第一章・王都にて ~ICHIJI‘S view③~
「ふむ……美味いな、これ」
と、俺は皿に盛られたパンケーキを口にしながら素直に感想を漏らす。
食欲を刺激するような鮮やかな色味といい、皿の端にポツポツと落とされた味違いのソースといい、ナイフをいれるのが躊躇われるくらい見事なレイアウトだ。
カメラでも携帯していたなら、それはそれは映えた一枚が撮れたことだろうし、それを見た人々から溢れんばかりの賛辞の言葉で称賛されたことだろう。
「……お口に合ったようでなによりです」
しかし、俺の向かい側に座ったアンナベルの口からは、特に『いいね』とも『悪いね』とも感想は零れてこない。
時折、紅茶に手を伸ばしては唇を濡らし、俺がムグムグとパンケーキを頬張る姿を見るでもなく見ていた。
「味も接客も申し分なく『星』が付けられるな」
「『星』?」
「ああ、こっちの話」
「……そうですか」
「一口食べる?」
「いいえ、お構いなく」
「本当に美味しいよ?」
「それはよかった」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
黙々とパンケーキを食べる俺。
粛々と紅茶に口をつける彼女。
周りでは女性客の団体や、カップルらしき男女二人組が、それぞれにそれぞれの至福の時間を共示している中、俺たちの席だけは、何もかももう手遅れの段階にきてしまった夫婦のように、冷たく、堅い沈黙が流れた。
アンナベル=ベルベット。
ラ・ウール王国国王家……その中でも主に第一王女たるアルル=シルヴァリナ=ラ・ウールに仕える秘書的立場にいる女。
『秘書的』という表現をしたからには、もちろんそれは正式な役職ではない。
確かにアルルの王族としての公務なんかのスケジュール管理や調整、対外的・対内的を問わず謁見や陳情の申請を一手に引き受ける窓口のような役割を果たしているのは、政治家や会社組織における秘書のそれではある。
しかし、日常生活の細やかなサポート……具体的には朝に寝室へ起こしにいったり、着替えを手伝ったりするのは執事やメイドのようであるし、公務の際には必ず帯同し、常に傍に付き従っているの立派な護衛役だ。
正式な肩書は『王室近衛騎士団・副団長』。
まだ二十代前半という若い身空ながら、与えられた業務の範囲と持たされた権限は実に多岐にわたる。
……そう。
主たる姫気味が何故だかひどく執心し、無理矢理に食客として王宮に居座らせた。
どこの馬の骨ともわからない男を密やかに監視するというところにまで至って。
「ごめんね、案内してもらっちゃって」
なので俺はとりあえず謝っておく。
必ずしも彼女がこうやって俺と向かい合ってお茶をしていることが本意ではないのを知っていたから。
「いえ、お気になさらず」
「朝から何も食べてなくてね。飯屋を捜していたんだ」
「はい、それは聞きました」
「だから、別にあの娼館に行こうとしていたわけではないんだ。決して」
「はい、それも聞きました」
「信じてくれる?」
「はい、信じています」
「……実は信じてないだろ?」
「はい、まったく信じていません」
「…………」
「…………」
にべもないな、おい。
「えっと……近衛騎士団の副団長なんだっけ?」
「はい、そうです」
「どう?毎日忙しい?」
「はい、それなりに」
「じゃぁ、俺なんかに構ってる暇ないんじゃない?」
「いいえ、これも仕事の一環ですから」
「ホントに一口食べない?」
「いいえ、お構いなく」
「……お腹、減ってない?」
「はい、朝食は済ませましたので」
「何を食べた?」
「別に、普通の朝食です」
「昨日の夕食は?」
「別に、普通の夕食でした」
「寝る前までにお菓子とか食べた?」
「いいえ、間食は致しませんので」
「ダイエット?」
「ただの習慣です」
「……当社を志望した動機は?」
「質問の意味が計りかねます」
「自分のチャームポイントは?」
「質問の意味が計りかねます」
「……素敵なメガネだ」
「別に、普通のメガネです」
「目が悪いの?」
「はい、いささか」
「鼻は悪い?」
「別に、普通の鼻です」
「『かけっこでコケかけた過去』っていう早口言葉があるけれど、あれって過去というよりは今現在、運動会の父兄参加競技で出ている三十過ぎの父親の哀愁をうたっているんじゃないかと思うんだ」
「はい、そうですね」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
アンナベルは、その普通のメガネの弦に手をやり、それからまた紅茶に口をつけた。
カップを持ち上げる時も一口すする時もまったく音をたてない上品な所作。
その他にもなんてことない動作の一つ一つがいちいち洗練されている。
……やはり、似ているなと俺は思った。
その『凛』としか表現の仕様がない古き良き大和撫子のような美しい佇まいも。
切れ長で鋭い目の形も。
身長が高く、胸にも腰回りにも一切無駄な肉のなにスレンダーな体型も。
こうやって俺の下らない戯言をバッサリと切り捨てる容赦のなさも。
こんな風に互いが無言になって向かい合うことも。
何もかもが俺のよく知っている女に似ていた。
本当に、瓜二つとか生き写しとか、ドッペルゲンガーとか。
この世のそっくりさんを形容する慣用句のことごとくで語り尽くしてもまだ充分ではないほど。
彼女と彼女はよく似ていた。
「…………」
少し不躾な視線を向け過ぎただろうか。
たぶん、無意識にアンナベルが耳にかかった髪を後ろに払う。
その居心地が悪く感じた時にする癖も同じ。
枝毛一つ見受けられない彼女の内面に寄せたような真っ直ぐな髪質もまた同じ。
……ただ、一点。
唯一、彼女と違うところがあるとすれば……。
「……不思議な色だな……」
「……はい?」
「髪の色」
「……ああ……これですか……」
アンナベルが前髪を一房だけつまむ。
「汚らしいですよね……こんなくすんだ色……」
とりあえずは金髪と表していいだろう。
しかし、確かに彼女の言うように決してハッキリとした鮮やかさはなく、どこか翳りのある金。
所々に純粋な黒色の髪も混じることで、余計にくすんだような色合いに見えてしまう。
髪の話題に触れた途端、これまでの淡泊な受け答えとは違って自分を卑下するような物言いになったところを見れば、彼女自身、あまり気にいってはいないのだろう。
女心としては、こんな中途半端なものでなく、どうせならもっとキチンとしたブロンドに生まれたかったのに、という感じ。
……ふむ……ちょっと無神経だったか。
「……ごめん」
「……いいえ、別に。奇異の目で見られることには慣れていますから」
「いや、そのことじゃなくて」
「はい?」
「不思議なんて遠回しな表現をしちゃったことに対するごめんだ」
「……謝罪の意味が計りかねます」
「……うん……まぁ……」
俺はボリボリと頬をかきながら、視線を窓の方に向ける。
そこには昼下がりの喧騒が横たわる通りがあるだけ。
わざわざ目に留まるような光景が広がっているわけではない。
「すごく、キレイな髪だと……思う……」
……さきほどと同じ。
やはり、軽口ばかり叩き合っていた親友のような彼女のことがどうしても頭にチラつき。
真正面から素直に褒めたりするのが、なんだか恥ずかしかったのだ。
「……俺は好きだな、その色……」
「……ありがとう……ございます……」
「……うん……」
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく俺たちはまた無言となった。
カチャリ……ズズズ……
窓の外をずっと見ていたから、アンナベルがどんな顔をしているのかはわからない。
しかし、それまで物音一つ立てなかった彼女が忙しなくカップを置いたり、紅茶をすすったりする音が耳に入ってきてはいたので、おそらく、娼館の前で見たように顔を真っ赤にしているんだろうなということは簡単に想像がついた。
カチャリ……ズズズ……
「……不潔です……(ポツリ)」
彼女の口癖とは若干違ったけれど、ああ、それもまた彼女が言いそうな台詞だなと、俺は思った。
そして、ふと。
そういえば、『坂道』のふもと付近に構える店舗で、パンケーキという『コナモノ』を食し、『アッシュゴールド』の髪を持った者と相席しているということに気が付いた。
しかし、あの占いはあくまでアルルの放った魔術に対するもの。
それをそばで見ていただけの男の一日が幸福になるのかどうかは、今は亡き『マダム・フォーチュン』にもわからないだろう。
……まぁ、それでも……。
今のところ、決して悪くはない日ではあるのかな。
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