7-7 顔のない女性
命令と当時に扉に緑の風が突っ込んだ。吹っ飛ぶ如く、両側に開いた部屋は、想像していたよりもずっと広い。天空を模したらしい無数にありそうな窓には高級そうな布がかかっている。床は地面剥き出しだが、所々に砕かれた宝玉が埋められ、壁には大きな絵が飾ってあった。片方は母アマルフィだが、もう片方の顔は破かれていた。
「これは、母さん……と、顔がない女性は誰だ……」
「驚いたか? きみと僕の母が一緒に描かれている絵は一枚だけだよ」
象が中央に倒れていた。そばに屈み込んで動かない中背のルシュディの姿があった。
「宮殿を始末し、消えた第二王子。民から見れば、国を見捨てた王子だ。如何なる時も、国を憂い、見捨てず! 例え廃墟になろうとも。それが王子たるものだろう」
白いトーブに金の輿紐。王位継承の証拠の腕輪が左手首で光っている。立ち上がったルシュディは白い象神の面を被っていた。ラティークに幼少の記憶が甦った。
「あんただったのか。思い出した……」
ルシュディは面を片手で押さえたまま、身動きもしない。
「兄さん。――あんた、この国に何をした」
「なにも」くぐもった声が響いた。
「なぜだろう? 突然カラムが倒れた。次々と皆が倒れ……全てはつまらぬ宝石の影響だった。それに気付くまで、数年。長かった」
ラティークは胸の石を翳した。ルシュディがピクと動いた。
「事実を。ヴィーリビア国の至宝の宝石が、何故こんな姿になった! 何があったんだ……闇の精霊がここまで影響を及ぼせるとは思えない。精霊は、世界に干渉してはならない。人間との契約で、人に被害を与えてはいけないはず」
ちらりと石に視線を泳がせたルシュディは「バカらしい」と冷淡あまりある口調で吐き捨てた。ラティークは更に詰め寄った。
「水の秘宝が化石だ。これほど〝絶望〟した石を見た覚えがない。アイラの表情も」
思い出す度、胸が痛む。短い間ではあったが、アイラは心を失うほど、傷ついた。
――二度と、あんな表情はさせない。生気を失った、絶望の表情のアイラはラティークの絶望だ。いつだって、アイラには希望であって欲しい。
ルシュディは重かった口を開いた。
「私が知っているは、その石がもたらした悲劇のみだが。王国を闇に任せれば、逃げた弟王子たちも戻ると思っていたよ。きみは分かりやすい、ラティーク」
ルシュディもまた、剣を手にしていた。
「そのヴィーリビアの宝石は、見れば心安らぎ、近づけば心を浄化するという。当時、後宮は三人の徳妃の勢力下にあった。厳重な施しで、石はこの回廊に飾られた。しかし、ある夜にケースが外されていた。一人の徳妃が秘宝を手に取った。触れた貴妃は突如として美しくなった気がした。その欲深になった第一王妃レノラが僕の母だ」
真実が近づいてくる。ラティークは剣を握りしめた。眼の前のルシュディは人か、悪魔かを見極めねばならないのに、足が震える。ルシュディは続けた。
「母は覿面に欲に溺れ、王を独占したいと願い続けた女。子供の前、民の前でも王を欲しがり、見せつけた。こうして他の徳妃との差別化を図ったのだろうね」
ルシュディの語りは怖ろしく平明だ。
「人は欲に溺れると魔物になる。まず第三の王子の母親が遠く、ヴィーリビア界隈まで逃げた。子供はひっそりと闇に葬られたらしい」
ルシュディは倒れた象に屈み込み、その鼻先をゆっくりと撫でた。象は薄目を開け、涙を浮かべてルシュディを見詰めていた
「残るは私の母とラティークの母のみ、勢力は真っ二つに割れた」
「では、その秘宝は」ルシュディはこれ以上がないほど、冷酷だった。
「気付いた王が隠した。見つけ出したはラティークの母アマルフィ第二王妃だ。当然処罰を受けた。私は成人していないから、処刑には立ち会わなかった。全ては、秘宝などと騒がれた、ただの石が起こした悲劇だ」
(処刑されていた……)ラティークは次々襲いかかる事実を咀嚼しては呑み込んだ。
「それで、売ったのか……あんな、酷い姿にして」
「ただの石だ。母を狂わせ、死に導いた秘宝など、この世界には不要……」
ルシュディは相変わらず面を被ったまま、吼えた。闇の気配が濃くなった。
「きみは知らないだろう! 人の欲や傲慢が、どれだけ世界をねじ曲げるか。強すぎる力が、世界を崩壊させる可能性など、考えもしないのだろうな!」
振りかざされた剣を受けるしかない。ラティークはとうとう兄の前で剣を抜いた。
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