◆◆◆2◆◆◆ 唇から風の魔法で君を癒すよ ◆◆◆

2-1 風の精霊 果物落として怒られる

★1☆


 スイカ、メロン、林檎、オレンジ、レモン、パイナップル。ぶどう。果物を載せた大皿は、見事に重くなったが柑橘系の香りは瑞々しい朝に相応しい。


(もう少し、載りそう)と仕上げに大振りの葡萄を追加して、ひょいと持ち上げた。

 ヴィーリビア王女・アイラ特製果物皿完成。主人、ラティークは果物好きだ。


「どいて、どいて~っ!」


 ラヴィアン王国・第二宮殿の料理場。アイラがニンフと呼ばれる宮殿侍女になって、早くも数週間。持ち前の適応力で、すっかり生活に馴染んでいた。


 砂漠の風。一縷の緑色の波が走った。精霊の気配はオーラで見える。緑ならば風の精霊だ。やはり水の精霊の青色のオーラは見当たらない。


(水のコが一人もいないなんて……寂しいな……)


 と、緑の風が突進して、アイラの足元を駆け抜けて行った。果物が落ちかけた。


(葡萄! ラティークの一番の大好物を落とすわけにはいかない!)


 傾いた拍子に今度は皿からオレンジが落ちかけた。しかしオレンジは空中にふわりと浮かんで、皿に戻ってきた。


 オレンジに羽があるはずがない。見れば柱の陰で、ツンツン頭が揺れている。

 ラティークが連れ歩いている子供の風の精霊シハーヴの仕業だ。


「ありがと、ちっちゃい王子さま」


 気配がなくなった。ちらりと見ただけだが、緑の虎シハーヴと、王子ラティークは同じ色の瞳をしていた。態度も似ている。呼び出された精霊が、召喚者の影響を受けるという話は本当か。波長の合う精霊を連れているラティークが羨ましくなった。


(あたしも、精霊欲しくなっちゃうな……いいなぁ……)


 果物の皿を窓辺に置いた。さて、お仕事、お仕事。鼻歌まじりで今度はモップを持ち出した時、アイラはハタと気付いた。


(あたし、敵国で何やってるんだ。なんで、モップなんか持ってんの? こうしてはいられない! また、魔法をかけられてる!)


 初日にくだらない魔法で、ぽ~とさせられた屈辱を思い出し、アイラは首を振った。


(精霊に命じて、惚れさせようとする王子はラティークくらい。周りの女性がああして傅かせられていると思うと、何だか不憫になるし、それに魔法なんかなくても……)


 アイラは考えを止めた。


(皿、運ぼう。ラティーク果物好きみたいだし、喜ぶかな。し、仕方ないから、うん。ラティークの好物の葡萄が余っていたからで、別に笑顔が見たいわけじゃない)


 散々心で言い訳をして、一度は置いた、窓際のアイラ特製果物皿を持ち上げた。


 少年精霊シハーヴがひょいと顔を見せた。


「ありがと。全部落として大変になるところだった。オレンジ、拾ってくれたでしょ?」


「運んでやる」シハーヴは嬉しそうに告げると、指先で小さな丸を描いた。ほどよく皿がアイラの手から浮かんだ。アイラは持っている振りをして歩き出した。皿もふよふよついてきた。

☆★☆


 流砂の音がする中、アイラとシハーヴは並んで回廊を歩き始めた。シハーヴは眠そうに眼を何度もしばしばと瞬きした。


「眠そうなところまで、そっくり。ランプに戻って休んだら?」


 シハーヴはキロ、と精霊の真っ赤な目でアイラを睨んだ。


「戻ろうにも、ラティークが、僕を呼び出しておいて、ランプに戻すの忘れて、肝心のランプぶら下げたまま出かけたんだよ! どこにいるのか見つからないんだ」


(なるほど。家を持ち出されて、戻れないんだ。精霊野放しにして何やってるんだか。ラティークは)


 ラティークへのちょっぴりの怒りを察したか、シハーヴは唇を尖らせた。


「第一宮殿を探れなんて言うんだ。虎の姿で見て来たところ。あそこ、ヤバイよ。闇の精霊がいる気配」


 甘えたな声と口調は、ラティークそのもの。


(なんだか、不憫だ。世の中にはもっと素敵な人もいるだろうに……)


 アイラは遠くに見える第一宮殿に視線を移した。第二宮殿の趣味の悪い金銀ギラギラの装飾と違って、落ち着いた色合いの、歴史を重ねた宮殿……。


「有り得ないわ。仮に闇の精霊がいるとしても、大人しく従うはずがない。それにもっと大きな資格と、強い素質が必要なはずよ」


「人間の決めた資格だろ。ぼくらには本来無関係。いつからそうなったのかな。こんな道具に縛り付けられてさ。契約なんて分からないし、ラティークがまた無理矢理で。お陰で散った仲間を探しにも行けやしない」


 風の精霊はお喋りが好きらしい。シハーヴはちょこちょこアイラに話しかけて来た。


(そうか、この子、一人ぼっちなんだ……ラティーク、分かってるのかな)


 考えて、うんざりした。ラティークは何も分かってない。シハーヴの魔法を利用しているだけで。


(ああ、だめ、またムカつきが)気分を変えようとアイラは窓に視線を注いだ。船が砂海の上を走っている。側には駱駝の群れ。海景色を見慣れているアイラには、何度見ても不思議な光景だ。


 シハーヴはひょいと浮いて、アイラに自慢そうな口調で耳打ちした。


「教えてやる。相当の手練れの魔神じゃないとできないんだけど、砂を風で操作して、船のための風を起こしてんだ。えっへん。凄いだろ」


「まあ、働きものの魔神さん。魔神なんてただの伝説と思ってたけど」


「あのじーさん。現役退いて、船動かして遊んでるんだ。昔は人と精霊は仲良かったんだって、でも争いが起こって、精霊が逃げたんだって。しょっちゅう昔話」


「でも、あなたもラティークとは仲良しでしょ。一緒に魔法かけたり楽しそうよね」


「契約だからさ。主に逆らうと、酷い目に遭うんだって。大したコトはできない」


 たわいもないお喋りを楽しんでいる前に、今度はわさわさと麻袋が歩いて来た。


「なんだ、あれ! あ!」シハーヴがびくついた。はずみで浮いていた皿が空中で大きく揺れた。


「象のごはんが通りますよ~」


 麻袋がピタリと止まった。サシャーが満面の笑みで顔を輝かせた。


「姫樣。わたし、象のごはんを運んでいるんですわ! これが重くて重くて」


 逃げようとしたシハーヴの虎の尻尾をアイラはぎゅっと踏んだ。


「逃がさない。掃除、手伝うわね? 見なさい、どこで気を抜いたの!」


 いつしか果物の皿は落下し、思う存分果物を巻き散らかしていた――。


☆★★


 シハーヴがアイラに踏まれた尻尾を必死で舐めている。サシャーは、今度は食糧庫に餌を戻す最中だという。アイラはシハーヴを抱き上げ、サシャーと歩き出した。


「姫様。第一宮殿に妙な噂があるようですわ」


 アイラのチッパイに顔を寄せていたシハーヴがぴくんと動いた。


「妙な噂? こっちには妙な王子さまがいるけど。大きいのと、小さいの」


「壁がね、蠢くんですの」サシャーは首を傾げて「おかしいでしょ」と続けた。


「呪いのような感じで。それに、本殿への道が封鎖されているのも気になるんです」


 サシャーによると――


 本来は、本殿を突っ切って食料庫へ行けるらしいが、封鎖されているので、迂回して第二宮殿の敷地をうろついていたらしい。アイラはん、と考え込んだ。


「この国、いったい誰が政治やってるの? ラティークはハレムに入り浸りだし。やっぱり、第一王子が一人で切り盛りしているのかな。身分を明かして、聞いてみようか。参考になるかも」


「んまあ! おやめになってください! ヴィーリビアの王女で、姫巫女の貴方が、奴隷として潜入したなんて明かされれば、どんな騒ぎになるか。姫様、この問題はひっそりと片付けねばならないのです。そう爛々と眼を輝かせないでくださいまし!」


「あら、爛々となんかしてないけど」


 冒険心をサシャーに見抜かれて、アイラはしれっと言い繕った。


「でも、第一宮殿が呪われているという言葉は気になるよね」


「確かに……呪い、なんて古代的ですけれど」


 サシャーの言葉にしばし考え込んだ。アイラは抱いていたシハーヴをひょいと廊下に置いて、目配せした。虎の姿でシハーヴは、金の瞳でアイラをじっと見上げている。


「ここにいて。もうすぐご主人様も帰って来て休めるよ。実はね、ラティークが不在の内に、調査、済ませておきたいの。邪魔されそうだから」


 アイラは髪を解き、念入りにきつく縛り上げると、ポニーテールを揺らしてサシャーに振り返った。


「サシャー、行くよ。闇の呪いは深いの。絶対に触れてはいけないし、死に繋がる性質。呪われた宮殿という噂が本当なら、親友も、大切な秘宝も置いてはおけない」

 サシャーは不安そうではあるが、アイラの説明を理解した様子だ。


 砂風が、吹いた。アイラは颯爽と先日かっぱらいした男服を取りに戻り、呆れ顔のサシャーと共に第一宮殿へ向かった。

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