RHASE:01 眼鏡の才女

第一章・王都にて ~ICHIJI‘S view①~

 「……では、よろしいですか、イチジ様?」


 隣に並んで立つアルルがそう俺に問いかける。


 出来の悪い子供に、それでも根気強く教え諭す教師のような優しい口調だ。


 「もう一度お手本をお見せしますから、さきほど言ったことを念頭においてその意味を掴んでくださいませ」


 「ああ、頼む」

 

 アルルは静かに目を閉じる。

 そしてそのままスッと右手を前方に掲げる。

 

 整った顔立ちが、真剣みを帯びることで尚更整然とする。

 

 季節は丁度、春の柔らかさと夏の厳しさの真ん真ん中というところ。

 

 そんな過ごしやすい気候の気持ちの良い朝、ラ・ウール王国王城内にある緑と花々に彩られた中庭に漂う、どこかのんびりとした空気が瞬時にして張りつめる。


 「…………」


 彼女の集中がこちらにも伝わる。


 体の中心にして生命の中核、心臓。

 そこを起点として体内の末端から末端の隅々までを循環する魔力。


 それが今、そのほっそりとした白い指と手の平に集まってきている。


 「…………」


 同時に、彼女の頭の中ではイメージが描かれている。


 その手から放たれるものの現像を。

 その手が巻き起こす現象を。


 紡がれる短い言葉に込められた幾つもの意味を。

 限られた文字列に内包された奥行きのある物語を……。


 「……すぅぅぅ……」


 息が大きく吸われる。


 華奢な体に備わったただでさえ大きめの胸が、息を吸うことでより前へと突き出される。


 「……っ!!」

 

 目が開かれる。

 練り込みによって体外に溢れ出た魔力が浮き上がらせた鮮やかな銀髪。

 それと同じように、穢れも濁りも混ざらない白銀の瞳が外界へと暴かれる。

 

 ……そして。


 「≪ブレイズ≫!!」


 ゴォォォォォ!!


 魔術名とともに指先から放たれたのは火炎。

 螺旋を描きつつ、されど真っ直ぐに目標へと向かって伸びる赤々とした炎。


 ドバァァンン!!


 『ピー……マジュツノチャクダンヲカンチシマシタ』


 炎の直撃をくらった人形が受けた衝撃も意に介さず、機械的な声を挙げた。


 『マゾクセイ【ホノオ】。キョウイハンテイ【ジャク】』


 「……とまぁ、こんな感じですわ」


 「ふむ……」


 こちらに向き直るアルル。


 「これが魔術の初歩の初歩。詠唱の必要のない≪早撃ちクイックドロー≫ですの」


 さきほどまでの引き締まった表情をやわらげ、いくらか得意そうにしている顔は16歳という年相応な少女のそれだった。


 白と青とを基調にした衣服のコーディネートも相まって、実に清楚で可憐な風貌。

 黒いゴスロリ服を着ている印象が強かったのだけれど、やはり高潔な彼女にはこんな色合いが良く似合う。

 

 『キホンニチュウジツデハアリマスガ、キレイニマトマリスギテイルカンガイナメマセン』


 「威力はなくても出足が早く、牽制や先制に使われるんだったっけ?」

 

 俺はこれまでに聞きかじった知識をフル活用してアルルに問う。


 「はい、その通りですわ」

 

 その知識を教えてくれた本人は、満足気に答えてくれる。

 

 『モットジブンノカラヲヤブッテミテハ?マッテイルダケデハナニモカワリマセン』


 「ただ、術者の技量……単純に魔力の量が多かったり、質が高かったりすれば、それだけで充分な武器となり得ますが」


 「ふむふむ」


 「わたくしの場合、質はともかくとして魔力の総量がとても少ないんですの」


 「えっと……『魔力炉』が小さい?」


 「ええ、こればかりは生まれ持ったものですので不平不満を垂れても仕方がありません。そこを補う手段を模索し、考えに考えた末の結論としてわたくしは魔道具の扱いや魔力付与に特化したというわけなのですわ」


 「なるほど……」

 

 原則として一人に一つ、せいぜいが二つまでしか持てないと言われる魔属性……つまりはその人物の魔力の性質なり系統なりを表すカテゴライズ。

 

 アルルは現在確認されているその魔属性すべてを扱えるのだという。

 

 自他共に認める天才にして、それ以上に異端と呼ばれる存在。

 

 自分の不足分をカバーする過程でその道の第一人者となり、この若さで魔道具メーカーの代表取締役社長にまでなった努力家。

 

 そして一国の正統なる姫君。

 

 控えめに言ってもおそらく勝ち組に分類されるであろう華やかなイメージとは裏腹に、この子は相当な苦労をしてきたのだと思う。

 

 幾つもの背景と幾つかの已むに已まれぬ事情。

 

 そんなものの全てが、初対面の頃から感じていたこの少女の高潔さと清廉さを作りだしたのだと思えば感慨深いものがある。

 

 ……背景にしろ事情にしろ。

 

 目を逸らし続けてダラダラと惰性だけで生きてきた俺とは大違いだ。

 

 『オススメアイテムハ【コナモノ】。ラッキーカラーハ【アッシュゴールド】。カイウンスポットハ【サカミチ】デス』


 「ところでさ……」


 「はい?」


 ……いや……うん……。

 ホント、考えさせられる。


 『ソウゴウヒョウカ(ドゥルルルルルル……ジャン!)【サンジュウゴテン】。モットガンバリマショウ』


 「あれ何?」

 

 と、俺は少し離れたところに佇むカカシを指さしながら、気になりつつも真面目な雰囲気に水を差すまいと我慢していたことをついに尋ねてしまった。

 

 ……いや、この沸々と胸の内にたぎる何かに、尋ねざるを得なかったと言い換えてもいい。

 

 どういう背景と事情があれば、こんな代物ができ上がるのだ?と。


 「何って……わたくし謹製魔道具の一つ、魔術鍛錬用木偶『マダム・フォーチュン』のことですの?」

 

 名前のせいなの?名前に引っ張られてるの?

 

 ツバの広い帽子といいレースの手袋なんかの装飾といい。

 

 そのいかにも繁華街の片隅で水晶いじってる占い師のおばさんみたいな風体は後付けでいいの?


 「出勤前に観る朝の占いみたいなアドバイスはなんなんだろうか?」


 「ああ、あれはれっきとした機能ですわ。受けた魔術の威力や性質、術者の癖などを演算・分析し、技術向上に向けての的確な助言をしてくれる画期的なシステムですの」


 「ようするに店主オリジナル配合の生地が『アッシュゴールド色』した『お好み焼き』を売りとしている『坂道』の途中にひっそりとたたずむ鉄板焼き屋にでも行けばアルルの魔術は向上すると?」


 「まぁ、ものすご~く手加減しましたから、あまり参考にはなりませんわね。ですがこうやって実際に自分の力量を数値として出してくれれば励みになるかと思い一体融通してきたんですの」

 

 『エイショウノサイハ、コウオンブブンニモウスコシメリハリヲキカセマショウ』

 

 後半、カラオケの採点マシーンみたいなこと言い始めたんだけれども?

 

 なんだこの一貫性のなさは?

 コンセプトに統一感を持たせようよ?

 

 俺がいうのもなんだけれど、世界観とかもっと大事にした方がいいんじゃないのか、アルル?


 「魔術学園の実地教練や魔導兵の育成過程にも正式採用されているものです。ですのでイチジ様もご安心を」


 「…………」


 訓練施設にあのカカシが何体もづらりと並んでいるところを俺は想像した。


 魔術師見習いや兵士たちが大真面目にマダムからのありがたい助言に耳を貸し、日々鍛錬に励んでいる絵面はなかなかにシュールだ。


 「……まぁ、それで技術が上がるならいいか」


 「ふふふ、おかしなイチジ様。妙なところが気になりますのね」


 「…………」

 

 前から思っていたけれど、アルルって本質はかなりの天然ボケなんじゃないだろうか。

 

 周りのボケ役が強烈なせいでツッコミ担当に甘んじることが多いとはいえ、こうやって俺と二人でいるとちょいちょい斜め上や斜め下の発言が増えるような気がする。


 「励んどるな、若人諸君」

 

 そこでボケ役の筆頭が冷やかすような調子で声をあげる。

 

 どこからどうみても、若人よりもまだ年端のいかない幼女。

 

 その実、積み重ねた年齢は二千を超えるという破格の存在。

 

 この世界を創造した≪創世の七人≫の一人にして。

 

 大陸全土に悪名とどろく≪稀代の悪女≫にして。

 

 すべての魔術・魔法の祖である≪伝説の魔女≫。

 

 リリラ=リリス=リリラルルが、さきほどまで誰もいなかったはずのベンチに腰掛け、ペロペロと棒に付いたアメを舐めていた。


 「おはよう、リリー」


 「おはようございます、リリラ=リリス」


 気配も前触れもなにもなく、あたかも最初からそこにいたのだという風な佇まい。


 俺もアルルも慣れたもので、この唐突な登場にも驚きはせず、普通に朝の挨拶を交わす。


 「うむ、おはようなのじゃ。しかし、朝から精がでるのぉ」


 「本日はわたくしの方で外せない所用がございまして、こんな時間にイチジ様を引っ張り出してしまいましたの」


 「いつの時代も若者が己と向き合い、修練を重ねるさまは見ていて清々しいもんじゃ」


 「……ええ、なので余計な邪魔をしないでいただければ助かりますわ」


 「なんじゃ、人を邪険にして。我がそんな無粋をすると思っとるのか?」


 「しないとでも?」


 「やぶさかではない」


 「それ誤用……ですけどあなたの性格を考えるとあながち間違ってもいないところがややこしいですの」


 「いささかではない」


 「それはホントに間違い!語感だけで適当な言葉をぶっこまないでくださいまし!」 


 「正気のさたで……」


 「ないですわ!こんな不毛なやり取りを嬉々として続けるあなたの正気がさたでないですわ!!」


 「さんでーない?」


 「言うと思……って違う!一日ズレてる!!」

 

 ふむ、やはりアルルは天才か。

 本質とは違っていても、ツッコミのキレは今日も今日とて秀逸だ。

 

 ……ところでアルルも『さた』の使い方微妙に間違ってるからね?


 「……ちょうどいい。リリーもちょっと見ていてくれるかな?」


 「お、良いのか?」


 「もちろん。……アルルはいいだろうか?」


 「……まぁ……イチジ様がそういうのでしたら……」


 とはいいつつも気が進まない様子のアルル。


 確かに、コーチとしては他の指導者に横入りされるのはあまり気持ちがいいものじゃないなのかもしれない。


 「何も君の教え方に不満なんてない。むしろわかりやすくてさすがだなと感心してるくらいだ」


 「イチジ様……」


 「けれど、魔術にしろなんにしろ、こういう特訓みたいなものは色んな人の色んな意見を参考にした方が上達は早まるものだと俺は思うんだ」


 「……なるほど……」

 

 アルルは知らず俺の口癖を真似ながら少しだけ考える。

 その良く回る思考回路が俺の言葉の意味を咀嚼する。


 「ようするに愛しているのは本妻だけれど、たまには趣向の違うタイプの女性を愛でることで夫婦生活は円満にいく……という殿方特有の理屈と同じですわね?」


 「ちげーよ」

 

 おい、思考。

 おまえ何をどう解釈したんだ。


 「にょっほっほ。この幼い体、つまみ食いしてみるか、マスター?」


 「……そのうちね……」


 「ほらぁ~!!」


 「ほらじゃねーよ」


 ああ、一向に特訓が進まない。


 なので俺はギャーギャーと言い合っている女性陣二人を無視して数歩前に出る。


 「…………」


 そしてアルルがさきほどお手本を見せてくれたように目を閉じ、右手を前に出す。


 「…………」

 

 意識を研ぎ澄ます工程はなんなくクリア。

 

 すぐに周りの雑音が一切耳に入らなくなる。

 

 昔取った杵柄というほど大したものではないけれど、意識の切り替え、集中への埋没は頭の中のスイッチ一つで簡単にできる。

 

 それは俺が生きていく上で獲得してきた技能の一つ。

 

 アルルが能力を勝ち得たほどに高尚な理由も背景も事情もない。

 

 ただ生き残るために仕方がなく。

 ただ確実に相手を屠るために仕様がなく。

 

 自然と身に付いてしまった悪癖と言い換えてもいいかもしれない。


 「…………」

 

 意識が沈む。

 

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 

 ただ、確実に何かは感じる。

 

 俺の体内で血管や神経とは別のルートを巡っていく、血液とは違うもの。

 

 とろりとした質感の粘着きは液体のようであり。

 ぼんやりとした質量の希薄さは気体のようであり。

 

 内包した可能性……奇跡やそれに準ずる事象を現実に顕わすことのできる爆発力を秘めたそれは、やはり硬質な固体のように俺の体の中で確かな存在感を示している。


 「…………」

 

 同時に頭の中では『炎』を思い描く。

 

 赤くて、紅くて、銅い炎。

 

 ……皮肉なもんだ。

 

 いつまでも俺を縛り付けるあの名前も忘れた中東の街を埋め尽くした炎。

 

 しばらく厄介になったホンス爺さんや親しくなった人々が暮らすドナという街を一夜で壊滅させた炎。

 

 かつて俺のすべてだったものをことごとく焼き尽くした、あの赤い『バケモノ』が吐き出した憎き炎。

 

 アルルの調べによれば、俺の魔属性はその『炎』なのだそうだ。



 ドクン……ドクン……ドクン……



 魔属性がその人物の人格や性質に由来するものであるという説も一部ではあるらしい。

 

 もしもその説が真理であるならば、俺は相当に被虐的な趣味をこじらせているのだろう。

 

 何につけても感情らしい感情が希薄な自覚がある俺だけれど、あれだけはいつまでたっても認めるわけにはいかない。

 

 認めてはいけない。

 許してはいけない。

 

 それだけが唯一、いまは遠くなった世界≪現世界あらよ≫で抱え続けた感情なのだ。



 ドクン……ドクン……ドクン……    



 意識を沈めた胸の内から鼓動が聞こえる。

 手の平があからさまに熱を帯びていく。


 「…………」

 

 そう、この感覚。

 

 この熱と、自分の物とは明らかに別の何かの鼓動。

 

 魔術の特訓を本格的に始めてから数日が経ち、なんとなく理解してきた。

 

 これこそが魔力の練り上げが一定の水準に達したという合図なのだと。


 「……っ……」

 

 俺は目を見開き、カカシのマダムへと照準を合わせる。

 

 トリガーに指はかけられた。

 あとはその指を引くだけ。

 

 それだけで俺の魔力は解放され、魔術という事象が現実に干渉する。

 

 辺り一面を真っ赤に染め上げ、大事なものもそうでないものも余さず灰塵へと変えてしまう。

 

 あの禍々しい破壊の炎が……。


 「……≪ブレイズ≫」



 シン……



 「…………」


 「…………」


 「……(ペロペロ)」



 シン……



 「…………」


 「…………」


 「……(ペロペロ)」


 「……やっぱり出ないか……」

 

 ふぅと俺は脱力する。


 「ふぅぅぅぅ……ですわね……」

 

 アルルもまた深く息を吐く。

 呆れからではなく、俺以上に気を張っていたのだ。


 「……まぁ、予想はしていたんだけれども」


 「どうしてなのでしょう……。わたくしから見て、魔力の練り上げ方にしてもイメージの描き方にしても申し分はないのですが……う~~~ん……」

 

 ここ数日、同じような結果が続いていた。

 

 力学的な力の運用ないし流用の仕方には慣れている俺。

 

 物理や科学とは成り立ちを違えた『魔力』であっても、それが何某かの『力』である以上、扱い方のコツを掴むのは割と簡単だった。

 

 しかし、どうやっても不発。

 

 過程がどれだけ順調であっても、結果がまったく出てくれない。

 

 魔術の『マ』の字も、炎の『ホ』の字も俺の手の平からは出てこないのだ。


 「……何かが根本的に間違っているんだろうな」


 「……わたくしにはそうは思えませんが……」

 

 失敗する度に、アルルは我がことのように落ち込んでしまう。

 

 彼女に責任など何もないというのに、相変わらず潔癖的なまでに心が清い。

 

 それを申し訳なく思ってどうにかしてあげたいのだけれど、いかんせん俺自身、まったくの手詰まり状態だった。


 「リリラ=リリス?あなたはどう見ますか?」

 

 しかし、今日はいつもの特訓とは違い、第三者がいる。


 「……うむ……(ペロペロ)」

 

 それもこの世すべての魔術の開祖である≪伝説の魔女≫。

 

 これほど頼もしいアドバイザーもいないだろう。


 「魔属性の判定が間違えているのか、『魔力炉』・『魔力路』ともに魔術行使に耐えうるものではなかったのか……正直、わたくしごときの知識ではもうお手上げですわ」


 「いや、そう卑下することはない。お主の見立てはすべて正しい」

 

 よっ、と一声上げてベンチから立ち上がったリリーが、俺たちの方に歩いてくる。


 「確かにマスターの魔属性は『炎』。『路』の太さはかなりのものであるし、『炉』の大きさにいたっては規格外も規格外。規模だけで言えばおそらく、全盛期の我と比べても遜色ないくらいのデカさじゃよ」


 「っ!……確かに立派なものであるとは思っていましたがそこまで……」


 「本来は現界などできるはずのない我がこうやってノンビリとアメちゃんを舐めていられるのも、眷属契約したマスターから流れ込む魔力で魂魄を安定させているからに他ならない。どれだけ搾りかすみたいな今の我でも、かつて大魔女とまで言われた存在を一個の生命として維持させる魔力。それを提供してもなお、総量に底が見えん」


 「……なるほど」


 「お、それはあれじゃな、マスター?ピンときてない『なるほど』じゃな?ふふん、我にも段々とわかってきたぞ」


 「俺自身、実感が全然ないもんでね」

 

 本当にピンとはきていない。

 

 リリーがついこの間までの俺と同じように≪幻世界とこよ≫の理に反する存在で、それを俺から彼女へと繋いだ『眷属契約』というパスで繋ぐことで無理矢理認めさせているというのは理解できる。

 

 無理矢理ではなく、存在の改変を行える魔法もあるにはあるし、実際にそれを行使したことで一度は跡形もなく消滅した俺をここへと呼び戻したとも聞いた。

 

 ただ、リリーの場合。

 

 生前に、この世界に幾つか存在するという『宝玉』なる物体に分割して残した『残留思念』……もっと簡単に言えば単なる『記録』にしか過ぎないと言う今の彼女の場合。

 

 肉体も魂もとうの昔にそれこそ取り返しのつかないくらい完璧に消え去っているので、その魔法≪存在認知リコグニション≫の範囲外なのだそうだ。

 

 だからこそ俺とリリー、主従のある眷属というよりもまさに一蓮托生、運命共同体みたいな関係が出来上がっているわけなのだけれど……。


 「魔力を提供しているっていう感覚がまったくないんだよな」


 「それこそがマスターの魔力量がとんでもないという証しじゃよ。たとえ我がその魔力を借り受け、魔術なり魔法なりをバンバン使いまくって世界の二つ三つ征服してみても、おそらくマスターには何ら影響はないじゃろう」


 「世界征服……あなたがいうと冗談に聞こえないから止めて欲しいんですの」


 「にょっほっほ。とはいえ用心に越したことはない。魔術行使は極力控えていく所存じゃよ。……極力……な……」

 

 そうしてリリーは俺の面前に立つ。

 

 こんな俺の腰辺りまでしかない身長の幼女が、本気で世界征服を狙えるほどの脅威を持つのか実に疑わしいけれど、醸し出されるオーラみたいなものは確かにただの子供のそれではない。


 「マスター、ちょいとこれ、預かっておいてくれ」


 「?なにを……ふごぉっ」


 「ちょっ!?リリラ=リリス!?」

 

 屈みこんだ俺の口一杯に、それまでリリーが舐めていた大きなペロペロキャンディーが突っ込まれる。

 

 むせかえるような直情的な甘味と、リリーの唾液によって粘つく表面のせいで途端に息苦しくなる。


 「マジカルなステッキみたいな見た目じゃが、食べ物を粗末にはできんからのぉ」


 「ふごぉ……」


 「い、イチジ様ぁ!?だ、大丈夫ですの!?」


 「……ではマスター。言ったそばから恐縮じゃが、少しばかり魔力を借りるぞ?」

 

 リリーがスッと手を伸ばす。

 

 手の平ではなく、アルルのそれよりももっと細くて小さな人差し指を一つ、上向きにして伸ばす。

 

 特に集中している風には見えない。

 何か具体的なイメージを頭に描いている様子もない。

 

 ただ力を抜き、指を伸ばしているだけ。

 

 魔術を発動する気配など微塵も感じられない。

 

 そしておもむろに叫ぶ。


 「リリーの『ゆびをふる』攻撃!!」


 「ふごぉ……」


 「へ?」



 ドゴヴゥヴァァァァァァァァァァァァ!!



 魔術名を唱えるでもなく、可愛らしく振っただけのリリーの指先から渦巻くの炎が飛び出した。


 そのスピード、その質量、その威力。


 手加減をしたとはいえ、アルルが放った炎よりも明らかに次元の違う紅蓮の炎が唸りをあげながらカカシに向かっていく。



 ボヴァァァァァァンンンンン!!

 チュドォォォォォンンン!!

 ゴガァァァァァァァンンンン!!



 『ピ、ピピ、ピピーー……マママジュジュジュツノチャク……チャクダン……ヲ……ピーーーー』


 「ま、マダムがご臨終にぃぃぃぃ!?」


 「振った指から≪ブレイズ≫がでた!……効果はいまひとつのようだ……」


 「効果はバツグンですわぁぁぁ!!」


 「ふごぉ…………」


 よくはわからないけれど、ともあれ、あれがリリーの≪ブレイズ≫。


 アルルの言っていた、魔力量や質の違いによる個体差以前の問題だ。


 ≪早撃ちクイックドロー≫どころか術名すら唱えない魔術行使だなんてそれまで教わってきた理屈なり理論なりを軽々と越えた次元。


 幾ら魔術に関して無知な俺でもわかる。


 ……凡人がこれを参考にしちゃいけないな。


 「ま、とゆーわけでのマスター……」

 

 ポンと、俺の口からアメを抜き取るリリー。


 「あんまり考え過ぎるものでもない(ペロペロ)」


 「……ふむ……」


 「ピーーーーガガガガ……(プスンプスン)」


 「ああああ、『マダム・フォーチュン』!!気をしっかりもってぇ!!」


 「あそこで騒いどるお姫様にも言ったことじゃが、魔術なぞしょせん単なる仰々しい手品。マスターのいた世界の銃火器類の方がよっぽど殺傷力も強ければ、治癒魔術なんぞよりも人の手によって施される的確な治療の方が傷は癒える。あまり過信も執心もするもんじゃない」


 「リリーが言うと重みがある言葉だ」


 「にょっほっほ。それでも向上心を持つこと自体は実に素晴らしいぞ。……別に、自分の為に魔術を習得しようというわけでもないんじゃろ?」


 「……君には敵わないな」

 

 『ピーーーー……ラ、ラッキーナンンンバアアアハ【サン】。オ、オススススメスポットハ……【カワ】……ピーーーーーーー』


 「だ、だめですのマダム!!その河は渡っちゃいけないヤツですのぉぉ!!」


 「……守りたいんだよ。今度こそ……」

 

 俺はいつまでも魔術が飛び出してこない手の平を見つめる。

 

 血にまみれた罪深い右手。

 大切なものを取りこぼし続けた無力な右手。

 

 それをまた前に掲げる。

 

 魔力は込めていない。

 

 しかし、照準はピッタリと合う。

 

 半壊したカカシを抱きかかえて慌てふためく、白銀の少女に向けて。


 「……なにせ、文字通り俺の命を救ってくれた恩人だからね」


 「果報者じゃのぉ、あの小娘も」


 「魔術が使えたからどうだってわけじゃないんだけれどね。……いざアルルの元に危機が訪れた時、少しでも守れる確率を上げておくのにこしたことはない。……何もできず、諦めて立ち尽くすだけの自分はもう……嫌だ……」


 「悩め、若人よ」

 

 リリーはペロペロキャンディーをズビシと俺に向けて言い放つ。


 「マスターが魔術を放つことができない原因はなんとなく察しがついとるし、助言してやるのも簡単じゃ。しかし、これはな。他人がどうこう言ったところでマスター自身が気が付かなければ意味のないことなんじゃよ」


 「……たぶん、それも俺はわかっているんだろうな」


 「悩め、そして向き合え、若人よ」

 

 リリーは繰り返す。

 

 意地悪でも厳しさでもなく。

 

 本心から俺のことを思って、叱咤する。


 「……もう若人って歳じゃないさ」


 「なにを言っとる。二千とン歳の我から見れば世界中の人間はみな赤子みたいなもんじゃ」


 「ホンス爺さんにも似たようなこと言われたけど、ケタが違い過ぎるな……」


 「ちょっとリリラ=リリス!!どうしてくれるんですの、これ!?」

 

 アルルが怒りもあらわにマダムの仇に向かって声を荒げる。


 「幾らわたくしの工房で造ったものとはいえタダじゃないんですのよ!!」


 「けち臭いことを言うんじゃないわい。お主の度量の程度が知れてしまうぞ?」


 「せっかくイチジ様の練習用にと特別仕様にしたのに……」


 「なんだ、やっぱりカスタム製品だったのか」


 「ほら、ここ!この唇の辺りの厚みと感触をより人間に近づけて……」


 「その唇を俺にどうしてほしかったんだよ……」 

 

 そしてあの占い&採点のギミックは標準搭載なんだな。


 「……はぁぁ……これでは今朝の練習はここまでですわね……」


 「いや、そのカカシの有無は別に。それ以前の話だしなぁ……」


 「それじゃ、最後に我とともに一発かましてみるか、マスター?」


 「ん?だけど……」


 「いいからいいから、ちょっと耳を貸すのじゃ」


 「ちょ、リリラ=リリス?さきほどのアメといいその耳打ちといい、い、イチジ様になれなれし過ぎるんじゃありませんの?」


 「(ごにょごにょごにょ)……」


 「ふむ……」


 屈みこんだ俺の耳に、リリーが何事かを囁きかける。


 それほど大した内容じゃない。


 幾つかの台詞と魔術名、そして発動にあたっての構え。

 

 それだけだ。


 「ではいくぞ、マスター?」


 「わかった」


 「な、なんですの……」

 

 

 『リリー、落ち着いてよく聞くんだ。……あの言葉を教えて。僕も一緒に言う』

 

 『えっ?』


 「ううん?」

 

 『僕の左手に手を乗せて。……おばさんたちの縄は切ったよ』

 

 俺は左手の手の平を上向きして前に出す。

 リリーが右手を伸ばして俺の手に重ねる。

 

 身長差があるので俺は中腰になる。


 「んんん??」


 「はい、ここで小娘!台詞じゃ!!」


 「え?わ、わたくし?え?せ、せりふって??」


 『ピーーーージ、ジカンダ。コタエヲ……キコウ』


 「ま、マダムぅ!?」



 ≪≪バ〇ス!!≫≫



 シン……



 「…………」


 「…………」


 「…………」


 『pppピppピp……』



 シン……



 「…………」


 「…………」

 

 「…………」

 

 『pppピppピp……メガァァ……メガァァ……(プスン)……』


 「ふむ、なかなかわかっとるなその木偶。壊してしまって申し訳ないことをしたのぉ」


 「マダムゥゥゥゥウゥゥゥゥ!!」




 「あの、姫様?」

 

 ≪マホウの世界≫に来たからには一度唱えてみたい滅びの呪文。

 

 そんな俺たちの寸劇にいい具合にオチが付いたところで、新たな声がかる。


 「そろそろお時間なのでお呼びに参ったのですが……」

 

 俺たちはそろって声の主の方を向く。

 


 そこには……。


 

 どこか見覚えのある。

 とゆーかどこまでも見覚えのある。


 しかし、俺の知らない誰かが。


 メガネの弦をいじりながら困惑した様子で立っていた。


 「一体何をなされているんですか、アルル姫?」


 「……ホント……わたくしは何をしているんでしょうね……アンナ?」


 

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