ=ラ・ウール王女殿下の人生のためにあることに、何ら変わることはないのです。


 

 それにもかかわらず……。


 

 「……右手に見えますのがダスリル造船所。ラ・ウールの経済を担う大きな一翼となっている海運業に欠かせない商船や漁船をはじめ、大洋に浮かぶほぼすべての船があそこで造られています。また、優れた造船技術は大陸全土にも知られ、自国だけではなく他国からの造船依頼も広く受け付けており、それだけでも多大な利益を国にもたらしてくれています」

 

 「ふむふむ……」

 

 どうして私の隣にいるのがあの愛らしく聡明な姫様ではなく。

 こんな覇気のない、ぬぼーっとした男なのでしょう?

 

 「その向かい側に広がるのがマルクイット商会市民市場。貿易業を営むマルクイット商会が、取り扱う商品の手広さを生かし一般の方々に向けて一軒の露店を開いてから今年でちょうど三百年。今では市民の台所兼他国文化に身近に触れることの出来る交流の場となっています」

 

 「ほうほう」

 

 どうして陰ながら姫様の傍に控えているのではなく。

 こんな地位も出自もハッキリとしない怪しげな男を陰から監視しなくてはならなかったのでしょう?

 

 そして……。


 「更にその先……あそこに見える一際大きな建物が並んでいるところが、右から順にラ・ウール卸売市場、ラ・ウール商工組合、ラ・ウール貿易管理局。どれも王宮が直々に管轄する国営の組織です」

 

 「なるほど……」

 

 「以上のことからもわかるように、ラ・ウール王国の首都ラ・ウールは海の開拓ととも発展していきました。戦乱の世にも中立的立場を維持し、自国を守り続けてきたことはタチガミ様もご存じのようですが、それを実現可能にしてきたのは他でもない、王国の背にこの大海を背負うことで天然の要塞とし、さらには攻勢に転ずる時もやはり海を基点とした戦略を組み立てることで……」

 

 「…………」

 

 「……組み……立てる……こと……で……」

 

 「ん?」

 

 ……なんで私はこの男がラ・ウールの誇る名所各所を巡る旅路に帯同し、ガイドブック片手に丁寧な解説を交えながら案内をしているのでしょうか?

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「……一体、私は何をしているのでしょう?」

 

 思わず心の声だって漏れてしまいます。

 

 「……『振り向けばラ・ウール』ぶらり旅の巻?」

 

 男は相も変わらず、ぬぼらぁっとした顔のままで答えます。

 

 「…………」

 

 「もしくは観光ガイド?」

 

 「ですよね……」

 

 「あるいは観光デート?」

 

 「何でわざわざ言い直すんですか。肯定しているじゃないですか。何勘違いしてるんですか」

 

 「あわよくば観光旅行」

 

 「なにあわよくお泊りしちゃってるんですか。関係が発展していってるじゃないですか。新婚ですか」

 

 「銀婚旅行?」

 

 「発展どころか円満に二十五年連れ添ってるじゃないですか。あれですか。子育てが一段落したから思い出の新婚旅行の地にもう一度来たんですか」

 

 「ふむ、アルルとはまた違った芸風のツッコミだな……」

 

 「……ということはこうやって姫様もたぶらかしたんですね。不潔です」

 

 「いや、たぶん、あの姫さんに同じこと言ったら『言質とりましたの!』とかのたまって後戻りできなくなりそうだから絶対に言わない」

 

 「……そんなことは……」

 

 そんなことはないと両断してやりたかったところですが、ここ数日の姫様のいささか怪しげな様子を鑑みればあり得ない話ではなく、私はそれ以上何も言えなくなってしまいます。

 

 一国の姫君として常に凛々しく美しく。

 一人の天才として常に気高く崇高であったアルル姫。

 

 そんな姫様が『聞きました!?聞きましたわよねアンナ!?あ、これもうダメー!取り消すのダメー!』と年相応……もしくはそれにも満たない年齢の少女のようにわめく嬉々とした顔が、何故だかありありと浮かんできてしまいます。

 

 「…………」

 

 私が黙れば同じように黙ってしまう男。

 私が喋れば熱心に耳を傾けてくる男。

 

 ジッとこちらを見つめる男。

 

 特に男性特有のいやらしさも、どうしても冷たくなってしまう私の口調に対する不満の色もなく。


 無感情で無関心で、それでいて真正面から私と対峙してくる静かな黒い瞳。


 「…………」


 「…………」


 私は耳にかかった髪を無意識に後ろへと逸らします。


 私と彼が初めてまともに話をしたのはまだほんの数時間前。


 というかその段階では、まだ会話らしい会話などほとんどしていなかったところ。


 それなのに、いきなりこの髪の色を『キレイ』だと言ってきた男。


 私自身、こんな黒とも金ともつかない中途半端加減がどうにも好きになれない髪の色を。


 どこか恥ずかし気に、おそらく日頃の彼がまず他人に見せないであろうハニカんだ調子で『好きだ』といった男。


 ……不潔です。


 私がそんなことを言われたぐらいで喜ぶと思っているのでしょうか?


 ……はい、まったくもって不潔です。


 そんな似合わない態度で、ただぶっきらぼうに言われた一言なんかで。


 私はもちろんですが、姫様のように気位の高い女性がそのような甘言に踊らされるとは思わないことです。


 たとえば『ぴゃ~ぴゃ~』とか騒ぐ頭の足りないそこら辺の小娘と一緒されては困ります。


 ……まったくもって、まったくもって不潔。不潔の極みです。


 「……うぅぅぅぅぅぅ……」


 「えっと……大丈夫?急に頭抱えて?」


 「……うぅぅぅぅぅぅ(ガシガシガシ)」


 「それ、俺のガイドブックなんだけど」


 「……うううう……本当、私……何をしているんでょうね」


 「よくはわからないけれど、何か認めたくないものと壮絶な葛藤を繰り広げているんじゃないだろうか?」


 「……ははは、ははは…………はあぁぁぁ……」


 ここはどこまでもどこまでも広がる大海と、その海岸線に沿うように立ち並ぶ人の営みを一望できる小高い丘。


 私が乾いた笑いと共に吐き出した大きなため息は、そんな丘に吹き抜ける柔らかな潮風の中に、虚しく溶けて消えていきました。


               ☆★☆★☆


 

 私がお仕えするアルル王女殿下が長きにわたる研究の末に魔法・≪次元転移コネクション≫を発動し、開かれた門をくぐって異世界とやらに向かったのは、もう三か月も前。


 月が大きく欠けたとある薄暗い春の夜でした。


 事前に姫様が提示した行程表によると、その異世界でどれだけ時を過ごしてもあらかじめ指定した時刻、つまりはお姿が門の奥に消えてからきっかり八分後に帰還を果たすという予定でした。


 そもそも数日や数年と言わず、ものの数時間程度で大願を成就させられるはずだと姫様は過不足もおごりもなく冷静に分析し、彼女の優秀さを知る我々は、姫様の言葉をそのまま信じました。


 ……幼い時より常にお傍に寄り添っていた私にとって、姫様の背中が暗い暗い、不吉さしか感じさせずに渦巻いた魔素の中に消えていってからのその八分がなんと長く感じたことでしょう。


 できることならば私も一緒にその門をくぐりたかった。


 そもそも許されるならば、異世界などというどんな危険が潜んでいるのかもわからない未知の場所に、姫様を向かわせることなど止めさせたかった。


 しかし、彼女の揺るがぬ強い意志。


 誰が頼んだわけでもなくラ・ウール王国の未来を一身に背負った彼女の小さな背中。


 そんなものを見せつけられてしまえば、呼び止められるような言葉などどれだけ頭をひねっても思いつきません。


 ―― どうかご無事で…… ――


 私はロクに信じてもいないどこぞの神にそう祈るくらいのことしかできませんでした。

 

 そして八分が経ちます。

 


 そして……姫様は戻りませんでした。



 大規模な捜索隊を組織してラクロナ大陸各地に派遣しました。


 しかし、アルル姫の行方へつながる手がかりは一向に見つけられません。


 そもそも次元をまたいで別世界に行ったということですから、どれだけのこの≪幻世界とこよ≫をくまなく探したところで姫様がいるはずもありません。


 そんなことは百も二百も承知でした。


 私を含め、王族に関わりのあった人間。そのすべての者が理解していました。


 ……ですが、そのすべての者の中で、簡単に諦められない人間が多かったのもまた事実でした。

 

 『……ならば姫様が構築したままの門を使い、私があちらまで迎えに行きます』


 『……はい、わかっています。これは何と言っても魔法。姫様だからこそ使いこなせる代物であり、我々にはまともに発動すらできないことはわかっています。ですが行かなくてはならないでしょう』


 『……何を悠長な!?こうしている今も姫様があちらで苦しんでいるのかもしれないのですよ!?それを……それを……』


 『……はい……はい……。……わかりました。ですが捜索活動と並行して、他国の高名な魔術師の方にも要請を……は?メンツ?体裁?王国の恥部?そんなことにこだわっている場合ではありません!!あなた、姫様のお命と他国への体面など秤にかけることすら不敬ですよ!恥を知りなさい!!』


 ……姫様が行方知れずとなって一週間。


 私の怒号と、姫様の身を案じる者たちの焦燥感だけが王宮に飛びかっていました。



 そんな時です。


 領土内の東の果ての街・ドナが壊滅したとの一報が入ってきました。


 詳細まではわかりませんでしたが、他国の侵攻があったと考えるのが現実的でしょう。


 しかし、戦乱の時代ならばともかく、帝国の名の下に一応の平和が訪れている今のご時世で、街一つが潰されるなど前代未聞の出来事です。


 それにです。


 確かに陸路による交易の要を担ってはいますが、どうして取り立てて侵略する旨味の少ない辺境のドナが狙われたのでしょう?


 特にどこ国からも宣戦布告を受けてはいませんし、そういった動きがある旨を各国に放っている暗部の人間からも報告はありませんでした。


 一体どこの国が?なんの目的のために?

 

 捜索隊から遣わされた早馬が息せき切ってもらたらしたその唐突に過ぎる情報は、姫様の安否とともに最大限、憂慮すべき問題でした。


 ですから私は一時、姫様のことを忘れなくてはなりません。


 いえ、決して忘れられるわけはありません。


 ただ、私はラ・ウール王国の近衛騎士。


 その肩書は帝国のような巨大組織ならいざ知らず、小さな古国においては王族に、ひいては王国に害をもたらさんとする因子の排除にまで管轄の解釈が拡大されるのです。


 姫様の捜索隊を呼び戻します。

 新たにドナの救済と現場検証とを兼ねた隊を差し向ける準備に追われます。


 そうしておよそ二週間。


 またしてもドナからの早馬が携えた情報は、私に衝撃を与えます。


 街の破壊は魔獣の手によるものだった。

 街の大多数の人間が犠牲となった。


 伝説のドラゴンらしき姿が確認された。


 ギルド会館を破壊された帝国の正規軍がラ・ウールよりも先行して現地入りし、復興に助力していた。


 …どれもこれもが衝撃的でした。


 街を襲ったのが人ではなく魔獣であったこと。

 具体的に数字として示された死傷者数が想定よりもだいぶ多かったこと。


 生き残った人々の証言から導き出すに存在がかなりの信ぴょう性を持ったドラゴンのこと。


 そして、幾らギルドが治外法権を持つ、ラ・ウールからは独立した機関だとはいえ、領土である我が国にドナの壊滅や帝国軍の干渉について一言も伝えてこなかったこと……。


 一日おきにドナからもたらされる情報量の飽和に、私の頭は処理が追いついてくれません。


 どれだけ総括し、分析を試みても、その辺境の街で一体何が起こったのかという実態がまるで掴めないのです。


 しかし、ある早馬にのった兵が告げた情報。


 それを聞いた瞬間、私はすべての思考を停止させ、自らドナへ赴くことを決意しました。


 街を魔獣の手から救ったのは一人の少女。

 自らを旅の者だと名乗り、連れの男と二人でドナに身を寄せていたらしい。


 名前を『アルル』。


 まるで冴えた月光のような美しい髪と瞳を持った、白銀の少女だった……。



               

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