プロローグ~TOKOYO side~
「さすがに高いな……」
いたいけな少女の心を惑わす罪深き男、
空にいた。
知る人ぞ知る……というよりも知る人しか知らない≪
そんな≪
立神一は空の上にいた。
時速80キロ程度の早さで水平飛行する大きな怪鳥の背に騎乗中。
季節は夏。天気は晴れ。
仰ぎ見る日差しの強さと、空気の薄さ。
切り裂くような風が全身を撫で上げるが、あらかじめ体に付与された魔術によって不快さはまったく感じていない。
『(ピィ……ザザ…)聞こえますか、タチガミさん?』
見た目から機能から何から、ヘッドセットを丸ごと模した魔道具。
そこからいかにも堅物そうな凛とした女性の声が、隔てられた距離を感じさせないほどクリアな音質で聞こえてくる。
「ああ、感度良好」
『追尾魔術の反応によればそろそろ目標地点上空に差し掛かるところですが問題ありませんか?』
「問題ないよ。もううっすらと目視できてる」
『斥候の二人から得た情報との差異は?』
『おおむね情報通り。……ただ、紙の上の字面や耳から受けた印象の何倍も気持ち悪い光景ではあるかな」
『……いけそうですか?』
堅いながらも心配そうな声色。
気のせいか、そんな彼女の調子にイチジの顔が無表情ながらも小さく微笑んだようにも見える。
「いけなくちゃならないんだろ?」
『はい、それはそうなのですが……』
「不安?」
『……正直。……この期に及んでですが、やはり戦略としてはあまりにもお粗末すぎます』
「なら無事成功するようにそこから御祈祷でもしていてくれ」
『……私がその手の魔術の才がないのを承知で言っている嫌味ですか?』
「じゃぁ、応援でもいいよ。美人に『頑張れ』と言われればそれだけで不思議と男は頑張れるもんだ」
『……不潔です。姫様に言いつけますよ』
「なんで浮気の告げ口みたいな感じ?」
『似たようなものでしょう』
「俺とアルルはなんでもないんだってば」
『でも姫様が、もはやお二人で入る為のお墓の用意を割と本気で始めているとか耳にしましたが』
「こわいよ。外堀埋めるの通り越して墓穴掘り出しちゃったよ、あの脳内ピンク姫……」
イチジはボリボリと頭を掻く。
無表情のはずの顔が、わかりやすくしかめられる。
「……俺、この戦いが終わったら結婚させられるんじゃないだろうか……」
『(ピィ……ザザ…)死亡フラグなんだかそうじゃないんだかよくわからんこと言っとるのぉ』
割り込んできた別の回線から、幼い女児の声が響いてくる。
声質的にはなんともあどけない幼女のそれなのだが、そこに含まれるどこまでも軽薄にして不遜な調子は、何かを成し遂げたことのある者のように老成していた。
「リリー、そっちの首尾はどう?」
『うむ、万事抜かりはない。眷属としてマスターの傍にいられないことは甚だ不満じゃがな』
『自分で蒔いた種です。責任を持って刈り取って下さい』
『うるさいのぉ、地味子ちゃんは。わかっておるわい。じゃからこうやって(チュドーン!)泣く泣くマスターから離れて別行動を(ドヴァーン!!)……っておい、コラ。お主らが凄いのはわかったから、あんまり調子に乗ってヒャッハーするでない。まだその潮目ではないぞ。てゆーか我の分も残しておけ』
「…………」
『断固として……断固として刈り取って下さいね、始祖様?』
『あいあい。まぁ、派手になり過ぎない程度に暴れておくのじゃ」
「リリー、気を付けて」
『お主こそな、マスター』
『お願いします、始祖様』
『お願いされた。……時に地味子よ』
『はい、なんでしょう?』
『今日の下着の色は何色じゃ?』
『……ご想像にお任せします……』
『うーむ、薄い紫色なのはともかく、その造りはいささか攻め過ぎではないか?』
『え?』
『あれか?いわゆる勝負下着とゆーやつか?なるほどぉ、大事な戦と一番の危険に晒されるであろう我がマスターへのたむけ。そのダブルミーニングを込めたのじゃな?』
『……くぅぅぅ……』
『にょっほっほ、さすがは軍師。メガネにガーターストッキングとか、マスターのツボを心得とるのぉ』
「……ふむ、嫌いじゃない」
『しかも安易に黒に走らないところが、この女のあざといとこ……』
『……あーあー、あれぇ?突然、通信不良がぁ!!(ブツン!)』
「…………」
『……わざわざ回線を繋いでまで彼女がしたかったことは、私の怒りを煽ることだったのでしょうか?』
「悪気はないんだよ、きっと」
『その分、悪意が満載なのですが……』
「ウチの子が、なんかごめん……」
『……普通ですから……』
「うん?」
『私の下着、普通ですから……」
「…………」
『普通に白ですし、普通の造りですし、そんな破廉恥なものじゃ絶対にありませんし……』
「わかってるよ」
『っ!!どうして私の下着のことをわかっているというのですか!?見たんですか!?見たんですね!?ふ、不潔です!!浮気です!!姫様に絶対言いつけます!!』
「一回、一回だけでいいから落ち着こう。その残念姫みたいなリアクションになってるから」
『わ、私が姫様みたい!?や、やはり私のことまで手籠めにしようと始祖様と手を組んで……』
「だから落ち着けや」
「キュエェェェェェェェェ!!」
人間たちが魔の力を使ってまで交わす戯言などまるで意に介さず。
粛々と命令された通りにイチジを運んできた怪鳥が一声鳴く。
どうやら目的地点の真上に到達したようだ。
「……ありがとうな、ここまで運んでくれて」
イチジは魔獣名・ヤタノドリという怪鳥の体をポンポンと軽くたたいて礼を言う。
「帰ってこれるかどうかはわからないけれど、その時はまた頼むよ」
「キュエエ!!」
小気味よい怪鳥の返事を聞き、イチジはすっとその背中に立つ。
一層身に受ける風が強くなり、こちらの世界に来てから大分伸びた硬い髪がパタパタとはためく。
「……落ち着いたか、パク?」
『だから、私の名前はパクなどではないと何度言わせるんですか』
「ポイントに着いた」
『……お願いします、タチガミさん』
「お願いされた」
『……あなたの双肩にラ・ウールの……そして姫様の命運がかかっています』
「……ああ、わかってる……」
イチジはすっと目を閉じる。
何かを考えているようにも見える。
此度の無謀とも無情ともいえるような作戦内容のおさらいをしているのか。
そんな作戦を遂行しなければならなくなった事の発端を思い返しているのか。
痛みばかりだった≪
何やかにやと騒がしいばかりであっと言う間に過ぎ去った≪
体の中で荒れ狂う力の奔流をなだめているのか。
実は結構、腹に据えかねている自身の怒りを押さえ込んでいるのか。
いつか隣にいてくれた、今は亡き金髪碧眼の女のことを思っているのか。
常に隣にいてくれていた、今は遠き銀髪銀眼の姫君のことを思っているのか。
相変わらず感情の乏しい彼の表情からは何も読み取れない。
だから実際は何も考えていないのかもしれない。
何者でもない、何物にもならない『無』への回帰。
幼い頃、庭に面した縁側でそうしていたのとはまた意味合いの異なる。
失敗の決して許されない状況の中、心を沈め、集中力を研ぎ澄まし、最大限のパフォーマンスを発揮する為に行う、タチガミ・イチジ特有のルーチンワーク。
確かにそれを必要とするにはこれ以上ないくらいの大一番であろう。
そして、目を瞑ったまま。
無表情にして無感情のまま。
イチジはおもむろに後ろに傾ぎ、ゆっくりと体を放り出す。
どこに?
もちろん、空に。
『ご武運を、私たちの救世主……』
ヘッドセットから彼を送り出す声が聞こえる。
「行ってくるよ」
『……って(ボソリ)……』
「ん?」
『……が、頑張って……』
「……ふっ……」
その日、この鉄面皮が初めて笑みらしい笑みを浮かべた。
「ありがとう、アンナ……(プツン)」
「キュエェェェェェ!!」
クールな才女のギャップ萌えと、幸福の象徴とも伝えられるヤタノドリのエールに送られて、立神一は落ちていく。
真っ逆さまに。
直滑降に。
空へと落ちていく。
パラシュートも背負わない自由落下。
瞬く間にヤタノドリの姿が遠くなる。
風を切る。
空気を切る。
日差しを切る。
世界を切る。
「……気持ちイイもんだ……」
そんな呑気な台詞とは裏腹に、イチジの体はヤタノドリの滑空速度となんら変わらないスピードで大地へと向かっていく。
いくら文字通り『バケモノ』の体になったとしても、このまま何もしないで地面へと叩きつけられれば即死よりも一瞬で死がもたらされることは間違いはない。
「……≪
カチン
ゆっくりと目蓋が開かれる。
出自については未だ謎のままだが、見た目は黒髪黒眼の純日本人。
どれだけ≪
「≪
ヴゥン……ヴゥン……ヴゥン……
……ハズだったのだが……
「いうこと聞いてくれよ?……じゃないと仲良く投身心中なんだから」
開かれた両の眼の色は朱。
赤よりも鮮やかにして、紅よりも雅な朱。
血潮の色とも宝石の輝きともまた違う、趣をもった色。
イチジの瞳は、そんな
「……さてさて……」
それまで空を仰いでいた体をくるりと反転、地上側に向ける。
名前すら持たない荒野。
生命の息吹が乏しい不毛の大地。
地図を広げてみても、そこはまるで世界の空白のように何も描かれない。
……しかし、イチジの朱色の瞳にはその空白が動いて写る。
もしくは、うごめいているという表現の方が相応しいだろうか。
「……このど真ん中に着地か……嫌だなぁ……」
口ぶりの割にイチジの顔は真剣そのもの。
瞳はうごめく何かから一刻も視線を切らさない。
自分がやるべきこと。
自分にしかできないこと。
自分がしたいこと……。
それらをしっかりと弁えた、覚悟のようなものが漏れ出ている。
「……≪
ドクン……ドクン……ドクン……
まるで青い空を切り裂く朱色の弾丸。
いや、これから大地へと自らの体を突き刺すように降り立とうとしていることを考えれば。
そしてそれから周囲に無慈悲な破壊を撒き散らすであろうことを鑑みれば。
それは紛れもなく、一個の爆弾。
「ではでは……」
キュィィィィィィィィィンンンン……
「状況開始」
こうして、その結果の成否によってラ・ウール王国……ひいては≪
人一人に背負わせるには途方もなく重た過ぎる命運。
人一人にベットするにはあまりにも分が悪い大博打。
しかし、肝心の当人は正直そこまで自分の役割について深く考えているわけではなかった。
彼の目的はあくまでただ一つ。
囚われの姫君を救出するということだけ。
それはもはや古今東西、どこの世界でも語りに語り尽くされ、それでもなお貪られ続ける。
在り来たりな英雄譚だった。
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