5-2 ヴィ―リビアの国の水の王女 砂漠の闇市場にて


★★★


 港街の場末。路地裏に、競り市場は堂々と看板を掲げていた。商品には奴隷もある。ここでは奴隷としか書いていない。ニンフとは違うらしく、本当の奴隷売買だ。


「奴隷売買制度は、兄貴が認めているからな。ここは兄貴の担当市場で、僕は貿易のほうだ。力は及ばないが、アイラ、大切なものは全て奪い返す、が海賊だったな」


 簡易ドームには濁流の如く人が集まる。アイラは混雑を見たことがなかった。息が詰まる。けほっとなったところで、ラティークが腕を引いて引き上げてくれた。

 ちら、とスメラギの眼が向いた。


「大丈夫か。列が乱れている。僕の前を歩いたほうがいい」


(あたしの目的は三つだった。でも、判っても、手も届かない! 皆は地下にいるのは明確だけど、王国を追い出された。レシュはもうあたしには振り向かない。コイヌールは裏切り者の手で売られてた)


 ガヤガヤと騒ぐガヤの一員になったアイラにラティークが唇を寄せた。


「信用してくれて良かった。何はともあれ、取り返すにもここに来ないと始まらない。僕の正体が王子だとばれれば大騒ぎになる。アイラ、石を取り戻す代わりに、条件」


「本当に取り返せる? あたしからも条件。もし、国に戻れたら、あんたの兄貴、殴っていい? 気が済まないから」


「その時は一緒に。ただし、この手は兄を叩くのではなく、僕に触れるために使え」


 臆さずさらりと告げ、ラティークは片眼を瞑った。


「条件は、スメラギの処刑の取り消し。僕の考えで行けば、石を取り戻せるが、スメラギは自業自得の地獄に突き落とされる。水差しで殴る程度が丁度いい。大体、スメラギのあの守銭奴ぶりだからこそ、僕と出逢えた。これは御礼を言うべきだ」


 ――開いた口が塞がらない代わりに頬がぽぽぽと熱くなった。


 出逢いに太陽を顰め面で睨んでいた熱射病の王子はどんな表情をしていただろう?


「あたしが奴隷として売ってって頼んだから……うん、分かった。お兄には黙ってる」


(あの時、出逢った瞬間、あたしはどんな気持ちでいたのだろう)


「始まりますよ。こんな違反行為が堂々と行われているとは。王子、貴方はご存じでしたか」


 アリザムの声にラティークは頷いた。と同時に、ぱっと灯りが消えた。


(すごい……拷問機具、奴隷を象った彫刻、焚書されたはずの魔道書物、王族の秘宝でも、「国を危うくする秘宝」ばかりが競られている)


 驚愕で無言になったアイラの横で、ラティークが気に障るとばかりに吐き捨てた。


「値がつく品物が〝精霊道具〟確かに僕のランプも値打ちが出る。事実上の精霊の売買だ。こんなことをするから、精霊に逃げられる。いつになったら気付くのか」


 ――世の中、カネだぜ! 


まるでスメラギだ。群集がスメラギに見えて来た。


 アイラは冷たい眼でスメラギを見、耳朶を引っ張った。


「王子に頭下げなよ。あんたの処刑はナシよ。国にはあんたのした行為は伏せる。でも、あたしはあんたをぶん殴りたいから、後で執行する」


「水差しで殴ったろうが! お、あれじゃね? そうだ、あれだ、あれだ」


 売人が黒い布に包まれた石を持ち上げた。


「呪いの石。持ち主が次々と死んだために、古代の王国の女神の像で眠っていた。再び暗黒の時代を呼び戻す、魔石〝コイヌール〟!」


 耳を疑い、目を疑った。


 ――輝かしき女神の石はかつて〝呪い〟と称され、闇世界を泳いでいたものだった。


 噛み締めた唇を涙が通り過ぎた。


(平和を捨て、金を得ようとする人たちがいる。平穏に暮らすものの幸せを壊す権利なんて、誰にもない。だから、精霊が逃げたんだ。当然よ!)


 アイラはそっぽを向いた。


「あれじゃない。あんなの違う! あんな真っ黒に渦巻く石じゃない」


「おいおい、ここまで来てそれかァ? おい、アイラ。分かんだろ? 俺も驚いた。ルシュディの野郎がさ、この石は闇を吸い込んだ、なんて言うし。ほら、おまえ見たら泣くかな~ってだったら遠くに売って見せないほうがって俺の優しさ……」


「結局泣いてるよ」アイラは石から眼を離さず、きっぱり告げた。


「レシュの時と同じ。扉の向こうに行けなかった時と同じ。大切なものを汚され、取り上げられてゆく辛さは、汚す人間には分からない……っ!」


「アイラ」ラティークが手を握って覗き込んできた。涙顔を上げた。ラティークはアイラの頭を腕で包み込んで鎖骨に引き寄せた。


「酷いよな。大切にしていたものを取り上げられて。ああ、取り上げられた辛さは、誰にも分からない」


「じゃあ黙って! 魔法で誤魔化す人に慰められたって嬉しくないから!」


「僕は母親を取り上げられたよ。その時思った。絶対に取り上げる側には行かないとね。人を絶望させるなら、まだ自分がしたほうがいい。気持ちが楽だ」


 ラティークの強い光の言葉に、アイラは声弱く嗚咽混じりに告げた。


「ごめんなさい。優しい貴方まで辛いこと思い出させて」


 アイラの呟きを聞き、ラティークはアイラの頭を撫でると、強く頷いた。


「それはそうと、アイラ。報復は必要だよ」


 にっこり笑ってラティークはちょい、とスメラギを引き寄せた。腹に強烈な膝蹴りを食らわせた。隣にいるアイラにすら、響くような激しい一撃に、思わず涙が引っ込んだ。


(本当に優しい……の、よね?)


冷や汗を垂らしたアイラに、アリザムが答をくれた。


「ラティーク王子は男には容赦がないお人だ。優しくするは女性だけだ」

「うん……よく、分かった。あ、石! 誰かの手に渡っちゃうよ!」


 ずるりと滑り落ちたスメラギをアリザムに投げると、ラティークは手を挙げた。


「その石は、僕が受け取ろう。元は我が王族の物だ。必要なら、名乗ろうか?」


 ざわ……ざわ……と民衆が響めいた。王族反対派がいるかも知れない。気付かれたら終わり。ルシュディにも知れ渡るし、宮殿で「一度死んだ」嘘もばれてラティークは囚われるかも知れない。取り返すには競らないといけない。……でも、そんなお金がどこにあるのかと見回したところで、スメラギが意識を取り戻した。


(あった。ちょうどいいお金。いくらと言ってた? そう、七千万とちょっと!)


「自分の国の秘宝くらい、あたしが取り返すよ。七千万エンとちょっと! 全財産ここで出します! 足りないなら、海賊をオマケにつけるわ! 金儲けが得意!」


 アイラは颯爽と怒り混じりで叫んだ。スメラギが「んな?」と吼えたが、無情な競りの終了音が、コーンと鳴った。コイヌールは七千万エンで落札、本人については交渉の結果、返還になった。


「僕のアイラを奴隷として売った報復。しばしの地獄を見ただろう」


 怒りの治まらない様子でラティークは憤慨した。「王子、大喜びでお買いになられたでしょう」のアリザムの言葉は正論だ。

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