第二章・廃聖堂にて~ANNA‘s view④~

 「……え?」


 私はもう一度、そう気の抜けた声をあげてしまいます。

 

 決して警戒を怠っていたわけではありません。

 会話をしながらも、常に私は周囲の変化へ気を配っていました。


 ただでさえ人目のつきにくい山間部で大昔にうち捨てられた廃墟。

 

 ひと気がない場所であることはわかっていましたが、そんなところだからこそ寄って来る者はいるものです。

 

 たとえば王子が話をでっち上げたような野盗であったり。

 たとえば明るい陽の下では行えない後ろ暗さのある取引をする商人であったり。

 

 もしくは大人には秘密の居場所を求めた少年・少女たちであったり。

 あるいは人知れず静かに暮らしていたい気弱な魔物・魔獣の類であったり……。

 

 「…………」

 

 さて、それではこの弓を構えた者は一体なんなのでしょう?

 

 粗野な野盗にしては矢を射ったあとの残身は堂に入っていますし。

 闇商人にしては取引の相手も見受けられない。

 

 上半身の半ばに陰が走っているので、顔立ちまでは判別しかねますが、体つきや二本の足でしっかりと床を踏みしめている立ち姿の様子から、少年にも少女にも、まして魔物にも見えません。


 「…………」


 不意に頭を低くした私の眉間へと正確に放たれた矢……。

 

 仮にもラ・ウール王国近衛騎士団で副団長を拝命している身です。

 

 姫様の護衛をその職責に含まれる私は、なにもお飾りで傍に控えているわけではありません。

 

 一般の騎士や兵士とも一線を画すだけの戦闘能力と実戦経験。

 

 別に自分が強者だなどと驕ったことを言うつもりはありませんが、少なくとも神経を充分に研ぎ澄ませている中で振りかかる、不意の襲撃くらいには容易に対処できるという自負はあります。

 

 しかし……私はまったく反応ができませんでした。

 

 物音も聞こえなければ、気配も感じず。

 

 前方に誰かが立っているというような微かな空気の乱れもなければ、今は殺意を隠しもせず一直線に向けてくる視線にもまるで気が付かなかったのです。

 

 明らかに手練れの者……。

 

 隠形という分野においての熟練度が群を抜いています。

 

 王族を悪漢から守るために組織された近衛騎士団の幹部が張り巡らせた索敵能力など、まるで無意味になってしまうくらいに。 

 

 ……それにも関わらず……。

 

 「……これこそ紙一重ってやつだな」

 

 矢に貫かれたガイドブックをしげしげと眺めながらそう呟く彼。

 

 「あの初っ端から無駄に長々とした前書きのページがちょっとでも少なかったら危ないところだった」 

 

 本気なのか冗談を言ってるのかわからない平坦な口調と表情の彼。

 

 タチガミ・イチジは反応しました。

 

 飛来する矢に気づき、迷わず手に持っていた冊子を盾にし、私の命を僅か薄紙数枚分のところで救ってくれたのです。


 「あ、ありが……」

 

 ヒュイン、ヒュイン、ヒュイン……カカカッ!!


 とりあえず感謝だけは伝えておかなければと開いた口を、再び放たれた矢の風切り音が制します。

 

 不意打ちではありません。

 

 視線を切らさず、不特定の危険に広く浅く向けていた神経を、より狭く限定的に研ぎ澄ませて警戒していた私の意識の隙間をかいくぐり、相手はいつの間にか矢をつがえていたのです。

 

 それも三本がほぼ同時……。

 

 幸いにしてその三本のやじりが穿ったのは私の命ではなく、それよりもかなり手前の床。

 

 外れた……?  

 

 いいえ、相手の技量を考えるならば、あえて外したと考える方がベターでしょう。

 

 ……しかし、何のねらいがあって……。

 

 「逃げるぞ」

 

 つい癖で分析をはじめようとする私の思考を、タチガミ様は一言で制します。

 

 ほんの数秒前までの、日頃の佇まいと同様にぬぼぉーっとした物言いとはまるで違った。

 

 頬張ったパンケーキの感想を美味いとこぼした柔らかな口調とはまったく掛け離れた。

 

 残酷に尖る矢の先端部よりもよほど鋭利な言葉でした。

 

 「全力で出口まで走るんだ」


  前方から目を逸らさず、タチガミ様は続けて言います。

 

 「……わかりました」

 

 端的にして的確、妥当にして最善の判断だと思いました。

 

 鋭利であるからこそ最短距離で私の思考へと届いた彼の言葉。

 

 その短い一言の中に込められた意味を私は汲み取り、即同意します。


 

 ―― アレはまずい…… ――


 

 正体は不明ではあっても、脅威だけは明瞭な相手。

 ロクな武装も事前準備もない中で迎え撃つには危険すぎる相手。

 

 蛮勇と勇猛を履き違えるほど、私も、そしてタチガミ様も愚かではありませんでした。

 

 戦術的撤退という選択は、確かに生き残るための立派な『戦術』の一環なのですから。

 

 「行くぞ」

 

 「はいっ!!」

 

 私は自分でも驚くぐらい景気の良い返事をします。

 

 まるで、騎士になりたての頃に戻ったよう。

 

 立場上、今は逆に部下へ『行くぞ』と指示を飛ばす役割が多いわけですが、私にだって、こんな風に頼もしい先輩や上司が先導するのにただ必死に付き従っていた時代もあったのです。

 

 全力で駆けるべく、素早く後ろに切り替えようとする踵。

 

 ……しかし……。


 ガクン……


 「ぐっ!!……え?……」


 体が動きません。

 

 正確には右回りで反転させようとしていた軸足たる右脚。

 

 それが床に張り付いてしまったかののように微動だにしてくれないのです。

 

 「……っつ!!」

 

 私は瞬時に自分の右脚へと魔力を走らせます。

 

 混乱はしません。

 取り乱したりもしません。

 

 反射といっていいほどの早さで行う自己診断および自己解析。

 

 そうして解決に向けた答えを即座に探らなければヤラれるということが、私の積み重ねてきた経験が言うのです。

 

 「この感じ……」

 

 動かぬ右脚から逆に魔術の流れをさかのぼって辿り着いたのはさきほど床に突き刺さった三本の矢。

 

 やはり射損じやブラフなどではなく、確かな意図を持って放たれたものだったようです。

 

 「……≪影縫い≫の類ですか……」

 

 「……動けない?」

 

 異常を察したタチガミ様が走り出そうとする体を戻して私に問いかけます。

 

 「……申し訳ありません。どうやら脚が床に縫い付けられてしまったようです」

 

 「あの矢か……」

 

 「はい、あの矢が射った床に落ちる影と重なった私の影。……正確には私の体の外殻を纏っている魔力を、同じ魔力で縛り付けているようです」

 

 「これだから≪マホウの世界≫ってやつは……なんでもありだな、ホント……」

 

 タチガミ様はポリポリと首筋を軽く掻きます。

 

 どうやら魔術という概念が日常的ではない世界からやってきたらしい彼にとっては、こんな簡易的に対象を縛るだけの低級魔術であっても、結構な驚きがあるようです。

 

 「……どれくらいかかる?」

 

 「……数分だけ、お願いできますか?」

 

 「……わかった」

 

 私を庇うように前に躍り出るタチガミ様。

 

 またしてもひどく簡略化された端的な言葉のやり取り。

 

 何度も連携を組んだことのある者同士ならいざ知らず、数時間前にようやくまともな会話をしたような相手に、その短い言葉の裏を理解しろなどというのは本来無理な注文なのでしょう。

 

 ……しかし、私にはわかりました。

 

 私が自身を縛り付ける術式の解呪に有する時間を彼が稼ぐつもりだということも。

 

 私が自分を置いて先に逃げてと言いかけたのを彼が黙殺させたことも。

 

 ただの二言からだけで私はすべてを察し、そして従いました。

 

 それこそ何度も死線をともにくぐり抜けてきた仲間のように。

 こんな修羅場を何度となく経験し、乗り越えてきたパートナーのように。

 

 暗黙のうちに、多くのやり取りが交わされたのです。

 

 ヒュイン……


 予備動作もまるでないまま迫りくる矢。

 

 キィィン!!


 鳴り響く金属音。


 相手の放つ高速の矢を弾いたのは、こちらも同じ型の矢。

 

 ガイドブックを貫いたあの初撃の矢をいつの間にか抜きさったタチガミ様が、それを剣のように構えて飛来する矢を弾いたのです。


 ヒュイン……キィィン!!

  ヒュイン……キィィン!!

    ヒュイン……キィィン!!


 ヒュイン……キィィン!!

   ヒュイン……キィィン!!

    ヒュイン……キィィン!!



 「…………」

 

 「…………」


  ヒュイン、ヒュイン、ヒュイン……

  ……キィンキィンキィィィン!!


  ヒュイン、ヒュイン、ヒュイン……

  ……キィンキィンキィィィン!!


 間断の無い連射。

 三連同時の掃射。

 

 私は思わず目を見開きます。

 

 一射一射のいちいちが致死的な力強さを持ち、正確無比に急所を射抜かんと放たれる矢。

 

 やはり射撃の技術は、私がこれまで見てきたどの弓兵よりも秀逸。

 

 相も変わらず正体はわかりませんが、危険度の判定は何ら間違っていなかったようです。

 

 なので、私には敵に対する驚きはさほどありません。

 

 改めて目を見開くほどに想定外の実力ではありません。

 

 そう、私が驚いたのは他の誰でもありません……。

 

 「腕が確かだからこそ、射線の予測がつく……か……」

 

 呼吸一つ乱さず、ごくごく当たり前のように矢をいなすタチガミ様。

 

 襲い来る凶弾ををただ弾くというだけでも凄いのに。

 

 それが寸分も違わず、一分の狂いもなくやじり部分のみだけをねらって当てているのです。

 

 タイミングにしても角度にしても力加減にしてもこれ以上ないくらいのベスト。

 

 どれかが少しでもズレれば同じ耐久度を持つであろう、同型の得物を構える彼の矢の方が先に砕けてしまったでしょうし、いなしたものが後ろに控える私の方へと流れてきたはずです。

 

 控えめに言っても離れ業。

 

 派手さはなくとも、確かな実力がなければ行えない本物の技前。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 矢の掃射が止まります。

 

 相手の方でも、タチガミ様の脅威判定を数段階押し上げたのでしょう。

 

 ただ闇雲に矢を放っても埒が明かないという迅速にして冷静な判断力。

 

 敵も敵で、その戦闘センスは図抜けているようです。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 黙したまま向き合う二人。

 

 遠距離攻撃の手段がないうえ、私を背中に庇っている以上タチガミ様から仕掛けることはできません。

 

 とはいえ相手の方でも弓矢の攻撃が意味をなさないことは重々承知。

 

 互いに手詰まりとなった二人の間に、このまま長い膠着状態が続く……。

 

 「はぁ……」

 

 ……という私の予測に反し、唐突に敵が溜息をこぼし、ダラリと体の力を抜きます。

 

 「あーあ、めんどくせぇ、めんどくせぇ……」

 

 ガシガシと、苛立たし気に髪をかきむしる敵。

 

 「なんだよそれ?素人のゴミ虫を駆除するだけの簡単なお仕事のはずだろ?なのになんだよ、なんなんだよアンタ?なんで死なねーんだよ、めんどくせぇ」

 

 遭遇してから初めて声をあげたわけですが、言葉通り実に気だるげな調子。

 

 明らかに男性。

 

 それも言葉遣いにしても、声質にしても、成熟した落ち着きのあるものというよりは、若干青臭さの残った若者。

 

 少年と大人のちょうど狭間で揺れ動く、十代後半の青年といったくらいでしょうか。

 

 緩急も狙いも自在な弓の技量と≪影縫い≫などの細やかな小細工。

 

 そして殺しへの躊躇いが一切見受けられないことからもう少し年と経験を重ねた人物を想像していましたが……意外です。

 

 「……昔、似たようなシチュエーションを経験したことがあったもんでね」

 

 タチガミ様の方では以外そうでもなんでもなく。

 変わらなぬ平坦な口調で敵の問いに答えます。

 

 「まぁ、その時の相手の方が、射撃技術はもっと上だったけれど」

 

 「ふん……言ってくれるじゃねーか……」

 

 構えを解き、担いだ弓を肩にトントンとしている敵。

 

 タチガミ様の挑発めいた口ぶりに更に苛立つのかと思いきや、彼は取り立てて平静を欠くような様子もなく。

 

 静かな殺気をよりしめやかに。

 排除への意思をよりしたたかにするばかり。

 

 「……それじゃーよー……」

 

 そこで肩に担いでいた弓をおもむろに構え直す敵。

 

 しかし、その構えは弦を引き絞るようなものではありません。

 

 深く落とした腰。

 後ろに引いて重心をかけた右脚。

 伸ばされた左手。

 そして弓を垂直ではなく真っ直ぐ水平に携える右手。

 

 同じ弓術でも流派によってそれぞれ構えや技動作の差異はあるのでしょう。

 

 けれど、彼の構えは決して矢を射るようなそれなどではなくて……むしろ……。

 

 そう、むしろ……。

 

 その型から繰り出される攻撃で初めに思いつくものと言えば……。

 

 「こんなのは経験したことあるか?」


 ガゴォンン!!


 そんな石製の床がひび割れる音が耳に聞こえた次の間。


 あっという間に距離を詰めてきた敵がこちらに肉薄していました。


 それはもう間近も間近。


 ガラスが割れ、枠だけとなった大きな窓から差し込む昼下がりの陽光。

 舞い上がるのか、舞い散るのか、微小なホコリの粒子がキラキラと輝く中で。

 

 やはり声の通りに若々しい相貌と、黄色く光るネコのような瞳がタチガミ様を睨んでいる姿がありありと暴かれました。



 ポタ、ポタ、ポタ……


 そして敵の正体とともに私の目の前で今まさに晒されているものを述べるとなると……。


 鼻先を突き合わすように接近している二人の男。


 ニヤリと微かに笑みが浮かんだ口元。

 表情筋一つ歪ませず真一文字に結ばれた口元。

 

 大きく見開かれた黄色い瞳。

 空虚に広げられた黒い瞳。

 

 ポタ、ポタ、ポタ……

 

 若い猫目の男の右手に見えるのは

 もう一方の無表情の男の右手に見えるのは甲から突き出したその槍の先端。


 ポタ、ポタ、ポタ……


 そして床にねっとりと落ちていく、赤い赤い血液……。



 ようするに、です……。


 距離が変わろうが敵の武器が変わろうが。


 危機的な状況に、なんら変わりはないということのようです。


 「……確かに、こんな芸風は初体験だな」

 

 「だろ?割と特別製なんだよ、これ」

 

 「た、タチガミ様ぁぁ!!」

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