5-3 砂漠の王子 魔法をかけよう 

★☆☆


 砂の王国の雰囲気をふんだんに醸し出す夕暮れがやって来た。


 長く影が伸びる中、競りを終えた掘っ立て小屋はあっという間に解体作業に入った。


 アイラの膝には、黒い布に包まれた〝コイヌール〟があった。掌ほどの大きさの、傷だらけになった無残な石をアイラは大切に抱いていた。


(隣にいる僕にまで、痛々しさが伝わってくるな。……強いアイラに戻って欲しい)


 願う前で、スメラギがいつもの調子になった。


「ほら、俺の功績って言うの? 第一宮殿に放っておかれた大切~な石をさ、見事引っ張り出した、このスメラギ海賊船長の智略を褒め称え、報酬は」

 アイラにぎんと睨まれ、スメラギは「出港の準備すらァ」とスゴスゴ去って行った。


 スメラギの姿が消えるなり、今度は虎から子供に戻ったシハーヴが顔を覗かせた。


「それ、闇の精霊が入ってる。近寄りたくない。黒いうじゃうじゃがいっぱいいるだろ。コレ全部闇の精霊だ。アイラ、離れたほうがいい。触れすぎると闇んなる」


 アイラはまるで自分の心を抱くように、石を抱き締めたまま動かなかった。

 ぽたり、と秘宝にアイラの涙が落ちては、滑って地面に染みこんだ。

 心を硬く閉めたアイラに、ラティークは隣でゆっくりと会話を仕掛けた。


「こんな状態では、ラヴィアンはいずれ終わるな。アイラ、僕にして欲しいことは」


「ない」と簡潔な答。ランプの蓋を開けると、シハーヴは「ぼくは知らないからな!」と怒って中に飛び込んで行った。


 ラティークは立ち上がろうとして、上着が引っ張られている事実に気付いた。座ったままのアイラが引っ張っている。もう一度座り直した。


「出港の準備が出来るまで、たわいのない話でもしようか」


 コクン、とアイラの頭が動いた。


(何の話をしたら、元気なアイラに戻せるだろう。今までで一番難しく、大切な交渉だ。ラティークは空に眼をやった。王女だから、珍しい宝石とか。いや、勇ましいから、古代の闘牛の伝説とか。もしくは僕自身の話を腹を割って言うか。それとも……明るくなれる話がいいだろう。明るい話、明るい話だ)


 決めて、まずアイラの名前を呼んだ。


「アイラが、好きだよ」


 驚きの黒檀の眼。アイラが眉を顰めて見ている。


「たわいない話じゃない……」元気をなくした声音で、アイラはそっぽを向いた。


「僕も驚いた。話そうとしたら、この言葉だった。なら、真剣にアイラのどこが好きかを探す。裏付けになるけど仕方がない」


「好きの裏付けなんて聞いたこともないよ。もう! 仕方がないって何よ」


 アイラは泣き笑いになって、じ、と膝に視線を落とした。


「レシュと、民は無事だって分かったし、そろそろお兄が戻ってくる。一度、ヴィーリビアに戻るにいい頃合いなの。黙って出て来ちゃったし。ばれたら大変」


「ヴィーリビア無敵艦隊の司令長官の兄か。厳格そうだ。噂には聞いているよ」


 アイラはまだ服を掴んで、ラティークを引き留めている。


(もしかして、落ち込んでいた理由はコイヌールとやらだけではない? 離れたくないとか? いや、期待はしないでおこう。寂しいから、一人にされたくないだけだ)


「僕は今からレジスタンスの準備だ。精霊についても調べないと。先に逃がした民も、ニンフも心配だ。それに、さっき僕は身分を明かしたも同然の言葉を吐いたから、もうユーレイトの大陸を離れたほうがいい」


「……スメラギの船が、蒸気を上げてる……」

 夕暮れの波止場で、商船が煙を上げ始めた。スクリューを回して、次に三角帆、二番帆、メインセイルが張られれば、後は漕ぎ出すだけだ。ラティークは船を見上げた。


「さすが、艦隊のある国の船だ。ラヴィアンにも艦隊が欲しい。そうしたら、自由に貿易が出来るのに」


「行くね」とアイラはそっけなく立ち上がった。


(やはり気の迷いだな。片思いなど性に合わない。さっさと止めたほうがいい)


 ラティークは生まれて初めて、小さな絶望を味わった。


(アイラは僕が〝魔法をかけてる〟と疑ったままだ。ああ、本当にかけられるなら、かけておきたい。そうすれば、きみはずっと僕に囚われたままでいられるだろう?)


「ああ、僕も早々に、アリザムと計画を練る。王子だった立場が嘘のようだな」


 アイラは少しだけ微笑むと、背中を向けた。(最後まで、王女の姿勢を崩さないか)と諦めかけたラティークの前をアイラは素通りした。


 雫が横に舞い散って、ラティークの前に流れた。


 ――違う。終わってなるか。



「アイラ!」呼ぶとアイラは泣き顔で飛び込んで来た。頼りない肩だ。この体一つで、まだ見知らぬ王国に飛び込むなんて、どれだけ怖かっただろう。


〝ねえ、待ってよ。離れないで〟

〝いいよ、あたしひとりで〟

〝そうだよね〟〝怖かったよ……!〟


 泣き顔のアイラはいつだって王女ではなかった。受け止めるラティークも、もう王子ではなかった事実に早く気付くべきだった。


「さっきの理由だけど、きみが好きだよ、の理由」


 ひっくひっく泣くアイラの肩を押さえて、身を屈めた。


「我慢する姿、虚勢を張る姿、果物の皿を運ぶ姿、アイラはいつも一生懸命。好みなんじゃない。一生懸命さを僕が好きになったんだ。帰したくない」


「ん、そばにいる。帰らない……っ!」


 ――帰したくない。ラティークは更に腕を強く回そうとして、拳を握った。


(傷付いているアイラのそばで、手を握っていてやりたい。優しい心に傷をつけた全てのものを奪い去って、跡形もなく砕いて銀河の果てにバラ撒いてやりたい気分だ!)


 理不尽な怒りと、アイラへの感情で昂ぶる四肢を制御し、眼を瞑って、優しい口調を取り戻した。愛情は、愛する人の背中を押すことだ。ならば、とるべき行動は……


「ヴィーリビアか……遠いな。生きていれば、逢えるだろう、きっと」


 アイラはまた頭をラティークに擦り付けた。


「離れたら魔法が終わる」とは何とも可愛らしい口説きだ。


(僕にはアイラを束縛する権利はない。しかし、僅かな時間、王女の仮面を外してやる。ほんの少しだけ、少女に戻って自由にさせられるのは僕だけだ)


「僕の魔法は強力だ。きみが、心を手放さない限り。僕はそばにいる。離れた時間が愛を育てるなど信じてはいないけれどね。だが、信じよう」


 ラティークはアイラを抱き締め、唇を重ね、頬に眼に、鼻先に唇を押しつけた。


 決意を固めるに充分な愛しさの中、見えないようにランプの蓋を開けた。緑の虎がしゅっと空に舞い上がった。ラティークは歪む景色の中、命令を下した。



「風の精霊。僕の王女を死ぬ気で護れ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る