2-2 風の精霊 王子に頼まれる
★2★
目指すルシュディ王子の第一宮殿は歴史を感じさせる深い茶色の岩壁に囲われていた。厳格なルシュディ王子を彷彿とさせる風体。アイラとサシャーは第一宮殿のハレム屋敷と思しき場所で、様子を窺った。ん、とアイラは足を止めた。
(水の波動が足裏から伝わってくる。気のせいかな?)
アイラは爪先を砂地に下ろすと、また足裏をくっつけた。
「ねえ、サシャー、お水流れてる感じがするの」
「第一宮殿には水路はないと聞きましたわ。水路は宮殿の周りに敷かれていて、そこから噴水としてお水を引いているのですわよ?」
アイラは以前スメラギから聞いた言葉を思い返し、ゆっくりとなぞった。
「サシャー。遠くの氷の国の地下氷塊が、少しずつ溶けて、砂漠の地下に届いているの。それこそ、見つかったら砂漠も海になるほどの……本当なら、水の気配がしてもおかしくない。スメラギは精霊世界については嘘を言わないから、信じられる」
こそっと第一宮殿に足を踏み入れた瞬間、サシャーの口調が吐息混じりになった。
「姫樣、奴隷の次は、かっぱらい、これでは、今度はこそどろですわ。ヴィーリビアの姫が、他国でこそどろなんて、口が裂けても言えません。ご安心くださいまし……」
「ありがと。もう一度水の流れを喚んでみる」
アイラは両指を組み、(集中するのよ)と、腕を降ろして眼を瞑った。大気に僅かに青光色の帯がゆらりゆらりと見えた。帯は宮殿をぐるりと囲う形でたゆたっている。
(砂漠で、水がたくさん集まる場所……)
アイラはぱん、と両手を打った。
「オアシスの跡地に宮殿が建ってるのよ。水が欲しいわりに、大胆ね」
「余所の国のお話と事情があるのでしょ。ほら、人が来ますわ。姫様、こちらへ」
アーモンドの小さな木の茂みに隠れた。窺っていると、煌びやかな女性の塊が通り過ぎて行った。きょろ、とアイラは葉っぱの間から眼を動かした。
「姫様、ルシュディさまのハレムの徳妃さまたちですわ」
声を潜めたサシャーの言葉に見れば、影がありそうな黒髪美人集団。肉感的ではないが、それなりにイイ胸を持っている。小刻みに震えるアイラにサシャーが気付いた。
「あの、姫様もお可愛らしゅうございますので……おムネをお気になさらずとも」
「違うわ。ハレム、ハレム、ハレムハレム……。あー思い出しちゃったよ!」
屈辱でむぎゅ、とアイラはアーモンドの茂った枝葉を強く掴んだ。ガサ、と茂みを揺らした前に、今度は男が二人。第一王子ルシュディが背の高い男と会話している。
「第一宮殿を取り仕切るルシュディ樣付きの事務官様ですわ。……あ、姫樣」
アイラは茂み越しにこそりと動き出した。サシャーがぐいとアイラの腰布を掴んだ。
「危険です、姫様。ラティーク王子にご相談を」
「なんで相談するのよ。ルシュディ王子はヴィーリビアに喧嘩売った! ラティークより情報があるんじゃない? 聞き出さないと! これは王女命令よ」
男二人は何やらヒソヒソやり、さっと歩き出した。
「行くよ」とアイラは見失わないようにこそこそ進んだ。二人は宮殿の奥に向かって曲がり……煙の如く、消えていた。
「消えてしまった。一瞬で……?」
「蜃気楼か何かでしょうか。やけにはっきりしてましたわ」
「ううん、消えたのよ……ねえ、やっぱりこの宮殿、変。近づくほど、水が閉じ込められてる感じが濃くなるの……あ!」
アイラは脳裏に激しい衝撃を感じた。
――水の波動を受けたヴィーリビアの民が一塊になっていれば、砂漠の乾いたオーラの中でも、際立って来るのではないだろうか? アイラは平坦に告げた。
「皆は、地下にいる。間違いない、サシャー」
「まさか、そんな……それでは幽閉ではないですか! 姫様のお間違いでは」
「もう一度、探ってみる。さっきよりずっと濃いから見つかるかも」
アイラは目を閉じた。巫女修行を終え、水の恩恵の洗礼を受けたアイラには、水と交流する術がある。細く、長い微かな水の息吹から、スウッと青い光が視え始めた。
「見えた! 行こう! サシャー、ついてきなさい!」
「姫樣ぁ」サシャーは泣きそうな声になりながらも、アイラの後をついて来た。
★★☆
空に向かって聳え立つ第一宮殿には、海の側にあるヴィーリビアの神殿と同じ模様のオベリスクが、天を衝く如く聳えていた。
アイラが眼を凝らすと、青い光は地下に続き、水の波動を受け続けているオベリスクの下に、小さな地下階段。地下井戸だろうか。どちらにせよ、進む以外にない。アイラは迷わず向いた。
「まず、民から取り戻せそう。このオベリスクよ。水に縁がある証拠だわ」
「やはり行くんですね……あ」
ふいっと大きな影が背中に覆い被さったような気配がしたが、気のせいだろうとアイラはこきっと腕を鳴らして、オベリスクの地下階段を慎重に降り始めた。
地下を進むごとヴィーリビアを思わせる彫刻。世界は繋がってるのだと示すように。
アイラは眠気で朦朧としつつも、以前何とか読破した巫女歴史の書物を思い出した。
「精霊世界のはじまり」。巫女が学ぶべき、精霊歴史学の一項である。
世界は一つだった。神が大地を割った。割った中から、光・水・土・火・風が生み出され、最後に闇が出て来た。大地は特色を持つ国々に別れた。しばらくは穏やかに過ごしていた。しかし、精霊は光と闇にいつしか分かれた。人が精霊を利用し始め、大きな戦いの末、今の世界になった。怒った精霊は人間が生きて行けない自然の力に平伏すような、『災害』を生み出した。自然の恐怖を、人々に植え付けたのである。
だから精霊と人間はどこか相容れない。今も『災害』を起こそうとする精霊がいて、いつでも世界を取り戻す準備がある。悪事が起こるも、その影響。精霊を敬え――。
「なぁんて、お伽噺。ねえ? サシャー」
かんらかんらと笑いながら、サシャーの名を呼んでみたが、返事はない。
振り返ると、アイラの後にいたはずのサシャーの姿はきれいさっぱり消えていた。
(さっさと引き上げたのかしら。白状なんだから。いいよ、一人で)
アイラはカツカツと螺旋階段を降りた。外の光が遠い。結構深いところまで下りた様子だ。暗がりで眼を細めると土くれの扉から青い光が漏れていた。
(ここだ。光が漏れているせいで、明るい。間違いない。水の波動だ)
光溢れる扉の前で唾を飲み下した。伸ばした手にゾワリと毛虫が這った。「なんだおまえ」とばかりに無数に貼り付けられていた。精霊力で封印されている様子だ。
「ちょっと、どいて。そこに用事があるのよ」
毛虫たちは顔を見合わせ、さもおかしそうに揺れた。
〔チョット、ドイテ、だってさァ。クク、可~愛いぃ〕
毛虫にケケケと笑われて、アイラはむっと頬を膨らませた。雑魚、しかも大嫌いな毛虫にバカにされて黙ってない。
「お掃除、するよ。どきなさい! ほら、ほら、ほらほらほらほら~」
埃を払うようにサササと手を振ると、闇の精霊はふよふよと空気に散った。
(うぅ、毛虫やっぱり嫌い~……なんの嫌がらせよ!)
しかし、邪魔は退けた。アイラが扉に手を掛けると、簡単に取っ手は動いた。
〔あ! このアマ!〕
毛虫集団がまた爪先から這い上がって来た。
「いやぁっ……中に入った! あっち行ってえええっ!」
もぞもぞと胸を這い回る毛虫に泣きっ面になったアイラに向かって、突然の風が突っ切った。毛虫が吹き飛ばされた。風はアイラを扉に寄せ付けまいと、吹き付けた。
「く……ぅ」アイラは扉に無我夢中で手を伸ばした。取っ手を掴んだところで、男の骨張った手が背後から伸びてきて、アイラの手を押さえた。
「駄目だ! こっちへ来るんだ」
ラティーク王子だ。ラティークはアイラを引き戻した。腕に転がったアイラに、いつものだらしない雰囲気など微塵も感じさせない真摯な眼。優しくアイラに微笑んだ。
「良かった。シハーヴが教えてくれなかったら、きみもあの扉の向こうにやられる」
――見つかった。風の精霊を小さく睨んで、アイラは素性を明かした。
「水の者たちをこんな地下に閉じ込めて! ヴィーリビアの王女が許さないんだから! 秘宝と、あたしの親友を返しなさい!」
「親友? 秘宝だって? ヴィーリビアの王女……まさか」
アイラはしまった、と口を押さえたが、ラティークはアイラの腕を引いた。
再びラティークの胸板にぶつかって、アイラはムスっと顔を上げた。
「なに? ハレムの続きでもやる気? また張り飛ばすよ」
「静かに。何者かが階段を降りてくる」
確かにラティークの言葉通り。螺旋階段の上から、カツーン、とゆっくりとした足音が響いてくる。
「聞いているの? 貴方は知っているんでしょ? コイヌール! あんたたちが奪った。あたしは全部取り返しに来」
ぱち、ぱちと数度の瞬きをして、アイラはぎゅとラティークの鎖骨に指を引っかけた。唇から唇に、伝わる優しい風。(魔法だ、魔法魔法!)そう思っていても、蕩けそうな何かが心に忍び込んで、鮮やかな花を咲かせようとする。
(……あったかい。ってまた唇奪われてる……!)
反射的に構えたところを、ラティークに難なく抑えられ、むっとした。ラティークは唇をアイラから離し、冷静な声で囁いた。
「靜かにしろと言った。見つかったら、困るのはきみだ」
「そんなにあたし、隙だらけ? ハレムの王子に敵うとは思っていないけど、ひどい」
唇を押さえたアイラの前で、ラティークはふいと視線を逸らせた。
「靜かにして欲しかっただけだ。不可抗力だが、殴るならどうぞ」
(これじゃ、ときめくどころではない。これでは、ときめく隙もないっ……)
「どうせぼくの魔法は効かないよ!」悔しそうなシハーヴの声に正気に還った。ラティークは、アイラの手首を掴んだままだ。
「きみの友達から、全部聞いた。第一宮殿の地下神殿を探り当てるとは思わなかった」
「友達?」
「いるだろ。髪ふわふわの、背が小さいけど、胸はこう桃みたいな……」
ラティークが胸に手を当てて言っている友達とは、サシャーのことだ。
「いやらし。そう、全部、聞いたの……。なら、遠慮はしないわよ」
「静かに。それとも、誘ってるのか。それが娼婦の手管というならば、応えるが」
――とんだ侮辱。ラティークがクスと唇を開いた。慌てて唇を、む、と隠したアイラに微笑んで、厳しい声音になった。
「シハーヴ、ここ、何分もてる?」
「五分が限度」
「短いな。では、五分、王女、ここで動かずにじっとして。こいつの魔法、不安定だからきみも協力するんだ、いいね? もしも見つかったら、幽閉だ」
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