8-3 チッパイをどーんと突き出して

〝なんだか強そうな〟水の精霊がズンと動いた。闇の王は懐かしそうに目を細めた。


《久しいな。水の精霊王。道具ごと地下に追い落としたはずだが》


 水の精霊王はムカっと唇を噛みしめ、長い髪をかき上げた。


「ええ。気に入っていた住処の水鏡を。逢えて早々ですけれど。貴方にはお帰り願いましょうか。ほら、ほら、触ると溶けてしまうのでしょ? いい加減自覚しなさい。貴方は誰より弱いから、呼び出されてノコノコ契約するのよ。本当の強い生き方は」


 水の精霊はアイラににっこり笑うと、ぱん!と闇の精霊王の頬を叩いた。


「人に揺らがされない、チッパイをどーんと突き出して、自分の足で進むものよ」


(お母様! 肝心なところで、それはない! ううん。チッパイ突き出して生きて行くよ。この手をしっかり掴んでね!)


 頬を叩かれた闇の精霊王は情けなくヨロヨロした。水の精霊王は圧倒的に強い。

 振り帰り樣に、水の精霊王は吐き出すように告げた。


「さようならですわ。闇の。あーあ、ドレスが汚れてしまったじゃないの」

「ようやく起きてくれましたか……これで、すべて、終わる……」


 大きな水飛沫に気付いたルシュディの、微かな声と水の波の中、闇は霧散した。

 目を開けたはずのルシュディの瞼が、再び硬く閉じられていく。


「兄貴が! まさか本当に? アイラ、兄貴が瞼を! 闇は消えたのに!」


「大丈夫よ」とゆっくりと水の精霊王が微笑んだ。す、と王のいる宮殿に向けて靜かに腕を上げた。ラティークに向かって、ドレスを抓んで、丁寧にお辞儀をした。


「ルシュディは闇に心を売り、手を貸した。心の闇は深く、浄化が必要。苦しい戦いになるわ。今一度、過去を突きつけられ、乗り越えねば戻れない。苦痛から安らぎを得るまで戻れない。でも、精霊になりかけた闇の心がなくなれば、きっと、元の優しい王子に戻る。精霊力は喪われるけれど」


「本当か!」ラティークが噛みつくように言い、「良かった……」と手を握りしめた。


 水の精霊王はにっこり笑ったが、やはり腹黒い母の顔にしか見えない。


「貴方は、これから……良かったらラヴィアンに」


 ラティークに水の精霊王はまた聖母の笑みを浮かべた。


「これから、砂漠の地下で震えている子供達を起こして回るわ。ゆっくりとではあるけれど、彼女たちが力になるでしょう。水も愛情も、ゆっくり、染みこむものだから。知っているでしょう?」


 ラティークと顔を見合わせたアイラに水色の手が触れた。


「水の子、頑張ったね。一生懸命に愛一杯の声で「起きろ~起きろ~、この弱腰!」言われたら、寝ていられないわ。今度は靜かに起こすのよ。わたくし、神殿に戻る」


「あ、ウンディーネ様」水の精霊王が「なあに?」と振り向いた。美しい瞳で蒼く微笑み、さっと消えた。


(ありがとう、ラヴィアン王国を、助けてくれて)


 ラティークとアイラは歓喜の気持ちで消えゆく水飛沫を願うように見続けた。

 やがて青のオーラはすっかり消え、水の浄化の気配の中で、ラティークが告げた。


「アイラ、そろそろ兄貴を寝かせてやろうと思うんだ。千日後、兄貴の世界が光で溢れるかは分からない。一緒に来て欲しい。許せないだろうけど」


 ラティークの手は震えていた。


(ルシュディが悪いわけじゃなかった。あたしはどうしたら……決まってる)


「ラティークの心の傷をつけたお詫びは欲しいよね」


 ラティークは少しだけ泣き笑って、ルシュディを抱きかかえ、一緒に倒れた緑の虎を抱き、立ち上がった。ところで緑の虎がぱっちりと眼を開けた。ラティークは頬ずりして笑顔になった。シハーヴは嫌がって子供姿に戻り、不思議そうに見ていた。


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